恋愛は、とかく難しい
一月半ば。冬休みが終わってすぐの、後期試験に備え始め始めなくてはいけない頃。
私と野々宮さんは、コピールームの壁に凭れ、項垂れていた。
はぁぁぁぁぁ。
ふぅぅぅぅぅ。
ため息の数だけ幸せが逃げると言うなら、この狭いコピールームは私達から逃げた幸せで溢れかえっている。
「野々宮さん、何かあった?」
「野田っちこそ。辛気臭いやんか」
お互いをちらっと見て、ため息の多さを指摘。そして同時にため息。
「何や、話してみぃ」
「うん……実はさっき、木下さんと会ったんだけど…」
後期試験の日程が張り出され、試験対策に励み始めたけど四年はそれほど難解でなく、何とか乗り越えられそうだ。
三年までが大変なんだよなぁ、と思っていたら野々宮さんから必修講義ノートのヘルプ要請。
菓子のお礼になるので、二つ返事で了承。
親泣かせのメンバーを探って、優評価のノートを探す。私のノートも残してあるけど、字がダイナミックで読みにくい上に、まとめ方も褒められたものではない。
待ち合わせのコピールームへ行く途中、ばったり木下さんに出くわした。
木下さんは白いもこもこのコートに、薄ピンクのボンボンで髪を結っていてウサギのようだった。特別何もしてなくてもいるだけで心が癒されると絶大な人気を誇る木下さん。
いつものことながら、沢山の男の子に囲まれていた。
私に気付いた木下さんは、その輪を抜け躊躇いがちに寄ってきた。何かを言いたげに、大きな目を揺らしている。
「どうかした?」
何だろう? と思いながら話を促せば
「あの、ミシェルから告白されたって本当でしょうか?」
声優ですら憧れそうな甘い声で問いかけられた。
不自然に固まる私に、目をうるうるさせながら答えを待つ木下さん。
木下さんに話しかけるタイミングを見計らっていた男の子たちがどうしたの~? と集まってきた。
本当ですか? と再度木下さんに聞かれ、えーっと……と狼狽え。
公衆の場ではっきり肯定することは出来ないし、でも否定することも出来ない。
木下さんが私を呼び留めたのは電光掲示板の前で、人が常に多くいるところだった。
木下さんはいるだけで注目を集めるけど、その発言が聞こえたのか足を止める人がちらほら。
その話は今度ゆっくり、と慌てて逃げ出して来たけど、どうなったんだろう。
大部分の人は、ミシェルが私に告白したなんて信じてないようだったけど、数人の女の子からアサシン的な視線を感じた。
嫌がらせが悪化しそうな気がしてきた。いや、確実に悪化する。
「……それは災難やったな。女の嫉妬は怖いんやで。ネットワークも広いしな」
「だねぇ…」
人の口に戸は立てられない。噂話はびっくりするくらい早く回ることがある。
尾ひれ背びれが付いた上に手足が生えて、もはやこれ別もんじゃね? と思うものになったりもする。
そんな噂の主になったことは今までなかったし、ましてや大量に女の子の敵を作ったこともなくて、対処に困る。
「それで? 野々宮さんはどうしたの?」
鬱々としてしまうので、私の話は終わりっ! と切り上げて野々宮さんに話を向ける。
野々宮さんは鞄の中にあったお菓子の袋に目を落としつつため息を吐いた。
「……菓子で水原っちを陥落作戦がうまく行ってへんのや」
「へっ? なんでっ?」
スイーツは水原に対し、唯一かつ絶対の武器だ。加えて野々宮さんのお菓子は、超一流。
この間など、手間がかかる代表格のバームクーヘンを作っていた。フライパンの幅に合わせ、芯を作りそれに生地を巻き付けて焼くと言う神業で。
そんな野々宮さんのお菓子で懐柔できない原因が思い当たらず首を傾げつつ、野々宮さんを見たけど、長いため息しか返ってこなかった。
うーんと頭を捻っていると、ポン! とバレンタインと言う単語が浮かんだ。
「あれだ。バレンタインが近いせいじゃない?」
一月末から二月初句にかけて、大学生は後期試験がメインイベントとなる。
一般生徒の大半が単位取得に四苦八苦している時に、しかし秀才バカの水原は全く異なることに全精力を注いでいる。
この時期になると売れっ子アイドルもびっくりの秒読みのスケジュールを立てて、チョコ取得に命を懸ける。
そのため家にいる時間も極端に少なく、出回っているものも世界レベルなので流石の野々宮さんでも旗色が悪いのかもしれない。
「ちゃうねん。……うちの菓子だけならまだ良かったんやけどなぁ」
「ん?」
またまたため息。
「水原っちの様子がおかしいねん」
水原は野々宮さんのお菓子のみならず、期間限定垂涎もののスイーツを前にしても、心あらずな様子を見せるらしい。
雑誌チェックをしている時も、目が文字を上滑りしているのが丸分かりで。
「少し前までは、いつも通りやったんや」
バレンタイン特集の本を買い漁り、読みふけり、綿密な計画を立てていた。
今年はこびとテロがないだろうから、ここも行ってみるか、社会人になる来年は十分な時間が確保できないだろうし悔いがないように泊りの計画さえも含まれていたらしい。
ちなみにこびとテロとは、言うまでもなく私のことである。
三年時必須授業は難しいし、楽な講義は一、二年で取り尽くしているから選択授業までも難しいしで、最も単位取得が困難な年であった。
去年の私は単位を落とすかもしれない恐怖に駆られ、いるかな? いたらいいな、いてくれ~と、水原の研究室や家に押しかけていた。
いなかったらそれはそれで仕方ないとアポなしだったが、結構な確率で水原はいた。
り、理解できませんっ……と教科書握りしめてあわあわしている私を、理解できない君が理解できないと言いながら、試験勉強に付き合ってくれた。
予定を聞けば何もないと言っていたけど、後のレンジさんたちの会話で、水原がいくつものチョコ計画を取りやめていたのだと知った。
テロしてすみませんでした。
それに気づいた私は、そう言って水原に平謝りした。
水原は私の履修科目も頭に入っているし、試験日程も私がやばくなっているだろう講義も把握している。
いなかったら諦めよう、と突撃訪問していたが、水原にしてみれば来るのか? と逆に気になって引き返すことがあったらしい。
邪魔してすみません。しかもそれに全く気づかないですみません。いつも家にいること疑問に思わないですみません。
反省と感謝を込めて、暫くリクエスト通りのお菓子を作った。
そんな風に私が去年のバレンタイン兼後期試験の出来事を回想している隣で、野々宮さんが短い溜息を吐いて肩を落とした。
「理由を聞いても、何もない言うんや。でもどう見ても水原っちの様子、おかしいねん」
野々宮さんは何度も探りを入れたが、水原からは、何でもないとしか返ってこないらしい。
理由を教えてもらえないことも、野々宮さんのため息の原因になっている。
「うーん。あの水原がお菓子を前にしても、元気ないって私にも理由がわから……」
ないと言いかけて、言葉を止める。
お菓子を目の前に、それでも浮かない顔をする水原。
それは過去に一度だけ見たことがある。
去年の夏、水原のお母さんがお兄さんの結婚式の招待状を渡してきた日。あの時水原は菓子を食べているのに、苦いものを食べているようなそんな表情を見せた。
ちらっと覗き込んだ招待状に記されていた結婚式の日付はその時から半年後。
水原のお兄さんの挙式は二月二十一日、もうすぐだ。