卒業式
あっという間に卒業式になった。
卒業式のその日は、良い天気だった。
着なれぬ袴を着て、学位を受け取ると本当に卒業なんだなと実感して寂しくなる。
もしかしたら、二度と会わないかもしれない。そう考えると別れの言葉も感慨深くなって、握手する手に力が籠った。
「よぉっす! 野田。卒業、おめっとさん」
「これ俺らから!」
どんっと渡されたどでかい袋に顔が引きつる。
なにこの大きさ。中を覗けば、駄菓子が大量に入っていた。卒業のギフトでどうしてこうなった?
「だって、お前花とか沢山貰いそうじゃん」
野田ってさ女の子から花束一杯貰いそうだよなぁ。……許せん。
これ貰って下さいっ! と頬を赤らめた可愛い女の子に貰うんだろ……許さん。
そんな話し合いの末、花束を却下。それぞれ私の好きそうなお菓子を持ち寄ることにしたらしい。
ありがとう、でももうちょっと考えろ。
袴姿でサンタクロースみたいな袋を担ぐことになってしまった。
「野田さん。卒業おめでとうございます。お気に召して貰えたでしょうか」
木下さんがちょっと困った顔で、私の反応を伺ってきた。
いや、正直邪魔だけど嬉しいと言えば嬉しい。
「あとこれ。俺ら、作りました。じゃかじゃん!」
誇らしげに取り出された手作り感溢れる本。
マジックで書かれたタイトルは“ぐっと来る女の子の仕草と発言集”
「……」
「これを読めば、野田も一歩女の子に近づけるぜ!」
「ここ、俺が作った! 上目づかいしながら、不安そうな顔で胸元をぎゅっと握る! これでぐっと来ない男はいないっ」
せっかくなので実践。ぐっ、とな。
「……って握んのは俺の胸ぐらじゃねーよ」
そんなことをして遊んでいると、キャーと女の子の悲鳴が聞こえた。
何だ? と思って顔を上げれば
「狭霧さん」
大きめの花束を持ったミシェルが微笑んでいた。
ここまで花が似合う人間はいないと思って見つめていると、きらきらと眩しい笑顔でそれを渡された。
ピンクを基調にした可愛らしい花束は色んな種類の花が入っていたけど、チューリップとカスミ草しか分からなかった。
「僕はまだまだ狭霧さんに相応しい男には遠いけれど、あなたを諦めたわけじゃありません。どうかそれは覚えておいて下さいね」
花を受け取った時に耳元で囁かれて、顔が赤くなってしまった。
まごまごと返す言葉に迷っていると、後ろからバシンッと肩を叩かれた。
「卒業、おめでとうな。うちも花持ってきたんやけど、タイミング悪かったかもしれん」
野々宮さんは、マーガレットの小さなブーケを私に差し出しながら、ミシェルから貰った花束に目をやっていた。
ううん、嬉しいよと受け取る。
その後も知っている女の子や、知らない女の子から花束やプレゼントを貰った。
「狭霧、凄い荷物だね」
卒業式にはママが来てくれた。
会場の一角が着替え用のスペースとして開放されているので、そこで袴からパーティドレスに着がえて祝賀会に行こうと思っていた。
袴と花はママが家に持って帰ってくれる予定だったけど、いくら何でもこれは多すぎる。
袴も嵩張るしなぁ~と頭を悩ませていると、私に気付いた水原が近寄ってきた。
てっきり私に用だと思ったのに、違った。
ママにいつぞやの礼を述べている。フランス土産の感謝を未だに忘れてなかったらしい。
ママも直接お礼を言いたかったみたいだから、いい機会だったけど。
ママと挨拶を済ませた水原が、大量の荷物を見て怪訝そうな顔をした。
「その大きな袋は何だ?」
「駄菓子とかスナック菓子」
「なぜ」
最後の最後までやってくれる。本当に良かれと思って選んでくれたので、無下に出来ないのが辛いところ。
「君、それ全部持って帰れるのか?」
「どうだろう……」
両手で抱えた花束は、新装開店の時に置かれる花輪みたいになっている。
どうしよ、これ。祝賀会に持っていくのも何だし、いっそ一度家に帰るべきか? それとも駅のコインロッカーとか。でも花だしな……。
うーむと荷物を睨みながら考え込んでいると、水原が菓子の袋を拾い上げた。
「水原?」
「少しの間なら俺の家に置かせてやる」
「えっ!? ほんとっ? ありがとう」
水原の家はここから近い。ママにその事を伝え、袴と花束だけを持って帰って貰うことにした。
そんな風に自然の流れで、水原の家に来たけど、水原と会って話すのはあの空港以来だ。
水原の家に来るのは、何か月ぶりになるんだろう。
見慣れた部屋は何も変わっていなくて、なぜかほっと安心してしまった。
「何か飲むなら自分でやってくれ」
「うん」
マグカップを二個取り出して、紅茶が置いてある棚を漁る。
紫色のパッケージに惹かれてそれを取り出せば、ラベンダーティーと書いてあった。
ラベンダー、北海道で購入したに違いない。
「それで、どうだった? お兄さんの結婚式とか……ご両親とか…」
聞きづらいことなので、もごもごと言葉が籠ってしまう。
「特に変わりはなかった」
形式に沿って、お兄さんのお相手の家族に挨拶をして来たらしい。
水原は色んな会に参加していて、年上の人と接する機会が多いので、そういう場をそつなくこなすことが出来る。
水原のお母さんは水原が来たことにはしゃいでいて、色々と話をしたがっていたらしいけど、旅館を営んでいるため、大した時間は取れなかった。
お父さんは結婚式で滞った仕事を穴埋めるのに、お兄さんも遠路遥々来てくれた相手側の親族の接待に共に忙しく、水原といる時間は取れなかった。
水原は例によって例のごとく、全く気にせず札幌に繰り出し、スイーツ散策。
結婚式以外に家族が集まる機会はなかったらしい。
それじゃ、本当に特に変わったことはなかったんだと言えば、水原はちょっと黙り込んだあとベッドに置いていた袋から一冊の絵本を取り出した。
こびとのクツ屋。
そのタイトルの表紙には、柔らかいタッチのこびとが描かれている。
「この絵本のこびと……」
水原が描くこびとに似ている。
中を開いてみると、誰もが一度は読んだことがあるあのお話し。
「帰り際に父親が無言で渡してきた。この本は、あの時のものと同じものだ。絶版になったが、どうやってか手に入れたらしいな」
淡々とした声でそう言いながら、表紙のこびとを指で触った。
「この本が入っていた袋は色あせていて、もしかしたら父親はずっと前からこれを渡そうとしていたのではないかと思った」
言われて袋を見れば、色褪せている上に捩れがあった。
強く握りしめていたようなそんな跡だ。
水原を見れば、無表情のままその部分を伸ばしていた。
水原のお父さんは、寡黙で頑固だと聞いていたから、後悔していたけどそれをうまく表現できなかったのかもしれない。
そう言えば、水原はこびとを撫でる手を止めた。
「実家にいた時は良く嫌な夢を見ていた。嫌な夢を見ると、父親と話したくなくなった」
今回の帰省でも嫌な夢が水原の寝不足の原因になっていた。心配になって
「今回は怖い夢は見なかった?」
そう聞けば
「見た。君が出てきた」
との返答。どういう夢で、どういう意味だっ!
「君がナポリタンを作るのに、返り血を浴びた殺人鬼みたいになった時のことだ。君は失敗を誤魔化そうと、うへへと包丁を持ちながら薄笑いを浮かべていた」
「……あったね、そんなこと」
パスタなんて茹でて、和えるだけなのに何でそうなったんだろう。
「この間もさーパパが体調崩したんで、お粥を作ってたら仕上げの段階で、お粥が弾けてさ。それを見てたママが大笑いして、ポップコーンみたいだったね! って。言われてみれば確かにっ! って笑いながら片付けしたんだけど、一体何でお粥が弾けたんだろうね?」
「俺が知るか。俺は君の父親に同情する」
水原はそう言い捨てると、北海道銘菓をポイポイ放ってきた。残らずキャッチ。
バターサンドうまー、ラングドシャもうまーと、お菓子を堪能しながらもついにやにやしてしまった。
それを見た水原が気持ち悪いな、という顔をしたが、家族仲の改善がちょっとでも出来たことはやっぱり嬉しい。
「あれ? 水原食べないの? このオレンジピールチョコ、最高に美味しいよっ。このクリームたっぷりのパイシューとかっ」
もしかしてお兄さんの挙式が終わっても、食欲減が治ってないのだろうか?
お菓子を食べる手を止めて、水原の様子を伺えば
「マドレーヌが食べたい」
と言い出した。
マドレーヌ? テーブルの上に並べられた北海道銘菓の中にマドレーヌはない。
今日貰った焼き菓子詰め合わせの中に入ってるかな? と中を見ようとしたけどラッピングが厳重過ぎて開かない。
「水原、ハサミ貸して」
ハサミを貸してくれるように頼めば、二番目の引き出しを指差された。
その引き出しを開ければ、文具が整理整頓されて収められている。
ハサミを取ろうとして、そこに入っていた真新しい電卓に目が留まる。
「……あれ?」
持ち主不明のせいで、未だ私の手元に残されている電卓と同じものだ。
これ人気商品? 確かに私が持っていたものより使いやすかった、ってちょっと待てよ。……もしかすると…。
「……あの、さ。もしかして簿記の試験の時、電卓貸してくれたの、水原だった……?」
浮かんできた可能性に顔を引きつらせながら聞けば、水原はちらっと私が握っている電卓に目をやった。
返答なかったけど、多分そう。答えない時は肯定の場合が多い。
「うえぇっ! 水原も簿記履修してたよねっ? まさか電卓なしで試験受けたのっ!?」
驚愕の事実に、顔がムンクみたいになる。やばいっ! と動揺しまくりの私に
「別にそれほど問題はない。評価も優だった」
あっさりと。どうやったら電卓なしで優が取れるんだ??
「よ、よく私に気付いたね……」
簿記試験が行われた大講堂は百人以上の学生が集まっていた。
「すぐ目につくから」
確かにわーわー騒いでいたから目立っていたかも。私の方は水原に気付けなかった。
電卓が非常事態で、周りに目を向ける余裕がなかったというのもあるけど。
それはともかくとして。
「ごめんっ! あと、ありがとうっ」
謝罪と礼を言いながら、お菓子の箱を開けて中を確認。幸いなことにマドレーヌが入っていた。
こ、これでお礼になるとは思いませんがっ! 電卓の代金もお支払いをっ、とごちゃごちゃ言いながらそれを差し出す。
「いらない」
恭しく両手に乗せて献上したそれはなぜか、素っ気なく拒否された。
「えっ!? 何で? マドレーヌ食べたいって……」
「いらない。俺は焼きたてが欲しい」
「へ?」
「焼きたてのマドレーヌが食べたい」
「……あぁっ!」
視線を合わせないまま言われた言葉に、水原の要求が分かった。
電卓のお礼にもなるので、只今お作り致します! と言いたいが、汚しちゃいけない服を着ているので今日は無理だ。
「今日は祝賀会があるので、後日改めてということでいかがでしょうか?」
遜ってそう聞けば、水原はそれでいいとばかりに頷いた。
その後は祝賀会に行くまで、ラベンダーティーを飲んでだらだら過ごした。
どうでも良いような話ばっかなのに、なぜだか妙に楽しかった。