東へ
パッカポッコパッカポッコ
ガッタゴットガッタゴット
なんとものんきな音が街道に散らばってゆく。
ついでにこれまたなんとものんびりとした風景がゆったりと流れて行った。
「きれいなけしきだねー!」
「そうじゃのー。実にのどかなのじゃ」
「キャン」
「姐さんがた。お茶が入りやしたぜ」
「あら、グラーフにしては気が利くじゃない」
「へへへ。そうですかい? ささ、リーシャの姐さん、どうぞ」
「…………」
「はたけもたんぼもあるねー」
「じゃが収穫も終わってて、ちと寂しい感じじゃのー」
「キュゥン」
「だいぶ遠くまで来たわね」
「えーっと、今日で三日目でさぁね」
「…………」
「パパー! ……あっ、まちがっちゃった! こうしゃくさまー、あとどれくらい?」
「お父さま……いや、公爵さまはおねむのようじゃの」
「キャンキャン」
「ここのところあんまり眠れないって言ってたからね。リヒトさ……公爵さまは」
「寝かせてあげましょうや。旦那……じゃねぇ、公爵さまは最近腰の痛みがひでぇらしいんでさぁ」
「だぁぁぁぁ!! 頼むから『公爵さま』はやめてくれぇ!!」
ついに身を起こし、なにもない虚空へとブンブン両手を振る俺。
まるで俺が置かれた今の状況を打ち払うかのように。
全くもう。
なんでこんなことになったんだか。
だいたい、国王陛下も王女もさぁ、俺みたいな田舎者の庶民にポンポンと爵位なんてあげちゃダメでしょうに。
お陰様で、娘たちにもネタにされちゃってるじゃないか。
そもそもの発端は先日の論功行賞で間違いない。
あの場で俺は、分相応も甚だしい【公爵】の爵位を陛下より下賜されたのだ。
それも王都から東の地にあると言う領土を添えて。
俺は当初、断固として辞退しようと考えていた。
貴族など俺に似つかわしいとはとても思えないし、領土をもらっても手に余るだけだからだ。
まぁ、問題は領土よりも、その土地に住む民衆をどう扱っていいのかってことさ。
はっきり言って人の上に立つような人物じゃないんだよ俺は。
これは謙遜でもなんでもない。
ただの事実だ。
しかし、陛下との謁見後、俺とリーシャはシャルロット王女にこっそり呼び出された。
場所は王女が極秘に改造したと言う、城の最上層にある倉庫部屋である。
そこは、かつて俺が王城へ潜入した際に訪れた階層でもあった。
改造とは言っても、そこは王女の力量。
ほぼフルリフォームと言っても差し支えないほどに内装も整えられ、一応は倉庫としての機能も残しているらしく、王女がお忍びでよく使う試作型魔導飛行装置や、メンテナンス用の工具類と大型の機材まで置かれていた。
そんな王女の趣味に満ちた部屋で聞かされたのは、国王陛下の真意である。
元々、公爵家が途絶えてからは長年空位となっていた。
成り得るような傑物も現れず、また王族の中にも相応しい者が出なかったからだ。
過去には先代の国王が【剣聖】オルランディさまへ公爵となるよう打診したこともあったのだが、『遠地にいて王都を守るべき神聖騎士団の指揮が執れるはずもなかろう』と一蹴されたと言う。
今の国王陛下の御世となってからも、何度か頼んでみたものの、やはり袖にされ続けているようだ。
どうやらオルランディさまは『生涯現役』を貫くつもりでいるらしい。
確かに生ける伝説のような彼が王都の治安を守るなら安泰と言えよう。
実際に民衆からの信頼も篤いのである。
国王もその点は認めざるを得なく、それ以降はオルランディさまの公爵就任を諦めるしかなかった。
とは言え、長年統治者のいない土地は荒れるものだ。
そしてなにより、モンスターが蔓延ってしまう。
公爵領も例外ではなく、実際幾度かに渡って王都から討伐隊が出征したとも聞いた。
王都近郊ならともかくとして、馬や馬車でも数日かかってしまうような遠地では、なかなか討伐隊も思うように動けまい。
つまり山賊や悪党ものさばり放題と言うことになる。
住民からも嘆きに満ちた嘆願書が毎年届き、国王も苦肉の策として定期的に騎士を送って巡回させているのだが、状況は好転していないようだ。
長きに渡りこの問題に心を痛めていた国王陛下は、ついに俺と言う人物を見出し、その実績と功績を鑑みても公爵に相応しいと言う判断に至った。
俺とリーシャはそんな話を王女から延々と聞かされたのだ。
今思えばシャルロット王女の策謀が言葉の端々に見え隠れしていたような気もするが、俺はともかくリーシャのほうが上手く乗せられてしまったのである。
正義感溢れる彼女は、困った人を捨て置けないのだ。
俺と初めてアトスの街で出会った時もそうであった。
チンピラと揉めていたお婆さんを迷うことなく助けに入ってしまうような猪武者。
悪は悪と断ずることのできる強い精神。
それが俺の愛するリーシャなのだ。
そんな彼女から、『公爵の件を受けるにしても受けないにしても、一度領地を見ておきませんか』と言われたならば断われるはずもないのが俺なのである。
リーシャの提案に歓喜した王女は、この機を逃がしてたまるかとばかりに、すぐさま馬車の手配を整えてくれた。
しかも、当面に必要な食糧や水に雑貨と、土地勘のない俺たちのために、御者まで用意したと言うからなんとも周到すぎる話だ。
きっとこれが、リーシャの性格まで完璧に読み切ったシャルロット王女の権謀術数に、俺が見事絡めとられた結果なのだろう。
ともあれ、そう決まってしまった以上は家族全員に話さないわけにはいかない。
それこそ結果は見えているが、一応一緒に来るかと尋ねてみたところ、子フェンリルのリルも含めた満場一致で全員が同行することとなったのである。
そして荷物と装備をまとめ、後事をお隣のジェイミー夫人に託し、客室付きの立派な馬車に乗り込んで東門から出発したのが三日ほど前のことだった。
「公爵様。この丘を越えれば領に入りますぞ」
御者台から景色や陽気に見合ったのんびりとした声が聞こえてくる。
御者を務める老人のものだ。
長い白髭を蓄えたこの矍鑠とした老人は、なんと公爵領出身の神聖騎士だった人物である。
今では引退し、若手騎士の育成に励んでいるのだが、彼の出身地を知った王女から直々にこの話を聞かされ『故郷のためになるのならば』と案内役を買って出てくれたそうだ。
名をローレンスと言う。
なんとも典雅な名前であった。
「そうですか、わかりました。ありがとうございます」
俺は御者台へ向けて行った。
明らかに王女の私物であるこの馬車は、御者台へ直接出られるようなドアがない。
だが内部には伝声管が備わっており、御者との話もきちんとできる。
多分、せっかちな王女が直接命令を出せるようにと用意されたものだろう。
しかしいい馬車だなぁこれ。
長時間乗ってるのに全然尻が痛くならないもんな。
腰痛持ちの俺にはありがたいよ。
馬も4頭立てだから山道だろうがグイグイ進むしね。
「もうすぐ見えてくるってさ」
「たのしみー!」
「どんなところかワクワクするのじゃ」
マリーとアリスメイリスは青色と紫色の瞳をそれぞれ輝かせている。
見知らぬ土地へ行くだけで心を躍らせることが出来るのは子供の特権であろう。
「私もすっごく楽しみなんです!」
「あっしもでさぁ!」
こっちにも子供がいた!
リーシャとグラーフまでそんなキラキラした目で……
おじさんには眩しすぎるよ……
「さぁ、丘を越えましたぞ。窓からご覧くだされ。ここが公爵領です」
ローレンス老の声に、窓へとへばりつく一同。
勿論俺も気にはなっているので窓に顔を寄せた。
「わぁ~!」
「ほほうー」
「いいところじゃないですかー!」
「キャン!」
「いやぁ、思ってたよりは普通ですぜ」
「うん、普通だよね」
女性陣と野郎どもでは景色の見えかたが違うのか、俺にはただの田舎にしか見えなかった。
もっとも、草原や森に綺麗な川、遥か遠くには峻険な山々も見え、土地としては豊かに思える。
「これって、どこまでが領地なんです?」
リーシャの疑問は御者のローレンスさんが答えてくれた。
「取り敢えずは、見えるところ全部ですな」
「えぇ!? 全部!?」
「こんなに広いのにですか!?」
「うへぇ……マジですかい……」
驚愕する大人組。
見えるところと言われたが、ここはかなり高い丘の上。
今日は天気も良く、空気も澄んでいてかなりの遠方まで視認できる。
おいおい。
全部ったって、掛け値なしに50キロメートルくらいあるんじゃないのかい?
しかも『取り敢えずは』ってなんなんだ……
ん?
あれは……
「リーシャ。きみなら目がいいだろ? あっちに見えるあれはなんだい?」
「へっ?」
リーシャは反対側の窓に陣取った俺へ顔を寄せてくる。
深呼吸したくなるほどいい匂いがした。
いかん。
これじゃ変態みたいだ。
「ん? んんー? ……あれは煙です! かなり広範囲……もしかしたら火事かもしれません!」
「やはり煙か!」
俺はドアを開けて半身を乗り出し、御者台の老人へ煙の方角を指差した。
「ローレンスさん、あっちにはなにがありますか!?」
「あ、あぁ……! 向こうには小さな農村があります! ワシの生まれた村が!」
「すみませんが馬車の速度を上げてください!」
「了解ですぞ! しっかりお掴まりくだされェ!」
鞭を入れられた4頭の馬が力強く嘶くと、たちまち馬車は加速するのであった。




