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君がいない明日  作者: 宮城まこと
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二日目②

「おはよう、美緒ちゃん!」

 彼女のクラスメイトが元気に挨拶をする。

「うん、おはよう!」

 美緒は小さく手を振ってその子に挨拶を返す。

 通学路に出た途端これだ。彼女は有名人の如く皆に声をかけられる。その中には男子生徒も含まれていおり、改めて彼女の男女問わず人望があるのだと実感した。

 そしてみんな、俺の顔に穴が開くほど見てくる。俺の顔にご飯粒でもついているかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 クラスでは、果ては学校でも目立たない生徒だと自負している。それに比べて彼女は校内でも人気者。

 みんなは、この二人が肩を並べて歩いていることが不思議でたまらないらしい。つり合いが取れていないとでも思っているのだろうか。

 たしかに、俺自身も彼女とはつり合いが取れてないと思っている。彼女にはもっと似合う男性がいるのだ。たとえば、キハラ先輩とか。

 噂を聞くかぎり、人柄も良く勉強もできるらしい。

 彼の欠点など聞いたことがない。それと比べて俺は欠点が多すぎる。それも数え出したら夜が明けるほどに。

 いや、これ以上彼と俺を比べるとちっぽけな自尊心が傷つくだけだ。さすがに朝から嫌な気分にはなりたくない。


 そういえば、彼女は昨日の放課後からサッカー部に顔を出していないと思うのだが、マネージャーの仕事はどうなっているのだろうか。

 不意に彼女に質問する。

「なぁ美緒、サッカー部のマネージャーの仕事はもういいのか? 昨日だって仕事あったんだろ?」

 彼女は滅多に人前ではしないあくびをして、質問に答える。連日の早起きが相当堪えているのだろう。

「そのことなら大丈夫よ。ちゃんと後輩に仕事を引き継いできたわ。部活も良いけど、やっぱり昨日みたいにゆっくり放課後を過ごすのも悪くないわね」

 俺は美緒が忙しくしているところが羨ましかったよ。

 実際、遊ぶ相手がいなければ部活も何もしていない生徒は放課後は暇だろう。それはそれでいいのだが、やはり人生で一度しかない青春を無駄にしている気がしてならない。

 生憎、交友関係は広くはない。

 昨日だって初めてクラスの女子生徒に話しかけられたのだ。クラスに遊ぶ相手、いや話す相手もいない。

 だから昨日はとても楽しかった。

 夕日で輝く彼女に心惹かれたのも、人一倍大人びているくせに子どもっぽいところがあったり、年甲斐もなく砂場で遊んだりと。

 あれほど心満たされた日はここ最近まるで無かった。

「今日はどこに行こうかしら。賢ちゃんはどこか行きたいところとか無い?」

 一通りの挨拶が終わり、運悪く赤信号が長い校門の近くの横断歩道で立ち止まったときに美緒が聞いてきた。


「行きたいところ? うーん、特にないかな。公園も昨日行ったし、他にどこがあったかな。小学校とか行ってみる?」

「小学校ね……。そうだ! あそこにいきましょうよ!」

 小学校に関係している場所なのか。どこがあっただろう。小学校の記憶に意識を遡ってみる。

 とある、記憶にたどり着いた。なんてことはない。普通の出来事だ。恐らくながら子どもの頃の「約束」が関係している。

「あそこって、もしかして桜の木?」

 彼女はにっこりと笑う。どうやら当たっているようだ。

「正解! 私もついさっき思い出してね。そういえば、約束したなって」

 彼女との約束は単純だった。

 俺の母と美緒の父親が同じ大学の同じサークル出身だったらしく、互いの両親はとても仲が良い。それもあってか、行事という行事を共に過ごしてきた。

 春と言えば桜。桜と言えば、そう花見だ。

 どちらの親が言い出したのかは知らないが、小学校の近くの桜の木で花見をしたのだ。幼心でも、桜の花びらの美しさに目を奪われた俺たちはある約束をした。

「これから春になったら、花見に来ようよ。約束ね賢ちゃん!」

 彼女の約束に俺も無邪気に小指を結び、指切りげんまんをしたのだ。あれから十年間ほど一緒に行っていたが、高校になってから俺だけが参加していない。

 行けなかった。美緒との距離を感じ始めていた頃だったから。


 今年の桜はもうとっくに散ってしまっている。彼女とできる花見の最後だと知っていたら、なんとしても行っていただろう。

 それに今年の桜は例年以上に綺麗に咲いたと聞いている。

 本当に、勿体ないことをした。

「春は終わったし、桜も咲いてないよ?」

「そうね。どっかの誰かさんが約束を破ったから、ろくに楽しめなかったわ」

 やっぱり、相当根に持っている。彼女は約束を破るとうるさいのを忘れていた。いや、約束を破るほうがダメなのは知っている。

 だから今回も俺が悪い。彼女が何と言っても付き合うしかないのだ。

 過去のいつまでも悩んでいた自分を殴ってやりたい。

「ごめん」

 一言謝る。

「謝らなくても良いわ。賢ちゃんにもそれなりの事情があったんでしょ? そこまでわがままを言う女じゃないわ。……でもね、賢ちゃん。女を待たせる男は罪よ」

「え?」

 彼女の最後の言葉が俺の心に引っかかった。

 それがどういう意味だったのか、彼女に尋ねる前に信号機がようやく赤から青に変わる。そして彼女は意味の真実を答えずに、俺より一歩先に横断歩道を渡る。

 陽炎のせいでゆらゆらと揺れているように見える美緒は振り返る。未だに立ち止っている俺に向かって、「ほらね、待たせている」と言の葉に滴る雫を零したのだった。 



 美緒とは玄関の昇降口で別れた。

  彼女は日直なので職員室に寄っていかなければならなかった。俺は彼女の言葉の意味を悶々と考えていた。

 階段を慣れた足取りで上がり、教室に到着すると自分の席に座る。ここで小説を取り出して本の世界に行っているところだが、残念だがそんな気分じゃない。

 浮ついた気持ちで勉強に臨めるわけもなく、ノートを書くペンすら持つこともできなかった。

 一時間目をそんな調子で終わり、二時間目の教科書を忘れていることに気がついた。朝に確認する間もなく彼女に呼ばれたからだ。

 溜め息をしながら、先生に教科書を忘れた旨を伝える。幸いにして優しい先生だったので教科書のコピープリントをくれた。

 そして、いつもの調子じゃないことを心配してくれた。

 俺が笑顔で大丈夫ですと言ったから、きっと先生はもっと心配したことだろう。

 些細なことに気にしてくれるのは誰であっても嬉しい。女性の僅かな変化を気づいて欲しいと言う気持ちは、なんとなくだが分かった。

 せっかくプリントを貰ったのだが、視線は黒板でもなく、ましてやプリントでもなく外のグラウンドだった。

 この時間、隣の美緒のクラスは体育なのだ。

 人の群れの中で、一際目を引く美緒を見つける。いつもなら目を合わせられないように、見過ぎてしまわないように努めている。

 ジャージを着て、健康的に汗を流す彼女。


 今日の授業内容は陸上だった。俺が最も苦手する競技。彼女は女子の中でも足が速いらしく、陸上部からスカウトが来るほどだった。

 元気に走る彼女を視線で追い、振り返るところで見られてはいけないという普段の癖からか、目を逸らす。

 そっと、おそるおそる視線をグラウンドに送る。するとまだ美緒はこちらを見ていた。

 俺がもう一度外を見るのを待っていたのだ。

 視線が絡み合い、彼女は微笑みながら周りの生徒には気づかれないように小さく胸の前で手を振る。

 胸が高鳴り、手を振り返そうか迷っている丁度そのタイミングで、先生にこの問題を解いてみろと当てられてしまった。

 それほど難しい問題じゃない。

  いつもなら、いとも容易くとはいかずとも、なんなく解けていただろう。

  しかし、今回だけは授業に集中していないせいで答えられなかった。

 とんちんかんな答えを出すわけにはいかず、素直に聞いていなかったと謝った。

 先生は熱でもあるのか。と心配してくれた。日焼けのせいで余計に赤く見えているだけなのに。あとで謝らないと。

 三時間目。そろそろ昼休みが来るせいか、浮き足立ちながらそれを待っている。次の授業は社会だ。この先生は怒ると怖い。

 この授業だけでもしっかり受けないと。

 それでも長い間、授業には集中できなかった。すぐに頭の中で彼女の言葉が姿とともに浮かび、泡沫のように消えていく。


 そろそろ、真面目に彼女に言われたことを理解しないといけない。

 女を待たせる男は罪……か。

 言葉の意味は分かる。でもどうして俺にそんなことを?

 どうして彼女が待つ必要がある。一体、誰を待っていると言うのだ。

 彼女の性格からすれば、むしろ自分から迎えに来るはずだ。それぐらい待つことは得意じゃなかったはずだ。

 自分の欲求には基本的に素直で、やりたいことは徹底的にやる。

 子どもの頃からその行動力の高さゆえに周りから羨望の眼差しを注がれている。俺もその中の一人だった。

 そのせいもあってか分からない。花見のときだって無理にでも俺を外に連れ出すことぐらい、彼女には造作でもなかっただろう。

 そもそも、美緒が一声かけくれさえすれば俺は重たい腰を上げていただろう。

 ……違う。

 とある考えが心の水面を揺るがす。小さな違和感が波紋を作り、果てまで広がっていく。

 俺はいつまで彼女を子どものままで見ているんだ。彼女の急激な成長について行けず、今の美緒との時間の空白があまりにも多すぎせいで、俺の中ではまだ美緒は子どものまま。

 幼さが残る中学生で止まっている。

 根の部分では彼女は変わっていないだろう。でも、その茎はどうだ。ついた葉はどうだ。蕾から開いた花はどうだ。


 大人になるにつれて人付き合いは面倒になっていく。他者を気遣い、自分だけがわがままを言うわけにもいかない。

 簡単な話だった。彼女ももう立派な大人だった。

 俺だけがまだ子どもで、笑えるほど自分勝手だった。

 口に出していないだけで、心の中ではわがままを叫んでいた。

 美緒は、俺が約束を覚えていることを信じながら待っていたんだ。ずっと。一緒に行きたいなんてわがままを我慢しながら。

 謝らないといけない。待たせていてごめんと。

 授業の終わりを告げるチャイムで、思考の旅に出ていた意識が肉体に戻ると三時間目どころか四時間目が終わっていた。

 ほどなくして、彼女は教室に入ってくる。お弁当を二つ持って。

「賢ちゃん、どうしたの?」

 美緒は俯く俺を心配してくれた。

 俺は顔を上げる。暑さで流れる汗が首筋を這う。彼女の顔を、いや大人としての姿をこの瞳に映す。二度と忘れないように焼き付けておく必要があった。

「美緒、言っておきたいことがあるんだ……」

 真剣な眼差しを察してくれたのか、こくりと無言でうなずく。

 緊張している。謝るだけなのに、言葉が鉛のように重く感じる。


 言葉は不思議だ。言い過ぎればその意味は途端に羽のように軽くなり、重みが無くなる。それとは違い滅多に口に出さない言葉は、羽ばたく軽さを失う代わりに相手の心に深く沈んでいくほど重くなる。

 目を逸らさずに、俺は言った。

「……待たせて、ごめん。美緒はずっと俺のことを待っていてくれたんだな。……ありがとう」

 美緒は真っ赤な顔を隠すように俯く。

「いつも言うのが遅いのよ、賢ちゃんは」

 俺も彼女も必要以上に語らなかった。

 大人になるにつれて気がついたことが、一つだけある。

 ――それは他者を想うことの大切さだった。

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