四話
デバッグとは、つまるところ暴走オルゴールの拘束と修理だ。不可能ならば処分する。オルゴール演算機の黎明期、鍵盤に虫が挟まって演算に狂いが出たことから、虫を取り除く、の意でその名がついたと聞く。
毎年、音子科の卒業生の5%はプロのデバッガになるそうだ。泥臭いイメージを持たれがちで、花形とは言い辛い職業だが、オルゴール人形ある限り需要はある。オルゴールに対抗する力と音子工学の知識が必要な専門職なので、金回りがいい。大企業お抱えのデバッガともなれば、上層区に家を構えるのも夢ではない。
―――教諭曰く。
本日午前八時、学園観測塔が購買街閉鎖区画内で異常な音源を複数探知した。数はおおよそ十から十三。放っておけば復旧作業に支障が出るので、始末しろとのことだ。
デバッグ実習の成果は成績に直結するそうで、クラスメート達の士気は予想より高い。ある者は集音器で地面を伝わる音を聞き、ある者は蒸気ジェット装備の鷹型オルゴールを空へ飛び立たせる。殆どのクラスメート達は、互いのオルゴールの長所を活かし、短所を補いあって、数名のグループで行動していた。
勿論、俺は一人だ。納得の孤高だ。蒸気機関と学生達の熱気から逃れるように、人の少ない方、声のしない方へと歩いて行く。
やがて、俺と二号はジャンク長屋と書かれた錆びたゲートを潜った。名前の通り、ジャンク屋の集合体のようだ。左手にはオルゴール系、右手には蒸気機関系のブリキ店舗が連なって、錆びた臭いが鼻につく。何処を向いても商売っ気のない店構えだ。一限の授業中だからか、人っ子一人見つからない。店員の存在すら五分五分だ。恐らく、この長屋で最も活力にあふれているのは、ポップコーンの自販機だ。最も干からびているのは俺だ。
授業の内容が気に食わないのではない。暴走の原因が昨夜の作戦でないとも言い切れないし、暴走オルゴールをのさばらせるのも不愉快だ。問題があるとするなら……。
「わたぁっ!」
背後で鈍い音がする。振り返ると、二号が石畳で五体投地していた。石の隙間に躓いたらしい。驚異的な鈍臭さだ。
「よう姉も運動神経が糸電話だったがな、お前ほど間抜けじゃなかったぞ。せめて地面も見て歩け。キャラ作りか?」
「し、失礼な。ボクは二足歩行に真摯ですよ。悪いのはキミです。キミの背が伸びるから」
「意味が解らん。責任転嫁だけアクロバティックでどうする」
「昔は、ボクが見下ろす側だったのですよ」
「……………………」
「はい。つっくん、お手です」
差し出された右手を無視して歩き出す。
……問題があるとするなら、二号を演奏して対処しなければならない、という点だ。
オルゴールは自鳴琴と翻訳される。その名の通り、本来は自ら音を奏でるもので、他の力を必要としない。演奏知能の礎を築いた碩学、アラン・チューリング博士は、オルゴールの理想型には、演奏者はおろか修繕の手すら不純物である、との言葉を残している。
しかしながら、現代オルゴールは神造オルゴールの劣化コピーに過ぎず、その理想とは程遠い。ブレインシリンダーが行うのは、楽譜の模倣と推論であって、想像ではない。想定外の状況に弱いことには変わりなく、奇手を発想する力も持たない。そうした現代オルゴールの弱点を、人間の感性により補強する。それが演奏者の役割だ。
演奏者は音子共鳴性を持つ特殊合金製の《演奏器》を駆り、オルゴールの音色を即興で改変する。その効果は楽譜のクオリティに匹敵すると言われ、同じスペックのオルゴールであっても、演奏者の技量で数倍の戦力差が生まれることもある。
オルゴールの演奏には、状況判断力や芸術的センス、何より旋律の熟知と感応が必要とされる。大概の場合、オルゴールの力に比例して、演奏の難易度も上がる。
俺は二号を熟知する気などないし、感応などもっての外だ。技術的にも精神的にも、神造オルゴールなど扱えると思えない。
何か現れても、出来れば火器か右腕で対処したい。更に出来ればもう帰りた……。
「おぉい! 一匹そっち行ったぞォ!」
何処かから男子生徒の声。続けて、薄い鉄板を叩く音。
顔を上げると、二足歩行タイプのオルゴールが、三軒先のジャンク屋のトタン屋根に立っていた。不格好な多関節腕と、暗視機能付きの単眼カメラ。インフラ整備用オルゴールだ。両手をグラインダーに換装している事から、歯車のカット及び研磨役か。グラインダーを唸らせ、猛り狂ったように火花を散らしている。
単眼の焦点が二号に合わさる。次のターゲットを定めたようだ。
「ふふっ。ついにボク達の力を見せる時が来たようですね、つっくん!」
二号はキザったらしく、口の端を吊り上げた。
「さあ、パーティの始まりです!」
「OK」
整備用オルゴールがトタン屋根から飛び降りる。数少ない店番達が一斉に奥へ引っ込む。二号が両腕を広げ、自らの存在をアピールする。俺はポップコーン販売機に硬貨を入れる。
「えっ……ポップ、えっ。つっくん?」
「どうした。パーティを始めろ」
「パーティと言うのは、モノの例えですよ? ボクの事、演奏してよいのですよ?」
「承知の上だ」
「お、お姉さん、狙われてますよ? 削られそうですよ?」
「望む所だ」
「望まないで下さい!」
整備用オルゴールが咆哮する。通りすがりの小型オルゴール犬を蹴り飛ばし、二号目掛けて一直線に走る。リミッターの外れた突進だ。
「じょ、冗談ですよね!? つっくんの事信じていいんですよね!?」
「信仰は自由だ」
「せ、せめてボクを見て下さい! ねえ! ジャンク屋さんの店頭品を物色しないで! ナットの詰まった瓶を漁らないで! 演奏していいのですよ! いいのですよ!?」
「お、このナット土星の台風に酷似してるぞ」
「つっくん!? ……お、覚えてろですよ!」
ようやく二号は一人で戦う覚悟を決めたようだ。走りだそうとして……コケた。足音からして、石畳に躓いて二歩目でコケた。運動神経悪っ。よう姉並みだ。
グラインダーの音が近い。整備用オルゴールはもはや目と鼻の先だ。二号が立ち上がろうとして、また転ぶ。
億が一にも、このまま整備用オルゴールが《令嬢の棺》を破壊してくれるのなら万々歳だが……。まず無理だろう。表皮の剥がれた二号の姿は想像したくない。自己防衛機能が働いても厄介だ。
周囲を見渡す。ジャンク屋は危険を察知して奥に引っ込でいる。半径二十メートル圏内に人影はない。監視カメラもない。
一セント硬貨を瓶に放り込み、代わりに極小ナット一つを失敬する。義手の親指で弾いて飛ばす。狙うは整備用オルゴールの大腿骨。暴走により装甲が剥け、剥き出しとなった下肢運動伝達部だ。入り組んだ歯車の狭間にナットが挟まる。整備用オルゴールがつんのめり、勢い余って宙返りする。二号を飛び越え、俺の元へ。
第一圧力弁、二分開放。
義手の指先が整備用オルゴールの首筋を掠める。
「調律開始」
《ウォーデンクリフの塔》が電流を奏でる。瞬きよりも僅かな時間、指先がかすかに光る。演奏された電子は、装甲の薄い首を伝わり、胸部の奥人形の頭脳である音子演算機に到達する。整備用オルゴールはその勢いのまま、ジャンク屋の柱に頭をぶつけて倒れこんだ。ビスが数本弾け飛び、足元を転がる。
背中に印字された点検番号からして、地下街の歯車整備用オルゴールのようだ。つまり、オルゴール連続暴走の原因は昨夜の作戦にはないらしい。それが解れば十分だ。義理は果たした。踵を返し、ジャンク長屋を通り抜ける。暴走オルゴールは放置だ。どうせ、二分後には自分の首を切り落としている。
「……忘れ物ですよ、つっくん。覚えてろと言ったはずですが」
「あ」
振り返ると、二号が憮然とした表情でポップコーンを頬張っていた。