五日目②
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今日の美緒はいつもより上機嫌だった。
お弁当がうまく作れたのだろうか、それとも何か良い事があったのだろうか。どれも彼女には当てはまってそうで困る。
それだけ上機嫌になれる要因があることは良いことだ。
でも、鼻歌を歌いながら登校して俺と会うなりきつい冗談を言い放つぐらいの上の上の機嫌だ。こんな美緒は滅多に見ない。
どうやら彼女は最近になって秘密を持つことをお気に入りなせいか、俺がどうしてそんなに機嫌が良いのかと尋ねても、彼女は笑っていてばかりで教えてくれない。
前日の喫茶店のときもそうだった。
これはもう聞いても意味がないだろうな。と学校前の横断歩道で質問をするのを止めてしまった。
まぁ、こんな上機嫌な理由は放課後になって分かったのだが。
それまでは彼女の秘密が気になって、授業にも集中できなかった。彼女ことで日常生活に支障をきたすのは、いつものことだが今回は一際酷かった。
階段では転びそうになったし、人にはぶつかりそうにもなった。極めつけは人に話しかけられても気が付かなったことだろう。
顎に手を当てて、どこかの探偵よろしく頭を横や縦に捻ってみても答えは出なかった。どうやら俺は探偵には向いていないらしい。
他人から見れば、こんなくだらないことで。と一刀両断されそうな悩みだが、俺にとっては明日世界が終わってしまうことより、言ってしまえば重要なことだ。
……今のはさすがに言い過ぎだ。さすがに明日世界が終わってしまうことのほうが重要だった。
でも、これが最上位だ。それ以外はこの悩みの足元にも及ばない。
だから話しかけられていることはどうでも良かったのだ。そう、話しかけられていること自体はどうでもよかった。
ただ、話しかけられている相手はどうでもよくなかった。
机をとんとんと指先で叩かれて、ようやく目の前に人が立っていることを知った。
絆創膏のついた手。そっと視線を上げると美緒が呆れたような顔でこちらを見ていた。どれくらいの間彼女を放っておいたのだろうか。
それを想像するとぞっとする。無視をされて嫌なのは俺も彼女も変わらない。
開口一番に謝った方が良いのだろうか。
謝ろうとして、口を開けたが美緒に手を当てられて「謝るのは無しね。賢ちゃんだって考え事してたんでしょ? だったら仕方ないわ。それに今日は自分でもびっくりするぐらいとっても機嫌が良いの」
機嫌が良いのは誰だって見て取れる。
怒らないでいてくれるのは、彼女の優しさ故と信じているのだが、どうして上機嫌なのかを教えてくれないのは優しくない。
それで、察してくれなきゃダメだ。とか言わないでくれよ。そこまで面倒くさい人ではないと願うばかりだが。
彼女が来たってことは、もう昼休みか。随分早いな。まだ一時間目が終わってばっかりだと。
考え事のせいで時間の概念までもが二の次になってしまうとは。参ったな。まだ試験前ではないと言っても、授業の内容はまったく覚えていない。
これはまずいな。
改めて時間を確認すると、まだ十時三十五分ぐらい。十二時におろか、十一時にもなっていない。
時計の針がおかしいわけじゃない。ましてや、俺の目がおかしくなったわけでもない。ということは美緒が、昼休み前に来たということなのだ。
彼女と俺が話す機会は限られている。
引っ越すと決まった一週間前から変わってなどいない。朝の登校の時間か、昼休み、そして放課後だ。他の休み時間で彼女が会いに来たことなんて、初めてだ。
それぐらい急を要するほど話したいことがあるのだろうか。
でも、朝のときに話せばよかったんじゃあ……。
まだ学校が始まって、二時間経ったかどうかだ。
俺に話さなければならないことが、こんな短い間に起ったのか?
彼女のことだから、きっと起こってしまったのだろう。話したい何かが。
「珍しいね、この時間に美緒が来るなんて。どうしたの?」
率直に尋ねた。
「ふふ、どうしたと思う?」
彼女は微笑みながら、質問に対して質問で返した。
さて、困ったぞ。
俺は美緒がここに来た理由を答えなければならない。こういうことは苦手なんだけどな。女心が推理で解けるなら、話は早い。
頑張って考えればいいだけだ。
しかし、そう上手く事が運べないのが女心というやつだろう。
まったく分からなくても、考えるふりぐらいはしておくべきかな。こうでもしないと彼女に怒られそうだ。
十秒程度考えたふりをして、かぶりを振る。
真剣に考えたって分かりはしないさ。お手上げだ。
「ごめん、分からないよ」
そう言っても、彼女が機嫌を損ねることは無かった。むしろ、彼女の機嫌はさらに上へと向かっていた。
彼女の機嫌はどこまで上がるのだろうか。そろそろ天井にぶつかって落ちてきても良さそうなのだが。
「そっか、分からないか。じゃあ賢ちゃんには特別に教えてあげるね」
彼女の声は毬のように弾んでいた。
「ただ、なんとなく賢ちゃんとおしゃべりしたいなって思ったの。だからおしゃべりしましょ?」
と美緒が言ったところで、丁度良くなのかタイミングが悪くなのか、授業の開始を知らせるチャイムが校内に鳴り響いた。
チャイムを聞いた彼女は不満そうな顔をして、「またね」と名残惜しそうに手を振って去っていった。
朝から俺を振り回してくれている彼女だが、大人びている普段の彼女とは違う雰囲気を肌身に感じた。あんなに喜んでいる美緒は初めて見た。
俺の前では初めてなだけであって、他のところだとあんなのはざらに起きている事なのかもしれない。
俺の前だけで、見せてくれている姿だと思うとほんのちょっと嬉しい。
気持ちの蓋が外れかかっているのは、知っている。
口にしてしまった好きという言葉は、口にしてしまったことによってたちまちに力を持ち、なおもその力を増幅させている。
想うだけと、声に出して言うのとではまるで違う。
心と頭の中で再認識し、想いを溢れさせてしまおうと躍起になっている。
こうなってしまっては、止めようにも止められない。手を使ってでも塞ごうとしても、かえってその想いの波に呑まれてしまうだけだ。
だったら、何もしない方が良い。
溢れるだけで、行動を起こさせるだけの力は持っていない。勇気が湧いてくるわけでもない。
この蓋が外れればどうなるのか予想は出来ない。もしかしたら、その中に勇気が隠れているのかもしれない。
想いの濁流に飲み込まれて、俺はきっと彼女に告白してしまうだろう。
自分でどうすることもできなければ、あとは大嫌いな神様に頼むしかない。どうか蓋が外れませんようにと。
そして時間は再び、流れ始めた。
一向に彼女が機嫌が良いのか分からないまま。俺の中にいくつかの疑問を残したまま。
昼休みも俺たちは他愛のない会話を楽しんでいた。途中、シライさんも会話に参加して初めて二人きりの空間に他の人が参入してきた。
嫌だったわけじゃない。このときシライさんが俺のことを友達と言ってくれたから、とても嬉しかった。でも人付き合いになれていないせいか、どうやって話して良いのやら戸惑っていた。
それこそ、美緒の類稀なるコミュニケーション能力のおかげで事なきを得た。
シライさんは良く笑い、人の話を楽しそうに聞いてくれる。美緒とは違った魅力が彼女には有る。素敵な女性だなと思った。
この言葉に他意は無い。素直にそう感じただけだ。
美緒のおかげで、俺の世界はまたたきをするごとに変わっていく。
一瞬とてこの世界に同じ景色は存在しない。吹く風も流れる水も、人の姿も想いも、何もかもそのまま形を保ち続けることはない。
シライさんが俺に対しての印象も少なからず、変わってくれていると嬉しいのだが。
暗そうな人からシャイの人くらいには格付けされていてもおかしくはない。
そんなこんなで昼休みを終えたが、結局のところ彼女が今日何をするのか教えてもらっていない。
いつもなら、この時間で何をするとかどこへ向かうとか教えてくれるはずなんだがな。
こんな心配をよそに美緒は帰り際に、「玄関で待っててね」とだけ言い残して踵を返したのだ。
そのあとにシライさんに「やっぱり、二人とも付き合ってるでしょ?」と横目に言われた。
俺は苦笑いをしながら「美緒にも言ってあげてよ。きっと俺と同じことを言うと思うからさ」と質問の答えを濁した。
迎えた放課後。
がらんどうとした校庭。美緒を来るのを待っていると、太陽が紅くなってしまった。このまま月が昇ってしまうのではないかと危惧していたが、それも杞憂に終わりそうだ。
人の少ない学校の廊下を走る音が聞こえる。ぱたぱたと上靴を鳴らして、階段を降りてくる。
ようやく来たか。
音の鳴る方を向くと、彼女が息を切らして走ってきていた。
「ごめん賢ちゃん。待った?」
「まぁ、それなりにね。美緒はどうして遅れたの?」
「うんちょっとね」
また告白されたとか言い出すじゃなかろうかと、心臓をばくばくと破裂しそうなほど弾ませていた。
「先生と話しててね。転校した先の学校の話とか、困ったら俺に電話してこいだとか。俺はいつまでもお前の担任だぞとか。熱く語ってくれたわ」
そんなことか。さすがに担任の教師から告白はされないだろう。今のご時世何があるか分からないが、取り敢えず遅れた理由がそんなことで良かった。
「どうしたの賢ちゃん? ほっとした顔をしてるけど。何か心配事でもあったの?」
「え――!? いっいや、どうもしてないよ」
「嘘ね、顔に出てるもの。賢ちゃんはすぐに顔に出ちゃうんだから。気をつけたほうが良いわよ。そうじゃないと悪い女の人に遊ばれちゃうよ?」
しまった。顔に出ていたのか。自分が思っている以上に表情に感情が出てしまうのは、いけない癖だ。直しておかなければ、美緒に感情が筒抜けだ。
もっとも、今日の美緒も感情が筒抜けという点では同じだ。
口元が緩んでいる。ニコニコと子どものように何かを楽しみに待っているようだ。
「美緒も随分楽しそうだね。何か良いことでもあったの?」
「ふふ、分かっちゃう?」
分かるも何も、自分から機嫌が良いって言ってたじゃないか。
「そりゃ、そんなに楽しそうだと誰でも分かるよ」
「賢ちゃんには特別教えてあげる。タイムカプセルを掘り返しに行くのよ」
「誰と?」
美緒は正面を指差す。どうやら俺を指しているようだが、一応勘違いしてはいけないので後ろを振り向く。
時間も時間なので当然誰もいない。
「タイムカプセルって、あの?」
タイムカプセル自体は覚えている。どこに埋めたのかも、どういった経緯で埋めたのかもすべて覚えている。
ただ、忘れているのはその中身だ。
手紙を書いていた気がするのだが、とんでもない内容ではないことを過去の俺を信じるしかない。
それにしても、この時間から山に登るのか。でも、美緒のことだからこれから行くとか言うんだろうな。
「ええそうよ、良かった覚えていてくれて。忘れちゃってたらどうしようかと思ったわ。私も手紙のほかに何を埋めたのか覚えてないけど、タイムカプセルを掘り起こすとなるとやっぱり、わくわくしちゃう。ねぇ賢ちゃん、手紙になんて書いてあるかな?」
俺が手紙の内容を知っている訳ないだろう。
美緒はなんて書いたのかって聞いても、珍しく恥ずかしがって見せてくれなかったじゃないか。
「さぁね、俺にはさっぱり。それも楽しみにしておけばいいんじゃない?」
「それもそうね。早速だけどタイムカプセルを掘り起こしに行くわよ!」
彼女は俺の手を強く引く。
美緒が上機嫌だった理由もはっきりとし、こんな小さい秘密で頭を悩ませていたと思うと随分俺もおめでたい人間だ。
いや、色恋で頭を悩ませているのだ。元からおめでたい頭をしているのかもな。
ふと見上げる赤々と燃える空は山に近くなるにつれて、暗く黒く夜の衣装に着替えている。
この時間、時期で山に入ると、昔に美緒に連れられて山に入っていたことを思い出す。彼女はどんどん進むから迷子になってしまったのだ。
今日も今日とて変わらない。
自信に満ちた足取りで、ここ近年で舗装された道を歩く。
これでまた迷子になったら笑えないぞ。
彼女はそのことは覚えていないのだろうか。
だが、俺にもある程度身の危険に対しての察知能力はこの迷子以来、さらに極まったと言っても過言じゃない。
道を間違ったのなら、元に戻してやれるだけのことは出来るはずだ。
彼女の突発的な衝動には毎度のこと困らされる。
山に登りたいだなんて、俺には到底降っても湧いてこない衝動だ。同じ環境で同じ空気を吸って、同じ水を飲んで、同じ教育を受けてきたはずなのだが、ここまで違いが生まれるとは。
これは個人の感受性の違いか。俺は乏しいが、彼女はきっと尖っていて、豊かなのだろう。
彼女の目に俺や世界はどう映っているのだろうか。気になるところだが、確かめる方法はどこにもない。
彼女に直接聞いてみようかと思ったが、俺のことはどう見えているなんて恥ずかしいことを訊けるわけもない。
木々が風でざわめきだして、こんな時間に山に入っている俺たちに向かって、早く帰ってみたらどうだとお節介なことを言っていた。
次第に舗装された道から外れていき、森の中へ進んでいく。
先ほど道を間違えたら正してやれるとか言っていたが、この場合は道は間違っていないので大丈夫だ。
年の取った木の横を抜けて、沢の水を飛び越える。道祖神の仏像にあいさつをしたらもうすぐだ。俺たちだけの秘密の場所。
開けたところにひときわ大きな木が見えてくるはずだ。
「着いたわよ。ここね」
彼女が言った通り、目的地には何事もなく到着した。
「……?」
違和感が俺の胸に残っている。
子どもの頃に見た景色とはまるで違う。周りの木々はもう少し背が高かったはずだ。やかましくけたたましいほどの鳥の声、蝉の声もあったはずだ。
特別を感じてタイムカプセルを埋めたあの巨木が、ただの背の高い木に見えているのは俺が大人になったからか。
「どうしたの?」
美緒が顔を覗く。
「なんでもないよ。たださ、ここってこんなに静かな場所だったっけ?」
周りを見ながらそう言うと、彼女はクスクスと笑う。
何かおかしなことでも言ったかな?
「ふふ、おかしな賢ちゃん。ここは何も変わってないわよ。最初からこんなに静かだったでしょ? まあ、強いて言えば蝉の声が少し聞こえないってところかしら。さっ、掘り起こしましょ」
彼女は俺の手を離して、鞄から小さいスコップを二つ取り出す。
恐らくながら、くすんだ赤色のスコップは美緒の使うのだろう。一際汚れのない青のスコップは俺が使う。
あのときがそうだったように。
「はい、これ。賢ちゃんも頑張って掘ってね」
青のスコップを手を渡され、一息ついて地面を掘り始める。
子どもの体力と力で掘ったと考えれば、深くまで埋めていないだろう。と子どもの頃の俺の根気強さを侮っていた。
掘れど掘れどそれらしい物は出てこない。
手がすっかり土に汚れ、そのまま顔に滴る汗を拭くものだから顔にも当然汚れがつく。
どれほど掘っただろうか。すっかり日は落ちて、夜の世界が始まりを告げていた。
用意周到に懐中電灯を持って来ていた美緒は、俺と自分の両方を照らしながら頑張って土を掘り返していた。
ここから踏ん張り時だ。
疲労で怠くなっていた腕も気合を入れて、必死に動かす。
そんな中、聞き慣れない金属音が鳴り響く。
「あった! あったよ美緒!」
俺が慣れない大声を出して、金属製の箱が見つかったことを彼女に報告する。
「え!? ほんと!?」
「ああ本当だよ! ほら見てくれ」
彼女も箱を確認する。互いに顔を見合わせて頷く。
二人して箱を傷つけないように素手で土を掘り返す。
中くらいの箱だった。あの頃美緒が好きだったキャラクターをあしらった箱。これで間違いない。この中に何が入っているのか。
「開けるわよ」
静かに頷く。彼女はゆっくりと箱の蓋を外す。
中には、手紙が二通と当時大切にしていたおもちゃが三つと美緒のものと思われる人形が入っている。箱の底には川で見つけた綺麗な石が入っている。
そして、枯れてしまった四つ葉のクローバーが顔を出す。誰が入れたんだ。
まぁ、俺と美緒しかいないのだが。
「やっぱり、人形とか入れていたのね。あら四つ葉のクローバー、私が入れたものじゃない。……でもタイムカプセルとは言っても、時間そのものは入っていないのよね」
自嘲気味に彼女が呟くと、胸が締め付けられる。
「気になるのは、手紙の内容かな。はいこれ賢ちゃんの手紙」
「ああ、ありがとう」
現在の美緒からと過去の俺から手紙を受け取り、封を切る。
『二十年後の賢太郎へ。
ゆめだったまんが家にはなってますか? りっぱな大人になって、けっこんをして家族といっしょにたのしくすごしていますか?
みおちゃんとはずっとなか良くしていますか? みおちゃんは意外とさびしがり屋で、ほっておくと怒るのでちゃんと遊んでいますか?
親こうこうはしていますか? お父さんとお母さんと仲良くしていますか?
さいごに、この上のことが全部できている大人になっているといいな。
小学三年生の賢太郎より』
自分の言葉が、こんなにも自分に刺さるとは。
ごめんな、全部が出来ているわけじゃないんだ。夢だった漫画家もすっかり諦めてしまって、美緒には寂しい想いをさせてしまった。
お前が思い描く、立派な大人になんて成れていないのかもしれない。
許してくれ。俺はお前が思うほど格好いい奴じゃなんだ。起こることすべてに怖気づいているだけの小心者さ。
こんな姿を見たら、あの日の俺はなんて言うのかな。
……過去の自分の期待から逃げるのはもう止めにしよう。まだ目指せるはずだ。俺が思い描く立派な大人に。
「賢ちゃんの手紙にはなんて書いてあった?」
美緒も手紙を読み終わったのか、俺にそう聞いてきた。
「立派な大人に成れてますかとか、そんな感じ。美緒はなんて書いてあった? 本当は二十年後に開けている予定だったから、やっぱりそういう風に書いてあるの?」
彼女はゆっくりと首を縦に振る。
「私ね、素敵な旦那さんと結婚するのが夢だったみたい。女の子との夢はお嫁さんよね。あとは……賢ちゃんと仲良くしてますかとか」
書いてあることは大体似ていた。
二十年後に送る手紙は大方こんなものだろう。
彼女は手紙を降り、鞄の中に入れる。
そして独り言のように、まるで過去の自分と話しているように話し始めた。
「素敵な旦那さんってどんなのだろうね。私、どんな人と結婚するんだろう。まだ付き合ったこともないのに」
なぁ。と声に出したつもりだった。だけど実際に出した声は違った。
「美緒には、きっと素敵な人が見つかるよ」
訳が分からない。どうして意図と違う言葉が出てしまうのか。
「たとえば?」
言うな。やっぱり忘れてくれと言え。
「たとえば、ほら……キハラ先輩とか」
「もう、どうしてここでキハラ先輩が出て来るのよ」
「だってすごいいい人だって。それに美緒だって告白されたんだろ?」
表情一つ変えずに彼女はこう言った。
「私これでも人を見る目はあるんだけどなぁ。……賢ちゃんが心配しているその件はきっぱりと断らせてもらったわ。どう、これで安心したでしょ?」
「心配って。それに安心って」
「あら違う?」
いや、間違っていない。どこも。
彼女の言った通り、安心している。
俺はずるく悪い男だ。誰かの想いが破れて散って、それを彼女の口から聞いて安心しているなんて。最低だ。
それでも、この身勝手はほど湧き上がる想いは止められない。
「さぁ帰るわよ。お父さんもお母さんも心配しそうだし」
立ち上がり、彼女は先に歩き出す。
「私が思う素敵な人って、案外近くにいるのかもね」
美緒は俺にも聞こえるかどうかの小さな声で、きっと風の音に消えていることを願いながらそう言った。