お菓子、献上
「ふん。まぁ、とりあえず単位はやるかの温情レベルだな。期待したほどじゃない。点数をつけるなら25点」
水原の研究室のドアに、私のメアドを貼った。
昼休みに研究室と連絡が来た。
件名に記入、本文無記入。
別に良いけど、本文に入れようよ。
「へーへーそれは悪うござんしたねっ!」
いつも以上に手間隙かけて作ったアップルパイにその評価。ベタ褒めしろとは思わないが、何と言う言い草だ。
25点なら単位落としている。温情でどうにかなるレベルではない。
3つ持ってきたアップルパイの2つ目に手をつける水原。それを見ながら、私も昼飯を取り出す。
昼休みに呼び出されたので、学食に行くのは諦め、コンビニでサンドイッチを買ってきた。
「見かけは良い。格子状のパイの表面にリーフをくり抜いたパイを飾るのは中々良い発想だ」
「それはどうも」
葉っぱの型抜きで余ったパイ生地をくり抜き上に飾る方法は、ママと一緒に考えた。
「中のリンゴは紅玉だな。リンゴの酸味と砂糖の甘さのバランスは中々良いが、リンゴの安さがマイナス。産地直送のリンゴを使え」
「スーパー直送の何が悪い」
「鮮度が悪い」
言いながら3つ目に手をつける水原。食べるのが早い。しかも一気に全部食べるか?
つらつらと続く水原の嫌味をバックミュージックにサンドイッチにぱくつく。
「そして何よりの失点原因は、このパイの数だっ!」
あっという間に食べ終わった水原は、食べかすだけが残ったアルミのシートを指差す。
数って何だよ。3は良い数だ。4は不吉なイメージがあるけど。
「君が作ったパイは、ホールだったはずだ。この切り方を見れば、ハーフを三等分にしている。つまり君が持ってきたパイは俺が要求した菓子の半分だ」
「は?何だ、それ。3つもあれば十分じゃん」
水原は不機嫌な顔をしながら、引き出しからパウンドケーキを取り出す。
甘さ控えにしたアップルパイだけど3つ食べた後に、パウンドケーキ。
しかも飲み物ココアだった。
うわぁ…そのセレクト、どん引きだ。
「俺が君に要求したのが金だったとする。金額は君がぎりぎり払える額…そうだな、1万円だ」
「もっと払えるっての。なんで私、そんなに貧しいイメージになったんだよっ!」
「君は1万円札を半分に切って俺に渡した。今回のパイはそれと同じことだ。失礼にもほどがある。君と俺は取引したんだぞ」
「いや…それはどんな理屈だよ。もしそうだとしても5千円札渡すっての」
お金を切ったら使えないけど、パイを切っても問題ない。
3つもあれば十分だろう。
「今の俺の気持ちを言おう。半分どこ行った?」
水原が叫んだ。
何なんだ、こいつ。
半分は私とママとパパで1個ずつ食べましたよ。
「よって今回の菓子は認めない。来週また持って来い。ちゃんと1つな」
「はぁ~?何だ、そりゃ…まぁー良いけど。今日、待ちぼうけさせたって言う負い目もあるから」
「あぁ、それは別に。昼に新聞部が発行した号外で状況を把握した」
ほら、と渡される校内新聞。
見出しは『スイーツ王子、ついにショコラさん見つけ出す!』
朝の出来事なのに、新聞が出るのが早すぎる。ニュースはホットな方が良いのは分かるが、プロ並みのスピードだ。
「スイーツ王子(ミシェル=フランソワ)の前についにショコラさん現る。ショコラさんの正体は去年のミスK大の木下優衣さん。王子は木下さんに即座に求愛、木下さんは王子の気持ちをその場に受け取り、本日晴れて美男美女カップルが誕生した。クッキーで結ばれただけあり、2人は早くも甘い雰囲気。まるで御伽噺のワンシーンのようで、見るものを魅了した」
すらっと水原が読み上げる。
ショコラさんが本当は私だと知っている水原が、淡々とそれを読むのは複雑な心情になった。
しかし水原は全く気にしていない。
「この写真の片隅に、引き立て役以下の存在として君が写っていた」
「引き立て役以下で悪かったな」
言われて写真を見れば、ぼさっと突っ立った私が、見つめあう2人の脇の脇に小さく写っていた。
引き立て役って言うか、背景にいる人の1人って感じだけど。
「朝、君が来るのを入口で待ち構えていて、チャイムが鳴っても君が来なかったときは確かに腹立ちを感じた。しかしこの新聞を見て、君の引き攣った顔で鬱憤は晴れた」
「それは良かったですねっ!」
正直アップルパイからシナモンの甘い香りがして、ちょっとドキドキしていたのだ。
特にこの写真は、インタビューをするために、使われていない小さな教室に移動して、匂いがきつくなっていた。
「話を戻そう。今回のパイは白紙」
言いながらラックから、水原作のスケッチブックを取り出し捲りだす。
リクエスト出すのは良いけど、作れるとは限らない。
「白紙といえど、材料費は出そう。君のそのシャツは見るに耐えない。このパイのせいだと思いたくないからな」
「パイのせいじゃないからっ!」
水原、どんだけ私のシャツに貧しさを感じているんだ?
自分が着ているTシャツを引っ張る。
自分ではそれほど着古してはいないと思ったんだけど、そこまで言われると流石に心配になる。
今度の休日、買い物に行こうかな。新しいシャツ、買う。
「ほら、受け取れ」
渡された封筒の中を見ると、3万円入っていた。
前回は3千円。
「これ札を間違ってるよ」
万札と千円札間違える自体凄いけど、そもそも持っているのが驚きだ。
「合っている。それは10回分だから」
「……うぉいっ!」
単位やるレベルとか貶しておいて、10回も作らせる気か!どれにしよっかなぁ~と今度はお菓子の料理本を捲りだした水原。
「お前…本当は私のお菓子、気に入ってる?」
「悪くはない」
「捻くれたやつ…」
しかし自分が作ったお菓子を褒められて悪い気はしない。
趣味で作っているものだ。水原に分けてやるくらいは大して問題はない。
「けど、作ったの丸々はダメ。自分でも味見するし、ママにもアドバイス貰うし」
だから3万もいらない、と封筒を返す。材料費にしては高額すぎる。
「この金にそんな深い意味はない。材料費をちょろまかして、君がシャツを買っても文句は言わないぞ」
「いや、言おうよ。って言うか買わないし!」
「それにこれは俺が汗水垂らして、簡単に株で稼いだ金だ。だから気にするな。まぁ君が気になるなら15回分でも良いぞ」
簡単に株って、時給幾らの苦学生が聞けば、殺意を覚えるフレーズだ。
「…じゃあ、1万円貰うよ。作っても半分は我が家で食べるし。やっぱり出来たてが一番美味しいからさ、作ってすぐに食べるよ」
「ふ~ん。出来たて…出来たてってそんなに美味しいのか?」
パラパラと本を捲っていた水原の手が止まる。
「そりゃそうだよ。物によるけどさ。パイとかケーキとかクッキーとかはやっぱり焼きたてが一番美味しい。パイは皮がパリッとしてあっつあつだし。プリンは冷やしても美味しいけど、焼きたてのプリンもまた違った美味しさを味わえるね。スイートポテトは熱々が少し冷めたくらいが食べ頃でほっくほくを味わえる。焼きたてのクリームスフレに、チェリーリキュールかけて食べるとふわとろでもう最高。揚げたてのドーナツに砂糖を塗すとじわっと溶けて、もちっとした食感が堪らない」
「………………ふーん…」
「まぁ、水原に渡すときには冷めてるから到底味わえないものだけどね。と言うか再来週から夏休みじゃん。だから菓子渡すのは来週の次は9月の最初の経済学総論ね」
「………………………」
「9月だとフルーツ系は持って来れないけどね。腐るからさ。食中毒は危険だよ。旬のフルーツはアクセントで良く使う。旬だと形が悪いけど、味は良いのとか安く手に入るから」
「……………………」
「水原?聞いてる?」
黙ったままの水原。まさか寝てるんじゃないよな?と肩を叩くと、ばっと水原が振り返った。
「君、夏休みは何をしている?」
「何って?そうだな、サークルに参加して、バイトして、友達と遊んで、合間に課題をちょこちょこ終わらすかな。毎年そんな感じだし」
「君に相応しい特筆すべき点が1つもない平凡な夏季休暇だな」
「悪かったな…!じゃあ、お前は何やってんだ?」
「俺か。決まっている。毎年スイーツ求めて全国東奔西走だ」
「それは……あぁ、納得の過ごし方だな」
「しかし今年は夏季休暇に書き上げなければならない論文やら、参加しなければならない学会やら、受けなければならない試験があり、スイーツを集めることが出来ない。大変無念な夏となる」
「ネットで注文すれば良いじゃん」
「それが出来ればそうしてる。出来ないから買いにいくんだ、この愚民、貧民、貧乳の三重苦が。そのくらい察しろ」
「………………」
水原が座っているキャスター付きの椅子を蹴り上げると、机に挟まれて圧迫されていた。
ぐえっと呻き声が苦しそうな声が聞こえたので、もう一度蹴って止めを刺した。
バンバンと机を叩き、降参の合図。
「何をするんだっ!君、信じがたい乱暴者だなっ!」
と言いながらも椅子の背もたれに当てられたままの私の足を見て、水原がこほんと咳払いをする。言おうとした悪口を飲み込んだようだ。
「最後まで話を聞け。君、夏休み俺の家に菓子を作りに来ないか?」
水原の言葉が私の頭に届くまで、しばしの時間を要した。