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その変化 3


そんな中で私はアホみたいに突っ立ったままだった。何が何だか、脳が正常に働かない。

 晴天の霹靂。ミシェルが私を好きだなんて、一度たりとも考えたことはなかった。

 

ずっと前、私はミシェルを好きだった。

 ミシェルは男の子に異性として意識されることがない私を、女の子扱いしてくれた。

 

それは凄く嬉しかったし、ミシェルを好きになるきっかけとなったけど、私が特別でないことくらい分かっていた。

 だからこそ木下さんとミシェルが付き合った時も、苦いものは心のどこかにあったけど、祝福することが出来た。

 

ミシェルの理想を知って諦めが根底にあったせいか、好きだという気持ちは自然と消化していった。

 だから今ミシェルの告白を受けて、狼狽えるしかない。

 

ミシェルを好きだった頃はドアを開けてくれたり、さり気なく危険から遠ざけてくれたりとミシェルが当たり前のように行う行為にドキドキしたりした。

 

でも今は違う。

 ミシェルからの告白に動揺を露わにしつつも、それでも何とか自分の気持ちを伝える。

 男としてというより、後輩として見ているということ。

 

恋愛経験がない私は、多分ミシェル以外からだったらドキドキして、何と返事しようか迷いに迷ったと思う。

 でも、好きだったミシェルだからこそ分かる。気持ちがあの頃と変わっている。

 

好きだったという事実を隠して伝えた私の気持ちに、ミシェルは悲しそうに目を揺らした。

 酷く感傷的で切なげに細められた目。透き通った目には薄ら水の膜が張って、零れてはいないけど長い睫毛を濡らしている。


「えっ……と、あの…」


 悲しげな表情におろおろしていると、ミシェルは曇らせた目をゆっくりと伏せた。そして次に目を開けた時には、涙の名残はなかった。


「諦めません」


「え?」


「諦められないんです、あなたが好きだ。狭霧さんをただの先輩と思えなくなったのはずっと前からなんです」


 ずっと前? その言葉を聞き返してしまう。


「僕がマロンクリームをあげたこと覚えていますか?」


「え? うん」


 ミシェルから砕いたマロングラッセの入ったバニラ風味のマロンクリームを貰ったことがある。ミシェルのママンがフランスから大量に送ってきたらしい。

 

それは口溶けまろやかで、雑味がなく、こ、こんな素晴らしきものが世の中にっ! と衝撃を受けた。

その感動を暫く引き摺り、ミシェルへ再び礼を言いに行ったのを覚えている。


「あなたはサークルのまとめ役で、頼りにされていたから、しっかりしている人だと思っていました。でもあの時の狭霧さんは、ただのマロンクリームに子供のようにはしゃいでいて、夢中になって語っていて、僕の中にあった狭霧さんのイメージが違うものになったんです」


「……イ、イメージ変わるほどの……はしゃぎようだったっけ…?」


 イメージが覆るほどはしゃぎ回るって、どんなだったんだろう……あの時の自分。

 マロンクリームの味しか記憶になくて、ちょっと焦る。


 年甲斐もなくはしゃいですみません、と反省モードに入りそうになった私に


「それからなんです。それからあなたが気になりだして……小さなことでも全力で喜ぶあなたが可愛いと、気づけば目で追っていました」


「かわっ…!」


 私にはあまり関係がなかった言葉をさらっと告げられた。

 ミシェルは可愛いとかきれいとか、育ち故か何の衒いもなくさらっと口にするけど、不慣れな私はどういう反応をすればいいのか分からない。


 でもこれだけは言いたい。あのマロンクリームは小さいことじゃない。


「狭霧さんはいつだって前向きで、優しくて、しっかりしているけどどこか抜けていて、そんなあなたを見ている内にどんどん好きになったんです」


「えっ…えっと…っ」


 言われ慣れない言葉のオンパレードに、たじたじになる。

 どんな顔をすればいいのか分からなくて、俯いて一歩下がれば、それを止めるようにミシェルに手を引かれた。


 柔らかい声に仕草、ナチュラルなレディファーストしかしないミシェルの強めな手の引き方に驚きつつ、顔を上げれば。


「あなたが好きです」


 切ない目でじっと見つめられ、何度目か分からなくなった好きと言う言葉を告げられた。

 思いもしなかったミシェルからの告白に動揺し、冷静になろうと深呼吸したけど、到底無理なことだった。

 



 好きです。諦められない。

 ミシェルからの告白の言葉は、夜になっても、頭の中をぐわんぐわん回っていた。

 

そんな私に、弾んだ声の野々宮さんが電話をかけてきた。


「水原っち、うちが菓子を作ってええて。せやから水原っちのことはうちに任せてやっ!」


 ミシェルで頭が一杯で、水原と野々宮さんのことが頭の隅に追いやられていたけど、きっかけはそもそもこの二人だった。

 どういう話し合いが成されたのか詳しくは教えてくれなかったけど、どうやら野々宮さんが粘り勝ちしたらしい。


 でも良く考えると、野々宮さんが私の代わりにお菓子を作るというのは水原にとってメリットが多い話だ。


 第一に、私よりも野々宮さんの方が製菓の腕が遥かに上だ。加えて水原に特別な気持ちを持っているから、意気込みが違う。


 野々宮さんは水原のリクエストを、その日の気分や市場価格で却下したりしないだろう。

 色んな条件を鑑みても、野々宮さんは水原にとって理想の相手だった。


 なにより。

ちょっと前、何かの話の流れで水原と将来の夢について話したことがあった。

 水原は社会人になってお金が貯まったら、世界スイーツ巡りに出る計画を立てていた。


 今でも広範囲に動いているけど、それだけではなく各国のローカルスイーツにまで手を伸ばしたいらしい。

 この部族の伝統的な菓子は村人が成人する儀式の日のみ作られるから手に入れるのは難しいかもしれないが云々言いながら、ジャングル奥地の地図を開いて詳細を調べていた。


 どこまで行くんだよ……とちょっと心配になった。

 スイーツ巡りしながら、グローバル規模で優秀な人材をスカウトし、菓子に囲まれて四十代から楽しいシニアライフを始めると壮大な夢を語っていた。


 老後早いよっ! って突っ込んだけど。

 実際問題、社会人になれば水原の家に行って、菓子を作る時間は劇的に少なくなる。


 慣れない環境にお菓子を作っている余裕はないだろうし、あったとしても互いが空いている時間を合わせるのも難しい。

 だけど野々宮さんは、時間に余裕がある三年生。


 卒業後はお母さんの料理教室を手伝うという進路も決まっているので、この先就職活動に時間を取られることもない。加えて菓子作りの腕もプロ級となれば、言うことなしだ。


 水原の家でお菓子を作るのはほぼ日課のようになっていた。

 それが急にぽっかりとなくなるのは寂しいけど、水原と私の関係が卒業後もずっと変わらず続くと思っていたわけじゃない。


 少し早まっただけだ。

 ミシェルに好きだと言われたこと、野々宮さんがお菓子を作るので水原の家に行かなくなったこと。

 クリスマス前の二つの出来事は。


 私の残り少ない大学生生活に、思うよりも大きな変化を齎した。


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