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黒の賢者


「逃げて行ったんですか……?」

「うん、どうやらそのようだね」


 俺はリーシャの腰をしっかりと抱いたまま水平線を見やる。

 彼女も俺の首へ腕を回し、頬を寄せていた。


 どうにか撃沈を免れ、ほうほうの体で他大陸のものと思われる戦闘艦は去って行く。


 その軍艦が去る方角を見定めるべく高度を上げた。

 逃げる方向でおおよそどこの大陸から来たのかがわかるのだ。


 あのダメージならば、いったん東へ向かって俺たちの目をくらまし、それから西へ進むと言った小賢こざかしい偽装工作は出来ぬであろう。

 戦闘艦は南端の岬を越え、西進を始めたようだ。


 つまりこれで戦闘艦の所属は西の大陸だと断定されたのである。


 北と南の大陸は、我が中央大陸との交易すらもなく謎に包まれているが、西の大陸とは一応の国交もあり、そこは独自の産業が非常に発達していると聞く。

 そのすいを集約したのがあの戦闘艦と言うわけだ。

 帆船が主流であるのに先ほどの船は帆もなく、動力源すらわからずじまいだったことからも技術力の高さがうかがい知れる。


 うーむ。

 北と南の大陸は完全に閉ざされた国って聞くし、ヨアヒム程度の小物が動かせるとは考えにくい。

 ってことは、やっぱりヤツは西の大陸と内通してたと考えるべきだね。

 西の王は野心が強いと言う話もあるからな。

 根も葉もない噂なんだろうけど、なんでも世界征服を狙っているとか。

 ははは、笑っちゃうよね。


「ん? 寒いかい?」

「ええ、少し」


 高空ゆえに気温が低いせいか、リーシャは震えていた。

 俺は彼女を【コートオブダークロード】で包み込む。


「あぁ……リヒトさんの身体、ぬくいです……」


 『ぬくい』とは俺とリーシャの故郷における方言で、『温かい』と言う意味である。


 あれ……?

 我ながら気が早いと思うんだけど。

 もしかして、俺とリーシャがこのまま付き合って結婚することになったらさ。

 俺たちの田舎でもあるアルハ村に一度帰らなきゃならないよね……?

 だって、彼女のご両親へ挨拶とか必要だろ?


 ……うわぁ、やだなぁ。

 なにが嫌って、絶対俺の親にも帰ってきたのがバレるじゃないか。

 村から飛び出した俺に今更どんなツラして会えってんだよ……

 しかもいきなりこんなに若い嫁さん連れてだもんなぁ。

 まぁ、母親は喜ぶだろうけどさぁ……


「? どうしたんですリヒトさん。なんだか深刻な顔ですけど」

「あー、うん。これからシャルロット王女に報告しなきゃならないだろ? 億劫だなーってね」

「あははは、わかりますよその気持ち」


 リーシャの顔を見ていたら本当のことはとても言い出せなかった。

 今悩んだところで仕方もないし、取り敢えずは追々考えることにする。


「よし、王城へ寄ってから帰るとしようか」

「ですね。お腹もペコペコですもん」

「ははは、昼ご飯の時間も過ぎたからなぁ」

「あ、私が作りますよ」

「いやいや、今日は俺がやるよ。リーシャも大変だろうし、俺も腕がなまるからさ」

「いえいえ、私も料理の腕を上げないとリヒトさんに嫌われちゃいますから」

「いやいや俺が」

「いえいえ私が」


 そんな他愛もない会話を交わしながら王城へ飛ぶ俺たち。

 しかし、そこで待っていたものは、とんでもない事態だったのである。




「リヒトハルトさまのーーーーお着ーーきーーーー!」


 あまりの大声にビクッとする俺とリーシャ。


 俺たちはいま王城の外門にいるのだが、そこから城の玄関へ続く道の両端に、完全武装した儀仗兵がずらりと立ち並んでいたのである。

 その全員がビシッと直立し、剣を顔の前で立てて礼を示していた。


 案内兵の後ろをおっかなびっくりついていくと、俺たちのあとを列から離れた儀仗兵がついてくるではないか。

 これではまるで俺が私兵を引き連れているようにしか見えまい。


 そんな仰々しい行進の中、リーシャがコソコソと声をかけてきた。


「な、なんなんですかねこれ」

「俺にもわからんよ」

「リヒトさん、もしかしてなにか悪いことをしたんじゃないんですか? 浮気とか」

「ちっさ! そんな小さいことでこんなに兵士が出てくるわけは……」

「私にとっては小さなことじゃないです! うわーん! やっぱり浮気してるんだ! 相手は誰ですか!? まさか王女殿下とか!?」

「冗談はよしてくれよ! 俺はリーシャ一筋だっ!」

「えっ!? ……えへへへー……私一筋……にへへへ」


「うぉっほん!」


 俺の真後ろにいた儀仗兵が大きな咳払いをひとつした。

 またもやビクリと首をすくめる俺たち。


 いかんいかん。

 痴話喧嘩をしている場合じゃなかった。


 しかしまぁ、随分と派手でいかめしいこと。

 儀仗兵を出す時ってのはさ、国賓をお迎えする時とかだろ?

 何度も会ってる俺たちになんで……?


 わけもわからず城内へ歩みを進めると、大ホールには着飾った貴族たちで一杯となっていた。

 思わず面食らう俺とリーシャ。


 今日は王女主催のパーティーかなにかが催されるのであろうか。

 そう思ったが、貴族たちの表情は微妙である。


 なにやら貴重な珍獣にでもお目にかかったように俺たち……いや、俺を見ているご様子。

 そんな目で見られるいわれなどない俺は、多少気分を害しながらも歩みを止めなかった。


 案内兵は王女が詰めていると言う軍指令室ではなく、大階段へ向かっていた。

 この上は謁見の間である。

 俺とリーシャは顔を見合わせ、訝しみながらもついて行くしかなかった。


 そして入口をくぐった途端。


 ドォオオオォオオオオオ


 謁見の間に勢揃いした重鎮たちから大歓声が上がったのであった。


「リヒトハルト殿! よく来てくれた!」


 玉座にはすっかり元気を取り戻した国王陛下が、金の鎧姿に帯剣と言う国賓を迎える時の正装で両手を広げていた。

 その隣の席では、薄ピンクのドレスに身を包んだシャルロット王女が扇子を両手に持ってフリフリしている。

 表情はどちらも溢れる笑顔であった。


 逆にそれがなんらかの予感を与えた気がする。

 勿論、あまり良い意味ではないほうの予感だ。


 それを加速させたのは、陛下の隣に立ち、これまた甲冑姿の正装をした副ギルド長ネイビスさんを目撃したからである。


「陛下、王女殿下……これはいったい……?」


 俺の当然な質問は国王陛下が掲げた右手に制された。

 あれほどの喝采もピタリと止む。


「リヒトハルト殿。物見の報告によれば、見事他大陸の戦艦を撃退してのけたようであるな」

「はっ、ははっ!」


 もう陛下のお耳に入っているとは思ってもみなかった。

 きっと目の良い監視兵か、さもなければ遠視スキル持ちの冒険者に依頼したのだろう。


「うむ、実に天晴あっぱれである。そこでだな、ちと急ぎ足になったのは否めぬのだが……」

「リヒトハルトさまへの論功行賞ですわ!」

「こ、これ! 余のセリフを奪うでない!」


 シャルロット王女に言葉をかぶせられ、慌てる国王陛下を余所に謁見の間を揺るがす大歓声が上がった。

 またもや右手で歓声をしずめ、混乱を極める俺とリーシャに国王陛下は鷹揚に言う。


「そなたへの褒美になにをとらせるかで非常に迷ったのだがな。救国の英雄に生半可なモノを与えては余の気が済まぬゆえ。まぁ、それはひとまず置いておくとして…………ネイビスよ!」

「ははぁっ!」


 陛下の声にズイッと進み出るネイビスさん。

 いつもの柔和な顔が今日は非常に引き締まっている。



「冒険者リヒトハルト殿! 貴殿の功績は過去に比類なしと断ずる! よって、冒険者ギルド最高峰の称号【勇者】を贈呈いたす! そして今日より【黒の賢者】の二つ名を名乗られませい!」


 オオオォオォォォオオオ


 勇者!? 賢者!?

 俺が!?

 冗談だろ!?

 なにを言ってんだこの爺さんは!


 言うだけ言って満足気に引っ込んだネイビスさんのかわりに、待ってましたと陛下が前に出た。

 俺の頭は爆発寸前なのに、まだ何かあると言うのだろうか。


「【黒の賢者】リヒトハルト殿よ! 先の国家転覆計画阻止、及び此度の他大陸戦艦の撃退、まことに見事である! そなたの働きは余の命だけではなく、我が国と愛する全ての国民を救ったのだ! どれほど美辞麗句を連ねたところで礼は尽くせぬ! そこでだ! 天空の神々と我が名に於いて、そなたに領地を授与し、【公爵】にほうずるものとする! リヒトハルト公よ! 今後も冒険者として、更には領主としてその才を存分にふるうことを望む!」


 ドォォオオオオオオオオオォォォ


「…………は?」

「リヒトさん! すごいすごい! 公爵ですって! 貴族ですよ貴族!!」


 俺の首をガックンガックン揺さぶって大興奮のリーシャ。

 その衝撃で陛下が言われた言葉の意味が段々と脳に浸透していく。




 はぁぁぁあああ!?

 公爵ゥ!?




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