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君がいない明日  作者: 宮城まこと
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二日目③

 あれから俺たちは談笑しながら美緒が作ってくれたお弁当を食べた。

 彼女が自信作と言うだけあって完成度は高かった。色合いも完璧で俺の好物で構成されていた。好き嫌いはするなと言わんばかりに、苦手とするピーマンが多めに配置されていた。

 本当はピーマンだらけにする予定だったらしいが、彼女の母親に止められたらしい。さすがに冗談だと思うが、そうじゃなくて助かった。

 今日の残りの予定は、小学校近くの桜の木を見に行くことだ。

 今週一杯、俺は掃除当番なので美緒には玄関で待っていてもらっている。掃除に精を出して先生に褒められたが、ただ早く終わらせたいだけとは口が裂けても言えない。

 掃除も一通り終わり解散した。

 軽やかな足取りで階段を駆け下りる。昨日は彼女が本当に待っていてくれているのか不安で急いたが、おかしな話なのだが今は安心して急げている。

 理由は至極単純だ。美緒が待っていてくれているからだ。

 玄関に到着すると、美緒に周りに女子生徒が集まっていた。制服ではない、ジャージを着ている。この時間帯でこの服装は恐らく、サッカー部のマネージャーの後輩だろう。

 のぞき見やら聞く耳立てることはするつもりはなかったが、他の生徒がいないここでは自然と声が聞こえてしまう。

 会話の内容は、サッカー部のことについてだった。

 俺もついつい耳を傾けてしまった。


『あの、美緒先輩! 先輩が引っ越すって聞いてショックで……』

 一人の女子生徒が泣き出しそうな声でそう言う。

「いきなりでごめんね。本当はずっと前から決まっていたんだけど、言いづらくてね」

 美緒がその子をなだめると、もう一人が続けた。

『美緒先輩。私、これからサッカー部のマネージャーの仕事を続けて行けるかどうか不安なんです』

 部活動をしたことがない俺からすればマネージャーの仕事はどれだけ忙しいのか想像もつかないが、運動部のマネージャーだ。本当に忙しいのだろう。

 ふと、疑問に思った。

 美緒はどうしてサッカー部のマネージャーをしようと考えたのだろうか。

 彼女の運動能力は少なくとも俺よりは高い。

 日の光を浴びようと思えばいくらでも浴びれたはずだ。悪く言うつもりはないが、でもどうしてマネージャーみたいな裏方の仕事を?

 彼女だったら引く手数多だろうに。

 美緒と距離を置いた理由はもしかしたら、嫉妬をしていたせいかもしれない。

 誰かから必要とされる彼女が羨ましくて、その輝きがあまりにも鬱陶しくて強すぎて、一番近くで見ているのが辛くなった。

 俺が美緒と同じ立場だったらと考えたこともあった。

 誰からも愛されて、周りには友達で溢れている姿を何度想像したことだろう。


 もっと堂々と彼女と向き合えただろうか。

 ここでくだらない妄想を繰り返しても意味がない。脳内から余計な考えが抜けるように頭を左右に何度か振る。

 自分の考えに耽っている間に、美緒と後輩の話は進んでいた。

『せめてお別れ会ぐらいしたかったです。先輩には、その、色々とお世話になりましたから』

 美緒はお別れ会もしてなかったのか。それでも、この一週間でどうにか出来ないことではない。やろうと思えば、それこそ今からでもやれるはずだ。

 彼女に対する疑問がぐるぐると、まるで庭を駆ける犬のように頭の中を駆け回る。

 多くの人から慕われて、求められた彼女が一体どうしてしっかりと別れを告げないのだろう。

 そうか、多くに人に慕われていたから求められていたからこそ、余計に別れを言いづらくしているのか。

 俺が美緒に対してそうであるように。

 俺も「さようなら」といつかは言わなければならない、美緒に対して。

 そのときは、ちゃんと言えるだろうか?

 いや、まだ分からない。そのときが来ないことを祈るばかりだが、そうともいかない。時間が経てば明日が来続ければ自然と、別れはやってくる。足音をわざわざ立てながら。

「うん。みんなには、私の方こそお世話になりましたって伝えておいてね。ほら、もうすぐ部活が始まっちゃうわよ」

 美緒は先輩らしく後輩を送り出す。


「賢ちゃん、出てきてもいいわよ。いるんでしょ、そこに」

 美緒は俺の姿を見ることなく、そう言った。

 俺は言い当てられたことに驚きを隠しきれずに、どんな顔をしていいのやら困りながら姿を見せる。

「どこから聞いてたの?」

「多分、最初からかな」

 彼女は、顔こそは見せなかったが弱々しく笑う。

「ふふ。もう、普通に出て来てくれても良かったのに」

 出て行けるわけないだろう。だって、最後になるかもしれない先輩と後輩の会話を邪魔をすることなんて気弱な俺に出来るはずないだろう。

 それに、美緒こそあの僅かな時間を大切に思っているはずだ。

「美緒は、あの子たちにとって良い先輩だったんだな」

 もういなくなってしまった彼女たちの足跡を追うようにして、美緒に言った。

「良い先輩ね。まぁ、自分が良い先輩かどうかだなんて分かりはしないけどね。……でも、あの子たちの顔を見て、ああ私って慕われてたんだなって思った。周りから大切にされただけ別れが辛くなるのよ」

 ぼぞりと、彼女は呟く。

「いっそのこと、別れなんて無くなればいいのに」

 この世界でただ一人、彼女の小さな小さな心の叫びは確かに俺の耳には聞こえていた。

 聞こえてしたとしてもかけてやれる言葉は、どこを探しても見当たらない。見つけたとしても言葉に出来ない。


 ここで一言、そうだな。と彼女の言葉に同意でもしておけばよかったのだろうが、恐らく彼女だって聞かれたくない叫びなのだろう。

 耳元で聞こえていた暫くの静寂は、空を高く飛ぶ白く大きな飛行機が、躾のなっていない轟音で切り裂いていく。

 美緒と俺は玄関を出て、同時に空を見上げる。

 見事なまでの晴天だった。太陽はぎらぎらと輝き、我こそはこの空の主役なりと激しい自己主張をしていた。

 視界の端に映った白い月がこちらを見ていた。あと三時間もすれば主役の座は交代だから、この鬱陶しい暑さとはおさらばだから安心しな。と言っている気がした。

 この時期、夜でも外は暑いと月は知らないらしい。誰か教えてやってくれ。

 妙にうるさい蝉に声がじわじわと、木や地面そして俺たちの体に染み込んでいく。あと一週間もすれば、この声も減るのだろうか。

 いや、正確にはあと五日。俺と美緒が別れるころには、この蝉の声は少しは静かになるだろう。

 風に運ばれてきた鼻孔を掠める夏の色香。

 花の匂いだろうか、それとも生き物が発する特別な何かなのかは知らない。

 この匂いは人の思考回路をダメにする。そして、ひと夏の過ちを多くの人間に発生させる。

 どこまでも青く、澄んだこの甘い香り。とても危険な香りだ、身を委ねてしまえば一気に堕落してきそうなほどの。

 感傷に浸っている俺に、そろそろ行きましょう。と美緒が言ったのはもう少しあとだった。



 俺と美緒は小学校に続く通学路を歩いていた。

 いくら時間が経っても道は足が覚えている。

 丁度、小学校も下校時間なのか小学生が道を走っている。夏に浮かれてはしゃぐ男子をどこか冷めた目で見ている女子。

 この構図は昔から変わっていないらしい。

 極めて稀に男子の中に混じって遊ぶ女子がいる。隣にいる美緒のように。

 昔はゲームもそれほどなかったし、こんな天気がいい日に家にいると何かと外に出ろと親に言われる。そういう日に限って彼女が遊びに誘ってくれるのだ。

 公園で待ち合わせてして、日が暮れるまで遊ぶ。それが夏の日常だった。

 彼女は、他の女子のようにおままごとやお人形遊びをあまりしたがらなかった。いつ聞いたのか忘れたが、理由を聞いたところ。

「だって、外で遊ぶ方が気持ち良いでしょ?」

 と彼女は胸を張って、引きこもりがちな俺の前で言い切った。

 今はゲーム機が登場して、子どもたちの間では遊ぶと言えば「ゲーム」という時代だ。こんな田舎でもなければ、わざわざこんな暑い日に外で遊ぼうとしないだろう。

 彼女が引っ越す北海道はここよりもずっと自然があって、吸う空気も美味いと聞く。

 空気に味があるのかと聞かれていると、どうにも答えられないが澄んだ空気を吸うと味がするらしい。

 俺はここの空気しか吸っていないから、空気(これ)が不味いのかも美味いものかもわからない。 


 美緒が北海道の雄大な草原の上で走り回って、ときには寝転んで、終いには温かで静かな風に抱かれながら眠ってしまっている想像が頭の中で浮かぶ。

 残念ながらその横に俺は寝転ぶことができない。どこまでも澄み渡っている青空のもとで昼寝している彼女を、風邪を引くぞと笑いながら起こしてやることもできない。

 美緒がこの町から消えてしまう。この町には彼女を思い出させるもので溢れている。そこに生えている木も、落書きされている壁も、こうして歩いている道にすらある。

 目に映るものすべてが、すっかり彼女の色に染められている。

 どれだけ目をこすっても、色は落ちない。誰かの色で塗りつぶすこともできない。

 あたかも、彼女がいなくなるのが運命だったんだと言いたげな世界。思い出にでも浸って傷を癒せよ。と慰めているようにも聞こえる。

 慰めるくらいなら、最初から悲しませないでくれ。

「着いたわよ。ここでシートを敷きましょう」

 俺たちは通学路を抜け、脇道に入ったところの一本の桜の木の下でシートを敷いた。

 彼女が鞄から取り出して広げたのは、子どもの頃に使っていた小さなピンクや青の花柄のシートだ。人が一人座れるか、二人は詰めれば座れそうだ。

 俺が地面に座ろうとしたとき、彼女は自分の横のシートをポンポンと叩く。

 詰めてあげるから隣においで。そう言っているのだ。

 俺は彼女の言葉に甘えて座ることにした。


「それで、桜もすっかり(あお)くなったけどどうやって花見をするんだ? これじゃ、枝見だな」

 俺が風にそよぐ青々とした葉を見て冗談を言うと、彼女は桜の花びらにも負けない綺麗な笑顔を浮かべながらこう言った。

「別にいいじゃない、たまには。ここの桜なんて今まで沢山見てきたんだから、想像しながら楽しみましょうよ。今年の桜はいつも以上に綺麗だったって聞くから、そうね……こんな感じかしら」

 美緒は目を瞑り、想像する。

 彼女の頭の中ではどれだけ綺麗な桜が咲いているのだろうか。

 これほど相手の頭の中を覗いて見たくなったのは初めてだったが、覗いたついでに余計なものが見えてしまいそうで怖いので、もし覗けたとしても遠慮しておこう。

 美緒につられるままに俺も目を閉じて、桜を想像する。

 いつもより妖艶で蠱惑的な唇のようにほんのりと紅く、人々を誘う香りは刺激的で、極上の絹糸で作られた着物のように、ひとたび目を合わせると離せなくなるほどに美しく、舞い落ちる花びらは踊り子のように風に舞う。

 想像すればするだけ、実物を見なかったことを悔やむ。

 目を開けると、彼女はまだ目を瞑っていた。

 せっかくだから頬でもつついてやろうかと思ったが、倍にして返されると困るので止めておいた。

 彼女が目を開けると満足気な顔で、賢ちゃんはどうだったと質問してくる。

「……そうだな、美緒が想像したのと同じくらい綺麗かな。そういう美緒は?」


「ふふっ、私も賢ちゃんが想像したのと同じくらい綺麗だったわよ」

 なんだよそれ。答えになってない気がするが、俺が言い始めた事なのでとやかくは言わない。

 彼女は鞄からなにやら取り出している。ちらっと見えたのはお菓子の袋とペットボトルに入っているジュースだった。

「これ、花見って言ったら食べ物でしょ?」

 美緒って花より団子だったな。

 美緒にジュースを手渡され、喉が渇いていたこともあってすぐに口をつけた。

「あっ、それ私が飲んでいたほうだった」

 飲んでいたジュースが変な所に入ってむせ返る。ジュースで汚くなった口をやむおえず手で拭き、彼女に返す。

「ごめん、何も聞かずに勢いよく飲んじゃった」

 俺が謝ると、彼女はくすくすと笑い始めてジュースを手に取る。

「冗談だったけど、賢ちゃんがくれるならもらっちゃっおうかな」

「え?」

 冗談だと気がつき、目を丸くして驚いていると彼女は俺の静止などお構いなしに、美緒はジュースに口をつける。

「うん、美味しい。はい、どうぞ」

 何事もなかったように彼女はペットボトルを返す。


「間接キス、しちゃったわね」

 彼女は恥じらいの表情を見せずに俺をからかう。それでも間接キスをしたことには変わりはない。いくら冗談って言っても、今回のはさすがにやりすぎじゃないのか。

 火遊びが過ぎるっていうかなんというか。

 彼女の言葉で俺の脳はパンクしていたことは、恐らくながら美緒にも伝わっているのだろう。だからこそ彼女はこんなにも楽しそうに笑っている。

「うふふふ。賢ちゃんたら、顔を真っ赤にして可愛いわね」

「もう、からかわないでくれよ。そういう冗談は反応に困るからたちが悪いと思うな」

 俺は呆れ半分、四割程度喜び、残りの一割はほんのちょっとだけ腹が立った程度の気持ちを腹の中で飼い慣らしていた。

「私、やりたい事リストの一つやり切っちゃったの」

 彼女は上を向いてそう言った。

「その一つって?」

「賢ちゃんともう一回仲良くなること。一番難しいかもって思ってたけど、案外簡単にできちゃった」

 美緒は膝を曲げ、膝を両腕で抱えるような形で、寂しそうな顔をした子どものように彼女はこちらを見つめていた。

「さっき、あの子たちと話して思ったの。引っ越しがなかったら、私はまだあの子たちと並んで学校生活を送れていたのかなって。今日みたいに暑い日には先輩風吹かせてアイスなんて奢ったりして、柄にもなく可愛い後輩のために相談に乗ったりとかしてたのかなって」 


 そうだ、彼女にも明日の予定があった。明後日の予定だって、もしかしたらこの先の予定だってあったのかもしれない。

 彼女に突きつけられた別れは、彼女のこれからを大幅に変えさせた。

 運命は人生の厄介さそのものだ。

 このまま進めば幸せになれる道でも、その神の気ままと見間違う力で歪め、湾曲させ、捻じ曲げてしまう。

 人は一生、運命に従っていくしかないのか。

「私ね、運命って言葉が嫌いなの。だってこんなに、いい加減で無責任な言葉は無いでしょ? どんな未来になるかはその人自身の言動で決まるもの。私もそれなりに苦労しながら色々なことも決めてきた。それを運命なんてよく分からない言葉で片付けられたくないわ」

 彼女は強く、否定をした。

 これほど彼女を心強く思ったことはない。やっぱり彼女には敵わない。

 それから美緒は一度口を開き、何かを言おうとしていたが彼女は躊躇し、自分に言い聞かせるように下唇を噛む。

 そして彼女はもう一度口を開く。

「本当はね、二ヶ月前から引っ越すのが決まってた」

 俺は黙って聞いていた。彼女と後輩の会話にでも引っ越しは前々から決まってきたことだと言っていた。だから俺は驚かなかった。


「ううん、正確に引っ越すと決まったのは一ヶ月前だったかな。すごく悲しくてどうすればいいか分からないまま、日にちがどんどん過ぎて行って、一週間前になってようやく引っ越すことを賢ちゃんに言おうって決めたの。でも私、後悔していることがあるの」

「後悔?」

 首を傾げて聞き返す。

「もう少し早く賢ちゃんにこの事を言えたなら、賢ちゃんともっともっと話せたのかなって。……最後の一週間は、いっぱいわがままを言うって決めたの。聞き分けの良い子じゃダメなの、悪い子になっても良いから賢ちゃんと一緒にいたくて仕方なかったのよ」

 彼女はしまった。と自分の思いがけない最後の言葉を消すように咳払いをした。

「最後の言葉は忘れてね。深い意味はないから」

 彼女の火照った頬を冷やすかのように風が、俺たちを優しく撫でていく。美緒は風に冷やされながらそっぽを向いていた。

 俺にはまだ、彼女のガラスのように壊れてしまいそうな小さな体を強く抱きしめてやれるほどの勇気はなかった。

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