決死の潜入作戦
闇の中を駆ける、尚濃き闇。
漆黒よりも昏き暗翳。
それこそが今の俺である。
音を立てぬよう、されど貴婦人のドレスが舞う如く、【コートオブダークロード】を翻して優雅な着地を決める。
闇夜に乗じて飛翔し、王城の天辺にある見張り台を兼ねた尖塔へ降り立ったのだ。
ここは、かつてシャルロット王女とのスカイチェイスを繰り広げ、その果てに行きついた場所。
あの時も見張り台と言う割に、番をしている兵はいなかった。
王女自身もこれ幸いと、ここを魔導飛行実験装置の発着場にしているらしい。
当然、王女が夜中にお忍びであのデカい飛行装置を持ち運ぶくらいなのだから、逆に言えば俺が忍び込むにもうってつけであろうと考えたのである。
梯子をスルスルと下り、更に螺旋階段をくだった先に扉があった。
一見、尖塔に据え付けられた窓にしか思えないが、これこそ王城内部への入口となっているのだ。
俺は自分を冷静に保とうと扉の前で作戦の再確認をする。
内部の見取り図は頭に入っているか?
……オーケー。
兵の配置と巡回時間。
……うん、覚えてる。
スキルの準備。
……問題なし。
【暗視】の効果でバッチリ見える。
あと俺に必要なものは度胸だね。
焦りと興奮で高鳴る心臓を必死に抑え込もうと努めた。
それも仕方のないことだろう。
なにせ、これから警備も厳重な王城へ忍び込もうと言うのだから。
まさか俺もこんなことになるなんて思ってもみなかったよ。
全く、ネイビスさんとフィオナさんに上手く乗せられてしまったもんさ。
昼間、俺とリルが懇ろになっているのを我が家へ来訪した二人に思い切り目撃された。
その後どうにか平静さを取り繕った俺は震える手でお茶を淹れつつ、彼らから報告を受けたのだ。
「調べはつきました。やはり法務大臣と財務大臣は『ヤツ』と親密な関係にあるようですな。蜜月と言っても過言ではないでしょう、先程のリヒトハルトさまとリルのように。ガッハハハ!」
「ブッ! ごほっげへっ! ……やはり、ですか、げっほげっほ」
「キュゥン!」
ネイビスさんの言葉に思わずむせる俺。
恐れていた事態と、余計な一言のダブルパンチ。
あられもないところを見られてしまった精神ダメージは未だ回復していないようだ。
ちなみに、リルの鳴き声は『だってパパのこと大好きなんだもん!』と聞こえた。
「フフッ、リヒトハルトさまとリルのお姿には我々のほうが癒されてしまいました……クスクス」
「もう勘弁してくださいよフィオナさん……」
「そうですね。いつまでも笑っていては御無礼と言うもの……ププッ……コホン、こちらも調査は継続中ですが、ひとつご報告をいたします。件の国王陛下付きの医師。彼は夜な夜な『彼奴』の部屋でなにやら密談を行っているようです」
「……そうですか。ふーむ、なるほど」
「もうひとつ、その医師を尾行していた者が申しますには、彼奴の部屋を出たあと、しきりと辺りを気にしながら夜の街を歩き、寂れた通りにある怪しげな店に入って行ったと。どうやらそこは魔導士崩れがなにやら違法薬品の売買をしていると言う噂でした」
「なんですって」
「目下、そちらも調べさせております」
「わかりました。フィオナ団長、申し訳ありませんが引き続きお願いします……うーん……しかしこれはあれですね。今までの情報を統合すると全てが……」
俺が言葉を続けるよりも早く。
「繋がりましたな」
「繋がりましたね」
ネイビスさんとフィオナさんに決め台詞の先を越されたのである。
そう。
全ては『ヤツ』と繋がったのだ。
本来ならば、国民の未来を担い、国家の繁栄と発展に最も貢献すべきであるはずの宰相。
ヨアヒムと。
ほかにも様々な要因はあるものの、まず間違いないとみてよかろう。
まだ推察と憶測の段階でしかないが。
その憶測と推察を確信へと変えるには、どうしても決定的な証拠が必要になる。
と、くれば、あとは強引にでもそれを見つけ出すしかあるまい。
つまり、潜入である。
そんなわけで、俺は自ら死地となるかもしれない王城へ忍び込もうとしているのであった。
うん。
損な役回りだよね。
わかってるわかってる。
でも、ここまで首を突っ込んだ以上は俺の手で解決したい気持ちもあるんだ。
リーシャをいつまでも危険な場所に居させたくないってのもあるしね。
……あー、しまったな……
フィオナさんに聞いたリーシャからの伝言を思い出しちゃったよ……
「リヒトハルトさま。騎士リーシャより、伝言を預かって参りました」
「へ?」
「フフッ、リヒトハルトさまが『近いうちに必ず迎えに行く。だから俺を待っていてほしい』と騎士リーシャへ向けた伝言のお返事です」
「えぇぇ!? あれをそのまま彼女に言ったんですか!?」
「はい、勿論です」
「うわぁぁぁ……なんてことをしてくれたんですか……恥ずかしすぎる……」
「フフフ。騎士リーシャはそれを聞くなり飛び上がって喜んでいましたよ。シャルロット王女殿下はハンカチを思い切り噛んでいましたけれど」
「はい!? よりによって王女がいる前で!?」
「ええ、タイミング的にそこでしか話す時間がなかったもので」
右目を隠した青っぽい髪を震わせながら笑いをこらえるフィオナ団長。
まるでいたずらに成功した子供のようだ。
当然ながら、絶対にわざと王女の前で言ったのだろう。
「顔を真っ赤にして手足をモジモジとさせる騎士リーシャは、清純な乙女そのものでとっても可憐でしたよ。対して王女殿下は、それはもう烈火の如くお怒りになられて『リヒトハルトさまも騎士リーシャもわたくしのものですのに!』とお叫びに」
「やめて! リーシャはともかく、王女のは怖いよ!」
「いえいえ、最後までお聞きください。王女殿下のお怒りは壮絶なもので、椅子は蹴り壊すわ、カーテンはボロボロに引き裂くわ、水瓶をひっくり返してびしょ濡れになるわの大騒ぎでした」
「どんな癇癪持ち!?」
「しまいには『わたくしのものにならないのであれば二人の首を刎ねなさい!』と泣きわめく始末でして」
「あの王女はなんてこと言うの!? いやだぁぁぁ!」
「まぁ、それは冗談ですが」
「冗談なの!? そんな冗談ある!? 心臓に悪すぎるよ!」
激しい動悸は、まるで全身を心臓に変えたかのようであった。
間違いなく今夜は悪夢にうなされるだろう。
そんな俺の反応を十二分に楽しんだフィオナさんは、咳払いをひとつしてから口を開いた。
「では、騎士リーシャからの伝言です。『私は、リヒトさんが迎えに来てくれるのをいつまでも、いつまでもずっと待っています』と」
「ッ……!」
思わず絶句してしまう。
これではまるで。
「ガッハハハハハ! これではまるでプロポーズの返答ですな! いやぁ、お熱い!」
またもやネイビスさんにセリフの先を越されたのである。
……やばい。
思い出しただけで顔が熱くなってくるね。
リーシャも、もしかしたら俺と同じ気持ちで言ってくれたのかもしれないと思うだけで、色々とこみ上げてくるものがある。
その気持ちを確かめるためにも、ここは奮起するしかあるまい。
気合を入れ直した俺は、小声で懐に話しかけた。
「リル、大丈夫かい?」
「キュン」
顔を覗かせたリルも、小さく鳴いて答える。
意味的には『パパの身体あったかいから平気』であった。
くりくりとした大きな黒い瞳もなんだか嬉し気だ。
俺がリルを連れてきたのには理由がある。
彼女の持つ鋭敏な嗅覚と聴覚。
そして人間以上の知性。
これが潜入作戦では強力な武器になると考えたのだ。
誰かが俺たちに近付いて来ればすぐにわかるだろうし、仮に俺が捕縛されたとしても、子犬にしか見えぬリルならば見逃してもらえる確率も高い。
そうなった場合は家で娘たちと待機しているグラーフに連絡するよう、リルに言ってあるのだ。
グラーフは、リルが単独で戻った時のみ冒険者ギルドと白百合騎士団へ駆け込む手はずとなっている。
まぁ、俺なら単独でいくらでも脱出はできると思うけどね。
ただ、それをやっちゃうとリーシャや王女にどんな危害が及ぶかもわからないからさ。
せいぜい見つからないことを祈るしかないね。
「さて、行こうか」
「キュウン」
俺は決意を込めて、扉のノブを握るのであった。




