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君がいない明日  作者: 宮城まこと
10/18

四日目②

「それで、そんなに眠そうなのね」

 眠そうな訳を聞いて、隣を歩いている美緒は俺の腑抜けた顔を見てそう言った。

 学校も一通り終わり昨日の雨はすっかり止んでくれ、午後には曇り雲すらなくなり綺麗さっぱり晴れていた。

 気持ちの良いほどの青空。時刻は四時半。そろそろ日が傾いてくる時間帯だろうか。

 空には烏が飛び、巣に帰っていく。遠くから聞こえる犬の声。近くでは野良猫がこちらを見てなにやら企んでいるように思える。

 俺たちが歩いているのはこの町唯一の商店街。

 肉屋がコロッケを作り、安くで売ってくれる。買い食いはしたことなかったが、丁度小腹がすく頃なので美緒に一緒に食べないかと誘ったところ、彼女にきっぱりと断られた。

 俺は美緒に手を引かれるまま、商店街に来たのだが目的地がどこなのか教えてくれない。

 唇に指を当てて、秘密。と言ったままこの状況に至る。

 しかし、あれだけ広いと思っていた商店街もこうして大人になってみると対した距離はない。鬼ごっことかをして遊んでいた頃が懐かしい。

 八百屋さんのおじさんとぶつかってしまったり、通行人とか自転車にぶつかりそうになったりと。なかなかやんちゃな事をしている。

 その甲斐あってか小学校では、商店街では鬼ごっこは禁止された。今でもあの校則は有効なのだろうか。

 そのとき、初めて怒られるために職員室に連れていかれた。


 美緒は、そう言えば参加してなかったな。友達と一緒になって遊んでいた俺を、危ないから止めなさいと年上ぶった口調で注意してくれていた。

 先生に誰が言ったのか知らないが、恐らく美緒だろう。

 みんなの為を思って心を鬼にして。

 しかし、俺は口にこそ出さなかったが不平不満を心の中に積もらせていた。

 実際に口々に出していたのは、友達の方だった。

 怪我をしていないから良いだろうとか、遊び場が減ったとか、誰だよ先生に言ったやつとか。なんとも自分勝手な事を言っていたものだ。

 あの頃の俺によく言っておきたい。自分が良くても他人にとって悪ければ、それはいけないことなんだと。

 もちろん、拳骨を添えて。

 あの頃は泣き虫だったから、そんなことをしてしまうと泣いてしまうだろう。

 楽しむなら他人に迷惑がかからない範囲でな。と付け加えておこう。

 商店街のあちこちで記憶の残像がちらほら見える。

 美緒と時々歩いたこの道。親に内緒で野良猫を世話したあの呉服屋の路地。あの猫は元気にしているだろうか。

 気になるが、確かめようがない。

 

 親におもちゃを買ってもらって、スキップをしながら帰ったこともあった。

 美緒に連れられて、駄菓子屋でお菓子を美緒に貰ったこと。おばあちゃんには随分可愛がってもらった。

 話を聞くと、俺の同じくらいの歳で同じ背丈な孫がいるそうだ。

 だからどうしても孫を俺を重ねて見てしまうらしい。店の奥の茶の間に招かれて、美緒と一緒にお茶とせんべいをご馳走になった。

 それなりに賑わっていたはずのこの商店街も、今は喧騒が嘘のように消え、僅かばかりの静寂が支配するのみだった。

 至る店はシャッターを下ろして、沈黙している。

 あの元気なおじさんがいた豆腐屋も今や、猫のたまり場になっている。

 駄菓子屋も、呉服屋も、おもちゃ屋も知らない間に閉店してしまった。

 最後だと分かっていたら買いに来ていただろう。

 世間から目を背けていた時期が本当に憎らしい。

 子どもの頃でも高齢だったおばあさんも、どうなっているのか。孫のところに行って幸せに暮らしているといい。

 おもちゃ屋で買ったおもちゃは大切に押入れの中にしまっている。

 閑散としてる商店街に美緒は俺を連れて何の用があるのだろう。

 彼女にはきっと目的があった行動しているのだと信じたいが、まさかやりたい事リストの一つをやろうとしてるのか。


 だったら、なおさら何をやろうとしているのかぐらい俺に教えてくれてもいいはずだ。

 書くほどの項目がアレにあったか?

 たしかに、空欄は一つだけあった。

 それがついに埋まったのだろうか。最後のやりたい事が見つかったのか?

 だったらだ。もう一度言うが教えてくれたっていいはずだ。

 俺にもそれぐらいの権利はある。知っておけば、こちらだって何かしら用意できるかもしれない。彼女の考えてくることはいかんせん、分かりにくい。

 まぁ分かったことの方が少ないけど。

 もう一回聞いて教えてくれなければ素直に諦めよう。

「ねぇ、今からどこに行くの?」

 美緒はいきなり立ち止まる。

 こちらを振り向き、指を差す。

「ここよ」

 ようやく目的地を教えてくれたのかと安心しながら、指差した先を見る。そこは近頃出来たお洒落な喫茶店。

 この商店街で唯一盛り上がっている場所と言っても過言ではない。

 俺みたいなやつが入って良いはずがない。恐れ多い勿体ない。

 カップル御用達。それも大人のだ。


 店長はまぁ若く、二十代後半または三十代でこの町のマダムに大人気。大人の魅力とかわけのわからないもので、一部の熱狂的な女子高生も通い詰めているともっぱらの噂だ。

 いわく、小さくてもいいから喫茶店をオープンをすることが店長の夢だったらしい。だからこの空き物件だらけの商店街を選んだのか。

 ここに作った理由で知って納得してもどうしようもない。

 彼女の目を見る限り、ここに入ることは決定してしまっているらしい。

 この放課後の時間帯。しまった。もし学校帰りのカップルでもいたらどうする。彼女は校内でも有名人、つまりは多くの生徒が彼女の顔を知っているのだ。

 もし、もしもの話だ。美緒と俺が一緒にこんなところに、いやこんなところとはいささか失礼した。こんな素敵でお洒落な喫茶店に入ったところ、および中で離しているところを見られると、よからぬ噂が校内を駆け巡るだろう。

 できることなら平穏無事に彼女を送り出したい。

 余計な波風はこの後の俺の学校生活の為にも、立たせるわけにはいかない。

「本当に入るの?」

 俺は思わず彼女に確認した。

「本当よ。それとも、私と入るの嫌なの?」

「そうじゃ……ないけど」

 歯切れ悪くそう言うけど、美緒だってここがどういう場所って呼ばれているか知っているだろ。恋人たちの憩いの場だぞ。


「じゃあ良いじゃない。早速入りましょ」

 断れない。絶対に。

 思い出したのだ。やりたい事リストにこの喫茶店にくることが書かれていた。これはもう、彼女に従うしかない。

 俺も気を取り直して彼女が満足するまで、付き合ってやるしかない。

 自分を鼓舞するんだ。ここで妙に辛気臭い顔をしていると彼女の機嫌を損ねかねない。ここが正念場だ。

「そうだな、行こう」

 チリンとドアについた鈴の音が鳴り、客が来たことを店員に告げる。

 手触りの良い木材をふんだんにつかったお洒落なインテリア。天井には小さいながらシャンデリアが。テーブル席は四つ。カウンター席が五つほど。

 本当にこじんまりとしていて、良い雰囲気の店だ。

 観賞用の植物の葉を滴る雫が窓から差し込む日の光で、反射して一層この店の雰囲気を大人びたものにさせる。

「いらっしゃいませ。二名様ですか? お好きな席にどうぞ」

 カウンターでグラスを拭いている噂の店長。

 整えられた髭と精悍な顔つき。高身長で、清潔な短い髪型。初対面で好印象を与えてくれる。この人が、この店が人気なのも頷ける。

 俺たちのほかに客がいたが美緒はそそくさと窓際の席に座る。俺も彼女の正面に腰を下ろし、メニュー表を開く。


「ここは一度来たかったのよね」

 美緒はメニューのデザートの欄を見ながらそう呟く。

「来たことなかったのか?」

 意外だ。こんなお洒落な店、近頃の女子高生はすぐに食いついていそうなものだが。部活が忙しくて来れなかったのかな。

「友達に誘われたんだけどね。ほら、こんな素敵なお店だから初めては大切な人とって思ったの」

 さらりとそんなことを言うものだから、俺も聞き逃すところだった。この場合は聞き逃したほうが良かったのか。

 彼女の言葉に俺は咳き込む。

「いやね、冗談よ。たんに部活が忙しかっただけ。友達を誘おうとも平日だし、元から賢ちゃんを誘う計画もあったし。まぁ台無しになったけどね。それに、今日はデザート類が半額な日なの。この時間はあんまり混んでないから丁度良いかなって」

 俺もデザートの欄を見て半額中という大々的な宣伝をしている文字を見る。

 だから買い食いを禁止したのか。

 それはそうと、元から俺をここに誘う恐ろしい計画が企てていたのか。どういう計画だったのか知りたいが、きっと意地悪な彼女のことだから教えてくれないのだろう。

 互いに頼むメニューが決まり、銀色のベルを鳴らす。

「はい、ご注文はお決まりでしょうか? って、筒井くん?」


 カウンターの奥から来たのは、俺に以前美緒とは仲が良いのと聞いてきた同じクラスの彼女だ。

 見られてしまった。誰の悪戯かは知らないがしかもまた彼女に。

 名前は、たしか……。

「シライさん、だったよね。こっ、こんにちは」

 シライ――すまないが下の名前は忘れた。

 たどたどしく挨拶をすると、彼女も快い笑顔で挨拶を返してくれた。

「ここでバイトしてたんだ。知らなかったな、ははは」

「おじさ――じゃなかった。店長が知り合いでさ。まさか筒井くんが来るなんて思わなかったよ」

 彼女は俺たちの様子を見てなにやら確信したらしく、意味ありげにニコニコと笑っている。

 おそらく彼女は勘違いをしている。俺と美緒がそういう仲だと思っている。

 これで否定するの何度目だろう。これは否定すればするほど現実味が帯びてくるというあれか。どうやって誤解を解こうか。

 美緒がいるところでそんなことを口にすると、かえって彼女がふてくされた林檎のように頬を赤くして不機嫌になってしまう。

「おじさんって言うな。まだこれでも二十代だ。さっさと仕事しないとお前の母さんに言いつけるぞ」

 カウンターで作業をしている店長がシライさんに一喝すると、彼女はそれだけは勘弁して。と手を合わせてお願いする。

「で、ご注文は?」


 シライさんはようやくウエイトレスらしく仕事し始めたので、俺たちの関係も顔の知っているクラスメイトから客と店員に戻る。

「私は、オレンジジュースとこの特製チョコレートパフェを一つお願いするわ」

「あっ、俺はコーヒーとチーズケーキを一つ」

「かしこまりました。他にご注文等、ございませんでしょうか?」

 美緒と顔を見合わせて無いもないことを確認する。

「大丈夫です」

「ではごゆっくり」

 彼女は頭を下げて、注文を店長に伝えに行く。

 ここで、また。と言った理由をそろそろ言わなければならない。

 それは今日の学校、授業の間の休み時間で起きた出来事だ。

 相合い傘をして帰った次の日。誰も見ていないと思っていたが、シライさんの一言で俺の考えは脆く崩れ去った。

 俺は案の定寝不足で、授業中も普段は絶対に寝ないがこのときばかりは睡魔に誘われるままに眠ってしまった。

 休み時間も例外でもなく、無論眠ろうとした。

 それでも薄目で近づいてきた影には気がついていた。女性の姿をしていたので美緒なのだろうと決めつけていた。


「ねぇ、筒井くんってさ。早田さんと付き合ってるの?」と耳にしたことのある声が突然そういうものだから、俺は起き上がった。

 そこにいたのがシライさんだった。

 どうして? と寝起きの頭と動揺で震える声で聞き返すと。

「だって、最近ここでお昼ご飯を一緒に食べてるし、昨日だって相合い傘で帰ったたでしょ。あたし見てたんだ」

 これが、また見られていたと言った理由である。

 そしてそのシライさんが、オレンジジュースとコーヒーをどこか危なっかしい足取りで運んでくる。

 俺は彼女が転んだりでもしたら大変だなと思いつつ、彼女にばかり視線を向けていた。

 目の前にいる美緒のふてくされた顔をしていることなど、飲み物が運ばれてきたあとから知った。

 オレンジジュースとコーヒーがテーブルの上に置かれ、俺は角砂糖を一つ入れスプーンで融かす。

 美緒はストローを入れ、口にする。

「あの子と、随分仲が良いのね」

 唐突に美緒がそう訊いてきた。

「そうかな、別に普通だと思うけど?」

「あら、私があいさつしても素っ気ないくせにあの子のときだけは鼻の下を伸ばしちゃって。賢ちゃんはああいう子が好きなのね」

「好きって……。そうじゃないよ。ただ、クラスメイトなんだから多少愛想よくしないと」

 馬鹿だ。愛想よくなんて不器用な俺に出来るはずがないってことぐらい、自分でも分かっているだろ。


 前に美緒に笑顔が良いって言われて、意識的にするようにしたんだ。

「愛想ね。じゃあその愛想を私にもちょっとぐらい振り向けてよ」

 美緒が珍しく怒っているように思えた。いや、拗ねていると言った方が正しい。

 一体どこで彼女の機嫌を損ねた? まずいことは口にして無いはずだ。理由もなしに彼女が不機嫌になるはずがない。

 どこかで俺が余計な事をしてしまったのだろう。

「なんでそんなに怒ってるんだよ。俺、気に入らないことをしたなら謝るからさ。ごめん」

「もう、賢ちゃんったらいつもそうやって謝ってばっかり。女性に高圧的な人もどうかと思うけど、腰が低いってもの考えものね」

「ごめん」

 彼女は機嫌を直してくれたのか、ふふっといつもように笑ってくれる。

「あーあ、拗ねてた私が馬鹿みたい。賢ちゃんは優しすぎるのよ。今度は私がその性格を直してあげないとね」

 危うく喧嘩しそうな雰囲気から一転、緊張の糸が解けていく。

 そして頼んでいたケーキとパフェが運ばれてきた。

 美緒が美味しそうにパフェを頬張る姿を見て、俺もチーズケーキを口にする。

 柔らかいスポンジ。そして口どけの良いしつこくない甘さ。これは何回でも食べに来たくなる。

「はい、賢ちゃん。あーんして?」


 何をいきなり、恥ずかしげもなくスプーンにパフェの生クリームをすくって俺に差し出しているんだ!?

 彼女は首を傾げて、早く口を開けて。と目で言っていた。

 誰も知らない場所でそんなことをするのは、まぁその、やぶさかではないがシライさんが見ているかもしれないここでするのは、どうかと思う。

 でも、また彼女が拗ねてしまうかもと思うとまだここで恥を忍んで口を開けていたほうが良い。

 俺は観念して口を開ける。

 ゆっくりと、スプーンを口の中に入れる。

「どう? 美味しい?」

「うん、美味しい」

「賢ちゃんは私にしてくれないの?」

「しないよ。されるならまだしも、するのはちょっと恥ずかしい……」

 彼女は、それもそうね。と笑ってまたパフェを食べ始める。

「また、来たいな……」

 ハッとして、自分の口から出てしまった言葉を取り消そうとする。

 まただなんて。もう来れないかもしれない美緒の前で俺はなんてことを。

 恐る恐る彼女の方へ視線をやると、遠い目をして窓の景色に想い馳せていた。

 視線の先に何があるのか気になって、俺も窓の景色を見る。

 空の果てが朱くなり始めている。茜色の空に一羽の鳥が横切り、山の中へと消えていく。耳をすませば外の音が聞こえてきそうなほど、茜色の世界は静かだった。

 劇的に変わることのない世界。それでも音もなく、俺たちの元に変化は訪れる。

 徐々に大人になっていく心と体。もうすぐで訪れる別れ。

 遅いようで早い時間はこうしている間にも流れている。


 この茜色の世界は時間さえも捕まえてしまえると思えてしまう。ここで手を伸ばしてみるほど俺も馬鹿じゃない。

 でも、捕まえられたらどれだけの後悔をやり直せただろうか。

「そうね、また来ましょう。ここのこと気に入っちゃった。一度だけだなんて勿体ないわ」

 彼女の瞳が夕日に照らされ、きらりと光った。

 俺はその光を見てしまわぬようにするのが、精一杯の努めだった。

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