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仕事の合間の昼休み、薫は街へ出ていた。たまには外食をしようと思い、お気に入りのパスタ専門店へと足を向ける。午後も仕事があるので、ニンニクを使ったものは避けたい。定番のクリーム系かな、そうメニューを頭の中で思い浮かべ歩く。
「あれ? 確か、あの人って」
人込みに紛れ、見知った顔を見つける。一瞬ためらった後、思い切って声をかけた。
「この前はどうも」
「あ、お姉さん」
片瀬と側にいた子供に声をかけると、元気な声が返ってくる。見た目通り、活発な子供のようだ。明るい笑顔の子供とは対照的に、片瀬の瞳は冷ややかな色を浮かべている。
しかし、よくよく考えてみたら不思議な組み合わせだ。重役風の片瀬と、中学校に通っているくらいの年齢の子供。親子と言うにはあまりに似ていないし、年齢差から考えてもおかしい。
そう言えば、この前見たミステリードラマの探偵が、こんな感じではなかったか。冷血漢の男性探偵が、両親を失った姪っ子と共に事件を解決していく。ラストに、明るく純真な少女を通して、男性が他人に心を開くのがよかった。
もしかして、この二人も何か秘密があるのでは? そんな妄想に近い、推理をしていると片瀬と視線が合った。射抜くような視線に耐え切れず、思わず目を逸らす。すぐに失礼だったと思い、頭に浮かんだことを聞く。
「あ、あの。この前どうして電車が止まるって分かったんですか?」
聞いた後に後悔する。そんなの、たまたまに決まっているじゃない。表情一つ変えない片瀬に萎縮してしまう。
「たまたまですよね。変なこと聞いてすみません」
早口でそう告げ、何とかその場の空気を変えようとした時、背後から女性の声がした。
「あれ? 片瀬に弥生じゃん」
「青子さん! 久しぶり」
弥生とは、片瀬の隣にいる子供のことだろう。弥生は女性のことを「あおこ」と呼んだが、愛称にしてもかなり変わった名前だ。一体どんな女性なのだろうか。その姿を見て、薫はもう一度驚いた。
サイズの合っていない大きなパーカーに、胸元とおへそが見えるインナー。デニムのショートパンツからは、長い素足が伸びている。極めつけに、おかっぱ頭の上にサングラスを乗せていた。一見するとちぐはぐだが、なぜか青子にはよく似合っている。
「あなた、この二人の知り合い?」
「知り合いと言うか……」
人懐っこい表情で見つめられ、薫は言いよどむ。戸惑う薫を無視して、青子が手を差し出した。
「私は青子。よろしくね」
「よろしくお願いします……」
されるがままに、青子に手を取られ握手をする。すっかり、青子のペースに巻き込まれ、薫は混乱した頭のまま返す。
(この人たち、何者なの?)
そんな思いも口には出せずに、作り笑顔で何とか対応する。
「なるほどね」
そう聞こえるか聞こえないかの声で青子が呟くと、手を解放してもらえた。いつもの推測も、この時ばかりはする余裕もない。
「それじゃあ、これで失礼します」
薫は早口に言うと、これ以上長話になる前にその場を後にする。背中で弥生が「またね」と言っていたが、正直もう関わりたくないなと思った。
* * *
「修理終わりました」
コピー機と向かい合って作業をしていた男性が、遠慮がちに声をかける。その声で薫は、キーボードを打つ手を止めた。
「ご苦労様です」
業者の男性はどこかおどおどしていて、失礼だが本当に大丈夫なのかと心配になる。気が弱そうだが、人のよい顔をしていた。
「インクが詰まっていました。他も見てみましたが、機械に異常はないようです」
説明する時はよどみなく言葉が出てくる。コピー機の修理を頼んで男性が来た時は、あまり頼りなさそうに見えたが、やっぱりプロだなとその姿に思う。実際に、男性が修理を終えるまでにさほど時間はかからなかった。
「では、また何かあったらお電話ください」
荷物をまとめる男性が手を滑らせ、かばんを落としてしまう。ずいぶんと慌ててるな、それともそそっかしいのかしら。この男性を見る限り後者だろう。薫はかばんを拾い男性に手渡す。
「どうぞ」
「あ、す、すみません」
男性が余りに慌てるものだから、薫は少し笑ってしまう。薫の反応に、男性はわずかに頬を染める。
「すみません。気をつけて帰ってくださいね」
「は、はい」
自分も最近まで仕事の勝手が分からず、よく慌てては藤堂に笑われていたことを思い出す。男性に自然と親近感がわき、心の中で応援する。
(新人なのかな? お互い頑張りましょう)
笑顔で見送っていると、背後から声をかけられる。
「江田、何に一人でにやにやしてるんだ?」
「藤堂さん。別に、にやにやしてませんよ。エールを送ってたんです」
薫の言葉に、藤堂は首をかしげる。
「よく分からないが、このまま昼休憩に入っていいぞ。その代わり、午後は忙しいからな」
「分かりました。ありがとうございます」
昼休みまではまだ少し時間があったが、藤堂の気遣いに素直に甘える。午後のことを考えると少し憂鬱だが、その分昼に長く休憩が取れるのでよしとしよう。
「私も頑張ろう」
薫は小さく呟き、自分を励ます。財布を持つと、邪魔にならないように外に出た。