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「……じょ?」
俺は目が覚めた。
ここはどこだ?
期待していた現代世界でも、バケモノの腹の中でも無かった。
ましてや、行き倒れた時の砂漠でもない。
辺りを見回す。
ひび割れが目立つ、打ちっ放しのコンクリートの壁。
それと不釣り合いな、俺が寝ている粗末な藁のベッド。
いや、よく見ると藁よりかなり太い、未知のクッション的な植物だ。
馬小屋……ではないよな?
どうやら外で倒れた後に、屋内に移動させられたらしい。
とりあえず、まだあのクソッタレな人類崩壊後の世界らしい。
これだけ死ねないのだ。もう自殺用に持ってきておいた爆薬でも使って……。
「あ、人間さん起きた! よかった、生きてた!」
生きてて良かった。そう言われたのか?
そんな事で喜ばれるなんて、いつぶりだろう。
いや、待てよ。
ここに人間は存在しないはずだ。
だが、目の前には、確かに居る。
耳と尻尾をピコピコ動かして、元気にはしゃぐ少女が。
耳? 尻尾?
「よう」
俺は挨拶をした。人間相手に会話をするのは、かなり久しぶりだ。
思い出されるのは、ダンジョン運営世界での事務的な挨拶。
だが、目の前の少女はそれとは違った。
「よーう!」
声の主──猫耳と尻尾の少女も元気に挨拶を返してくる。
もしかして、人間ではなく、獣人というやつだろうか。
ファンタジー世界ならありかもしれないが、この世界は現代世界の延長上のような文明だったはずだ。
廃墟にあった文献やデータでも、特に魔物や獣人の類は記述されていなかった。
改めて少女を観察する。身長はそう高くない、顔立ちもまだ幼いながらも整っていて、愛嬌のある眼は異性の魅力を秘めている。
ざっとみて15歳くらいだろうか?
ふんわりとした栗色の髪を肩まで伸ばし、人懐っこそうな表情で、俺に対して無警戒だ。
それらに似合わず、良い乳をしている。
俺の審美眼が言っている、Dはあると。
これはあれか。
死ぬ前に、この可愛い獣っ娘の胸を揉んで良い券を女神様が……?
これだけ辛い思いをしたのだ。それくらいのご褒美は──。
いかんいかん、そんなゲス野郎の考えはダメだ。ダメだ。
いや、でも、ちょっとだけなら……。
いつの間にか、俺の心は荒みきっていた。
死んでも……どうせ死んでも俺はまた生き返る。
事に及んで、この子に嫌われても構わないだろう。
堕ちきって、乾ききった心だとわかっている。
わかっているが、自覚したところで、自分の手では届かない距離に意思が遠ざかってしまっている。
そんな仄暗い思考は、少女の一言によって引き戻された。
「えーっと、言葉はわかるかな?」
「ようじょ!」
まぁいい。いつでも実行できるのだ。
何か耳と尻尾がピコピコ動いていて楽しげだし、少しだけ合わせてやろう。
そういえば、この娘の言葉を理解できている。
いつも標準でついている、言葉や文字がわかるチートか。
「あ、あはは。言葉はわかるけど、喋るのはそれなんだ……」
若干、引かれてしまった。
どの世界でも俺は俺らしい。
そりゃ異世界でモテるやつなんて、どうせ元からモテる要素満載な奴らだ。
あいつらは揃いも揃ってイケメンで良い声。わかってる、わかっているぞ。
女神はいつも転生させるが、なぜか外見だけはいじってくれない。
もちろん、肉体はきちんと作り替えられているため、移動させただけの転移ではない。
きっと理由もなく俺をいたぶって楽しんでいるのだろう……。
「あ、あれ。落ち込んじゃった。理由はなんだろ……」
さすがに、今の発声できる言葉──ようじょだけでは伝えきれない。
肉体はチートで飲まず食わずで平気なのに、精神の方は元と変わらず脆すぎる。
俺は、廃墟で拾っておいた、小型のホワイトボードとペンをバックパックから取り出した。
「お、なんだろう」
「じょ、じょじょじょ」
イケメンになって『素敵、抱いて!』と言ってもらえるようになりたい。
……とホワイトボードに書いて見せた。
「あ、ごめん。あたし達は文字の知識が無いの」
「うじょー!?」
どうコミュニケーションを取ればいいんだ……。
俺はガッカリした。
多少、話し相手になって気が紛れるかと思ったが、文字もわからない相手。
俺からの言葉も、現状では通じない。
これはもう、自殺するか。
どんどん命が軽くなっていってる事を感じる。
死んでも繰り返せばいい。
身体は何度でも蘇る。
だが分かっていた。
心の方が本当の死を迎えてしまう事に。
だから、彼女に対しても一線を踏み外すことをしない。
するのは想像止まりだ。
「あ、そうだ! はい、これ!」
少女が差し出してきたのは1杯の水。
いや、俺が知っているようなイメージの水ではない。
濁っていて、底が見えないくらい汚い。
こんな泥水を飲めと言うのか? 冗談だろう?
「遠慮しないで、砂漠を越えてきたんでしょ!」
だが、いたって少女の眼は真剣だ。
俺は押しに弱い。
その泥水が入ったコップを受け取って、一気に飲み干した。
チートのせいで、飲食物は一切とらなくても平気だが、それを説明するすべがない。
「うっ」
まずい。泥臭い。チャリチャリと細かい何かが口の中に当たる。
身の危険を感じ、俺を殺すための罠なのだろうか。
だが、少女は笑顔のままである。
ダンジョン運営の時のように、態度を急変させて見下したりしなかった。
その時、奥の方から男の声が聞こえてくる。
「おーい、この村の最後の水、大事に飲んだか?」
「あ、パパ。あたしは喉渇いてないから、人間さんにあげちゃった」
「正気か……人間だぞ?」
「あたしは、お姉ちゃんだからね!」
「お前……」
え?
なんだこの茶番みたいな会話。
この村の最後の水?
ここは砂漠だぞ。それを見ず知らずの俺に飲ませた?
親のリアクションを見ると、この村では人間は快く思われていないように感じる。
そんな中で、最後の、あのクソマズイ泥水を、俺に、飲ませ……。
俺は、動揺して思考が詰まり気味になっていた。
「あたしの名前はルト! よろしくね!」
* * * * * * * *
それからしばらくして、村の中を案内してもらった。
どうやらここは、砂漠の巨大な人造オアシスを拠点とした村らしい。
町と呼んでもいいくらいの広さだ。
遺跡となってしまったオーバーテクノロジーが多々利用されていて、何ともSFチックな村である。
中央にある巨大な水精製工場と、その他食料関連の工場は、昔の人間達が使っていたのをそのまま自動稼働させ続けていたらしい。
砂漠で水や食料を作る、もはや今まで俺が見てきた魔法と変わらない程だ。
そのハイテクと、原始的な木造住宅や畑があったりするチグハグさが、この村の在り方を示しているのかもしれない。
だが、今はもう──。
「あ、ルト~! それが噂の人間?」
「うん、そうだよ~。ちょっと喋る事は変だけど、文字が理解できるんだって。すごいよね~!」
ルトが話している相手。それは人間でありながら、両手が羽根になっている。
下半身は鳥のような脚。
ハーピーというやつだろうか?
鳩胸と見間違えるくらいの貧乳。さすが鳥である。
だが。
「ようじょ!」
ではない。
ただ単に胸が育っていないだけだ。
「え、な、なに。ようじょ?」
「えーっと、気にしないで……」
さっきから警戒している大人達と比べて、若い世代は人間に対して抵抗がないらしい。
大人達の身体に付いた傷を見れば、何となく察する事はできるが。
「いや~、人間。せっかく来てくれたけど悪いね。飲食物関係の遺跡が壊れちまって、ロクな物がないんだ。数日だけになるだろうけど、それまでは客人としてもてなすよ」
そう、ハイテクさを感じていたのは、工場──彼らが呼ぶ遺跡が稼働していたであろう時を想像した話だ。
実際は、この村は絶望に満ちている。
当たり前だ。
この砂漠のど真ん中、飲食物の工場が止まれば、待つのは死だけだ。
そして、ルトが言うには、獣人達はこの砂漠を離れる事が出来ない理由があるらしい。
完全に詰んでいる。
「まぁ、数日中に遺跡が勝手に直るかもしれないけどね!」
ルトの表情でわかった。
悲しそうな苦笑い。
既に死を受け入れているのだ。
俺が思っている死とは、重さが違うだろうに。
その時、ルトが突然倒れてしまった。
「うじょっ!?」
俺はとっさに受け止める。
あまりに軽すぎる身体。
「あ、あはは。ごめん。立ちくらみがしただけ。だいじょうぶ!」
大丈夫ではない。
腕にはじっとりと、大量の汗が伝わってくる。
抱きかかえる俺の腕に、ルトの手が触れられるが、その力は弱々しい。
こんなの、俺だって知っている。
脱水症状だ。
水を飲んでないからだ。
「そんな顔しないで、人間さん」
俺は、どんな顔をしていたのだろう。
「生きていてくれて、本当に嬉しかったんだから」
馬鹿じゃないのか。
俺はチートだから、死んでも平気な転生者だから、水なんて飲まなくても良いんだよ。
それに、ルトに酷い事をする想像もしていた。
そんな相手に差し出した、最後の水。
たった1杯の水。
「に、人間さん?」
俺は、ルトを地面に横たえさせた。
決めた。
ルトのおっぱいを揉む。
ただし、最高の状態で揉む。
そのためには、水をコップ1杯ではなく、浴びせる程いっぱい飲ませてやってからの方がいいだろう。
別に助けるわけではない。
どうせまた裏切られるのだから、おっぱいを揉むためにコンディション調整してやるだけだ。
俺は必死に、猛ダッシュで水工場へ向かった。
心臓が全身に血を送り出し、肺が空気を掃除機のように吸引する。
それをエネルギーとして、両足を無様にばたつかせて全力疾走。
走り慣れていない俺は、フォームも体力不足もあって酷く不格好だった。
すぐに横っ腹が苦しくなり、頭もボーッとしてくる。
風と一体になる、とかそんな格好良いもんじゃない。
むしろ前に向かって転びそうになるのを、何度も阻止しているだけのような駆け足だ。
だが、体力は無くても、最後に残った意思力が、疲れ切った全身をオートで動かす。
一分一秒でも早く、目的の水工場まで向かえと。
到着した時には、何度も転んで汚い格好になり、喉の奥には酸っぱいモノが込み上げているという有様だった。
「うっ」
* * * * * * * *
俺は、友を助ける英雄のように走り──嘘です。
転げ落ちるおにぎりのように、無様に水工場の中に入り込んだ。
工場の中は、SF映画で見た事があるような近未来チックな構造だった。
金属らしい床や壁に、蛍光のラインがいくつも走っている。
ガラス越しに水の生産場所が見えるが、そこは見事に止まっている。
工場内の明かり等はついている事から判断して、完全にぶっ壊れたというわけではなさそうだ。
「じょ?」
これか。
俺は、電源が入っているパネル式のコンソールを見付ける。
指でタッチすると反応した。
なになに……オートモードでエラー発生中、と書いてあるな。
操作していく内に気が付いた。
機械の構造が、ダンジョンで使っていた設備に似ている。
エラーログを漁ると、破損した人工衛星データが原因らしい。
確か、副社長──い、今は現社長が言っていた。
このような辺りから魔力を収集して、一点で精製するタイプのものは、使い魔による周辺モニタリングが重要になると。
この水精製の仕組みも、大体は似たような方法だ。人工衛星データを使って、地下や大気から水を精製する。
では、その使い魔が、何らかの理由で撃破されてしまった場合。
……あの有能そうな顔が浮かぶ。
壊れる事を前提にして、互換性がある予備を用意しておく。
つまり、予備の人工衛星を探せばいい。
ヘルプモードを読み解きながら、必死にパネルを操作していく。
俺は有能だ。この世界で誰よりも有能だ。そう信じて、ミスが無いように集中する。
ただ一人しかいないのだから、人間で一番有能。間違ってはいないだろう。
もうこれ以上の深い操作を要求されると、専門知識が必要になってきてしまう。
俺は祈りながら、予備の人工衛星の設定に取りかかった。
限られた簡易設定で進め、いくつかの適合率の高い人工衛星を発見した。
それらを選択し、決定のパネルをッターンと叩いた。
……エンターのキーでは無いため、効果音は脳内だ。
「う、動き始めた!」
いつの間にか、さっきのハーピー嬢や、大人の獣人達が入り口から入ってきていた。
俺を追い掛けてきていたのか。
再動した水工場を見て、彼らはとびきりの笑顔を見せていた。
種族は違えど、こういうものは一緒らしい。
新しくメインに設定した人工衛星の名前はミトラ。
盟友とか、友情とかの神様の名前だとか。