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もう何時間も戦ったような疲労感。
だが、現実時間では10分かそこらだろう。
俺のライトアーマーだった物は金属の留め具が弾け飛び、装甲の裏を留めていた革紐はちぎれてどこかへサヨナラしていた。
高額な耐エーテル装甲も、宝石も辺りに散乱していて、それはもう鎧の体を成していなかった。
「良い格好になったな、レイジョ様」
普段ならお色気シーンなのだろうが、顔面までボコボコになった女性でそれは無理だろう。
身体中の至る所、打撲で内出血がない部分を探す方が大変という状態だ。
「あなたもね、ロギ」
最初に視界を奪えたアドバンテージは高かった。
徐々に回復しつつあるらしいが、その時に与えたダメージや、目のかすみ具合で五分五分だ。
本来なら全身に激痛が走って動けない状態だが、今は脳内麻薬がドバドバ出ていて逆に快感でもある。
だから、ひたすら相手に全力でぶつかる。
「なぜだ、なぜお前は折れない!」
ロギの右ボディ。
最初よりは速度が落ちているが、俺の方も動きが鈍っているために、モロに腹へめり込む。
俺は胃の中の物がせり上がってきて、そのまま地面へぶちまけてしまう。
「おごォッ……」
「お前如きが僕に勝てるはずないだろ、いい加減に分かれ!」
吐くために低くなった体勢の後頭部を踏まれ、顔面が吐瀉物の中へ擦り付けられる。
俺は最悪な生暖かさを感じながら、その踏んでいる足首を掴んで、起き上がるタイミングと合わせて体勢を立て直す。
軽くバランスを崩すロギ。
「あら、ありがとう。吐いたお陰で身体が軽くなったわ」
試合前に食べた物を全て吐いちまった。
喉が焼けるように痛いし、口の中も気持ち悪い。
だが、そんな事は気にせず、バランスを崩しているロギの顔面に左ストレートを一撃。
「がぁっ!?」
イケメンのツラを殴るのは最高に気持ち良いな!
反動で痛みがある拳を軽く振る。
「私はめげないのよ。恨みで転生者になったあなたとは違うの」
「ッこのお! 貴様に僕の何が分かる!」
野獣のような叫びと共に、ロギは反撃の右足による蹴り。
俺の胴体に、靴の形の感触までが痛い程伝わってきた。
何かが折れる音が身体中に響き渡った。
「ぐぅう……! そんなもんわからないわよ! 自分が辛い目に合ったからって、他の誰かも同じ目に合わせようですって? 馬鹿じゃないの! そんな事のために力を得て悪になったの!?」
「貴様も失えば分かるだろう!!」
ロギの拳による追撃、一発、二発と俺のガードの上から鋭い痛みを与えてくる。
「ええ、そうかもね! だけど、失っていない人間だからこそ、あんたみたいな馬鹿を殴れるんでしょ!」
ロギの力任せになってきている一撃をサイドステップでかわし、その横っ腹に思いっきりボディーブローをお返しする。
「……ぐぅッ!」
体勢が低くなったところで、ロギのアゴへ飛び上がるようなアッパーを一撃。
ロギは後ろへたたらを踏み、こちらに刺すような視線を向けてくる。
「最高よ。自分が正しい、自分はこうするしかない、自分は仕方が無い。そうやって思考停止しているあんたみたいなのを叩くのはね!」
「はっ、そういうお前は正義の味方か何かかよ」
「私は悪役令嬢に決まってるでしょう? 悪の力を持って悪をブッ潰す。素敵だと思わない?」
「お前みたいに……お前みたいにみんな割り切れると思うなよ……」
初めて聞いたかも知れない。
ロギが本心から絞り出すような言葉。
こいつが自分の弱い部分をさらけ出すなんてな。
「でもロギ、あなたはフーリンを助けた」
「駆け引きの1つだ」
「それでも助かった罪無き命がある」
「知るか、そんなもの」
「そのフーリンを無責任に泣かせるなら、それは悪よ。私は叩き潰さなきゃいけない」
俺は気が付いていた。
ロギのセコンドにいるフーリンが泣いていた事に。
惚れた相手を泣かせる? 馬鹿じゃねーの。
リア充ならリア充らしく、女の子とイチャイチャする事でも考えろってんだ!
俺は両手の指をガッシリと組み合わせて、一塊にしてロギの頭上から振り下ろす。
ハンマーのようなそれは、相手を地面へと叩き付けるのに十分な威力だった。
「僕はな……僕は……たった1つ、世界の全てだった命を助けられなかった。だから、それ以外の命なんてどうでもいいんだ……」
空気が変わった。
ロギの周りから何かが沸き上がり、全てを圧倒する力の場となる。
どうやら俺は、地雷を踏んでしまったようだ。
「例えばそう、そこの獣人の娘を目の前で蹂躙されてみろ……お前はそれでも僕のようにならないのか?」
ならない、なんて事は言えないだろう。
それは理解している。
だが、ここは絶対にひいてはいけない。
「なるかもしれないわね。だけど、絶対に誰かが止めてくれると信じているわ。だから今は、私が悪を持って悪を制しますわ」
「そうか……ならば、貴様の命を持って止めてみろ転生者あああああああああ」
燃え上がる炎。
地獄の業火とも言える紅きエネルギーは、ロギの周辺からふくれ上がり、メートル単位で範囲を広げていく。
野火のロギ。
そういえば、そんな通り名だったな。
正にワイルドファイアだ。
「ふんっ! そんなマッチ売りの少女みたいな頼りない火で、私の心を焦がせるかしら?」
やばい、死ぬ死ぬ。確実に一瞬で消し炭だ。
口でどうこう言っても無理だ。
あいつ、頭に血が上って対等の条件で戦うとか言ってたのを放棄してやがる。
卑怯だろ! 悪だからって卑怯だろ!
悪なら正々堂々戦え!
「この世は暴力が全てだ……燃え尽きろ……」
あ、これ死んだ。
眼前に迫る炎獄は、リングの床を溶かしてガラス化させている。
視界はゆらりと陽炎を発生させ、チリチリと肌の表面を焦がし始めている。
「そろそろあの子に、この私──レイジョに恩返ししてもらいましょうか」
あの子? 誰だ?
「はい! 天性様!」
セコンドにいたルニルが、リング上へ上がってきていた。




