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てんせーしゃんの様子がおかしい。
やっぱりだ。
わかっていた。
「ロギィィイイイイ!! お前を見てると無性に殺したくなってくるんだよおおおお」
てんせーしゃんの口から響く、今まで聞いたことのないような不快な叫び。
ただ殺したいというだけの殺意の塊。
大量虐殺者の賛美歌。
あたしは知っている。知っているから止めなければいけない。
「ルト、預かっていたコレ、必要だろ?」
ベルゼビュートの手にある、1本の枝。
ただの木の枝。
ただの神殺しの宿り木。
その裏切りの名前は、今のあたしにぴったりだ。
女神様もそれを分かって渡してくれたのかもしれない。
「レーヴァテイン、ちょっとだけ使わせてもらうね」
手に取ると、大量のエーテルを吸い取られていく。
だが、足りない。まだ足りない。
早く、お願い早く。
* * * * * * * *
またあの夢だ。
誰かの衝動に任せて、周りの人間を殺そうとする夢。
あの時のように、見ているだけしかできない。
こいつは誰なんだ。
まぁ別にいいか。
今は、目の前のロギを殺そうとしているだけだ。
別に殺してもいいだろう。
だって、こいつは悪い事をした奴なんだ。
悪い事をした奴は殺されて当然だ。
お、おれのてが、ミョルニルをふりあげる。
さぁ殺そう。
死んだルトパパのカタキも取れる。
しらねーけど、たぶんそうだろ。
もうそれでいいよ。
だってさ、独りよがりで悲劇の主人公気取ってきもちわりーじゃん。
ひとごろしはひとごろしだよ。
ミョルニルにエーテルがこめられていく。
めんどーなやつは殺す。
それが正ぎだろ。
やっとキョーカンしてくれたか。
ほら、あのロギのまえに立ちふさがってるハーピーも一しょに殺せよ。
フーリンだったっけ、あいつも肉かいだ。
殺れ。
殺れ。
殺れ。
お、おおおおおおれはみぎてをふり──。
「悪役令嬢の私が! こんな小物の悪役に……負けてなるものですか!!」
そうだ、俺は死んでもめげない。そうよ、私は死んでるけどめげない。
振り下ろした右手を力一杯横へずらす。
暴力的な衝撃波は、若干だがロギとフーリンから離れた。
だが、その強力すぎる余波で二人は、台風の中の紙くずのように吹っ飛んでしまった。
ああ……なんて事を……。
俺の抵抗も虚しく、身体と心が離れていってしまう。
感覚も薄れていき、誰かの視点を映画館で見ている感じになってきた。
誰かが動かす、機敏な俺の身体。
誰かが狂ったように笑い声をあげていた。
誰かがミョルニルを掲げ、神の雷を思わせる極大のエーテルを放とうとしている。
今の俺には分かる。
全員死ぬ。
瞬間、俺の身体を細い木の枝が貫いた。
ルーン文字が爛々と輝き、所持者であるルトは悲しそうな顔をしていた。
* * * * * * * *
「フーリン! ねぇフーリン嘘でしょ!」
ルニル……いや、ミョルニルの悲痛な叫びで、俺の意識が戻った。
しっかりと、やってしまった事の記憶が残っている。
見回すと、クレーターではなく、底の見えない大穴が空いている。
俺が正気の時に放った一撃とは比べものにならない。
細い木の枝に貫かれた場所を手で触るも、不思議と傷はなかった。
そして──。
「フーリン……?」
彼女の身体が右半分無くなっていた。
それを抱きかかえる、人型に戻ったミョルニル。
「フーリン……なぜ僕の前に立った……」
いつもと違う雰囲気のロギ。
現実と思いたくない。
「フーリン……誰か医者を……ダックワーズなら……」
「申し訳御座いません、レイジョ様。残念ながら即死です……」
ダックワーズから、無常な答えが返ってくる。
「そんな……」
俺が殺した。
俺がこの手でフーリンを殺した。
お菓子作りを頑張って、やっとの思いで救った。
恥ずかしがる俺とロギに感謝を告げて、自由を取り戻したばかりだ。
独りぼっちだったロギに寄り添って、奴のために泣いてくれていた優しい娘。
「転生さん、フーリンを助けたいですか?」
「ルト……何を言って……」
目の前に立つのはルトだが、何か雰囲気が違う。
「覚悟があるなら転生さん、ミョルニルを使って肉体を治してあげてください。それが出来るはずです」
「ミョルニル……できるのか?」
俺は消え入りそうな声で訪ねた。
「……これだけの身体が残っていれば肉体は修復できますが、フーリンの魂であったエーテルがもう」
「それはボクがやります。霧散しきってしまう前に急いで」
「わ、わかった! ミョルニル!」
俺は右手に金のグローブを……出なかった。
エーテルを使い果たしてしまっていたのだ。
「くそっ! エーテルがもう……」
「本当は傍観しているつもりだったが……どれ、我が一肌脱いでやろう」
誰の声だ? と疑問に思う間もなく、俺は角と羽根の生えた悪魔に唇を奪われていた。
ちょっと待て、今の声は野郎の声じゃ……。
「んんんんんんんぶうううううう!?」
「べ、ベルゼビュート様になんて事を……羨ましい」
やわらかぁ~い、オゲエエエエエエエエ!?
現在、どうなっているかは表現したくない。
だが、不思議とエーテルが、今までにないレベルで身体中にみなぎってきていた。
野郎とディープキスとか、今は後悔している暇はない。
金のグローブ──いや、金の腕を生み出し、ミョルニルの手を掴む。
「頼んだ、ミョルニル!」
「はい、天性様!」
ミョルニルとフーリンは光に包まれ、そのボロボロだった身体が急速に再生されていく。
服はそのままなので、あられもない姿だが……今はそんな事を言っている場合ではない。
「それじゃあ、後はボクの役目ですね」
いつの間にかルトの手には、長く美しい直剣が握られていた。
というか、口調がいつもと違うような。ボクっ娘だったっけ。
「布都御魂よ……天に上る魂をあれなる人身に下ろせ!」
ルトから尋常ではないエーテルが放出され、空へ向かって広がっていった。
そして、それらが天から降り注ぐようにフーリンの身体へ飛び込んでいく。
「っはぁ……はぁ。ここまで広がった魂を戻すのは、下級第三位相手と言えど凄い大変なんですよ……。後で沢山褒めてください」
そのままルトはグッタリとしてしまった。
心配だが、正常な呼吸はしているので休んでいるのかもしれない。
「あ、あれ。皆さん、おはようございます」
「フーリン!」
何事も無かったかのように上半身を起こすフーリン。
もちろん、ゾンビではない。
身体は元通りで、喋っている言葉もあ~う゛~という呻き声ではない。
本当に本当のフーリンだ。
俺は、自分のボロボロのシャツをフーリンに渡してあげた。
こっちは下着丸見えだし、フーリンも大して隠すことができないけど、何も無いよりはマシだ。
「ふ、ふん。せっかく1度は助けたんだから、勝手に死なれたら困るわ」
「はい! レイジョ様!」
つい心にも無い口調が出てしまう。
何かもう、俺でありレイジョ様である感じだ。
さっきもレイジョ様の声が聞こえてきて、俺を助けてくれたような気も……。
さすがに気のせいか。
「フーリン……なぜお前は僕の前に立ったんだ?」
もう戦意もなく、ただ立ち尽くすだけのロギ。
ミョルニル2発目の直撃を避けたとはいえ、普通に喋っていられるのはさすがである。
「あ、あはは。身体が勝手に動いちゃって……迷惑でしたか?」
「迷惑だ……僕をかばってまた誰かが死ぬなんて迷惑でしかない……」
「そう……ですか……ごめんなさい」
フーリンは、心底申し訳なさそうに謝る。
彼女が謝る必要は無い。
そんな事は俺でも分かる。
だけど、その言葉の本当の意味も分かってしまっている。
「またロギさんに辛い思いをさせてしまうところでしたね。本当にごめんなさい」
「謝るな……」
消え入りそうな声を発して、ロギは背中を向けてしまった。




