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「あ、あの。この前どうして電車が止まるって分かったんですか?」
薫は、突然そんなことを口にした。観察対象の名前が江田薫と言うこと、小さな会社の事務をしていることは調べ済みだ。薫を見つけてから一日しか経っていないが、それだけのことを知るには十分すぎる時間だった。
昼になり、薫が街に出るのを見計らい、あえて視線に入る距離に入る。そうすれば、薫が片瀬と弥生に声をかけることは、時間データから分かっていた。片瀬が予測した通り、薫は二人を見つけ声をかけてきた。挨拶を交わし、何やら考え込んだと思ったら片瀬と視線が合う。そして先ほどの言葉を言った。
やはりそれを聞くか。薫にレコーダーの素質があることから、片瀬との会話を覚えていられる。だとするれば、そのことを聞いてくるのは予想が出来た。しかし、親切に答えるつもりもない。
「たまたまですよね。変なこと聞いてすみません」
片瀬が黙っていると、薫は早口にそう言う。後、三秒。三、二、一。
片瀬がカウントダウンをすると、薫の背後からやって来た青子と視線が合う。
「あれ? 片瀬に弥生じゃん」
「青子さん! 久しぶり」
青子が、驚いたようなふりをして言う。青子は運命の管理者の女性で、よくこうして街をほっつき歩いている。片瀬と弥生とも顔見知りだ。
「私は青子。よろしくね」
青子は、そう言って薫に手を差し出す。片瀬の意図を、状況を見てすぐに分かってくれたようだ。察しがよくて助かる。
薫の方は、されるがままに握手をしている。その表情からして困惑しているのだろう。
「なるほどね」
青子のそんな呟きが、片瀬の耳に入る。手を解放された薫は、挨拶をしてその場を後にした。
「どうでした?」
薫が去った後、事務的に青子に聞く。その言葉に、青子はわざとらしくため息を吐く。
「変な演技させといて、いきなりそれ? 私がここを通ることも分かってたんでしょ?」
「はい。直前まで分かりませんでしたが。青子さんのデータは少ないので」
悪びれもなく言えば、青子は諦めたように息を吐く。
「もう、いいよ。さっきの子だけど、今は可能性だけどあまりよくないね。そっちの仕事じゃない?」
「やはりそうですか」
青子は、手で触れると相手の運命を詳しく知ることが出来る。運命の管理者としての能力だ。それを知っていて、青子に薫の手を握ってもらうようにした。青子が言うなら確かだろう。
「じゃあ、私はこれで」
「青子さん、もう行っちゃうの?」
弥生が、つまらなそうに言う。気が合うのか、弥生は青子のことを気に入っている。運命の管理者を監督する立場として、仲良くなるのも少し考えものだが。
「私も忙しいの。みどりちゃんに怒られたくないしね」
同じ運命の管理者である少女の名前を出すと、青子は苦笑いをする。
「怒られるのは、いつものことでしょ」
弥生が意味ありげに返せば、青子もにやりと笑う。
「まあね。さて、そろそろお互いに仕事に戻りましょうか」
「そうですね。青子さん、ありがとうございました」
礼を言えば、青子はひらひらと手を振って返す。すぐに青子は、人込みに消えてしまった。
「さて、私たちも仕事に戻りますよ」
「はぁい」
今日は、これ以上薫に近づくのは危険だろう。ならば、その周囲の時間データを集める。片瀬と弥生も、雑踏の中へと足を進めて行った。
* * *
「見るからに怪しいね。隠れてるつもりみたいだけど、僕から言わせればバレバレだよ」
あくび交じりに弥生が言う。それをとがめることなく、片瀬は視線を男に向けたまま黙り込む。
今日はデートなのか、薫は良介と一緒にカフェでお茶を飲んでいた。離れているため会話こそ聞こえないが、その表情から楽しんでいることが分かる。田中良介は、薫と親しい間柄のようで恋人と推察された。
そんな二人から数席離れた場所で、一人の男が薫の方をうかがっていた。耳にイヤフォンをはめ何かを聞いているようだが、多分それは何の音も流していない。
男はさえない外見で、特徴と言えるものは特にない。どこにでもいるような、人のよさそうな男。しかしその視線は、どこか粘着質で異質だった。
「彼の時間データを集めます」
「ふぁーい」
あくびをしながら言ったので、間の抜けた返事になる。ふと、片瀬が身を隠していた物陰から一歩踏み出す。
「片瀬さん?」
つられるようにして、弥生も物陰から出る。するとタイミング悪く、薫に姿を見られてしまった。二人の姿を見た薫は、怯えたように一瞬表情を強張らせる。
「片瀬さん、わざとでしょ」
再び物陰に隠れた後、弥生が不思議そうに言う。片瀬がタイミングを合わせて、あえて薫の視界に入ったことは分かった。しかし存在を察知されたら、隠れていたいた意味がない。
「状況から判断するに、彼が江田薫に何らかの感情を抱いていることが分かりました。彼女にそのことを感づかれると面倒ですからね。それに」
「それに?」
「彼を油断させることも出来るでしょう」
片瀬は、表情を変えずに淡々と言った。その表情から、感情は読み取れない。きっと、それが最善だと思ったからしたのだろう。薫があの男のことに気がつき敬遠すれば、男がどんな行動を取るか分からない。それならば、今は注意を片瀬と弥生に向け、男を泳がせておいた方がいい。
「動きますよ」
席を立った男の後を追いかけるように物陰から出た。薫はすでに数分前に店を出ている。男は、薫が歩いて行った方向と逆方向に行く。
「さて、どうなるかな」
遠くから獲物をじっと見つめ、弥生は楽しそうに言った。
* * *
結論から言ってしまえば、男はストーカーだった。名前は川中拓也、年齢は二十四。職業は事務機器メーカーで修理を担当していて、勤務態度は至って真面目。薫とは、彼女が働いている職場に出向いた時に出会ったようだ。友人は少なく、薫のことを付回して一ヶ月ほど経つ。
「明日、動きます」
拓也が電話ボックスから出て来るを見て、片瀬が告げる。薫の自宅の電話番号を調べ上げた拓也は、無言電話をかけることが度々あった。その言葉を待っていたように、弥生が笑みを作る。
「思ったより早かったね」
「今日は、これ以上動きはないでしょう。帰りますよ」
きびすを返そうとした片瀬の足が、途中でぴたりと止まる。不思議に思い、弥生は視線の先をたどると、道の脇に一匹の猫がいた。
「片瀬さん、帰るんだよね?」
「ええ、帰りますよ」
帰ると言いながらも動こうとしない片瀬に、弥生が呆れたようにため息を吐く。片瀬は、ゆっくりと猫との距離を縮めている。
「片瀬さーん」
猫は、気持ちよさそうに片瀬になでられている。片瀬の猫好きは今に始まったことではないが、違和感を感じずにはいられない。
「いい加減に行こうよ」
ポケットから煮干でも出しそうな片瀬を、無理やり猫から引き離す。一瞬、名残惜しそうに猫の後姿を見たが、すぐに普段の片瀬に戻る。
「何ですか」
「片瀬さんとはペアを組んで長いけど、未だによく分からないなって」
何事もなかったかのように歩き出す片瀬を見て、弥生が珍しく疲れた顔で言った。
* * *
「こんばんは」
自宅に戻ると、ドアの前に司と和人が立っていた。
「こんな時間にどうしたんですか?」
「ちょっと、聞きたいことがあってね」
珍しく言葉を濁す司に、面倒事ではないといいがと思う。隣に立っている和人と目が合うと、体を強張らせ目をそらされた。それに気づいた弥生が、にやにやと笑う。
「立ち話も何ですから、中へどうぞ」
部屋の中へと二人を招き入れ、ソファーをすすめる。飲み物を用意して戻ってくると、司が口を開いた。
「こんな時間にごめんなさいね」
「別に構いませんよ。それで、聞きたいこととは?」
すると司ではなく、それまで黙っていた和人がおずおずと話し出す。
「あの、おれタイムキーパーになったばっかりで、まだ分からないことが多いんです。それで、その、コツみたいなものを教えてもらえたらって」
「そんなものありませんよ」
「で、でも。片瀬さんは、優秀なタイムキーパーなんでしょう? だったら……」
食い下がる和人の言葉が途中で止まる。片瀬の視線が、一気に冷たくなったからだ。
「あなた、このままでは命を落としますよ」
「え……?」
和人は、困惑したように言葉を詰まらせた。弥生は傍観することを決めたのか、珍しく大人しくしている。
「我々は、死なないと思っていましたか? 身体能力は、普通の人間だったころより高くなっていますが、怪我もするし致命傷を受ければ死にます」
血の気の引いた顔で、和人は黙って片瀬の言葉を聞いている。これは、司も苦労しているな。司に視線を向けると、申し訳なさそうに目を伏せられた。
「タイムキーパーとしての自覚がないままでは、ペアである司にも危険が及びかねません。それが分かっているのですか?」
「そ、それは……」
片瀬の言葉に、和人は体を硬直させる。ふと、黙って成り行きを見守っていた司が口を開いた。
「これはお願いなんだけれども、二人の仕事を和人に見せてほしいの。実際に見た方が実感もわきやすいと思うのよ」
「僕はいいよ」
のんびりと返す弥生に、司の表情が少しだけ緩む。その場の三人の視線が、片瀬に集まる。
「明日動きがあります。邪魔をしないならば構いません」
「ありがとう」
安堵したように、司は笑顔を見せる。少し遅れて、和人も「ありがとうございます」と言う。
「明日が楽しみだね」
満面の笑みで言う弥生に、和人が表情を再び強張らせた。