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幼い少女は、白い布を身に纏い、身長の数倍はあろうかという黒い機械に手脚を拘束されていた。
その肌は瑞々しく、整った顔はこちらをキッと睨み付けている。
年の頃は10歳前後だろうか。あの生意気な地球の女神が幼かったらこんな感じかもしれない。胸もぺったんこだし。
いや、そんな事はどうでもいい。どうでもよくないけど。
この状況で生きている。
もしかして、本当に女神が封じられたのだろうか。俺の知る女神を見るに、生半可な方法じゃ傷一つ付ける事も難しそうだったというのに。
「よ、よう」
とりあえず、コンタクトを取ろうとした。
だが、幼い女神はこちらを睨み付けているだけだ。よく見ると、その表情は異常だ。血走った眼で殺意まで感じられる。
普段なら可愛い女の子から睨まれるのは大好物だが、状況が状況だ。あんなモノを見た後では罪悪感しか感じない。
この施設が女神をどうにかするためのものだったのなら、獣人達の犠牲で女神が拘束されたこの状況が作り上げられたのだろう。
ましてや、今の俺に人類代表として弁解する様な言葉も、立場も無い。この世界に転生させられてきただけの部外者なのだから。
だが、この状況を見ているのは心苦しい。地球の女神も、きっと何かさせたくて俺を転生させたに違いない。
「……」
射殺す勢いの視線に耐えながら、幼い女神が拘束されている黒い機械に近付いた。
幼いながらも神聖さを感じる顔、すらりと伸びた肢体、大事な部分が申し訳程度に白い布で隠されている。
現代世界だったら、非常に犯罪臭のする光景だ。俺はなるべくそれを見ないように、拘束機械に添え付けられているパネル式のコンソールをタッチする。
『操作には所長以上の生体認証が必要です』
画面に表示された否定の意味。
人間はもう全員死んでしまっている。無理だ。
そもそも、この幼い女神を解放したら、次は八つ当たりで獣人達に呪いをかけるかもしれない。
女神の思惑がどうあれ、俺にはそんなリスクは犯せない。
女神達には悪いが、ルト達獣人には先を見据えて幸せになって欲しい。
この地獄は再び封印して、全て見なかった事に……。
許されない行為かもしれないが、愚かな行為かもしれないが、この中を見られたら俺は一生修復できない溝を作られてしまうだろう。
私利私欲のため、こんな事をするのは馬鹿げている。
ルト達に余計なショックを与えないため、なんて綺麗事では取り繕えない人間の罪だろう。
「……」
俺は無言で、この重い空気の部屋を出て行こうとした。
「……して……」
背中の方から、何か絞り出すような声が聞こえてくる。
「……こ……ろして……」
「……う」
嘆願。
幼き女神からの助けを求める声。
死を望む意思。
「……ころして……ください」
振り向くとそこには、顔を苦痛に歪め、涙を流す幼い女神がこちらを見詰めていた。
辛いのだろう。何が辛いのかはわからない。もしかしたら、本当は守るはずだった人間達を呪いで殺してしまった事かもしれない。そうじゃないのかもしれない。
だが、俺は頼まれていた。
そして、バックパックからハンマーを装備して、決断した。
* * * * * * * *
数時間前。
あたし──ルトは、深夜に出掛けるてんせーしゃんの姿に気が付いた。
野生の勘というやつだろうか、あたし達獣人は気配に敏感である。
とりわけあたしは、その中でも優れた感覚を持っている。
いくらこっそり抜け出そうとしても、夜中のトイレや、そこに長時間こもって何かをしている事もばっちりお見通しなのだ。
「わくわく」
あたしはずっと、てんせーしゃんに興味があった。本当はもっともっと強い何かだけど、この気持ちをうまく表現出来ない。
パパに聞いたら、大人になればわかるらしい。
ママは、てんせーしゃんのそばに居ればわかると言っていた。
「今日は~どっこに行っくのかな~」
というわけで、尾行を日課とし始めて、今に至るのであった。
てんせーしゃんは抜き足差し足で気付かれていないと思っているが、あたしからすればまだまだである。
呼吸、風向き、経路、いくらでも要素がある。
本当に気配を消して移動するというのは、人間種族はまだまだである。
視界に入らず無音で尾行し続けて、辿り着いた。
夜の教室。
「も、もしかして誰かと……夜の教室で……」
あたしは、わなわなと尻尾を立て、顔には怯えと苛立ちが混じった不思議な表情を浮かべてしまった。
そんな謎の不安も束の間、てんせーしゃんは何かで開かずの扉を操作し、奥へ入って行ってしまった。
今までの尾行からして、こんなケースは無かった。
「あれ、なんだろ」
開け放たれた扉から漂ってくる、嗅ぎ慣れない臭い。
警戒しつつ追跡再開しようとした。
だが一歩、扉の中に入ると白骨死体が目に入った。
「……っ!?」
一瞬、耳から尻尾まで毛を逆立ててしまったが、尾行の最中ともあって声は抑えた。
ここが非常にやばい場所というのを一発で理解した。
「あ、あたしがてんせーしゃんを守らなきゃ……」
中には夥しい数の、獣人による実験の跡。
驚いたし、恐かった。だけど、あたし以上にてんせーしゃんが衝撃を受けていた。
時には涙し、時には嘔吐し、時には放心した。
自分の種族ではない、関係無い獣人達のために。
「てんせーしゃん……」
彼は、あたし達より身体も弱いし、心も優しいが故に弱い。
だから両方で守ってあげなければ。
そう心に誓った。
だが、今の自分ではまだダメだ。
彼は1人でここに来たかった理由もあるのだろう。
あたしがいつか対等な立場になれるまでは、その背中を見詰めていよう。