温泉公爵
「うっ…………ふっ…………ふぅ~~~…………あ゛ぁ゛~~、気持ちいいなぁ~……」
言っておくが、決して妙な行為に及んでいるわけではない。
ただ、あまりにも湯が心地良すぎて変な声が出ただけだ。
リアム支部長から言われたように、頭の上へ手拭いを乗せるのも忘れていない。
これが温泉でのお約束であり正式な作法だと聞いたのだ。
そう、俺は今、温泉にゆったりと肩まで浸かったところなのである。
「リルー! わたしのところにおいでー!」
「キャン!」
「ほぅ、こりゃ最高じゃのー」
マリーとアリスメイリス、そしてリルと共に。
二人は俺の両脇に陣取り、風呂の縁にかけた我が両腕を枕にしている。
普段も毎日こんな感じで風呂へ入っているのだが、今日は見える景色も気分もまるで違う。
俺が温泉層を掘り当てた話は瞬く間に街中へ広がった。
そして、誰が先頭に立って組織したのかもわからぬまま、一瞬にして有志が数百名も集まり、恐ろしい速度の突貫工事で夕方にはなんと露天風呂を完成させてしまったのである。
しかもきっちりと外から見えぬよう、ご丁寧に壁まで作る念の入れようであった。
どうやら領民諸兄も温泉と聞いては黙っていられなかったらしい。
そんな気迫の篭った露天風呂の、栄えある一番風呂が第一発見者の俺へ贈られたと言うわけだ。
上を見上げれば、白い湯気の中で満天の綺羅星が淡い輝きを次々に降らせている。
少し熱めの温泉水は、まるで産湯のように俺の全身を優しく包み、日ごろの疲れや悩みを忘れさせてくれるようだ。
娘たちもうっとりと目を瞑り、『極楽極楽』とお婆さんのように唱えていた。
リアム支部長によれば、この湯は硫酸塩泉と言う泉質で、効能としては神経痛、皮膚病、関節痛、腰痛、肩こり、疲労回復、美肌の効果があるらしい。
異様に詳しいし、やたらと早口で熱弁していたが、彼は温泉博士かなにかなのだろうか。
ともあれ、足腰の痛む俺にはまさにピッタリと言える温泉であり、年配が多い領民たちもきっと喜ぶことであろう。
それに、湧出量も他の源泉に比べてかなり豊富なようで、これを観光資源として生かさない手はない。
上手くやれば、ここを一大湯治場にできるかもしれないよね。
そうなれば大陸中から人がやってきて、きっと賑やかになるよ。
それに、これだけの湯量なら一般家庭へ回しても大丈夫だろうし。
どうせならみんなが温泉に入れるようにしたいもんな。
あっ、ついでに城へも流そうか。
ベリーベリーちゃんや分団の騎士たちも喜ぶよね!
うひょう、こんな風呂に毎日入れるなんて夢みたいだぞ!
よし、まずはここに大きな共同浴場を作ろうか。
予算的にはなんとかなる……はずさ。
いや待てよ。
ここは商業区の予定地だったな。
東側に予定していた歓楽街と交換するべきかな?
でもなぁ、向こうは完成も間近だしなぁ。
そうか、商業区の位置をずらせばいいのか。
いいぞいいぞ!
などと脳内で皮算用を繰り広げまくる俺。
そのうち『温泉公爵』なんて不名誉な二つ名が付けられてしまいそうだ。
いやぁ、やるからには少しでも領地を発展させたいじゃない?
この何にもない地に温泉が湧くとか、救世主もいいところだよ。
悪いけどこれを最大限生かすのが金儲けに……ゴホンゲホン……いや、統治者としての役目だよね、うん。
世のため人のため多額の負債を返すために頑張らないと!
あ、最後に本音が出ちゃった。
陛下もシャルロット王女も『金など返さなくてもよい』と、おっしゃってはくれるけど、そんなわけにいかないよな。
借金を作ったままでは王女が後から何を要求してくるかわからんのだよ。
いかにも『借金のカタにわたくしの奴隷におなりなさい!』とか言い出しそうだろ?
あな恐ろしや。
それに、俺はあんまり借りを作るのが好きじゃないんだ。
料理人時代にホイホイ引き受けて何度か痛い目に遭ったからな。
詳しくはいわないけど、若気の至りってのはあるもんだよ。
まぁ、そんな経験もあってどうにかきっちりとお金を返納したいと考えてはいるところだった。
そんな折にこの温泉を掘り当てるなんて、神がかっていると言うか渡りに船と言うか千載一遇と言うか。
なんにせよ俺にはとにかく有難い!
だからちょっとくらいの皮算用は許してくださいね、神さま。
俺は家族と領民を養っていかなきゃならないんですよ。
「ね~、パパ~……ぷくぷく」
目を閉じて呟きながら沈んでいくマリー。
少し早い時間だが眠いのだろうか。
それとも温泉でのぼせたのだろうか。
確かに子供が入るには少々熱めの湯ではある。
「眠いのかい?」
よいせっとマリーを抱えて浮き上がらせた。
手を離せばまた沈みそうなのでそのまま抱きしめる。
小さな身体は変に熱を持った様子もなく、のぼせたのではなさそうで少しホッとした。
「ううん……あのねー、パパにおねがいがあるの」
「ん?」
なんでも言ってごらんと、こぼしかけた言葉を飲み込む。
娘のお願いなら全部叶えてあげたい俺と、甘やかしてばかりではダメだと思う俺が脳内でせめぎあったのだ。
「ねぇ~ん、お父さまぁ~、わらわからもォ、お、ね、が、い、なのじゃ~」
「うぉわっ」
首にしがみつき、頬にキスの雨を降らせながら俺の胸板に『の』の字を書くアリスメイリス。
まるでいかがわしい店の嬢が繰り出す手練手管のようであった。
こっ、こらっ!
そう言うことは大人になってから彼氏とかにしなさい!
……いや、やっぱりダメだ! 彼氏なんてまだ早い!
だから、どこで覚えてくるの!? こう言うことをさぁ!?
「わたしとアリスちゃんをね、おうとまでつれてってほしいの」
「王都へ? どうしてだい?」
「くっ、くふふふふ! やめっ、やめてなのじゃお父さま! わらわが悪かったのじゃ~! くふふふふ! ひゃぁ~! お許しを~! くっふふふふ!」
マリーと話しながらアリスメイリスにくすぐりの刑を処す俺。
悪い子にはきちんと罰を与えなければなるまい。
「あのね、がっこうにいってみんなにあいさつしておきたいの」
「あぁー、そうかそうか、なるほどね」
初めは単なる視察のつもりでこの地を訪れたけど、なし崩し的に居つくことになっちゃったもんな。
一応、俺が王都に戻った時、お隣のジェイミー夫人に頼んで、しばらく戻れない旨をミリア先生宛てにことづけておいたんだ。
だが、マリーやアリスは友人への挨拶もままならぬうちにここへ来てしまった。
仲の良い子もいたようだし、話したいこともあるのだろう。
「いいとも、じゃあ明日にでも送って行くよ」
「ほんと!? わーい! やくそくだよパパ!」
「ああ」
「久しぶりにみんなと会えるのじゃー! 楽しみじゃのー!」
パチャパチャとお湯を散らしながらはしゃぐ娘たち。
その様子に俺も笑顔で何度も頷いた。
しかし────
「残念ですが、明日は午前中から予定がございます。もっとも、午後はフリーですけれど」
「お、お邪魔しま~す……えへへ、来ちゃいました」
「お世話をしに来たのでごぜーますよ!」
突然声が聞こえ、湯煙の中から現れたのはバスタオル一枚を身に纏ったウェスタニアさんとリーシャ、そしてニアーナであった。
「うわぁ! な、なにやってんだいきみたち!」
頭の手拭いを慌てて腰に巻く俺。
リアム支部長に『手拭いを湯につけるなど無作法です!』と叱られそうだがこれは緊急事態なのだ。
「おねぇちゃんたちもいっしょにはいるの?」
「寒いから早く入ったほうがいいのじゃ」
娘たちは喜んで手招きしているが、俺は全く余裕がない。
そもそもどこに視線を定めていいのか。
バスタオルからはみ出すほどになかなか豊満なリーシャを凝視するわけにもいかず、長身だがスレンダーなウェスタニアさんを見ていたら真っ先に目を潰されそうだし、ニアーナは……うむ、ちんちくりんである。
よし、なるべくニアーナを見ていたほうがよさそうだぞ。
……いやいやいや!
やっぱりダメだ!
絶対ロリコンだと誤解される!
「そもそも俺が先に入るからって言ったはずなんだけど」
結局俺は夜空を見上げることにした。
あらぬ疑いをかけられても困るゆえに取り敢えず言い訳をしておく。
「だって、ニアーナがどうしてもリヒトさんの背中を流すんだって、すごい鼻息だったんですよ。か、彼女の私としてはそんなことを黙って見過ごせるはずがないじゃないですか……」
うつむきがちに言いながら湯船へ入るリーシャ。
いつもよりも魅力的に感じるのは髪をアップにして白いうなじを覗かせているからだろうか。
「私はそのリーシャさまとニアーナを見張る……いえ、間違いが起こらぬよう見守るために来たのです。浴場で欲情されて破廉恥な行為に及ばれては困りますので……ププッ」
黒髪をお団子にしたウェスタニアさんが、自ら放ったオヤジギャグで自爆していた。
しかも鉄面皮のまま笑うと言う、なんともホラーな光景である。
だが、どうやらギャグセンスは俺以下のようだ。
「さぁさぁ! リヒトハルトさま! わたすがお背中を流すでごぜーますよ! こちらへどうぞ! さぁ! はよ!」
青い髪を振り乱し、パンパンと低い腰かけをドヤ顔で叩きまくるニアーナ。
桶には石鹸と垢すりが入れてあり、装備は万全、やる気も満々らしい。
いかん。
完全に目が据わっている。
俺は全てを諦め、彼女の言いなりになるしかなかったのであった。




