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蒸気自鳴式復讐喜劇『デウスの合奏』  作者: しい武田
一章:不本意ながら転入生
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三話

 アンティキティラ学園は、オルゴールと蒸気機関の専門家を養う島内最大の学校だ。同時に、世界最高峰の研究機関の集合体でもある。アンティキティラ島の発見と同時に創立されたと言われているが、詳細な記録は殆ど残っていない。学園史そのものが歴史家の研究対象となるほどに謎に包まれている。

 高等部、大学、院まで合わせ、学生数は十七万を超える。高等部はオルゴールを扱う音子科と、蒸気機関を扱う蒸気科の二つに解れており、大学以降は専門によって更に細分化される。学生証に曰く、俺は今日から音子科の三年生らしい。

 《令嬢の棺》に首根っこを掴まれたまま、無装備、単騎で敵の牙城に乗り込む。学園正門が怪物の大口に見えて生きた心地がしなかったが、あっさりと、いとも簡単に、侵入は成功した。噛み砕かれも、胃酸に溶かされもしていない。

 そして、音子文明の敵対者、電子文明の尖兵たる俺は、音子科三年F組の教室に、これ以上ないほど死んだ目で立つに至ったのだ。


「えーと、突然で驚いたと思うけどね、あの、本日から音子科三年F組に、新しい仲間が入りました。良かったねー」


 呑気な担任の声に、まばらな拍手が応える。三F担任のハドリー教諭は、一言で言えば、だらしなさそうな男だ。鳥の巣状の髪と曲がった背筋。身にまとうスーツはポロシャツの方がまだ格好がつく、というほどよれており、いかにも求心力に欠ける、頼りない雰囲気を醸し出している。オルゴールに関わる人間は、工業系と芸術系の二種類に大別出来るが、どちらにも彼のような身なりに無頓着な者はいる。


「音子科の三年次編入生は、何と14年ぶりだそうだ。倍率数百倍の試験を抜けてきた、優秀な学生だよ」


 声量がないわけではないのだが、教諭の声は何処か弱々しい。教室の後ろまで届いているのか不安になる。と言うのも、音子科の教室はとにかく広いのだ。普通科中等部の教室に比べると、同じ30名でも三倍以上の面積がある。理由は簡単で、学生達が一人につき最低一台、オルゴール人形を連れているからだ。工業製品、工房製ワンオフ品、美術品、etcetc……。握り拳大の小型オルゴールもあれば、人型のオルゴール人形もある。戦闘特化のものも多い。

 もしこの教室の面子に一斉に襲い掛かられたら、30秒と持たない自信がある。

 そう言う意味では、俺は二つの不幸中の幸いに感謝せざるを得なかった。

 一つが、《令嬢の棺》の姿に反応する者がいないこと。ごく自然な、目を引く容姿の人形扱いだ。組織の情報では棺の中について一切の言及はなかった。希望的観測を言えば、上層部すら《令嬢の棺》の人間体を把握していない可能性もある。出来れば、そうであって欲しい。

 もう一つが、アンティキティラ学園が昨夜の事件を隠蔽していることだ。

 襲撃自体は誤魔化せるはずもないが、《令嬢の棺》を失った事実も、テスラの怨霊の存在も、学園新聞号外には一切の記述がなかった。

 神造オルゴールは、文明の舵を取る権利書だ。その所在は世界のパワーバランスに直結する。音子研究の覇者たるアンティキティラ学園がそれを失ったと言うだけでも、歴史の教科書に乗る大事件だ。まして強奪したのが『テスラ』の名を冠する組織ともなれば、世界中に大混乱を巻き起こすこと必至だ。まあ、強奪されたのは俺の方だが……。

 勿論、《テスラの怨霊》なるネジの飛んだ組織が実在し、本当に《令嬢の棺》を奪ったのだとすれば、隠し通す意味は無い。しかし、学園はその実在を疑っている。何故か。昨夜の事件の星が死体で上がったからだ。念の為に言うが、俺ではない。

 死因はバイク運転中の失血死。死体が上がったのは下層七区。一般の目には単なるスラムだが、裏社会に多少鼻が利く者は知っている。企業連合の勢力圏だ。

小賢しい色眼鏡を掛けた者には、テスラの名の背後に、事件を手引きし《令嬢の棺》を盗み出した大企業が透けて見える。学園にしてみれば、電子文明の残党などより、よほど現実的なビジネス上の敵対者だ。だからこそ、確証を得るまで学園は動かない。

 この嫌らしい隠蔽工作。間違いなく、グレゴリオ博士の指揮だ。俺は組織に助けられたのだ。正直言って、驚いた。

 神造オルゴールを破壊し、テスラの名で電子的再征服を宣告する。それこそが昨夜の作戦における、組織の主目的だったはず。しかし、肝心の工作員は《令嬢の棺》を破壊せず、失踪。その上連絡も入れて来ない。任務失敗どころか、裏切り行為そのものだ。

 切り捨てられて当然と覚悟していたが、「口封じするには面倒な相手」程度には評価を受けていたようだ。

 まあ、それはいい。それよりも、だ……。


「では、転校生くん。自己紹介をよろしくね」

「……………………………………」


 俺は一体何をやっているんだ。

 三年前のあの日。俺は全てを失ったはずだ。夢も、好奇心も、将来も、希望も、よう姉と一緒に燃えて消えて、代わりに復讐を手に入れた。それが俺の人生だったはずだ。

 なのに、なんだ? この仕打ちは。どうしてよう姉の贋作と、呑気に謎の転校生を演じているんだ。本物のよう姉と夢見た舞台であるはずなのに。嫌な夢か悪い冗談だ。不幸中の幸いにしても、幸いが悪趣味だ。

 俺は自分の事を善人だと思ったことはないし、正義だとも思っていない。散々悪どい真似をしてきた。しかし、いくら何でも、この仕打ちはあんまりではないだろうか。

 一体、何処で選択を間違えた?

 神造オルゴール破壊作戦と聞いて、一も二もなく志願したのが不味かったのか。《令嬢の棺》は他のエージェントに任せ、裏方に回るべきだったか。

 グレゴリオ博士にも言われたことがある。俺は自殺志願者であり、プロフェッショナルではないと。危険を嗅ぎ分け、見極める力が弱いと。『そこが素晴らしい』とか付け足されて気色悪かったので無視したが、今思うと正鵠を射た指摘だ。

 仕事を選ぶ眼、未来を掴み取る力が、根本的に欠けているのだ。


「き、緊張してるのかな? 皆新しい仲間の事が知りたくてウズウズしているんだ。出来ればその、名前とか趣味とか、特技とかを教えてくれると、嬉しいかな」

「…………握力が…………ない」

「握力! みんな、聞いてくれ。彼は握力がない。右手は凄そうだけど、握力がないんだ。だから、その、気を配ってあげてくれ。握手の時とか、握り過ぎないように。えと、他も情報は?」

「…………選球眼が…………悪い」

「聞いたかいみんな! 転校生の情報が更新されたよ。彼は選球眼が悪くて、握力がない。ベースボールには誘わないほうがいいな! あの、そろそろ名前をさ、みんなに……」

「……………………………………」

「こ、こらですよ、つっくん!」


 制服の袖が引っ張っられる。俺の背中ごしに教室の様子を伺っていた《令嬢の棺》だ。耳打ちしようと精一杯背伸びしているが、肩打ちに留まっている。


「またボク達の燃え盛る青春の日々が始まるのですよ! 死んだ魚の目をしている場合ではありませんよ!」

「……焼き魚になりたい……」

「つっくん……」


 《令嬢の棺》の口がへの字になる。俺は、この顔を知っている。これは、『仕方がないですね』の顔だ。

 嫌な予感がする。雲の中を浮遊していた意識が現世に帰る。背中に冷や汗が流れる。よう姉がこの顔をした後は、必ずと言っていいほど有難迷惑なことをするのだ。

 釘を刺すよりも早く、《令嬢の棺》は俺を押しのけ、ぎこちない動きで前に出た。両足を同時に前に出そうとして転びかける。まるでロボだ。リアルロボだが。


「こ、コングラッチェ! はじめましたです! つっくんの名前が三机詰です! ボクは香ばk、あ、これつっくん怒ります。じゃなくて、令……あダメ。じゃあ、二号です。YK二号と言います。めでたいですね」


 何がだ?

 YK二号と名乗った《令嬢の棺》は、ガッチガチに緊張していた。必要最小限未満の情報をここまで撹乱して伝えられるとは、ある意味才能だ。緊張の才能がある。

 やはり偽者だ。俺の記憶では、よう姉はこんな人見知りではなかった。友達も沢山いた……と、思う。あったことはないけれど。


「つ、つっくんは! えと、むすっとして無愛想ですが、いい子ですよ! 噛み付かないし、思ったほどガスも撒きません! 意外とへんなにおいもしません! お姉ちゃん子で軽くヤンデレなのです! めでたいですね」


 めでたくない。

 プラスな情報0のフォローに、胃がチクリと痛む。思ったほどガスも撒かないって、少し撒くって事だろ。事実だが。軽くヤンデレって、誰も近寄ってこないだろ。事実だが。


「そ、それに、ボク達二人には夢がありますよね? つっくん」

「ない」

「ボ、ボク達には夢があるのです! それは、《街の唄》の実在を証明して、その謎を解明すること! そして、アンティキティラ島を演奏して見せること! ゆくゆくは、街の謎全てを解き明かし、歴史に名を残す碩学になるのです! 権力に目がない人は、よろしくしておくと良いですよ! めでたいですね」


 めでた推しを止めろ。胃痛が凄い。ウニが暴れているのかな? と思うほど凄い。

 クラスメート達は完全に困惑顔だが、二号の背中は、何かをやり遂げた雰囲気を醸し出している。


「悪ぃ。ちっと確認させろ」


 教室後列から声がした。机上で足組みしていた男子学生が右足で挙手していた。挙足か。赤髪で短髪、長身で、褐色の肌と引き締まった体をしている。首周りの筋肉の付き方から推測すると、打撃系の格闘技の経験者だ。両腕が戦闘用機械義手であり、握力も強そうだ。


「オメェら、どっちが人間?」

「……………………………………俺だ」


 仕方なしに手を挙げると、生徒の3分の1がどよめいた。




 一限の授業は演奏実習だそうだ。HRを終えた俺達は、教諭に連れられ、学園購買街のアーチ下に並ばされた。

 学園購買街は、学園を代表するショッピング施設だ。アンティキティラ学園を自己完結した都市たらしめているのは、一重にこの購買街の存在有りきだ。

法律の範囲内ならば、手に入らないものはない……とまでは言わないが、日用品から嗜好品、研究機材や圧縮蒸気缶など、生活に必要な物は一通りここで揃う。地上にあり、学園警備隊の目が光っているので、(アンティキティラ島の商業施設にしては)健全な経営が為されている。

 石造りの古風な建物を基調として、中身は古本屋やジャンク屋、文具屋や小洒落たアパレルショップや学生向けの食堂など。実に健全なラインナップだ。

 その一部は鋭利な何かに切り裂かれ、無残に蒸気を吹き上げているが。

 昨夜の大立ち回り(主にレヴィアタンの暴走)の影響で、購買街の三割が閉鎖状態なのだ。数十体の建造用オルゴールが駆り出され、着々と再建作業が進められている。掲示板曰く、四日後には完全復旧だそうだ。


「えーと、で、ですね。古き良きオルゴールシリンダーと、エジソン卿以降のオルゴールシリンダーとでは、製法が大変異なる部分が一つあります。さて、それは何でしょうか。詳しく語って欲しいかな」


 鳥の巣を掻き、教諭が回答者を探す。学生達が一斉に下を向き……そして、次にその視線が俺に集まった。


「お、じゃあ三机君。選球眼の悪さは積極性で補う。いい傾向だよ。で、答えは?」


 ひとりでに左手が挙がっていた。正確に言うと、ポンコツが俺の肘を持ち上げていた。胸の内で舌打ちする。


「……シリンダーです。楽譜の記録方法が違う」

「その通り。常識だね。じゃぁ具体的にはどう違うのかな?」

「旧来のオルゴールシリンダーは、楽譜をそのまま記述して作られました。奏でられるメロディは常に一定であり、必然的に音子の流れ、つまり演算内容も一定です。決められた状況で決められた行動を取ることは出来ても、未知の環境に対応出来ません。局面特化で汎用性に欠けます」

「では、エジソン卿以降のオルゴールシリンダーは? ブレインシリンダーと呼ばれているけれど、どんなものかな?」

「楽譜を記述するのではなく、楽譜を“学習”します。対象の楽譜を記述した教示オルゴールと共鳴することで、楽譜を模擬し学ぶのです。学習を終えたブレインシリンダーは原曲をなぞりつつ、未知の状況にも対応した演奏が可能です。一般に音子共鳴性の合金で鍛造されるのですが、学習アルゴリズムによって調合種別は……」

「あ、うん。もうOK。十分だよ。大正解」


 少し、クラスがざわつく。「流石三年次編入生」「ただの変人じゃないんだな」などと聞こえてくる。

 不本意ながら、演算知能に限った話で言えば、俺は一般の学園生に比べ一日の長がある。よう姉と《街の唄》を追い求めていた頃に、色々と勉強したからだ。芸術系オルゴール作家のよう姉と違い、俺には音を生み出すセンスがなかった。だから、工学系の知識で補おうとしたのだ。

 テスラの怨霊から《ウォーデンクリフの塔》を与えられたのも、組織には数少ない、演奏知能の専門知識保有者だからだ。対象の楽譜構造を見極め、対応する調律を仕掛けなければ、テスラ卿の遺産も肌ちりつかせ発電機に成り下がる。


「さて、えと、ね。先程ご紹介に預かったブレインシリンダーだけど、実は未学習のサンプルを用意したんだ」


 教諭はいそいそと手持ち鞄を開け、二つのオルゴールを取り出した。一つは体長二十センチ程の四足歩行の犬型オルゴール。もう一つは銀色の小箱で、飾り気のない典型的工業オルゴールだ。どちらも蒸気機関の類は搭載されておらず、代わりに巻きネジが取り付けてある。ゼンマイ式だ。


「教師として、皆の学びの為に自費で買ったんだよ。息子にプレゼントしたけど突っ返されたとか、そんなことは決してないよ」


 教諭が犬玩具を手に取り、巻きネジを数回回して、地上に放つ。犬玩具はたちまち猛ダッシュして、アーチの根本に激突した。ひっくり返って、なおも足をバタつかせている。障害物の避け方も、立ち上がり方も知らないのだ。息子も気持ちもよく解る。


「では、私の飼い犬、ペロ君の行動を学ばせてみるね。ペロ君の行動を楽譜にして、教示オルゴールを作ってみたよ。共鳴させてみよう」


 教諭が銀箱のネジを巻き、暴れ続ける犬の隣に置く。それぞれのオルゴールが青と緑の薄いオーロラ光を放ち始める。二色のオーロラ光は絡み合ってうねり、やがて完全に混ざり合う。

 演奏が止み、オーロラ光が霧消する。すると、犬玩具はすくっと立ち上がり、甘えるように教諭の足に鼻先を擦りつけはじめた。ペロ君の行動様式を学習したのだ。


「おーよしよし。見てよこの懐きぶり。ペロ君は先生に優しい唯一の家族でアウチ! 痛っ! 噛まれっ! そ、そう。結構噛むんだよね。ペロ君は。愛情表現だよ。誤作動じゃないよ。近頃は名前もガブ君にしておけば良かったと思うぐらいだだだだだ! 抉れる! 肉抉れる!」


 玩具の出力で抉れることはないと思うが。玩具と格闘する教諭から、生徒達は揃って目を逸らした。

 二分間に及ぶ壮絶な戦いの末、教諭は勝利した。玩具のゼンマイ切れでだが。


「お、おほん! こ、このように、完璧な学習など存在しないんだよ。音子そのものもまだ謎の多いエネルギーだし、オルゴールと誤作動は、残念ながら切っても切れない関係にあるんだ」


 そう。オルゴールは暴走する。世界の常識だ。勿論、市販の学習済オルゴールには幾重にもセーフティーがかけられているが、それごと暴走することもままある。

 それでもなおオルゴール人形が幅を効かせているのは、言ってしまえば便利だからだ。交通事故の可能性を理由に乗用車が廃止されることはないのと同様、利便性の重みは時に人命を上回る。

 音子文明の重大な欠陥をさらりと流し、教諭はあくびが出るほど呑気に続けた。


「そこでだ。今日の演奏実習では、君達に誤作動を起こしたオルゴールの、デバッグをしてもらおうと思う」


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