六話
テロった学園に転入したら叱られた。
今の状況を一言でまとめるなら、こうなる。例えるなら、虎穴に入って虎に噛まれたとか、石橋を爆撃してから渡ったら落ちたとか、そんなものだろうか。要するに当然の帰結だ。その上最悪なのは、俺は虎児にも向こう岸にも興味がないことだ。
「何を、何故ッ、何のッ……何のつもりだテスラの怨霊ォォォォォォッ!」
ブロンドを逆立て、マルティナが激昂している。鼓膜を抑えたくなる音量だ。
「テロ翌日に転校か! どんな度胸だ貴様! 犯罪者なりに常識を弁えろ!」
尤もな指摘だ。大いに頷き、全ての元凶を責め立てたいところだが、そうも行かない。悟られないように唾を飲み込み、出来得る限りの間抜け面で返答する。
「テロ? テスラ? すまない、何の話をしているんだ?」
「惚けるな! この暴走オルゴール事件も、貴様という病原菌の仕業だろう!」
「すまないが、一から説明してくれ。俺はただの転校生で、委員長とも初対面なんだ。なぁオリガ」
この状況、ベストはクラスメートを頼ることだ。反応を見る限りマルティナと親しいようだし、恐らく、嫌われてはいない。頼んだ、オリガ。お前が俺の命綱だ。今度のチップは弾……。
「どーだか。アタシ解んないかなー」
「オリガ?」
「一方的な知り合いなのかもねー。可哀想な誰かさんみたいに」
「オリガさん?」
「べー、だ」
オリガがピンク色の舌を出す。平常時なら可愛らしい、もしくは小憎らしい仕草なのだろうが……。申し訳ないが、憎い。純粋に憎い。俺に反省の余地があろうと憎い。自覚は無くとも、その舌はギロチン台の綱を切り落としたのだ。
マルティナが犬歯をむき出しにする。足元に黒々とした影が広がる。
「……ッ!」
背筋を走る危機感に身を任せる。しがみつく二号を突き飛ばし、半ば倒れこむように左に跳ぶ。
次の瞬間、コンマ1秒前まで立っていたそこに、銀色の隕石が落下した。石畳にクレーターが生まれる。躱したにも関わらず、その威力は骨の芯を駆け抜けた。転がりながら衝撃を殺し、何とか体勢を立て直す。二号はと言うと、後転に失敗した子供のような格好で、建造型の残骸に激突していた。ひだのついたスカートがめくれ上がっている。
一拍反応が遅れれば、トマト祭りが開催されていた。冷や汗が頬を流れる。俺の反応を見て、マルティナが満足気に頷く。
「昨夜の一戦でこの私を上回ったつもりだったなら、アテが外れたな。あれは騎士流のリップサービスに過ぎん」
どんなサービスだ。リップ要素は何処だ。唇紫にして泡吹いてたが、あれの事か?
「再び規律は作曲され、再度正義は演奏される! 我が第二の装甲、《レヴィアタン・ネイキッド》によって!」
隕石の正体は、オルゴールの海竜だ。全長は6メートル程度。全高は人間の肩程。大蛇の延長なフォルムだった昨夜のレヴィアタンと違い、野太い四肢を備えている。昨夜の怪物と比べれば常識的なサイズだが、戦闘用オルゴールとしては標準よりも大型だ。牙の隙間から白い蒸気を吐き出し、唸り声を挙げている。天を衝く圧力こそないが、荘厳な音に衰えはない。名前からして、レヴィアタンのシリンダーを移植した予備外部装甲か。
「……あっ……なっ……何してんの、委員長!?」
しばし凍りついていたオリガが、血相を変えてマルティナを責め立てた。当然だ。転入生の可愛がりにしては殺意が篭り過ぎている。
「いくら存在忘れられてたからってやり過ぎ! 殺す気!?」
「退いていろオリガ! この男はテスラシンパのテロリストだ!」
「意味分かんないって! ツメルはアタシの店の常連さんで……!」
「既に誑かされていたか! 待っていろ。今皮を剥がして見せてやる!」
(おい。せめて『化けの』をつけろ)
深呼吸し、心音を一定のリズムに整える。一回……二回……三回。人の声。車の音。ぶつかり合う金属音。野良犬の遠吠え。パイプの破裂音。蒸気の噴出音。何処かで吹きすさぶ、嵐のような風音。汽笛。巨大な“何か”の歩行音。あらゆる雑音を意識の外に追い出し、《レヴィアタン・ネイキッド》の音色だけに耳を研ぎ澄ます。
海竜が身を屈め、後ろ足を引き絞る。
……曲調が変わった。再び、視界から銀の巨体が消える。
(右!)
目ではなく耳で、迫り来る鋼の爪を捉える。知っている。これは囮だ。首を狙う突きを、義手で僅かに逸らす。次に大きく開いた口から、鋭い牙が襲う。これもフェイント。本気で付き合うには踏み込みが浅過ぎる。後ろに飛んでやり過ごす。《レヴィアタン・ネイキッド》が牙の勢いを維持したまま、鱗から蒸気を噴射。急速に体を回転させる。1.5メートル程の尾による横薙ぎ。ついに本命だ。単なる体捌きでは、決して躱し切れないリーチとスピード。二百キロを優に超える質量、時速二百キロを優に超える速度。人間を一瞬でミンチに変えるだけの破壊力がある。ならば……。
義手の蒸気噴射を利用し、上体を大きく捻る。バク宙の要領で空中を舞い、上空で尾を躱す。目標を見失い無防備になった海竜の頭頂部に、鋼の拳を振り下ろす。
「―――――っ!?」
拳は空を切った。《レヴィアタン・ネイキッド》が十数メートルの距離を一気に飛び退いたのだ。連続攻撃最中の曲調変更。怪物の技巧と言えるが、その対応力が今は有り難い。あと数手攻防が続けば、《ウォーデンクリフの塔》を起動せざるを得なかった。マルティナの奴、昨夜の暴走がトラウマか。
「冗談でしょ……。オルゴール相手に殴りあったの……?」
オリガが呆然と呟く。無理も無い。生身で戦闘用オルゴールの前に立てる人間など、常識ではあり得ないのだ。
種を増やす事を目的として設計された人間と、戦いのために作られた戦闘用オルゴール。そのハードウェアの性能差は明らかだ。たかだか100キロを持ち上げるにも四苦八苦する筋力と、鋼を捻り潰すパワー。百メートル十秒が限界値の速力と、場合によっては時速300キロを優に超えるスピード。鉛弾一つで砕ける肉と、それを跳ね返す装甲。
様々な理由はあるが、最大の要因は反応の差だ。シリンダの回転によって音子を振動させて演算するオルゴールは、理論上オルゴールの耐久限界まで反応速度をあげられる。0.11秒程度が反応限界の人間とは、見えている世界が違う。
だから、人はオルゴールと戦わない。調律師として、オルゴールを使うだけだ。汽車と競争する人間が居ないように、機械に生身で戦いを挑もうなどという発想が、まず生まれないのだ。音子を憎む、ごく一部を除けば。
オリガは愕然としていたが、マルティナはむしろ、納得がいったという顔だ。
「やはりな。音を読むか、貴様」
流石はグランドドクター。勘がいい。
オルゴール人形の演奏に耳を澄ませ、行動を先読みする。《音読み》と呼ばれるその技術を、俺は不完全ながら体得している。
俺の戦闘スタイルの根幹は、《音読み》と組織仕込みの対オルゴール近距離戦闘術だ。それでも戦闘用オルゴール相手に五分五分で立ち回れるわけではないが、生き残りさえすればいい。あとは《ウォーデンクリフの塔》で片付ける。
問題はそうした手の内ほぼ全てを、マルティナに知られた、という点だ。先程の応酬はマルティナにとってはただの確認作業。次からは演奏にもフェイントを仕込んでくる。精緻を極める近距離戦となれば、負けるのは俺だ。マルティナとは地力が違う。
残る手段は、ただ一つ。
「覚悟は決まりましたか? つっくん」
俺をかばうように、二号が《レヴィアタン・ネイキッド》と相対した。すました顔だが、つい数秒前まで有り難みに欠けるパンチラをしていたことを、俺は忘れていない。
「流石にな。四の五の言ってられないらしい」
学園標準の演奏器の一つ、共鳴繊維の黒色手袋を左手に嵌めて見せる。
「……嫌に素直ですね。またポップコーン落ちですか?」
「二度目だぞ? そんな芸の無い真似をするか。俺の目を見ろ。これが嘘をつく目か?」
「……………………」
「二十秒後に隙を作る。合図を待て」
マルティナは不審そうな目で二号を一瞥すると、すぐに俺へと視線を戻した。素性を知らない者にとって、二号は愛玩用特化のオルゴールだ。脅威に思えないのだろう。
「しかし、騎士の腑に落ちんな。《音読み》はオルゴールへの没頭なし身につく業ではない。それだけの技量を持ちながら、何故テスラなどに与する」
「それより委員長。何か臭わないか?」
「話をそらすな! 今は私ではなく、貴様の!」
「チーズの臭いだな」
「ち、チーズだと!?」
マルティナの声が裏返った。白い頬を真っ赤に染めあげ、自分の腕や脇を嗅ぎ回る。
「た、確かに汗はかいたが、醗酵製品呼ばわりされる程ではない! ……はずだ。第一、今日風呂に入れなかったのも、元はと言えば貴様が!」
予想外の反応をされたが、どうでもいい。重要なのは、周囲一体にチーズ臭をまとう暴風が吹き荒んだ、と言うことだ。オリガが制服のスカートを抑え、マルティナが顔をしかめる。
「今だ」
「はい!」
二号が《レヴィアタン・ネイキッド》に向け走り出す。
……のを見届け、俺は義手の甲からワイヤーを発射した。ワイヤーは放物線を描き、巨大な柱状のものに巻き付いた。
それは、ムカデ型の超大型多脚列車の足。学園と提携する大型食品会社、『ドミンゴフーズ』の運送用オルゴールだ。全高五十メートル近く、全長は二百メートルは下らない。《水銀時計のレヴィアタン》より二回り以上巨大なサイズで、無数の足をバタつかせ、街道を跨いで動く。足の裏からホバージェットの風を噴射して、道を壊さず、海の向こうまで走って行く。このホバーの風が妙にチーズ臭いことで有名だ。
ワイヤーを巻き上げ、タラップを登り、ムカデの脇腹辺りの整備用通路によじ登る。赤茶けた装甲に、デフォルメされた肥満体の男が描かれている。
多脚列車は飛び乗った羽虫など気にも留めず、アクセル全開で購買街を駆け抜けていく。行き先は港の倉庫街か、ドミンゴフーズ本社か、はたまた海の向こうか……。
まあ、何処でもいい。つまるところ、学園の外なのだ。ネジのとんだ委員長と、神造オルゴールの魔の手から逃れ、俺は自由を手にしたのだ。
「く……くは、は、はははははは……! はははは……ははははは……!」
実に晴れ晴れとした気分だ。腹の底から笑いがこみ上げてくる。短い間だったが、耐え難いほど無駄な時間を過ごした。学園を脱出したら、まずグレゴリオ博士に連絡を取ろう。義手の圧力も補填しなくては。作戦の失敗で組織内の立場は弱くなっただろうが、逆に配置替えで二号から離れられるかも知れない。それから……。
「に……にが、逃がしませんよ……つっくん……!」
脱臼するほど脱力した。声を見下ろせば、そこには赤茶けた装甲に指をめり込ませ、這い上がる二号の姿。自力で列車の足をよじ登ってきたのか。思い返せば、よう姉も登り棒だけはやたらと上手かった。
二号は通路によじ登り、服についた埃を払う。人形の癖に肩で息をしている。
「あのタイミングでどうやって……」
「はぁ、はぁ……。つっくん、キミの目は、芸の無い嘘つきの目です!」
ボロクソだな。
「以後自覚しよう。で、見破ったらなんだ? お前の用意した茶番劇は、既にご破算だ」
「終わってなど、いません! これから、楽しい休み時間です!」
「アレ見て言えるか?」
『待ァてェェェェ! テスラの怨霊ォ!』
後方から咆哮。マルティナが《レヴィアタン・ネイキッド》の背に跨がり、猛追して来る。振り落とされないよう多少速度をセーブしているだろうが、140キロ前後は出している。赤い目は、凝固した殺意そのものだ。右手には拡声器を握っている。そんなに俺とお話したいか。
「まさか、あの委員長と愉快に学園生活を送れと?」
「行き違いがあるだけです。クラスメートはキミの味方なのですし、落ち着いて誠心誠意話せば誤解も解けるはずです」
「解けてるのが問題なんだろ」
『逃げるほど臭うのか、テスラの怨霊ォ!』
訂正する。解けていない誤解もあるようだ。マルティナの怒声は若干震えていてる。距離があるので表情までは伺えないが、何かこらえるように口を結んでいる……ような気がする。変な地雷を踏んでしまった。
仕方なしに、通路備え付けの拡声器を手にとる。
『誤解だ委員長。俺はテスラの怨霊などではないし、お前の臭いについてもコメントしていてない。そうブルーになるな』
『ブルーチーズだと!? 貴様ァッ!』
体臭にトラウマでもあるのか。
『自信を持て。お前はいい匂いだ』
『ならば降りろ! 今すぐ降りて脇を嗅げェッ!』
『命懸けで断る!』
『地獄で殺す!』
変な地雷を踏んだ、という表現は誤りだった。マルティナの存在そのものが変な地雷原だ。俺は拡声器のマイクを置き、対話による解決を捨てた。
「聞いたか? 二度の殺しを宣言したぞ」
「嗅げば一度だけで済む話です!」
「一度死んだら終わりだが」
「そんな言い訳は通用しません!」
言い訳ってお前。命だぞ。
「ボクには解るのです。キミはそうやって理由をつけて、よう姉から逃げています!」
「は、何を……」
「お気づきでないのですか!? 二人の夢から逃げて! 二人で約束した学園生活から逃げて! このボクからも逃げて! キミはよう姉から逃げ出してばかりです! 香箱ようこの居ない世界がお望みですか!?」
「なっ……っ!」
どの口で抜かす。お前に何が解る。この三年、俺がどんな思いで泥を啜ってきたか。第一、よう姉の居ない世界を作ったのはお前達神造オルゴールだ。それを……クソッ! 逃げているだと? 俺は……! 罵声が次々と喉を突く。
(ガキか、俺は。人形遊びに本気になるな)
拳を握り、俺自身に唾棄する。相手は機械だ。口から出るのは言葉ではない。無意味な音の羅列だ。真面目に取り合ってやる必要が何処にある。
「ああそうだ。逃げるんだ」
自分の声色に安堵する。感情の波など微塵も感じさせない、平静そのものの声色だ。二号の目が微かに曇る。
「で、お前に何が出来る。立つのもやっとな運動神経で、俺の逃走を止められるのか? 学園勢力圏を抜けるまであと十分足らずだ。さあどうする」
「それは、ボク達二人で考えることですよ」
「痴呆かポンコツ」
「アレを見ても、同じことが言えますか?」
二号の指先を辿り、列車前方に視線を向ける。列車は既に購買街の端に差し掛かっている。数十メートル先に、鉄骨を担ぐ建造用オルゴール。その先には購買街入り口のアーチ。更に先には、高等部の第二講義棟。直進を続ければ衝突は必至だ。質量と速度からして、既に避けられるかどうかもギリギリだが、多脚列車は一切減速の気配を見せていない。カーブの予兆もない。いや、それどころか加速している。
……暴走だ。
「止めないと死んじゃいますけど……」
「……嘘だろ……」