突然のクビ そして出会い
「おい! リヒト!」
ジャー
ジュッジュッ
よし、もう少しでベストな仕上がりに……
「聞こえねぇのかリヒトハルト!」
「はっ、はい! なんでしょうか料理長!」
「豚肉のナッツ炒めはどうした!?」
「すぐ上がります!」
「まったく、無駄に立派な名前の癖に、トロいったらありゃしねぇ」
またしてもオークみたいな体形の料理長に怒られてしまった。
別に聞こえてなかったわけじゃない。
ただ、料理に集中していただけだ。
火の通し具合を少し間違うだけで、味に差が出るんだよ。
それを一番知ってるはずの料理長が急かすとは、どう言う了見だ。
しかしまぁ、俺の両親もなにを考えてリヒトハルトなんて貴族みたいな名前を付けたんだろう。
この名のせいで幼少からどれだけバカにされてきたことか。
普通の農家の子にはとてもじゃないが似つかわしくない。
実家のある田舎村ならともかく、大きな街のここでは嘲りも余計に酷いものだった。
もう少し普通の名前だったら、人生も変わっていたかもしれないのに。
「おい! 焦げ臭ぇぞ!? どこのバカがやらかしやがったんだ!」
再度放たれるブクブクと太った料理長の怒声。
誰だよ……って俺か!
しまった!
一瞬の油断!
どうでもいい思考に囚われすぎて料理を焦がしてしまったのだ。
完全に俺の落ち度。
これでは言い逃れも申し開きもできない。
「もういいリヒト! オメェはクビだ! 何年やってもちっとも上手くならねぇ! その歳じゃもう芽はねぇよ! 料理人は諦めて田舎に帰れ!」
「そ、そんな……! ……くっ……申し訳ありません……長い間お世話になりました……」
料理長の一方的な物言いに、当然頭に来た。
だが、世話になったのも事実。
俺は料理長や先輩がた、そして後輩にも深々と頭を下げ、レンガ造りで街一番の老舗レストラン『子豚亭』を大人しく後にするしかなかった。
外階段を二階へ上がり、俺にあてがわれた部屋へ戻る。
田舎から出て来てこのかた、ずっとここに住み込みで働いていたのだ。
殺風景な部屋で少ない俺の荷物をまとめる。
何度も何度も溜息をつきながら。
思えば長いような短いような月日だったな。
ここへ来た当時は若者だった俺も、今では中年と言っていい年齢だもの。
俺は頭に巻いていたバンダナを外し、コック服を脱いで普段着に着替える。
払ってもかきあげてもパラリと金髪が顔にかかって鬱陶しい。
鏡を見れば、まだらな無精ヒゲ。
だいぶ伸びたな……
ここのところ散髪に行く暇もなかったから。
腰に護身用のダガーを差し、荷物を背負って部屋を出た。
俺は『子豚亭』の前へ立つと、大きく掲げられた看板に向かって再度頭を下げた。
店に罪はない。
あのクソみたいな料理長と俺が合わなかっただけだ。
俺を雇ってくれた最初のオーナーはもういない。
数年前に他界した。
俺を料理長へ抜擢すると言ってくれた直後に事故で亡くなってしまったのだ。
そしてオーナーの息子である彼がさも当然の顔で店を継ぎ、次代の料理長となったのだが、俺はそれ以来ずっと目の敵にされてきた。
なにが気に食わなかったのかはわからない。
クビになった今となっては、最早どうでもいいことだ。
まるで納得はいかないがね。
ともあれ、俺は不本意ながら自由の身となった。
あーあ……これからどうしよう。
路頭に迷うってのは、まさにこれのことだよな……
田舎へは帰る気などさらさらない。
俺にもプライドってもんがあるからだ。
家出同然に飛び出してきたと言うのもある。
かと言って、この街へ留まり再就職を目指すのも憚られる。
この年齢で老舗レストランをクビになるなんて、雇う側としては悪い意味で訳ありにしか思えまい。
それに、あの陰湿な料理長なら、他の店へも手回ししていそうだ。
はぁ~。
こんな歳になるまで妻子も持たず頑張ってきたのにな……
へ、へへーん。
それも身軽でいいじゃないか。
どこへだって行けるもんねー。
……ははは。
子供みたいな強がりはよせよ俺。
俺は通行人や馬車などが賑わう街の広場までトボトボと歩いた。
この広場はある意味分岐点。
四方へ伸びる石畳の道路は、きっちりと東西南北へ向かっているのだ。
北へ向かえば俺の田舎方面。
南へ向かえば遥か彼方には王都が。
東と西は……行ったことがないのでよくわからない。
さて、どちらへ向かうべきか。
北は最初から有り得ないとして、だ。
なんにもない田舎へ帰って農家を継ぐなんて嫌すぎる。
南の王都へ行って、大きなレストランにでも雇ってもらうか?
そうなれば『子豚亭』の料理長も見返してやれるんじゃないか?
……痛快な気分にはなるだろうが、そんなの虚しいだけかもな……
だが、俺に出来るのは料理を作ることくらいだ。
だったらそれを生かすのが再就職へ一番の早道ではある。
そうだな。
取り敢えず王都に行こう。
途中の小さな村で食堂でも開いて、のんびり暮らすなんてのも悪くないかな。
その前に嫁さんを探すってのはどうだ?
おお、我ながら良い考えだ。
ここ最近ずっと身を固めたいと思っていたところでもあるしな。
……いや待てよ。
誰が嫁になってくれるんだ?
こんな中年の、しかも無職の俺だぞ?
ドン
道の真ん中でしばし悩んでいた俺に衝撃が走った。
だが、なんのことはない。
誰かが俺の背にぶつかっただけである。
「あいたたた……」
振り返ると赤毛の少女が腰をさすりながら座り込んでいた。
どうやら転んでしまったらしい。
見かけは18歳前後だろうか。
瑞々しい太ももが目の毒だ。
「ボーッと突っ立っていてすまないね、きみ。大丈夫だったかい?」
俺が手を差し出すと、ガッシとつかんで一気に立ち上がった少女。
「本当ですよ唐変木! 鼻とお尻を打ったじゃないですか!」
あれ?
意外と口が悪い子だな。
親はいったいどんな教育を……
いかん。
こんな考え方をしてるとますます老け込むぞ。
少女はブツクサ言いながら肩くらいまである赤毛をかきあげ、片手で尻の埃を払っている。
軽そうな革の鎧、そして腰にはショートソード。
身なりからして冒険者だろうか。
「全く、都会の人ってのは……ブツブツ」
都会?
この街が?
そこそこ大きい街ではあるが、はっきり言って都会とまではいかないぞ。
中規模都市の半分もないんだからな。
「きみ、この街へ来るのは初めてなのかな? どこから来たんだい?」
「田舎者扱いしないでください! ……北のアルハ村からです……」
驚いた。
俺の田舎じゃないか。
俺もこの子の年齢くらいの時に飛び出して来たんだ。
もしかしたら彼女も田舎暮らしが嫌で出奔してきたのだろうか。
「あれ? おじ……お兄さん、背も高いし、結構いいガタイをしてますね? もしかして冒険者なんですか?」
今、おじさんと言いかけてたろ?
いや、まぁ、否定は出来ないのだが少しだけカチンときた。
心はまだまだ20代のつもりだからな。
……最近は歯磨きをするだけで、えずきそうになる程度には老いを感じてるけど。
「私、冒険者になりたくてこの街へきたんです! あ、私はリーシャ! いやー、早速冒険者のかたと出会えるなんてラッキーですね!」
「俺はリヒトハルト。リヒトでいいよ」
「わぁ! 立派な御名前! さぞやお強い冒険者なんでしょうね!」
「い、いや、俺は……」
無邪気に笑う赤毛のリーシャ。
返答に窮する無職の俺。
どう答えろってんだ。
「そうだ! 迷惑ついでに申し訳ないんですけどぉ、冒険者ギルドの場所を探してまして……へへへ」
「あ、ああ、そうだったんだね。よかったら案内しようか?」
「やたっ! ありがとうございまーす! えへへ、リヒトさんは都会人なのにいい人ですねっ」
辞めたてホヤホヤの無職でござい、とはとても言う気にならなかったが、俺はリーシャを案内することにした。
同じ村出身のよしみでもある。
それと、いい人って言うのはやめてほしい。
今の俺は職無し、甲斐性無しの風来坊なんだからさ。
冒険者ギルドは街の南側、第二広場にある。
キョロキョロと興味深そうに屋台や街並みを眺めるリーシャ。
田舎から来たばかりと言うのはどうやら本当らしい。
俺も昔はそうだった。
何もかもが珍しく、輝いて見えたものだ。
新しい生活にワクワクもした。
これから何が俺を待っているのだろうかと。
それが、どうしてこうなったのか。
「ここだよ」
「うわぁー!」
大きな石造りの建物を親指で示す。
両手を組んで目を輝かせるリーシャ。
若者の希望に満ち溢れる姿ってのは、いつ見てもいいもんだねぇ。
「でも……ちょっと怖いです」
リーシャは声のトーンを落とす。
気持ちはわかる。
未知の場へ飛び込むのは誰だって怖いもんさ。
最初は特にね。
「中まで俺もついていくよ」
「本当ですか!? わーい!」
途端に輝きを取り戻す少女。
可愛いもんだね。
俺は彼女を伴って、冒険者登録受付カウンターへ向かった。
このギルド内部は酒場にもなっていて、酒やつまみなんかも置いてある。
故に、昼間から飲んでる冒険者で賑わっていた。
優雅なこった。
若いんだから、ちったぁ働けよ。
……彼らも無職の俺には言われたくないか……ははは。
「ひえ~、なんか怖そうな人たちばかりですね~」
「いや、そうでもないよ。ああ見えて根は良い奴が多いんだ」
「へぇー、さすがよく知ってますねリヒトさん!」
単に俺もここで時々飲んで、彼らと話したりもするからってだけなんだけどね。
それにしても、冒険者か。
確かに危険と隣り合わせだが、食いっぱぐれが少ないとは聞いたことがある。
クエストによっては莫大な褒賞金が出るって話だし、現に一獲千金をつかんだ幸運な奴もいた。
なるほど。
考えてみたこともなかったが、第二の職業としては悪くないのかもしれないな。
ただ、問題はやっぱり年齢だ。
俺の年齢と肉体でついて行けるものなんだろうか。
正直言って、肉体労働はそれほど得意じゃないぞ。
最近、腰も痛いし。
「いらっしゃいませー、冒険者ギルドへようこそー! って、リヒトさんじゃありませんか。ついに冒険者へ転職ですか?」
受付嬢のやたらと乳がデカい姉ちゃん。
時折飲みに来ているから、ある程度の顔見知りだ。
「え? リヒトさんは冒険者じゃ……」
「そうだと言った覚えはないぞ。でも、誤解させちゃってごめんなリーシャ……姉ちゃん、冒険者志望はこっちの子なんだ。名前はリーシャ」
少しだけがっかりした表情のリーシャ。
俺はつい謝ってしまった。
期待させて本当にすまない。
そこへ追い打ちをかける受付嬢のショックな言葉。
「あら、そうだったんですか。さっき『子豚亭』の人からリヒトさんがコックを辞めたって聞いたもので、てっきり冒険者へ転職しに来たのかと……」
「ギクゥ!」
どいつだ!
そんな噂流しやがって!
俺と同期だったベンの野郎か!?
あいつ口が羽毛よりも軽いからな!
くそ。
この分だともう街中に俺が無職だって知れ渡ったことだろう。
早急に街を出るしかなくなったぞ。
いつまでもここにいては恥の上塗りだ。
うおー、どうしよう。
苦悶する俺の袖を引っ張ったのは、もう立ち直ったのか、笑みを浮かべるリーシャだった。
「リヒトさん、リヒトさん。よかったら、私と一緒に冒険者やりませんか?」