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蒸気自鳴式復讐喜劇『デウスの合奏』  作者: しい武田
序章:オルゴール島の敵対者
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二話

 車体の左右二カ所に取り付けられた噴射口から高圧蒸気を射出し、蒸気爆発で崩れた体勢を立て直す。落下速度と前進速度を調整しながら、オーロラ光に照らされた学園を確認する。


 目的地である大時計塔までの距離は直線距離で千四百三十メートル。落下予想地点は、学園購買街と大学校舎に挟まれた区画だ。

 各地で甲冑騎士型オルゴールが整然と隊列を為しており、その行動範囲をカバーするかのように、狼型の群れと、全長八メートルに迫る大蜘蛛型が配備されている。上空には大鷲型の空戦用オルゴール。いずれも資料通りの最新型だ。

 そして、それら全てを併せた以上の威圧感が大時計塔の前に鎮座している。

 それは、オルゴール仕掛けの巨大な海竜だ。高密度音子によって薄紫に光る装甲は、この距離でも十分肉眼で捉えられる。その奏でる音は、この距離この騒音下でも風音をかき分けハッキリと聞こえる。生物を思わせる力のうねり、膝を付きたくなる程の荘厳さ、製作者の執念を感じさせる音だ。ふと見ると、左腕に鳥肌が立っている。オルゴールの生み出す音子エネルギーは、その表現力に比例する。海竜が持つ音の深みは、工業品のオルゴールとは一線を画している。

 海竜の名は、《水銀時計のレヴィアタン》。十八世紀の名工、グスターヴ・モロー全盛期の作で、博物館に展示されていてもおかしくない骨董の名品だ。主兵装は口から吐く超高圧水銀砲。高出力の外燃機関で生み出した圧縮蒸気で打ち出した水銀を、さらに音子の力で加速する、所謂水銀カッターだ。射出速度は……地上から放った水銀が上空の特殊合金の塊をゼリー扱いしたことを考えれば、マッハ数十の単位で語れるかどうか。

 頬からこめかみへと這い上がった冷や汗が、着地の衝撃でコートに落ちる。サスペンションが盛大に軋み、車体がワンバウンドする。着地地点は噴水広場。夕暮れ時にはカップルが肩を抱き合っているだろうベンチを、重量600kgのバイクが踏み潰す。


『止まれ、小さきノイズよ!』


 学園中のスピーカーから、凛と張った女の声がする。霧のせいで姿は見えないが、俺はそれが誰かを知っている。鉄血騎士マルティナ。十七万の学生を持つアンティキティラ学園でも五本の指に入る天才であり、《水銀時計のレヴィアタン》の使い手だ。今夜の警備が彼女であることは、事前に調べがついていた。


『これは最後通告である! バイクを止め、武器を捨て投降せよ! これ以上の狼藉を働けば、命の保証はしない!』


 既に侵入を赦したにも関わらず、マルティナは発砲命令を出さず、未だ警告に留めている。しかし、この状況でそれを油断や慢心と呼ぶことは誰にも出来ない。味方は一個師団。相手はバイク一台。傍から見れば既に決着はついている。音子を信奉するアンティキティラ島の常識では、マルティナの行動は勝利者の余裕そのものだ。そして、その余裕が俺にとって唯一の勝機でもある。

 噴水広場を走りぬけ、十字路に差し掛かる。そこからのルートは直進右折左折の三通り。

 上空の記憶と組織の資料を信じるならば、直進ルートは学園大通りを通り、立入禁止区域の大時計塔までを一直線で駆け抜けるルートだ。当然却下。水銀カッターのいい的だ。右折ルートはカーブが多過ぎて速度が出せない。狼型に喰いつかれれば一巻の終わりだ。となると、選ぶは比較的警備の手薄な左手のルート。学園購買街を通り、三度のカーブを挟んで目的地へ向かう。大時計塔周囲の立入禁止区画百メートル以外では、《水銀時計のレヴィアタン》と直接対峙せずに済む。


『止まれと言ったぞ下郎!』

「断る。退け」

『ほう?』


 視界でなく、音で侵入者を探知しているのだろう。マルティナは俺の返答に反応した。


『当方は学園の守護者、第三機甲合奏団である! 我が演奏は台風の如く、悪をなぎ倒す天災である! 今一度問う、答えは!』

「退け」

『当方の戦力は四の大鷲型! 八の大蜘蛛型! 三十二の甲冑型! 百二十八の狼型! エルダー級オルゴール《銀時計のレヴィアタン》である! 答えは!』

「退け」

『総重量3763t! 総熱量425MW! 活火山に迫る人造熱量が貴様を狙う! 答えは!』

「退け」

『我が学園との敵対は音子文明との敵対である! 人類との敵対である! 答えは!!』

「お前の最後は何度あるんだ」


 一拍、マルティナが押し黙る。見えはしないが、不思議と表情が想像出来た。奴は今きっと、笑っている。


『四度説いた。四度裏切られた。ブッダフェイスの教えに基づき断言する。それは貴様が悪との証左だ。故に正義は定まった!』


 人造狼の群れに追い立てられながら、無人の購買街を時速290kmで走る。オルゴールパーツを安売りするジャンク屋を曲がる。蒸気噴射で横転を防ぎつつ、速度を落とさず一度目のカーブ。


 ―――残り八百三十メートル。


 カーブした先の街路に甲冑型五体が並び立っていた。その腕には大型のガトリング砲が抱えられており、砲身は既に空転を始めている。


『私は規律を演奏する! 貴様は感動して死ね!』

「チッ……!」


 懐から圧縮蒸気手榴弾を取り出す。安全ピンを引き抜き、宙に放る。それは甲冑型の丁度真上で炸裂し、周囲一体を濃霧で包んだ。


「調律開始」


 キン、と耳鳴りがし、ほんの一瞬、霧を青白い光が照らす。


『そのような目眩ましでェ!』


 甲冑型が一斉にその火力を展開する。秒間の発砲音は千では効かない。オーバーキルの火砲が降り注ぐ。石畳が削れ、はじけ飛んだ破片が車体を叩く。全てが綯い交ぜになった轟音が鼓膜をつんざく。むせ返るような鉄の臭いが肺を掴む。


 そして……。霧を抜ける。棒立ち同然の甲冑型の横を通りぬけ、俺は走っていた。バイクも無事。放たれた銃弾は、尽く狼型の頭や足を撃ち抜いていた。


『馬鹿な、無傷!? 我が台風に晒されながら、一切被弾せずに凌いだと!?』

「台風には目があるものだ」

『黙れ! 我が正義は盲目だ!』


 いいのかそれで。


『まあいい、小細工など弱者の証明! 正々堂々! 威風堂々! 王道こそが騎士の道!』

「王の道だろ」


 コーヒーショップの上から飛び掛ってきた狼型をサブマシンガンで迎撃し、二つ目のカーブを曲がる。


 ―――残り四百七十メートル。


 古本屋の横を通り過ぎ、甲冑型が振り回した腕を潜り抜けたところで現れたのは、大蜘蛛型一機と大鷲型二機だ。左右を飛ぶ大鷲型が腹部に備えたロケット砲を発射する。組織から得た事前情報では、エコー誘導機能を備えた最新型。一度ロックされてしまえば、躱し切るのは不可能だ。


「調律開始」


再び、夜闇を青白い閃光が照らす。次の瞬間、左手側から発射されたロケット砲が軌道を変え、蜘蛛型の足元に着弾した。爆風により大蜘蛛型が空中に飛び上がる。それが俺を護る分厚い盾となった。右手側のロケット砲が直撃し、大蜘蛛を構成していた無数のパーツが弾け跳ぶ。赤熱した装甲片が脇腹を掠める。痛みは感じない。感じる余裕がない。


『オルゴールも使わない、生身の男一人に蜘蛛を喪うなど!』

「上に知れたら大目玉だな。台風だけに」

『貴様ァ! 我が第三装甲合奏団を前に上手いことをォ!』


―――残り百メートル。


最後のカーブを曲がり、購買街を抜ける。一気に視界が開け、雲を突き刺すかの如く聳える大時計塔と、そのふもとに待ち構える《水銀時計のレヴィアタン》の姿が露わになる。ラストスパートだ。

《水銀時計のレヴィアタン》が石畳に尾を叩きつける。吹き飛んだ石礫が飛来する。回避ルートを妨害する狼型をサブマシンガンであしらいつつ、岩の隙間を縫って走る。狼型の爪が鼻先を掠め、マスクを弾き飛ばす。

命からがら岩雪崩を突破するも、曲芸の成功を祝う暇はない。めくれ上がった石畳に乗り上げ、空中に飛び上がる。数秒の隙に、《水銀時計のレヴィアタン》が大口を開けている。ぬらりと光る牙の奥に強烈な紫、音子の光。水銀カッターが来る。こちらは滞空中だ。速度、高度から言って、着地まで三秒はかかる。蒸気噴射で回避……は、読まれている。ならば……!

蒸気バイクを足場にし、空中でさらに飛び上がる。足元を水銀カッターが薙ぐ。蒸気バイクが炎を吹き上げ、爆風が背を煽る。内臓が持ち上げられる感覚。心地の悪い浮遊感。五階建ての校舎すら見下ろす高さ。眼下に騎士装束の女が立っている。夜闇にあってなお光る金のロングヘア。はっきりした目鼻立ちのせいか、ニヤついた表情がよく解る。

 戦闘用義肢を付けたとしても、生身の人間は軍事用オルゴールへの有効打を持ち得ない。バイクを潰せば勝負は決まる。その通り。全くもって正しい。ただし、お前達の常識なら。


 ―――残り五メートル。


 《水銀時計のレヴィアタン》の頭部はもはや目前。鱗の造形まで視てとれる。


「リロード」


 義手下腕部が展開する。中から焼け焦げたオルゴールシリンダーが薬莢のように排出される。義手の内部は、異形のオルゴールだった。一般的なオルゴールに見られるゼンマイや調速機の姿はない。シリンダーを迎え入れる薬室には、鮫の歯を連想させる鍵盤が所狭しと並んでいる。一目で音が出るはずがないと解る代物だ。見る者によってはグロテスクさすら感じるだろう。

 懐から新たなオルゴールシリンダーを掴み、義手に装填する。


「第一圧力弁解放」


 義手上腕部に充填された圧縮蒸気が解放され、シリンダーが回転を始める。


「第二圧力弁解放。発電開始」


 シリンダーが回転速度を上げ、コイルが発電を始める。周囲の霧を電気が伝い、肌がちりつく。毛が逆立つ。


「第三圧力弁解放。最大出力」


 拳が青白く輝く。機関の熱量で肩口の肉が悲鳴を上げる。


「調律開始」


 海竜の眉間に拳が落雷する。電光が学園全体を照らす。



 数秒の後、俺は石畳に横たわっていた。義手による受け身は成功したため、骨は折れていない。しかし、急激な血圧の変化で視界が暗くぼやけている。義手が発熱し、肩が火傷している。

 《水銀時計のレヴィアタン》はというと、立っていた。聳えていた。ごく普通に。石畳の上にトグロを巻き、五十メートルの高さから俺を見下ろしている。拳を当てた眉間は見えないが、芸術的造形の鱗には傷一つついていないだろう。水銀カッターはチャージ済。照準は俺の心臓だ。地面の振動からして、カーチェイスで置き去りにした第三装甲合奏団も次々と集結してきている。


「は、はは……くはははは……!」


 重い靴音。月を背景に歩く騎士装束の女。マルティナだ。手に握ったレイピアは、オルゴールを操作する指揮棒だ。一挙一足乱れない美しい歩き姿だが、口元の笑みが肉食獣だ。


「はははは! はぁははははははは! 何だ今のは? ただ光るだけか!? 初等学校の余興にしてももっとマシなものがあるぞ! 無様にも程がある!」


 倒れこんだ俺に、切れ長の赤い瞳が憐れみの視線で見下す。肉声が届く距離にまで近付いてみると、文句のつけようなく美人だ。性格が惜しい。


「どんな気持ちだったんだ? まさか、パンチ一発で勝ったと勘違いしたのか? はっはっは……効くわけねーだろ! 正義なんだから! ハハハ正義! ハハハハ正義!」


 奇妙な高笑いと共に、マルティナの鉄製の靴底が俺の腹部を踏みつける。鉄味の混じった胃液が逆流する。


「引き攣った顔だなァ! 今更臆したか!」

「…………臆した? 誤解があるな」


 博士の言う通りだ。俺は改めて、自分の表情筋の硬さを思い知った。


「笑っているつもりだ」


 《水銀時計のレヴィアタン》が咆哮する。重い振動で小石が跳ねる。音子の輝きが一層激しくなり、そして……放たれた水銀が後続の第三装甲合奏団を薙ぎ払った。一機の大鷲型、二機の大蜘蛛型、四機の甲冑型、二機の狼型がゼリーのように断面をさらし、次々に蒸気爆発を起こす。


「なっ………………は?」


 マルティナがぽかん、と間抜けに口を開けた。

 海竜の乱心はなおも止まらず、アーマードオートマタを尾の一撃で叩き潰す。ふざけた破壊力だ。必死に逃げてきたのが馬鹿らしくなる。


「知らないぞ……何だ、何が起こっている? 《レヴィアタン》が主の命に背くなど、これまで一度もなかった。この技術は……、誰の……」


 マルティナは腕をだらりと落とし、愕然と破壊の限りを尽くす《水銀時計のレヴィアタン》を見つめている。やがて、思い当たる節に行きたかったのか、弾かれたように俺を睨んだ。まるで百年前に沈没した幽霊船を見るかのような目だ。


「まさか……その腕! ニコラ=テスラの、忌まわしい稲妻博士の遺産か! 電子文明の残党、それが貴様か!」

「ご明察だ。あと一分早ければな」


 マルティナの足を左手で掴んで、引きずり倒す。腰のホルスターに伸ばした手を払いのけ、義手で首を締める。

 義手の名は《ウォーデンクリフの塔》。世界唯一の電気を奏でるオルゴール。音子を憎み、交流電流を愛した稀代の天才、ニコラ=テスラの遺産である。義手の生み出す電界は音子の挙動にノイズを与え、オルゴールの思考を狂わせる。


「が……ぁ、ぁ……!」

「俺達は怨霊、テスラの怨霊だ。覚えておけ」

 頸動脈を軽く押し込むと、赤い瞳は意思の光を失った。

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