天才とバカは紙一重
「水原って実家暮らし?」
「いや、俺は悠々自適の1人暮らしだ」
「………………………」
知り合って間もない、1人暮らしの男の家に行くのはやはり抵抗がある。
そんな私の心情を水原は察したみたいだ。
「いや、無駄に警戒しないでくれ。俺は君自身に全く興味を持っていない。女だとも思ってない。俺が興味あるのは、出来たてのスイーツだけだ」
清々しいほどきっぱり言い切られて、怒りすら湧かない。
水原はくいっとメガネを押し上げ、涼しげな顔で尚も続けた。
「君がふりっふりのエプロンだけをつけてキッチンにいたとしても、俺にはスイーツしか目に入らないから大丈夫だ」
「そんなことやらないし!」
「だから良いだろう?出来立てのスイーツ食べるのに君の家の前でフォーク持って待ち伏せしても良いけどな。しかし通報される恐れがある」
でもどうしてもと言うなら、俺は出来上がるまで君の家の死角で待つと少し鼻息が荒い水原。
どれだけ出来たてのスイーツが食べたいんだろう?
「でもお前の家じゃ作れないものが殆どだと思う。調理器具とかあんの?」
「それに関しては問題ない。君…今日の講義は何限までだ?」
「次の講義で終わり」
「そうか、では今日俺の家に寄っていかないか?君に是非見せたいものがある」
「水原の家って近いの?」
「ここから10分だ」
「ちかっ!!」
「時間は有効に使いたいからな。家を借りる時大学近くを条件で探した」
「…研究室いらないじゃん。家に帰って勉強しなよ」
さらさらと簡単な地図を書く水原。
大学から徒歩10分。この辺りは私も知らない場所ではないので、迷わずいけるだろう。
ぱらっと渡された紙の下には住所と電話番号。
「迷ったらそこに電話しろ」
「いや、多分平気だ」
紙を折りたたんでポケットに入れる。
後でな、と背を向けると、引き出しを開ける音が聞こえた。
「………………………」
ちらっと盗み見ると、水原はレンガ状に並んだ生チョコを食べていた。
反復横跳びの要領で迫り、水原がブロックする隙も与えず、1個掠め取る。
「…~おい!これは横浜まで行って」
水原が喚いていたが、聞かずにドアを閉める。
うん、ふわっと溶けてカカオの濃い味がする。指に付いたチョコを舐めながら、研究室を後にした。
「おーい、水原。来たよ。おーい、スイーツ狂いの水原君。知数、高いけど血糖値も高い、糖尿病の水原君」
「君、うるさい。チャイム鳴らしたら静かに待て」
水原の家には迷わず行けた。
お持たせによく使う有名な和菓子屋の裏のアパート。
入れと水原は顎を杓った。部屋は1DKで部屋は8畳。
「君に見せたいのはキッチンだ」
玄関を上がってすぐに広がるキッチン。
自慢げに水原が私に見せたそこには、様々な調理道具が揃っていた。
ケーキ型は数え切れないほど。ベーシックな型からドーナツ型、シフォン型、大小まんべんなく一揃い。
マドレーヌ型、タルト型、クッキー型。
パレットも3本。計りも2台。温度計もある。
チョコ削りの道具、発酵機械まであるのは驚いた。普通買わない。
「…水原も菓子作れるんじゃん。この製菓道具…うちよりも凄いよ」
出来たて食べたいって言ってたけど、自分で作ってすぐに食べればいいじゃん。
「俺は菓子は作れない」
1度挑戦したが、全くダメだった。
天は二物を与えないものだ、とふっと息を吐く。
「は?じゃあ何これ?何のために買ったの?」
言われてみれば、シールが貼られたままだし、使った形跡が全くない。
「君、グリム童話のこびとのくつ屋と言う話を知ってるか?」
「は?あぁ…そりゃ知ってるけど」
貧しいくつ屋の老夫婦のもとに、小人が現れ立派なくつを作ってくれる心温まる話だ。
「俺はあの話が大好きだった」
「あ、そう………で?」
話の流れと意図が掴めない。
この無駄な製菓道具とこびとのくつ屋に何の関係があるんだ?
「いつか俺にもこびとが来てくれれば良いなと小さな夢を見た」
「小さい夢なのかどうか分からないけど。それで?」
「くつ屋にはくつを作る材料があったから、こびとはくつを作れたわけだ」
「…まさか…お前…!」
「もしだ。仮に奇跡と呼ぶ何かが起こってこびとが俺の家に来たとしても、調理器具がなければこびとはお菓子を作れずに困るわけだ。そのまま帰ってしまうかもしれない。材料から運んでくるわけではないからな」
「…いや…それ本気で?」
「本気で来ると思っていたわけではない。しかし何事にも万が一と言う事もあり、そういう場合に困らぬように万全の準備をしたわけだ」
「バカと天才は紙一重って言うけど…お前はどっちかって言うかバカに近い気が」
頭が凄い良い人間ってバカみたいに突飛なことをするけど、水原はまさにそれだ。
仮に万が一とか言っているけど、小麦粉から砂糖、卵、牛乳とかベーシックな材料も揃えているし。
「こびとと呼ぶには大きすぎるが、俺は君を見つけた。この調理器具は好きに使ってくれ。……ジャンボこびと…君のために用意したようなものだ」
「ふざけた呼び方をするな。……しかしこれはすごい。ちょっとワクワクする。このクッキー型とか初めて見た」
「河童橋道具街で見つけた。こんなものも買ってみた」
「アイスクリームメイド。わぁ~バカだー」
「バカとは何だ!こんなものもあるぞ」
「ワッフルトースター!バカの極地!」
使った形跡がないそれらの数々は、水原がバカだということを立証していた。
これも見ろ、これも見ろと自慢げに色んなものも掘り出す水原は子供のようにはしゃいでいた。
「これだけあれば問題ないだろう?」
右手にシリコン製の泡だて器を、左手にブレンダーを持ちながら、ふふんと胸を張る水原。
確かに作るには問題ない。
使えない材料や、使う以上に揃った道具もあるが、ここならば大抵のものは作れる。
「それで?夏休みはいつ来る?」
ふっとクールに取り繕ってはいるが、早めに食べたがってるのは一目瞭然だ。
夏休み最初は比較的、バイトも入っていない。
早めの日付を言ったつもりだが、水原はそれでも不満そうだ。
「仕方ない。その日だ。ジャンボこびと、朝早くから来ても良い、5時とか」
「ふざけんな。始発で来るわけない。と言うかジャンボこびと、呼ぶな」
「君は俺のこびとだ。でもこびとと言うにはでか過ぎる。だからジャンボこびとだ。それがダメなら、何て呼べば良いのか分からん」
「こびとじゃなくて野田って呼べばいいじゃん」
「ジャンボ野田か…」
「ジャンボを外せ!」
老夫婦は最後にこびとたちに服とくつをプレゼントした。
それを思い出した水原が、君にシャツを買ってやると真顔で言い出したので、ぶっ飛ばしてからその日は帰宅した。




