三話
《令嬢の棺》が納められた大時計塔地下祭壇は、オルゴールの研究機関、アンティキティラ学園の中心部であるにも関わらず、静まり返っていた。外の騒乱も届かない。自分の呼吸音すらうるさく感じる。ここだけは時間が止まっているかのようだ。
目的の物はすぐに見つかった。最奥の台座に安置されたその函は、無数の歯車と蒸気管と送音線に繋がれている。
あとは手筈通りに、木製の外箱を物理的に破壊し、内部を義手で調律。暴走させて自壊させる。急がなければ。時間がない。至近距離で《ウォーデンクリフの塔》の最大出力を叩き込んだが、それでも効果時間は持って三分といったところ。そろそろ、第三装甲合奏団以外の警備用オルゴールも到着するころだ。《水銀時計のレヴィアタン》の暴走が終われば、後の流れは想像するまでもない。
受けた傷は決して無視出来るものではない。行動不能になる箇所の骨折こそないものの、打撲が全身にある。歩行の振動で伝わってくる痛みからして、アバラにも一部ヒビが入っている。
「――――っ!?」
膝の力が抜け、バランスを崩す。遅れて、左脇腹から痛みの信号が到着した。見ると、防弾コートごと抉れ、そこから赤色が溢れている。戦いの最中、何処かで傷を負っていたようだが、心当たりが多過ぎて何処だか解らない。傷口に触れると、泥のように濁った血がべっとりと付着した。指の間で糸を引く血糊は、放置すれば命に関わると理解するに十分だ。痛みに現実感がない。三半規管が仕事を放棄し、真っ直ぐ立つことすら苦労する。油汗の滲んだ額がやけに冷たい。
ふらつく足を叱咤し、《令嬢の棺》まで辿り着く。義手を振り上げ……。
「入ってますよー」
「あっはい」
…………………………………………………………………………………………ん?
義手を一度下し、俺は眉間を抑えた。幻聴まで聞こえてくるとは。しかも反射的に返答してしまった。いよいよもって限界が近付いたようだ。もう一度、拳を振りかぶる。
「あ、あの、入ってるんです!」
「入ってない」
「え、え!? いや、入っ……!」
今度こそ、全力で《令嬢の棺》を殴りつける。《水銀時計のレヴィアタン》に通用しなかったといえ、戦闘用にチューンされた機械義手だ。木製の外箱は呆気無く四散する。そして……。
「……とてもダイナミックなセクハラですね、つっくん」
思考がフリーズした。
(幻覚か? それとも、俺はもう死んでいたのか?)
壊れた函の中で、亡くしたはずの“彼女”が横たわっていた。
何処か繊細で儚げな瞳。泣きぼくろ。上品で形のよい唇。セミロングの艶やかな黒髪。起伏があるとは言えないが、それでも女性的な裸体。振り下ろした拳は、彼女のコンプレックスだった控えめな胸を軽く歪ませている。
少女の側頭部にはこぶし大のボルトが突き刺さっている。その胸の内から、十六鍵盤のノスタルジックな音楽が流れている。それは少女が人ではないことの動かぬ証拠だ。しかし、彼女が醸し出す雰囲気は、あまりにも……。
「……よう、姉……?」
「いいえ」
俺は知っていた。この底冷えする声を聞いたが最期、自分の身に何が起こるかを。
「怒ったよう姉です」
顎から鈍い音がして、俺の意識は闇に落ちた。