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君がいない明日  作者: 宮城まこと
9/18

四日目①

 眠りから覚めたのは、午前三時だった。

 眠りについてから三時間しか経っていない。はだけている布団を被り直し、再び夢の世界に行こうとしたがなかなか寝付けなかった。

 七月が始まってまだ四日。深夜ともなるとまだ肌寒く、寝苦しいわけでもない。今年は冷夏だとニュースでよく聞いていた。

 目を瞑ってみるがまったく眠れない。

 完全に目が冴えてしまった。のそりと布団から這い出ると、水でも飲もうかと思い一階の台所に行くことにしたのだ。

 あくびをしながら台所に到着すると、まだ母が家事をしていた。

「あら、賢太郎も起きてたの?」

 夕食を片付け、皿を洗っている。

「目が覚めてさ。母さんはまだ終わらないの?」

 母はしわを作りながら困ったような笑みを浮かべた。

「途中で疲れちゃってソファーで寝ちゃってね。だから今、残っている家事をしちゃおうって思って」

 家事のせいで手が荒れてしまっている。水に浸すだけでも傷が痛むというのに。

 父から聞いたのだが、母はもともと料理は得意ではなかったようだ。だが、父と結婚して俺が生まれて料理を本格的にやり始めたそうだ。

 料理教室にも通っていたらしい。


 この頃から母の手には生傷が絶えず、薬局で絆創膏の箱を何個も買ったらしい。

 母の料理は美味しい。昔の母の手料理は父いわく食べれたものじゃないとか、理科の実験でもしているかのようだったとか、散々な評価だった。

 どういうものだったのか興味はそそられるものの、食べるのは遠慮しておきたい。

「俺が代わりにやろうか? 母さんだって疲れてるだろう?」

「賢太郎にしては優しいね。見直しちゃった」

「俺はいつも優しいよ。多分ね」

 母と交代して、大量に残った皿洗いを始める。

 母はそのままソファーに腰掛けるかと思ったが、脱衣所に行き洗濯物を取り出して居間に干し始めた。一つだけ仕事を任せてもらっても、母親としての仕事はまだ残っているのだ。

 母の手伝いをするなんていつぶりだろう。

 最近は違うが、中学生の頃とかは酷いもので親とも距離を感じてしまってあまり話していなかった。

 だけど、両親とも俺をのこと気遣って何も聞いてこなかった。

 大した理由なんてなかった。ただちょっとあの頃は一人になりたかったのだ。

 俺は、わがままをやりたい放題だったな。

 晒したくない恥ずかしい記憶ばかりだが、これでも反抗期はなかったと自負している。逆らう勇気も理由もなかったからだろうか。

 多分そうなんだろうな。


 皿洗いも終わり、吸い込まれるようにソファーに座る。

「はい、お疲れ」

 母が手渡してきたのは、ホットミルクだった。

「あんた、好きだったでしょ?」

「好きだけど、もう夏だよ? 冬ならもっと嬉しかった」

 笑いながらありがとうと礼を言い、コップを受け取った。

 ホットミルクをすぐには飲まず、息を吹きかけて冷ます。そう、猫舌なんだ。これが面倒極まるものでラーメンなんて熱々な物を食べようと思うと、必ず冷まさないといけない。

 俺がようやく食べられる温度になっていると大概の人は食べ終わっているか、食べている途中なのだ。たとえ、一番最初にメニューが運ばれてきても最後に食べ終わる。周りの冷ややかな視線に耐えながら食べる。

 新手の拷問か何かか。

「久し振りね、あんたとこうやって話すのも」

 母もホットミルク片手に隣に座る。

「最近は帰りも遅くて、帰ってきても疲れた顔して、食事中でも静かで。でも、楽しいそうだなって思った」

「どうして?」

「最近の賢太郎、良く笑うようになったもの。これでもあんたの親を十七年もしてんのよ。そのぐらい分かるって」


 流石だな。本当に親に隠し事なんて簡単じゃない。まぁ隠していたわけじゃないが、それでも話さずとも通じているのはやっぱり、自分の腹を痛めて産んだ子だからだろうか。

 母には勝てる気がしない。

「それで、美緒ちゃんとはどうなの?」

 俺がホットミルクを飲んでいる途中でそんなことを聞くものだから、危うく口から噴き出すところだった。

「ちょっと! いきなり何を聞くの!?」

 口から零れたホットミルクをティッシュで拭いて、母を呆れた眼で見つめた。

 でも、そんな俺を意に介さず年頃の息子をからかって笑っている。まったく、こんな大人に囲まれたから美緒もあんな風になってしまったのだ。

「で、どうなの?」

 どうなのって聞かれても、どうやって答えていいのやら。

「どうなのって?」

 俺はオウム返しのように同じ言葉を返した。

「ほら、進展があったのかなって」

「進展って。特に何もないけど」

 素っ気なく答えると、母はため息を吐く。そして俺に向けてわざわざとつまらなそうな顔をする。何が不満だと言うのだ。


「あんたたち二人は昔から仲が良かったけど、近頃は特に仲が良いじゃん。だからついに息子にも彼女が出来たんだなって思って」

 年甲斐もなく、若者の色恋沙汰に首を突っ込むのもどうかと思うが……。

 言い換えれば、それだけ俺たち二人を見てきたということになる。俺も年甲斐もなく母親の言葉で喜んでいた。

 母には見えていたのか分からないが、俺は口角をやや上げて微笑む。

「俺と美緒はそんなのじゃないよ。ただの、友達。ってところかな」

 すると母は先ほどとは一転。興味がなさそうに、ふーん。とだけ言った。

 だから何が不満なのだ。

「ねぇ、あんたはどう思ってるの?」

「どうって、美緒のこと?」

「他に誰がいるのよ」

 どう思っているか。

 こうして言葉にしようと思うとどうしても恥ずかしさが先行してしまって、魚の小骨のように喉で引っかかってしまう。

 吐き出すより、飲み込む方が早い。だから俺はいつも飲み込んでしまう。

 だけど、親に言うからだからだろうか、それともついに我慢できなくなってしまったのか、俺は次々に想いを口にする。


「美緒は……いつも優しくて、こんな俺でも小さい頃から面倒見てくれて。俺が一方的に距離を置いてときでも、心配してくれた。一人でいたときもずっと見ていてくれた。落ち込んでいるときも、賢ちゃんならなんとかなるって言って励ましてくれた。嫌なことがあった日でも美緒の顔を見れば、そんな事は些細な事に思えて、美緒の笑顔が見れば元気が出るんだ。……俺はきっと――美緒のことが、好きなんだ」

 ついに言ってしまった。自分の想いを言葉にしてしまった。口にしてはいけないことだと言い続けたことなのに。

 俺はどこかおかしくなっているのだろうか。

 自分の感情に歯止めがかからない。これだと、美緒の前でなんて言ってしまうのか自分でも想像できない。

 頼むから余計な事を言ってくれるなよ。

「それで、美緒ちゃんには言わないの?」

 必ず言われると思っていた。

 その質問の回答は何年も前に用意しているのだ。ここで間違っても首を横に振ってはいけない。

 慎重に慎重に俺は首を縦に振る。

「言わないよ」

「どうして?」

 間髪入れずに母は質問をしてくる。

「美緒にはもっと似合う人がいるって思ってね。それと、引っ越すこのタイミングで言ってもただ迷惑でしょ」


 引っ越した先でも彼女は上手くやれる。そして、俺も時間が経てば経つほど毎日思い出していた彼女の顔はだんだんと薄れていくのだろう。

 この想いは一過性なものだ。長い目で見れば必ず後悔する出来事だろう。

 そうではないと証明するものは無い。美緒も俺のことが好きだという確証は無いんだ。

 片想いで終わるならそれでいい。俺の片想(わがまま)いに彼女まで付き合わせる必要はない。日の光を浴びると一瞬で枯れてしまう恋の花なら、故も知らぬ日陰でひっそりとみすぼらしく細々と生き永らえていたい。

 ずっと、大切にしまっておけばいい。あとは鍵をかけてその鍵さえも捨ててしまえば良いだけだ。

「迷惑だって美緒ちゃんは言った? 賢太郎が自分に見合わないってあの子が一言でも口にした?」

 母の言葉で巡っていた思考が止まる。

「あんたの悪い癖だよ。そうやって自分を卑下して。……あんたはいつも誰かを気遣える優しい子。いい? 産んだ私が言うだから間違いない。これで見合わないなんて言わせないよ。自信を持つの。当たって砕けろよ」

 当たって砕けたら意味ないだろ。

「あんたが好きならそう伝えなさい。美緒ちゃんは良い子よ。きっと賢太郎の想いも無下にはしないはずよ」

 美緒が良い子だなんてもう知ってるよ。知ってるからこそ迂闊に告白なんてできない。彼女はきっと俺の想いを受け止めてくれるのだろう。

 受け止め、悩み、苦しむだろう。それが嫌なんだ。そんなことを美緒にさせるぐらいならいっそのこと見せない方が良いに決まってる。


「告白するかしないかは、あんたが決めなさい。後悔しない道をしっかり選ぶのよ。ほら、もう寝ないと学校に響くわよ」

 ふと外を見ると漆黒の世界は徐々に白んできていた。

 俺は何も言わず、二つの意味で頷いた。

 胸がざわついていたせいで、眠ることなんてできなかった。ベッドの上で寝返りを何度か繰り返して、あのシミに目をやると、なんと泣き止んでいたのだ。

 俺の見方が変わったのだからだろうか、それとも本当に泣いていて、泣き止んだのだろうか。

 眠れないまま答えも出ないままで、結局朝を迎えた。

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