幻獣現る
全力疾走を続ける馬車。
大街道を逸れ、踏み固められた小道に入っても速度は落ちず、車輪のガタつきもなかった。
シャルロット王女の私物だけあって、馬も車体もとんでもないタフさである。
村へと近づくほどに、なにかの焼ける臭いが強まっていく。
伝声管からは、御者であるローレンスさんの嗚咽にも似た声が漏れ聞こえた。
自分の故郷が燃えているのだから、それも無理からぬことであろう。
「みんな、済まないが武装をしておいてくれ」
「えっ!? どういうことです?」
「戦闘になるってんですかい?」
「わからない。だけど煙の上がりかたが妙なんだ。炊煙にしてもおかしい」
詰め寄ってきたのはリーシャとグラーフだ。
当然の疑問だと思うし、その気持ちもわかる。
俺とて確証があっての発言ではない。
言うなれば、予兆や予感めいたものも、多分に含まれていたのだ。
だが、根拠が全くのゼロでもないのが事実。
竈から立ち上る煙であれば、もっと細くたなびくものだ。
それも家々から白煙が一本ずつ出るはずである。
今、村の方角から見えているものは、もうもうとした太い黒煙が三本。
それが上空でひとつとなり、南へ向かって風に流されていた。
これがただの火災とも少し考えにくい。
何故なら消火活動を行っているような様子が微塵もないのだ。
だとすれば、村人たちはどこへ行ってしまったのだろうか。
勿論、危険なので避難していると言うことも考えられる。
しかし、俺はシャルロット王女から聞いた話を思い出していた。
長年統治者のいなかった公爵領には、悪党やモンスターが跋扈していると。
これが俺の確証無き根拠である。
「アリスちゃん。パパのいうとおり、じゅんびしよう!」
「じゃの。備えあれば患いなしなのじゃ」
「キャン!」
小さな二人の冒険者と一匹の魔獣は即座に行動を開始した。
父親たる俺に全幅の信頼を置いているのだろう、娘たちは質問もせず真っ先に、そして素直に従ったのだ。
子供は純粋でいいよね。
大人になると、どうしても理屈っぽくなっちゃうもんな。
……ずっと無垢なままでいてほしい!
それはいいんだけど、リルや。
きみの準備は毛づくろいをすることなのかい……?
俺も鞄から【コートオブダークロード】を取り出し、身に纏う。
ポカンと顔を見合わせていたリーシャとグラーフも、そんな俺たちの様子に慌てて支度を始めた。
その間にも馬車は村へ近付きつつあり、ローレンスさんの悲痛な声も徐々に大きくなっていったのである。
「リヒトさん! やっぱり火事みたいです! あっ、村人の姿が見えましたよ! …………違う……あれは村人じゃないわ!」
鎧を着けつつ窓から村の様子をうかがっていたリーシャが叫ぶ。
ドドッと窓に駆け寄る俺たち。
いっぺんに集まったものだからギュウギュウ詰めだ。
「痛い痛い! マリーお姉ちゃん、わらわの足を踏んでるのじゃ!」
「パパおひげがいたいよー!」
「わわっ! リ、リヒトさん! どこ触ってるんですか! あっ! やっ! ……そう言うのは二人きりの時にしてください!」
「え!? いいの!? じゃなくて、リーシャ! 変な声を出すんじゃない! こらグラーフ! 俺の背中からどいてくれ! 腰が壊れる!」
「いででで! アリスの姐さん! そんなに引っ張ったら、あっしの髪が全部抜けちまいますぜ!」
馬車内は阿鼻叫喚の地獄絵図。
くんずほぐれつの大混乱。
なんで全員こっちの窓に来たの!?
無駄にでっかいグラーフを押しのけ、なんとか村の様子を確認すると────
「緑色の肌……オークかゴブリンかな? 大きさからしてゴブリンかも……全く、あいつらはどこにでも出てくるんだな。冒険者たちもそれこそ星の数ほど倒してきたってのに……」
人類最古の記録とされる碑文にすら、このゴブリンが登場しているのだ。
どうやら遥かな太古より人間の仇敵だったらしい。
その憎き小鬼が村の中を駆けまわっているように見える。
食料などを奪っているのだろうか。
「待ってくださいリヒトさん! …………あれ……なんです……?」
「ん?」
リーシャが震える声と手で上空の黒煙を指した。
目を細めてそちらを見た俺だったが、瞼は意に反し、みるみる開いていった。
黒煙の影を何かが飛翔している!
それは被膜のような翼を羽ばたかせ。
長い首を左右に振って獲物を探し。
そして時折下降しては火炎を吐いた。
冗談、だろ……?
脳裏に浮かんだ『それ』を俺は全力で否定する。
いや、人間としての本能が拒否せよと命じたのかもしれない。
それでも俺は聞かずにおれなかった。
「リーシャ……あいつに……前脚はあるかい……?」
俺の言いたいことを察してしまったのか、リーシャは息を飲んだ。
そして、『それ』に目を凝らす。
祈るように答えを待っていたが、彼女の返事はただ一言。
「…………あり、ます」
音を立てて血の気が引く。
眼前に絶望を突きつけられたのだ。
そんな俺とリーシャをキョトンとした顔で見つめるマリー、アリスメイリス、グラーフの御三方。
のんびり屋さんたちにはこの憂うべき事態がちっとも伝わっていないらしい。
子フェンリルのリルですら警戒して唸り声を出していると言うのにだ。
ここはもう、覚悟を決めてきちんと説明するしかあるまい。
それが怯えさせる結果となってしまったとしても。
「いいかい? あの村はどうやら竜に襲われているらしいんだ」
「はいぃ!? マジですかい!?」
「りゅう?」
「ドラゴンのことなのじゃ」
「あぁー、ドラゴン……えぇー!? ほんとなのパパ!?」
ようやく危機的状況を理解したのか、マリーがしがみついてきた。
アリスメイリスは【真祖】だけあって、それほどの動揺はないようだが、グラーフは手を噛んであたふたしている。
彼の取った行動こそ、ごく一般人の正常な反応と言えるだろう。
「窓から見てみればわかると思うよ」
俺は呆然とするリーシャの肩を抱いて窓際を子供たちに譲った。
なんでか瞳をキラキラさせながら覗き込むマリーとアリスメイリス。
どうやら恐怖心より好奇心のほうが勝っているようだ。
子供ってのは恐れ知らずな部分があるからね。
まぁ、パニックで泣き出されるよりはいいかもしれないけどさ。
「わぁ~! すっごいねー! つよそうー!」
「ふむ、肌の色は赤銅色じゃの。するとあれはレッドドラゴンかのー」
冷静!
せめてもうちょっと怖がろうよ……
見てみなさい、この大人たちの姿を!
情けないことに俺も含めてみんな真っ青だぞ。
かつて、【剣聖】オルランディさまがドラゴンを打ち倒したって言うけど、ありゃ眉唾なんじゃないかな?
だってドラゴンてのは、神にも等しい存在って話だもの。
人間がどうこうできるような代物じゃないと思う……
「あれ? でもずかんでみたのよりもちっちゃくない?」
「確かにの。あの図鑑だと全長30メートルと書いてあったのじゃが、あやつはどう見たって10メートルもないのじゃ」
娘たちの会話にハッとする。
そうか、そうだよ。
一口にドラゴンと言っても、強いのから弱いのまで色んな種類がいるんだよ。
俺はスキル【モンスター知識】を発動させ、脳内に展開した。
そしてドラゴンの項目を検索していくと……
あった。
これだ。
あいつは【レッサードラゴン】か!
レッサードラゴンとは、その名の通り、ドラゴンの下位種である。
知性もほとんどなく、本能で行動しているのが特徴だ。
下位種である以上、ドラゴンよりも遥かに小さくて弱い。
しかしながら、ドラゴンの子をレッサードラゴンと名称する場合もあるので気をつけるべきであろう。
親である成竜が近くにいないとも限らないのだ。
あとは自分の目で確かみてくれ!
……なんだこの説明文……
いくらなんでも適当すぎない?
しかも『確かみてくれ』って、思い切り誤字ってるし……
ま、まぁいいや。
一応、添付された詳細データも得られたしね。
そんな折、御者台から絶叫が聞こえた。
「公爵さま! こ、これ以上は接近できませぬ!」
「わかりました! ここで馬車を止めてください!」
ローレンスさんにそう答えると、即座に馬車は嘶きと共に停止した。
そして俺は、全員に作戦を提示するのであった。
「いいかい? ドラゴンは俺がなんとかする。きみたちは村人が取り残されていたら避難させてくれ。もしモンスターと遭遇した場合は、決して深追いしないこと。マリーにはリーシャ、アリスのことはグラーフがサポートして欲しい。くれぐれも頼むよ。それと、煙に巻かれないよう、濡らしたタオルでマスクを作ることも忘れないように。以上だ!」




