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典型的ないやがらせ


 最近増えた野々宮さんからの、お菓子食べてくれへん? の依頼メールを受信。

 了承の返事をして、待ち合わせ場所を決める。


 水原の食欲減は変わらずで、野々宮さんのハイクォリティのお菓子が大量に余っている。

 ダイエット中の野々宮さんは自分で食べることは極力避けたいらしく、有り余るお菓子は私の元へ。


 とはいえ、私一人で食べきれる量じゃない。

 好きに分けたって、と言われているので食べきれなかった分は万年欠食メンバー行きになるから問題はないんだけど。


 でもやっぱりお菓子の余り方と、それを渡す時の気落ちした野々宮さん。

 そこから水原の様子が気にかかってしまう。


 水原のお兄さんの挙式まであと数日。出席するにしても、しないにしても相当それがストレスになっているんじゃないだろうか。


 基本的に水原は、やらなくてはいけない難解事を後回しにしない。むしろとっとと終わらせよう、と可能な限り先に終わらせる性格だ。

 それなのにお母さんが来た時だけは例外だった。


 やっぱり家族間の不和は……とつらつら考えていたせいで油断した。


 ちーちゃんから、学校内では人通りが少ないところにはいかない、なるべく友達と一緒にいること! と嫌がらせに対するアドバイスを貰っていたのにやらかした。


 一人で利用頻度の少ないB棟へ。

 しかも鏡に不気味な女の人が映った、恐る恐る友だちと調べに行ったらそこには鏡はなかったとかうんちゃらで敬遠されている女子トイレに行ってしまった。


 曰く付きのトイレの個室に入ったその数十秒後。


 上から大量の水が降ってきた。もちろん、怪奇現象などではない。

 あんまりなことに茫然とする私に聞こえてきたのは、空のバケツが転がる音と、複数の女の子の笑い声と、走り去る足音。


「……マジで?」


 まさか大学でこんな小学生の苛めみたいなことが起こるとは。

 ちーちゃんに言えば、苛めなんて幾つになってもやることは変わらないのよっと怒られるだろうけど。


 それはまずおき、この惨状。

 ホックに引っ掛けたバックの被害は少ないけど、肝心の私は水浸しになっている。


「……どうしよ」


 濡れた服を絞ってみたけど、この寒さはやばい。何せ二月、一年の中で最も寒い月だ。

 不幸中の幸いで、コートは部室に置いてきていた。


 それに部室には空手衣が何枚かある。誰のものか分からない汚物と化したものだけど、背に腹は代えられない。

 コートと空手衣を持ってきてくれるようメンバーに連絡しようとして、手が止まる。


 ミシェルが適任だけど、嫌がらせの原因がミシェルに関係している。

 ミシェルが知ったら気に病むから隠しておきたいけど、現場を見られてしまうと隠し通せる自信がない。


 他のメンバーに頼んだところで、空手衣―? 何でー? トイレで誰と戦うのー? 無駄に盛り上がって結局ミシェルが来ることになりそうだ。


 どうすべきか良い考えが思いつかず唸っていると、携帯が着信を知らせた。

 震えるせいで手こずりながら画面を見れば、野々宮さんの表示。


「野田っち? 何かあったん? 何度も電話してもでぇへんから」


「……あ、ごめんっ!」


 野々宮さんとの待ち合わせ時間をかなり過ぎていた。


「何かあったん?」


 歯の根が合わなくて滑舌がおかしい私に気付いてくれたようだ。

 トイレで水が降ってきたことを話せば、すぐ来てくれると。


 助かった、ほっと一安心。がたがた震えながら待つこと十分弱。

 急いで駆けつけてくれた野々宮さんは私の姿を見て絶句していた。

 思った以上の濡れ具合だったらしい。


「……あんた、風邪引くで。これ羽織っとき」


 野々宮さんは着ていたダウンコートを脱いで差し出して来た。


「いや、でもコート濡れる」


「そんなん気にしとる場合やないでっ。髪もびしょ濡れやんか」


 ぽたぽたと髪から水滴が滴って来て、野々宮さんのコートを濡らしている。クリーニングして返さねば。


「どないしたらええんやろ。……このまま帰るわけにもいかへんし…」


「部室に戻ればコートがあるんだ。空手衣にコート着て家に帰ろうかと」


「……それ変質者やで」


 変質者っ!? 確かに奇異の目で見られるかもしれないけど。


「部室にタオルとかないん?」


「雑巾しか……」


 もともとはタオルだったのかもしれないけど。


「ひとまず保健室へ行くで。ベッドもあるから、まずそこで体暖めや。あんた自覚ないかもしれへんけど、顔が土気色やで。めっちゃ怖いねん」


「う、うん。寒い……」


 保健室へ急いだけど、寒さで感覚が無くなって、普通に歩くのに手間取ってしまった。


 水浸しの靴が歩くたびに変な音を立てるし、濡れた髪の毛を野々宮さんのミニタオルで括っているしで、本棟の保健室に着くまでちょっと視線を集めていた。


 やっとの思いで辿り着いた保健室は、幸いなことに誰もいなかった。


「あんた、濡れたもん全部脱いだ方が良いで。そんでこのシーツ巻いとき」


 野々宮さんが棚を漁ってシーツを取り出した。勝手に使って良いのかと思ったけど、弁償すれば良しとしよう。


「……学校で素っ裸って落ち着かないんだけど」


 シーツを受け取りながらも、野々宮さんの提案に難色。

 全部脱いでシーツって、それこそ変質者だ。


「当たり前やろ。まったり落ち着いとったらびっくりや。でも仕方あらへんやん。そのままやとベッド濡らしてしまうし、あんたかなり寒いんやろ。顔が真っ白やで」


「いや、でもさぁ~……」


 水を含んだ服に体温が奪われて、寒さの極限に来ている。

 それでもうーん……と渋れば、シーツに擬態して掛布団被っとき、と保健室の空調のリモコンを探している野々宮さんから投げやりなアドバイス。


 シーツに擬態、出来そう……と鏡で自分の顔色を見てぷっと笑えば、野々宮さんに笑ってる場合やないやろ! と怒られた。


 確かに笑っている場合じゃない。


「近くのコンビニに行ってくる。下着や靴下売っとるやろうから」


 野々宮さんは早口でそう言いながら、財布だけ持って保健室を出て行った。

 何から何まで本当に申し訳ない。


 手元のシーツと自分の惨状を見比べてちょっと悩んだけど、確かにこのままでは風邪を引いてしまう。


 具合が悪い振りをして、ベッドに寝ていれば誰も構わないだろう。

 ため息を吐きつつ、ドアの鍵を閉め手早く脱いでシーツを巻き付けた。


 それから掛布団を被ってドアの鍵を開け、急いでベッドに戻る。

 野々宮さんが戻ってくるまで閉めておきたいけど、保健室を個人的な理由で施錠は出来ない。


 誰も来ないことを切に祈りつつ、掛布団の中に引っ込む。

 さて、これからどうするか。


 タクシーで帰るのが一番いいんだろうけど、かなりのコストを覚悟しなければならない。

 大学から家までは車で四十分ほど。タクシーに四十分乗ったら、幾らかかるか分からない。


 それでも払える範囲ならと、ネットを開いて撃沈。

 タクシー代云々の前に現在都内で雪が降っているとのニュースがポップされた。


 雪が降ったら渋滞は確実だ。タクシー代が恐るべしな金額になる。

 そもそも電車が止まったらまずい。まだちらほらと降っているだけみたいだから止まる確率は低いけど、どうなるか分からない。踏んだり蹴ったりとはまさにこのことか。


 これ以上の不幸が訪れない事を祈っていたら、携帯が震えた。

 画面に表示されたミシェルの名。


 何てバットタイミングっ! と思いながら普段通りを装って、通話ボタンを押す。


「あのっ、狭霧さんが保健室へ行くのを見たって聞いたんですけどっ!」


「……」


 開口一番、耳に優しいミシェルの声が心配そうに響いた。

 誰だ……。ミシェルに余計なことを言ったのは……。 


「あーうん、ちょっとね。でも大したことないから」


 努めて明るい声を出して、大丈夫なことをアピール。


「怪我したんですかっ?」


「ううん。怪我はしていないよ」


 ミシェルが怪我の有無を聞いてくるということは。

 私がびしょ濡れになっていたことまでは知らないようだ。


 良かった、とほっと息を吐いていると


「えっ!? じゃあっ体調が……? あのっ、今部室なのでっ、そっちに行きますっ!」


 心配そうな色を濃くしたミシェルがそう言って、電話を切った。


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