夏合宿 2
2日目の合同練習は、予想通り和気藹々とはほど遠いものだった。
休憩時間に木下さんがドリンクを配れば、うちのメンバーはふふんと自慢顔。空手をするような猛者の中で、可憐な木下さんは華やかに目立っていた。
M大の部員も羨ましそうに見ていて、メンバーは鼻高々。
練習だというのに、無駄に力が入っている。
競うようにガンガンにドリンクを飲む。
「秒殺一気だ!」
「木下さんが注いでくれると100円のスポーツドリンクパウダーも極上のシャンパンになりますなっ!」
ドリンクはすぐになくなって、木下さんが追加を作ってくれた。
気を使ってM大の分も作ってきたので、うちのメンバーは膝を付いて嘆いている。
M大のメンバーは畏まって、木下さんに紙コップを差し出していた。
スポーツドリンクで良くそこまで盛り上がれると思う。
「何なんでしょうね~あの無駄な張り合い」
「M大とK大って学力レベルが一緒だから、ライバル意識が出るんでしょうか?」
M大はマネージャーはいないけど、女子部員は3名いる。
護身のためにサークルに入ったそうなので、空手自体は全くの素人だ。私が教える形で一緒に練習する。
「私がサークルに入る前だから本当かどうか分からないんだけど、好みの女の子のタイプを話し合っていて、そんな子とお前らが付き合えるはずがないだろってどっちかが言い出して、何だとーくぉらぁってなったらしい」
「くだらない…」
新しくサークルに入った1年生が冷めた目になった。
私もそれを聞いた時、そう思った。
別の原因があるんじゃないかと深読みしたけど
「お前は彼女いない歴=享年になるな」
「ぷっ!笑わせるな。彼女いないまま還暦を向かえ、古希までにはっ!と決意を新たにするのはお前だ。そして末期に、来世にはきっと…と呟いてバタリ」
実にくだらない会話が聞こえるので、恐らくそれが真相だ。
「まぁ、何か遊び入ってる気もするけど。ただそっちの主将とうちの有岡先輩が本気で仲が悪い」
初対面の人だろうとフレンドリーに話す先輩が、片桐さんには必要最低限度。
他のメンバーのように低レベルなコミュニケーションもない。
「実力伯仲していますしね。そういえば、有岡さんは?」
「先輩は卒業して、今や立派な社会人。練習試合の日には来るよ」
「私たちの主将は、院に進んだので代表者のままです」
有岡先輩のライバルであるM大の主将片桐さんは、先輩がいなければ特に問題はない。
ヒートアップしたメンバーをびしっと窘めたりもする。
片桐さんは寡黙だが、落ち着いた常識人だ。先輩が何かやったんではないかと疑って、聞いたことがある。
「良かれと思ったんだがな。結果が裏目に出た」
詳細不明ながら怪しい返答をされた。
絶対何かやったんだと確信。
ただ珍しく、先輩が気まずそうに表情を曇らせたので、深く突っ込んで聞くのは止めた。
次の日は稽古もそこそこに、お昼を食べて早々海に繰り出した。
「狭霧さん、ここじゃ浅すぎて逆に危ないので、もう少し向こうに行きましょうか」
「う、うん」
約束通り、ミシェルが泳ぎを教えてくれることになった。
他のメンバーは浜辺ですいか割をしている。
棒は使わず、手刀で割るのがうちのサークル流儀。
木下さんもあまり泳ぎが得意じゃないというので、一緒に教わろうと誘ったけれど、コンタクトなのでと断られた。
木下さんは色白なので、日焼けもあまり良くないそうだ。
日焼けすると火傷のようになってしまう木下さんのためにパラソルを立て、飲み物やらカキ氷やらを運ぶメンバーに手を振って、海に向かう。
ミシェルは私の手を持って、体を浮かす練習をした。
あえなく失敗。
繋いでいる手以外が全て海中に沈んだ。
風がない時のこいのぼりみたいな状態だ。
ぷはっと上がると、ミシェルがうーんっと首を傾げている。
「海水では沈む方が浮くより難しいはずなんですが、無意識に力んで緊張してるのかもしれませんね」
ミシェルに思い切り息を吸って、膝を抱え込んで下さいと言われたのでその通りにする。
だるま浮きというものらしい。
ざばっと水中に潜り、ゆっくりと両膝を引き寄せて、腕で抱え込む。
完成したのは、海底体育座りだった。
浮いてない。
体勢もあって、何だかへこむ。
海中を覗き込んだミシェルが、脇に手を入れて引き上げてくれた。
「………力が入りすぎているんでしょうか?水への恐怖心とか怖かった経験とかあります?」
「ある、といえばある」
水への恐怖を残すほどではないが、小学生の頃、1度プールで溺れかけた。
プールと言っても施設の目玉の1つであるウォータースライダーで。
外が見えないチューブの中を滑り降りるというスリル満点のスライダーだった。
ジェットコースターが大好きな私は、大喜びで楽しんでいたけど、体勢が悪かったのか途中のカーブで体が浮き上がって半回転。
うつ伏せになってしまった。
巨大な滑り台でうつ伏せになった場合、仰向けに戻るのはほぼ不可能。顔には滝のような流水がかかり、息が出来ない。
うつ伏せで、もがきながら出てきた私に、出口にいたパパはびっくりしていた。
「でも溺れた経験はそれくらい」
トラウマになるほどではない。
他は特に思い当たる節がないので、よほど水と相性が悪いのだと思う。
「事故とか怖い思いしたわけでなくて良かったです」
ミシェルが濡れた前髪を掻き揚げながら、にこりと笑った。
今日はいい天気で太陽がキラキラ眩しい。その光にも負けず、ミシェルはキラキラとしている。
「狭霧さん、その紐もっとちゃんと結んだ方が良いですよ」
「へ?紐、あぁ、うん」
水着のチョウチョ結びが解けかけているのに気づいたミシェルが、ちょっと顔を顰める。
ちーちゃんが選んでくれた水着は、首の後ろで結ぶタイプのドットのビキニ。
ちょっと恥ずかしいなと思ったけど、ちーちゃんも店員さんも似合ってると褒めてくれたので決めた。
濃い青の色も海に擬態できそうで気に入った。
首の後ろのヒモがほどけても、背中部分のホルダーで押さえてあるので、それほど問題はない。適当に結び直す。
チョウチョが縦になって、左右が不均等だけど気にしない。
「それじゃ駄目ですよ。結び直しますね」
返事をする前にくるっと半回転させられ、首の後ろのヒモが引っ張られる。
「本結びにしておきますね」
「おむすび?」
波の音で良く聞こえなかった。
「本結びです。災害時やアウトドアで使う結び方です」
「そんな技術を使ってくれてありがとう…」
解けるんだろうかとちょっと不安になる。
首の後ろに手をやり、結び目を確認。
しっかり結んだあと、チョウチョ結びをして、更にしっかり結んである。
本結びという言葉は初めて聞いたけど、災害時に使うのに相応しい厳重な結び方だと分かった。
「ミシェル?」
結び終わってもミシェルの手が首の辺りに置かれている。
くすぐったいので笑いながら振り返ると、思いもかけずミシェルの真剣な目と視線が合う。
「……………………?」
「狭霧さん。あの、僕…」
「野田」
ミシェルの声を遮るタイミングで、誰かが割り込んでくる。
聞きなれない声に名前を呼ばれて、反射的に顔を向ける。
「こんなところにいたんだな。探した」
ミシェルの後ろにいたM大の主将片桐さんが、少々不機嫌そうな表情で私たちを見ていた。
無表情で口数が少ない片桐さんとは、必要な時以外話したことがない。
しかし探したというには、何か用があるのだろう。
心当たりがなくミシェルと顔を見合わせてしまった。