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時計仕掛けの機械人形  作者: 彼方
江田薫の非日常
1/7

 人目につかないように、(かおる)はそっとため息を吐く。今日も残業だ。パソコンの画面で時刻を確認すると、定時から一時間ほどが経っていた。


(今日は、コンビニで新作スイーツを買って帰ろう)


 頭の中で、とろとろの食感が売りのプリンを思い浮かべる。本格的なスイーツを売りにしていて、今まで食べた物はどれも薫を満足させていた。最近甘い物を食べ過ぎな気もするが、頑張った自分へのご褒美だと納得させる。その味を想像しながらも、キーボードを打つ手は止めない。

 薫は元々甘い物が好きだが、疲れた時に食べるスイーツは格別で、日々のモチベーションへと繋がっている。そう人に話すと単純だと笑われるが、単純で結構。上手くストレスを発散していると言って欲しいものだ。


「よし、終わった」


 最後の数字を入力し終え、疲労の溜まった体をほぐすように肩を回す。パソコンの電源を切り帰り支度を始めていると、隣のデスクの藤堂(とうどう)が頭をかく姿が目に入った。


「藤堂さん、難しい案件ですか?」


 藤堂が頭をかくのは、考えが煮詰まった時にする癖だ。ひょろりとした長身を大きく伸ばして、薫の方に視線を移す。その顔には疲労が浮かんでいた。


「ああ、面倒なのが回ってきてな。江田(えだ)はもう終わりか?」

「はい。申し訳ないんですけど……」

「いいって、気にするな。それより帰り道気をつけろよ」


 藤堂はひらひらと手を振ると、笑顔を向ける。些細な気配りの出来る藤堂の存在は、仕事をする上で大きな支えになっていた。先輩よりも先に帰るのはいささか気が引ける。だが新人の薫に手伝えることでもないので、その言葉に甘えることにする。


「では、お先に失礼します」


 デスクの下からカバンを出すと、薫はその場を後にした。


* * *



 夜の色に染まりつつある街に、飲食店などの明かりが存在感を放っている。時刻は夜の六時過ぎ。今日のおかずは何にしよう、さっぱりとした物が食べたいな。そんなことを考えながら歩いていると、肩に何かが当たり薫はそのまま体勢を崩した。その場に見っともなくしりもちをつくと、ぶつかって来た誰かはそのまま歩き去ってしまう。


「もう、最悪」


 恥ずかしさと痛みから呟くと、目の前に手が差し伸べられる。


「大丈夫ですか?」

「あ、ええ。ありがとうございます」


 差し出された手を遠慮がちに掴むと、そのまま立ち上がった。ひんやりとした手の感触に、一瞬どきりとする。

 助けてくれた人物に目をやると、意外にも無表情だった。黒いスーツを着込んだ男性は、二十代半ばほどに見える。男性の服装に疎い薫でも、そのスーツが仕立てのいい物だと分かった。眼鏡をかけたその顔は、少し神経質そうにも見える。

 違和感を男性に感じて、薫は内心首をかしげる。人を寄せ付けない、厳しさのようなものを感じるが、こうして親切に手を貸してくれた。スーツを着込んでいるが、風貌からすると平社員という訳ではなさそうだ。


(もしかして、どこか大きな会社の重役? それにしては若すぎるような)


 ミステリードラマが好な薫は、いつもの癖で自然と推察してしまう。


「お姉さん大丈夫? 片瀬(かたせ)さんの顔が怖いから怯えてるよ」


 男性のすぐ横から声がし、そちらを見やると中学生くらいの子供がいた。少年とも少女とも取れる顔つきの子供は、隣の男性をからかうように笑っている。ショートカットと膝丈のオーバーオールも相まって、活発そうな印象を受けた。


「そんなことは」


 まずい、じろじろ見すぎたかも。不躾だったよね。心の中で反省し慌てて返せば、片瀬と呼ばれた男性は黙り込んでしまう。気を悪くさせたかと不安になれば、片瀬がゆっくりと口を開く。


「あなた、帰りは電車ですか?」

「ええ、そうですけど」


 唐突な問いに戸惑いながらも返答すると、意外な言葉が返ってくる。


「なら、他の交通機関を使うことをお勧めします」

「え?」


 片瀬の意図が掴めず、薫は間抜けな声をもらす。それだけ言うと、片瀬はきびすを返してしまう。


「お姉さん、僕もその方がいいと思うよ。じゃあね!」


 屈託のない笑顔で側にいた子供が言うと、片瀬の後を追ってそのまま去ってしまった。二人はあっという間に人の波に溶け込み見えなくなってしまう。


「何だったの?」


 残された薫は呆然と呟く。やがて人の邪魔になっていることに気がつくと、足早にその場を後にした。



* * *



「おはようございます」


 翌日、出社するとすでに数人が立ち話をしていた。自分のデスクに着き、カバンを下ろすと藤堂が声をかける。


「昨日は参ったな」

「何かあったんですか?」


 昨日、藤堂は難しい案件を抱えていると話していた。しかし、自分に共感を求めてくる言い方に違和感を感じ、薫は質問を投げかける。


「何って、江田は電車通勤だろ?」

「そうですけど。それがどうかしました?」


 全く会話がかみ合わない。藤堂が不思議そうな顔をするが、何かおかしなことを言っただろうか。意味が全く分からないと、薫も少し怪訝そうな表情をする。


「江田が帰った後、人身事故が起きてしばらく電車が動かなかっただろ。駅に着いたら、人が溢れててえらい目に遭った」

「人身事故?」

「おい、本当に知らないのか? 江田が駅に着く頃に事故が起きはずだけど」


 それを聞いて、昨日の記憶がよみがえる。普段は前述したように電車を使っているのだが、昨日は違った。街で会った男性、片瀬に電車で帰らない方がいいと言われ、気まぐれでその通りにしたのだ。

 家に帰ってからは録画していたドラマを見ていたので、ニュースは見ていない。朝もぎりぎりまで寝ていたので、テレビを見る時間はなかった。つまり、人身事故のことは知らないのだ。


「昨日はバスで帰ったので」

「運がいいな。俺なんていつもより一時間余計にかかったぞ」


 片瀬はどうして、電車を使わない方がいいなどと言ったのか。あの時点では、まだ事故は起きてなかったはずだ。突発的なことだけに、誰にも分かる訳などないのに。


「何か難しい顔してるけど、大丈夫か?」

「あ、何でもないです」


 きっと、たまたまだろう。そう思い、薫は話題を切り上げた。始業時刻までにすることはたくさんある。薫は思考から片瀬のことを無理やり追い出した。



* * *



「でね、朝から忙しかったんだよ」

「薫も大変だな」


 携帯のストラップを指に絡ませながら、良介(りょうすけ)に愚痴を溢す。スピーカー越しに、良介の労わる声が聞こえる。仕事が終わり、自宅で良介と話す時間がやはり落ち着く。

 見えないのをいいことに、部屋着のままベッドにだらしなく寝そべったままだ。付き合って二年も経つと気が抜けてくる。だらしないなと言いつつも、良介なら笑ってくれるだろう。それでも恋人にこんな姿は見せられないな。


「良ちゃんは凄いよね。職場での評価も、成績だっていいし」


 それに比べて、私は……。そんな言葉を、薫は飲み込む。

 食品会社の営業をしている良介は、入社二年目だが成績もよく、上司や同期との関係も良好らしい。それは単に良介の人柄だけではなく、努力を惜しまない性格もあるのだろう。

 物腰が柔らかで、冷静沈着。顔だって、ひいき目に見てもかっこいい。本人は垂れ目がちなのを気にしているが、逆にそれが親しみやすくて好感がもてる。それだけに、女性社員からも人気があるらしく、薫としてはあまり面白くない。


「薫、仕事で何かあった?」

「ううん。今の職場は嫌じゃないんだけど、私って流されてばっかりだなって」


 薫の心情を読み取り、寄り添ってくれる良介につい甘えてしまう。よくないと思いつつ、良介に度々愚痴を溢している。


「薫は流されやすいんじゃなくて、人の気持ちに合わせることが出来るんじゃないかな」

「そうかな」

「薫はもっと自信を持った方がいい。大丈夫だよ」


 優しい声音に、心が温かくなる。良介が言う、「大丈夫」が薫は大好きだった。その場限りの励ましではなく、心から薫のことを信じ応援してくれている。良介の「大丈夫」は不思議な力があるようで、たちまち暗い気持ちもどこかへ飛んでしまう。


「えへへ。ありがとう」


 薫は、幼子のように表情を崩して笑う。ふと部屋の時計を見ると、かれこれ一時間ほど話していた。


「もうこんな時間。良ちゃん、明日早いんだよね?」

「本当だ。じゃあ薫、また今度ね」

「うん、おやすみ」

「おやすみ」


 通話を切ると、急に寂しさが襲ってくる。お互い仕事を持っているため、毎日電話をするわけにはいかない。それだけに、時間が過ぎるのがあっという間に感じる。


「おやすみ、良ちゃん」


 気を紛らわすようにベッドにもぐり、そのまま薫は目を閉じた。

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