その変化 2
「……とりあえず、三人とも離れや」
停止ボタンを押したような、誰も動かず話さない時間が流れた。
その沈黙を破るように、野々宮さんがはいはい、おどきなさいよ、と軽いノリで嫌な空気が流れる私たちを割り入ってくれた。
「王子は熱くなりすぎや」
クールダウン、クールダウンと言いながら、野々宮さんは持っていたノートで二、三度ミシェルを仰いだ。
「水原っちもそれに合わせてどないすんねん。それから野田さんは……フリーズ状態から戻ってきてや」
ぽんと肩を叩かれる。
うん、と答えたものの脳が正常に働かない。
ミシェルを見れば思わぬ強さでひたっと見返され、動揺から油が切れたブリキのオモチャのような動きをしてしまった。
「何や思わぬ方向に状況が動いて、うちもびっくりなんやけど。王子は野田さんのことが好きやってん? 恋愛的な意味合いで」
好きには色んな意味がある。確認するような野々宮さんの言葉に、ミシェルは強く頷いた。
「はい。まさか……こんな教室の片隅で、しかもこんな風に勢いで告白するつもりはなかったんですが」
ミシェルの迷いない言葉の強さに、驚きとか嬉しいとか困るとかそういった感情はなしに、ぽかんとしてしまう。
今までミシェルがそんな素振りを見せたことはなかったし、そもそもミシェルの理想は私とは正反対の女の子だ。
ショコラさん捜索時に、散々語られたので事細かに覚えている。
一言で言えば、木下さん。
色素の薄いふわっとした髪、華奢で小柄、フリルとレースが似合う、ともかく全てが砂糖菓子のように甘く守ってあげたくなる女の子。
ミシェルの理想に私が当てはまるものは、ママンと同じクッキーを作れる一点のみ。
まさかと思うけど、その一点で?
「狭霧さんは、恋愛に関して積極性がないから、僕は安心していたんです。ライバルも今は遠ざかっていますし、自分を磨いてからと思っていたんですが……」
ミシェルは水原を見て
「そう悠長にしてられません」
言葉を続けた。
「でも、うち信じられへん。王子なら女の子なんて選び放題やんか。それに王子の理想は、あの木下優衣やろ? 野田さんとはタイプが違うよな気がするわ」
野々宮さんが、私の気持ちをそのまま代弁してくれた。
あの時の話題は何度も学内新聞に載ったし、その度ミシェルが理想的な女性としてショコラさんを語っていたので、学内で知らない者はいない。
野々宮の言葉を聞いて、ミシェルはそれはっ……と言葉に詰まった。
「ママンのクッキー私が作ったから……?」
やっぱりそれっ!? それはちょっと……と引きつった顔でミシェルを見れば
「ちっ……違いますっ!」
前のめりで全否定された。
「僕が狭霧さんを好きになったのは、クッキーとは関係ないんですっ!……でもっ…その…」
後半に行くにつれて、ミシェルはボリュームを落とし言葉を濁らせた。言いづらそうに口を開いては閉じて、言い淀んでいる。
「そのっ……僕は狭霧さんに熱く語ってしまったでしょう? ショコラさんのこと……その僕が今更好きだって言って、信じてもらえるか不安だったんです」
「あー……まぁ、うん」
半信半疑の私は、素直に頷く。
ここに来ても、いまいちミシェルの言葉に現実味がない。力の入らない私の言葉に、ミシェルははぁっとため息を吐いた。
ミシェルの容姿だとアンニュイな感じが様になるなぁと、妙なところに意識がいってしまう。
「狭霧さん」
ミシェルは野々宮さんに離された距離を半歩進め、正面から私に向き直った。
ミシェルに視線を合わせようと上を向けば、穏やかなミシェルとは思えないほどの強い目で見返され、たじろいでしまった。
「あなたが好きです」
「……っ」
「あなたがクッキーの作り手であろうと、そうでなかろうと、僕はあなたが好きです。だから……すごく嫌です。あなたに近い水原さんの存在がすっごく嫌だっ!」
ミシェルはすっごくの部分に力を込めた。
ミシェルは嫌いという言葉を使わない。あまり好きではないとソフトな言い方を常にするので、嫌という言葉が強く感じる。
吐き捨てるようにすっごく嫌呼ばわりされた水原は、不機嫌そうに眉を潜めている。
「信じて貰えるかとか、優衣や有岡先輩に言われた言葉に迷って、気持ちを伝えることを躊躇っていたけど。でも今はそんなのどうでも良くなって……あなたに近い水原さんが嫌でっ……」
「…えっ……と、あの…ミシェル?」
どんどんと早口になっているミシェルの言葉の意味がよく分からなくて、それを止めるように無意識に右手を上げれば、それを取られそっと握られた。
基礎体温が低いのか、ミシェルの手はいつもひんやりとしている。
でも今は熱く、汗ばんでいた。
そこからミシェルの本気が伝わってきて、今更ながら心臓が早くなる。
ミシェルははぁと自分を落ち着かせるように、息を吐いた。
私も早まる心臓に手を置こうとしたけど、ミシェルの力が逆に強まって離してくれなかった。
「あなたが好きなんです」
「……っ」
「どうしようもなく」
ミシェルは握ったままの私の手を口許に当て、目を伏せた。
どこぞの王子のように様になる仕草の相手が、私だという事実に動きが固まる。
長い睫毛を震わせて目を開けたミシェルは、微動だにしない私ではなく水原に顔を向けた。
水原はいつもと変わらない表情でメガネをかけ直し、ミシェルを見返した。
二人の向こうで、野々宮さんは、こっちが恥ずかしくなるわ~と顔を仰いでいた。