紋章
とある日の午後。
俺はいつものように公爵執務室にいた。
みんなの活躍でここのところはだいぶモンスターの襲撃回数が減ったこともあり、溜まりに溜まった各所からの書類を今のうちにとっとと片付けてしまおうと思った次第である。
ただ、秘書長、と言っても秘書は一人しかいないが、のウェスタニアさんは外出中だった。
リーシャもグラーフも、ベリーベリーちゃん率いる白百合騎士団公爵領分団の騎士たちも、それぞれの所用で不在なのだが。
その代わりに────
「こんなかんじかな?」
「うむうむ、なかなかなのじゃ」
「マリーさまもアリスさまも上手でごぜーますね!」
「キャン!」
────マリーとアリスメイリスはお絵かきに興じ、まぁ! メイド! ……失礼……自称人魚でメイドのニアーナと白い子犬にしか見えないリルがそれを見守っていたのだった。
なので、この小さな執務室は既に満員と言っていい過密さである。
なにも広い場所でのびのびと描けばよかろうにと思わないでもないが、『さいきんパパとあんまりいっしょにいられないんだもん! だからそばにいてもいーい?』と可愛らしくマリーに懇願された俺は、メロメロになりながら二つ返事で許したのだ。
今日は分団と訓練に行かないらしく、普段着のワンピース姿なのもまた二人の愛らしさに拍車をかけている。
やはり娘たちには、いくら似合っていようが鎧よりも普通の服を着ていて欲しいと願う俺なのであった。
ともあれ、そんな二人の姿を時折眺めながらの執務は、不思議と捗っているような気がしてならない。
狭い密室の中、孤独でいる時よりも精神的に健全であるからだろうか。
家族の気配や声を身近に感じながら仕事をするほうが俺の性に合っているのかもしれなかった。
いやまぁ、個人的には今でもフライパンを振っていたい、なんて思うこともあるんだけどね。
料理人に戻りたいとか未練があるとかってわけじゃないが、少なくとも今よりは遥かに気楽だったもんなぁ。
でも、今は今でやりがいのある仕事だと思ってるよ。
……公爵としてのプレッシャーさえなければね。
ま、先のことは五里霧中だとしても、やれるだけはやってみるつもりさ。
領民たちが俺の施策にノーを突きつけるのなら、潔く退陣する覚悟もあるしね。
その時は国王陛下に土下座してから田舎にでも引っ込もう。
情けなくて王都にはとどまれないもんな。
あ、いっそのこと他大陸に渡ってみるのもいいか……
待てよ、その前にリーシャのご両親に挨拶をしておかないとね。
そういや挨拶の文言も考えなきゃ。
なんて言えばいいんだろうね。
無難に『必ず幸せにしますので、娘さんを僕にください』とか?
うひー!
照れ臭い!
……だけど、リーシャの親父さんに『お前のような子連れで先の短いおっさんに娘がやれるか!』なんて言われたらどうしよう……
あまりにもその通りすぎて全く反論できないぞ……
『娘はいますが離婚歴はないんです!』と言い訳したところで説得力がまるでないし、信じてくれるはずもないだろうなぁ。
しかもリーシャの親御さんって、ヘタしたら俺とあんまり歳が変わらないんじゃ……?
むしろ、俺のほうが年上な可能性も……
ってことは、俺よりも年下を『お義父さん』と呼ぶことに……
う、うわぁぁぁ!
「できたー!」
「わらわも完成なのじゃ!」
「おぉ~! お二人ともお見事でごぜーますよ! ぱちぱちぱちぱちー!」
「キャンキャン!」
みんなの声で妄想が断ち切られる。
そう言えば娘たちはいったい何をそれほど熱心に描いていたのだろう。
「二人ともなにを描いてたんだい? 俺にも見せておくれ」
「んふふ~」
「くふふふ」
マリーとアリスメイリスは紙を後ろ手に隠し、満面の笑みで俺のそばへやってきた。
とても楽しそうな顔を見るに、かなりの自信作なのだろう。
「パパー、みたいー?」
「勿論さ。どんな絵なのか楽しみだなー」
「さすがのお父さまもこれを見たら驚くと思うのじゃー」
「ほほー、そりゃ余計気になるなぁ。きっと大傑作なんだろうねぇ」
見せたくてウズウズしているのに無理矢理我慢している様子の娘たち。
はにかんだ笑顔のなんと可愛らしいことか。
家族の絵なのかな?
二人のつやつやほっぺがちょっと赤いから、もしかしたら『パパあいしてる!』なーんて描いてあったりしてね。
やばい。
それは超嬉しいぞ。
「ちょっぴりはずかしいけど、みせちゃうね……じゃじゃーん!」
「お父さま! とくとご照覧あれ! なのじゃー!」
「どれどれー?」
自分でもデレデレな声と顔になっているのを自覚しながら紙を覗き込む。
そして俺は確かに驚愕するしかなかったのである。
マリーが広げた画用紙には、五角形の盾っぽい図形の中に、左向きで天へ向かって吼え立てる真っ白な犬……いや狼の……まさかこれは伝説の魔獣フェンリルだろうか?
身に纏った鎖からして間違いなかろう。
そのフェンリルがなんとも雄々しく描かれていたのだ。
対してアリスメイリスの絵は、こちらもやはり五角形の盾の中で、雄大な黒きドラゴンと思われるものが右向きで描かれ、天空へ業火を噴いている。
もしや伝説に謳われる五大真竜の王かもしれない。
そして二人とも共通していたのは、盾の上部に杖と剣を交差させたような図柄が描いてあったことである。
「なにこれ!? 俺を描いてくれたんじゃなかったのかい!?」
「ねー、パパ。わたしとアリスちゃんのどっちがいーい?」
「お父さまに決めて欲しいのじゃ!」
「なにを!?」
「あのねー、ウェスタニアおねえちゃんにたのまれたの」
「公爵家の紋章となる図柄を描いてほしいと言われたのじゃ」
「はい!? そんな話、俺は聞いてないよ!?」
ウェスタニアさんめ!
わざとだな!?
そんな重要なことをなんで俺に話を通さないんだ!?
紋章ってのは家柄や地位を表す大事なものなんだぞ!
俺ならもっと、こう……
…………あー、わかった。
くそ、ウェスタニアさんめ、本気で俺のことをよくわかってらっしゃる。
俺に任せたら悩みすぎていつまでも決まりそうにないからってんだろ?
悔しいが、なんにも言い返せないよ!
それに、よく考えりゃ俺には娘たちのような絵心はなかったね!
「パパー、どっちー?」
「お父さまー」
「あ、あぁ」
娘たちに急かされて、もう一度じっくりと眺める。
何度舐め回すように見つめても、どちらも素晴らしく正直言って甲乙つけがたい。
親バカと言われようが俺は断言する。
マリーもアリスも天才だ!
ってか上手すぎて引くくらいだね!
そりゃニアーナも二人の絵を褒めちぎるわけだよ……
でもなぁ、これをどっちか選ぶなんて、俺に『死ね』と言ってるようなもんだぞ……
選ばれなかったほうが可哀想じゃないか。
俺は娘たちに寂しい思いをさせたくなんてないね。
「マリー、アリス。きみたちの絵は本当に素晴らしいと思う。だけど、俺にはどっちかなんて決められないよ」
「えぇ~~!? なんで~~!?」
「どちらを選んでもわらわたちは恨んだりしないのじゃ~!」
口ではそう言っても、二人の青い瞳と紫の瞳も潤みはじめて、ちょっと悲しそうな顔になっているではないか。
だから俺はこう宣言したのだ。
「なので、二枚とも採用することにします!」
「えーっ!?」
「どう言うことなのじゃ!?」
俺はニヤリと笑ってから説明した。
我ながらよくぞ名案を思い付いたものである。
「ほら、この盾の絵を真ん中で半分こしてさ、右側にマリーのフェンリル、そして左側にアリスのドラゴンを向い合わせに描いたらどうだい?」
「わぁーー! うん! かっこいいね!」
「なるほどのー! 確かに図柄としてもバシッと映えるのじゃ!」
沈んだ顔に輝きを取り戻す二人の娘たち。
俺はこの表情が大好きなのだ。
「マリーさまとアリスさまの合作っちゅうわけですね! さっすがリヒトハルトさま! とんでもない妙案でごぜーます!」
「キャンキャン!」
ニアーナとリルからも手放しで称賛され、俺は気分よく大笑いするのであった。




