五話
外をぶらつくと、いずれ二号を演奏せざるを得なくなる。そう判断した俺は、ジャンク長屋を抜けた先で、『喫茶サイキット』に入店した。
アンティキティラ島には珍しくない、自動店舗の類だ。店内の全てがオルゴール仕掛けで、店員は居ない。日に一回、整備員が集金と補給と点検に来るだけだ。基本的にコストカットの果てに出来た店なので、高価な機械は殆どない。ウェイトレスは六本足の家政婦オルゴールに無理矢理制服を被せたもので、コーヒーメーカーも安物だ。
喫茶店というより、椅子と屋根を提供する自動販売機と言った方が感覚に沿う。
「全く。憧れのお姉さんを演奏したがらないなんて、一体キミはどういうつもりなのですか。しかも、初回の授業から喫茶店でサボりなど……」
二号はぶつくさと文句を言いながら、持ち込んだポップコーンを頬張っている。腹の中のゴミ溜めに貯めるだけだろうに、手も口も止まらない。「一番黒いのにします」と宣言し注文した特濃ブレンドコーヒーは、一度口をつけたきり放置だ。エコ精神の欠片もない。
頬の膨らみで怒りを表現しているらしく、完全にフグ状態である。黙っていれば細身の美人系なのだが……やれやれ。食べ物の持ち込みは無制限と言え、怒りの持ち込みはご遠慮願いたいものだ。
「なっ、何故今ちょっとドヤ顔したのですか! お姉さんは見過ごしませんよ!」
「いつも愉快な俺で申し訳ない」
「つっくん! 叱られている時に少し上手いこと考えてはいけません! 真面目大事です。ボクはキミの一挙一動をつぶさに観察し、小さな面白みも確実に潰していく所存ですよ」
(怖い)
二号の只ならぬ決意に戦慄していると、ドアベルが乾いた音を立てた。
「うわ、自分のオルゴールに叱られてる奴初めて見た。いい趣味してるわね」
入店してきたのは、教室でも見かけた女生徒だ。赤みがかったブラウンのショートヘア。身長は平均より少し高め、出る所が出て、締まる所が締まった、健康そうな体つきだ。ウエストの細さと不釣り合いな豊かな胸が、制服の中で窮屈そうにしている。
「転校初日から早速サボりとか、いい度胸もしてるし。もし今日委員長来てたら、ボコボコにされてるよ?」
女生徒の背後には、八本足の蜘蛛型オルゴールが控えている。人の腰ほどの全高で、程々に器用そうなマニピュレーターを蠢めかせている。
スムースな体重移動を見る限り、駆動系や演奏系にチューニングは施してあるようだが、ベースはEGE社製の市販品。個性の薄いオルゴールだ。良く言えば弱点がなく、悪く言えば強みがない。大概、オルゴールの専門家は上に行くほどこだわりが強い人間が多いので、音子科で汎用型オルゴールは珍しいと言えた。
彼女は特に断りもなく俺の隣に座り、呼び鈴を押して店員を呼んだ。差し出されたメニューを指でなぞり、レモンティーを頼む。安物オルゴールの音声認識機能の弱さを知った、慣れた注文の仕方だ。
机の下で二号が俺の太ももを掴む。機械の癖に人を見知るな。
「にしても、本当ビックリしたわよ。ツメルってば突然編入して来たんだもん」
うわ……。下の名で呼ばれた。
「そっちも驚いてたでしょ? 朝ぽっかーんってしてたし」
「あ、ああ」
「ちょっぴりだけ、う、運命? 感じちゃったかな……って」
「そ、そうだな。デスティニーだな」
「ば、馬鹿! 何本気にしてんの!?」
女生徒に肩を叩かれる。知らない奴にされる肩パンは、純粋に気色悪い。太ももを握る力が強まる。二号の目が鋭い。しかもまた頬が膨れている。何だこの空間は。帰りたい。
「お友達、なのですか? つっくん」
「……どうも、そうらしいな」
「らしい?」
二号が首を傾げ、女生徒の頬が引き攣る。
「……まさかと思うけどさ。アタシの事、覚えてない?」
「有り得ないな。俺達の仲だ」
「だ、だよねー! ジョークキツいって、もー!」
「ジョセフィーヌ・チェフチェンコビッチ二世だろう? 昨年度生牡蠣一気飲み大会優勝者の。カレー粉と共に流れるように牡蠣を吸い込む様は、漁師泣かせの黄河と呼ばれ」
「ストップ。黙って。何か怖い。何その流れるような出任せ」
「勢いで誤魔化せると踏んで……」
「踏まないでよ! 無理に決まってんでしょ!?」
見知らぬお友達は、椅子を転ばす勢いで立ち上がり、豊かな胸を叩いた。
「アタシはオリガ! 下層二区! 銅さじ通り! あんたの! ご贔屓の! 食堂! マルコフ食堂の看板娘! 二日にいっぺんは顔合わせてる!」
「あ、あー……」
言われてみれば、自宅近くの大衆食堂で見た覚えのある顔だ。制服を着ていたから解らなかった。
マルコフ食堂はロシア料理中心と銘打ちつつも、カレーも、エビチリも、タコスも、果ては焼き魚定食まで出し、そのどれもが70点を超える店だ。日系にとっての家庭の味を手頃な値段で食べられる店は珍しいので重宝していた。定食とセットで出てくるデザートも、週ごとに趣向が変わり、しかも……。
「なんっだよもー。毎食毎食さー。食後のデザートサービスしてやったのにさー」
訂正する。セットではないらしい。
仕事関係では決して入店しないので、店員の背後関係を洗い出したことがなかったのだが、もう少し注意を払うべきだったか。
二号は何故か俺の太ももから手を離し、人見知りを解除していた。それどころか、オリガに哀れみと優越感を綯い交ぜにした謎視線を送っている。一体どうした。
オリガは運ばれてきた紅茶を盆から取り上げるなり一気飲みした。どういうわけか、やけ酒感が漂った。
「……まーいいや。それよりさ。朝、《街の唄》の研究して碩学になるとか言ってたけど、あれ本気で言っ」
「勿論です! ボク達のゆ」
「諦めたら?」
二号が食い気味に肯定し、食い気味に否定され、食い気味にしょげた。
「転校初日から水差すようだけど、クラスメートとしての忠告。《街の唄》って、科学省が三年前にグランドドクター級に指定した秘匿技術でしょ?」
「ぐ、グランドドクター級ですか!?」
「それも知らなかったんだ……」
オリガは呆れ顔だが、二号の驚きも無理はない。《街の唄》など、三年前にはオカルト扱いだったのだから。
「ああいう街の深奥に突っ込む先端研究をするには、それなりの『階位』が必要になるの。リソースも必要だし、調査の許可もいるし、過去の文献へのアクセスだって、階位がないと出来ないの。……階位は解るわよね?」
「まあな」
アンティキティラ島に潜む技術は、時に人間社会に重篤な影響を与えるものがある。そうした技術が無闇に放出されてしまうと、経済危機や大規模災害が巻き起こる。そのため、アンティキティラ島独立政府は学位制度によって厳格な知の管理を実施している。
階位は全部で六種。無位級、アソシエート級、バチェラー級、マスター級、ドクター級、グランドドクター級だ。高位の技術に触れるためには、それだけの学位が要求される。ちなみに、神造オルゴールの研究はグランドドクター級プラスだ。
一般の初期学位は無位級マイナー。学園で一定の成績を収める他、特別な街への貢献を認められることによってランクが上がる。
俺の学生証にも、ブドウを眺める狐の絵柄と共に、無位級マイナーと印字されていた。最低中の最低階級だ。
「私は一個上のアソシエート級だけど、《街の唄》関連じゃ一部の文献名が見られるぐらい。もう一つ上のバチェラー級で、一部論文のアブストラクトを閲覧出来る程度。三階級上のマスター級になって、初めて半分黒塗りの文献に触れられる。自発的な研究が許されるのは、五階級上。一握りの一握り。学園交響曲の演奏者に選ばれないとダメなわけ」
学園交響曲とは、言ってしまえば長ったらしい校歌だ。全九章からなる長編曲で、各章ごとに演奏者が定められている。学園交響曲演奏者は、十七万学生の頂点だ。確か、鉄血騎士マルティナは第三章の担い手だった。学園新聞によれば、昨夜の敗北で任を解かれたそうだが。
「アンティキティラ学園生のグランドドクターはたった九人。ああいうのは雲上人なの。才能と環境に恵まれきって、生まれた時から選ばれた人。憧れても届かない、違う世界。解るでしょ?」
解る。身に沁みて知っている。どんな分野でも、努力では超えられない壁が複数存在する。芸術系作曲家としての俺は、最初の壁すら超えられなかった。工学系にしても、理論理解の壁、数式読解の壁が立ち塞がる。数式を創り出す側に回るには、更なる跳躍が必要だ。工作員としてもそうだ。戦闘センス、諜報能力、何につけても超えられない壁、勝てない相手がいる。
オリガの忠告は紛れも無く、良心から来る正論だ。しかし、二号のお気には召さないらしい。
「つっくんには、才能がないと言うのですか」
「意地悪で言ってるワケじゃないの。功に焦って、ヤバイ橋渡って足滑らす奴、毎年何人もいるんだから」
「平気です! つっくんの足はベッタベタです!」
謂れのない中傷だ。
「何事も普通が一番なの。無理して背伸びなんかしても、足元掬われるだけ」
「掬われなどしません! その、昔みたいに、つっくんが……夢を、思い出してくれれば……」
まずいな。落ち着くまで放っておくつもりだったが、余計な事を口走り始めた。
「落ち着け二号。コーヒーでも飲んで考え直せ」
安物合金製のコーヒーカップを指さしてやると、二号の頬が強張った。ドヤ顔で注文した特濃ブレンドコーヒーは、既にすっかり冷えて、常温になってしまっている。
「こっ、これは、ち、違います。背伸びではありません。お姉さんぶってブラックを頼んだけど、余りの苦さにびっくりなどしていません。足も掬われていないのです。ボクの味蕾は全滅です」
金を返せ。
「背伸びどころか、むしろ屈んでみせたと言っても過言ではないのです。ふふん、谷間が見えちゃい……」
その時だった。床がぐらりと揺れたのは。
コーヒーカップが倒れ、二号の飲み残しが床を汚す。一瞬地震を疑ったが、すぐに違うと解った。溢れたコーヒーが一方向に流れている。店全体が傾いている。奇妙な不安定感。
窓の外を見れば、全長三十メートルほどの茶褐色の蒸気式巨人が両腕を広げて喫茶店を掴んでいた。盛り上がった肩口からはマフラーが二本付き立っており、猛烈に蒸気を吐き出している。建造用オルゴールだ。
つまるところ、俺達はカフェごと掬い上げられたのだ。足元から。
「おい、二号」
「ご、ごめんなさいです! 白状します、ブラックなんて飲んだことないのです!」
「タイミングは谷間の方だったぞ。胸に謝れ」
「……ソーリー、ボクのおっぱい。無理、ですよね……」
「き、気にしないで二号ちゃん! さっきのはモノの例え! 例えだから!」
マフラーの数と排気量からして、俺達を掴んでいるのは、建造用オルゴールの中でも、引っ越しや運搬を専門とする型だ。出力頑健さ共に量産オルゴールでは最高クラスを誇っている。
恐らく、オリガの汎用オルゴールに建造用を止める手段はない。二号は運動神経が虚無だ。《ウォーデンクリフの塔》も使えない。ここは余計な行動を起こさず、人を呼ぶのが最善だ。武闘派のクラスメートか警備隊を。
「教諭に援軍を頼む。オリガ、共鳴器のチャンネルは知っているか?」
「あー……。要らないんじゃない?」
「要らない?」
「それ全部まとめても、多分アレより弱いし」
オリガが建造用と正反対側の窓を指さす。一体何が見えているのか。振り向くよりも早く、答えはやってきた。
瞬きよりも僅かな間、店内を駆ける銀の光。ほどけるように崩れる店と、建造用オルゴール。オリガは蜘蛛型に抱えられて着地し、俺は受け身を取り、二号は顔面から地面に刺さった。
辺りには断面図をさらけ出すコーヒーメーカー、足の折れたウェイトレス、その他自動喫茶の残骸が散らばっいてて、その先では、両腕両足を切り取られた建造用が倒れていた。蒸気爆発を防止するためか、駆動系だけが見事に破壊されている。
ふと右腕を見ると、銀の液体が付着している。ドライアイスが背筋を走る。
「あんがと、委員長!」
オリガが両手を振って、背後の誰かに礼をする。胸を射抜く殺意を感じながら、今度こそ、振り返る。
想像通りの人物が立っていた。ブロンドのロングヘア。日の当たる場所で見ると実感する足の長さ。つい最近怪我をしたのか、頭には包帯を巻いている。制服を着ていても、野獣を思わせる眼光に衰えはない。
女はオリガを見ていない。二号も、たった今切り倒した建造用すらも。赤の双眸はひたすらに俺だけを睨んでいた。
「お友達、なのですか? つっくん」
「……もっと不愉快な関係だ」
そして、元グランドドクター、鉄血騎士マルティナは咆哮した。
「何を、何故ッ、何のッ……何のつもりだテスラの怨霊ォォォォォォッ!」