こじれた理由
水原のお母さん学校訪問からちょうど一週間経った。
しばらくは遠慮していたけど、水原からゼリーと菓子の催促メールが来た。
お母さん何しに来たんだろうと気になっていたので、ほいほい了承して、水原の家に向かう。
水原から話し出す気配なし。
こっちから聞くタイミングも分からず、先にお菓子を作ることにする。水原のリクエストを無視して、あんみつに決定。
寒天もゼリーも似たようなものだ。
バニラアイスを作ろうとアイスクリームメーカーを取り出したところで、牛乳の消費期限が切れていることに気付いた。
私は1週間くらい許容範囲なんだけど、水原は拘る。
「水原~牛乳買ってきてくれない?」
「分かった」
お菓子に関しては、水原のフットワークは軽い。
10秒後には玄関で靴を履いている。
「時間指定の郵便物が来るから受け取っておいてくれ。要冷蔵の水羊羹だ」
へーいと返事をして、抹茶寒天と白玉を作り始める。
数十分後、チャイムが鳴った。
時刻は丁度13時。時間に正確な宅配便だなぁと感心しながら判子を持って玄関を開ける。
「お疲れ様です~」
「あらっ!あなた、この間の…」
「…………………………」
優雅に和装を着こなした水原のお母さんが、日傘を差して玄関に立っていた。
えーっとと判子を持ったまま立ちすくむ私の足の間を、デビーナがするりと抜けて家に侵入。狙いは冷やされた部屋だとは分かっているので放置。
「あのーえー水原君は、今スーパーに行っていまして…すぐに帰ってくるとは思いますが」
「そうなの。上がって待っても良いかしら」
この場合どう答えれば良いんだろう。
どうぞって私が言うのは立場的におかしいし、駄目ですって言うのもおかしい。
少々お待ち下さいと言って、携帯で水原に連絡。
お母さんが来てるぞー家にあげていいのー?と大至急知らせようと思ったが、すぐ近くで携帯のバイブ音。
「携帯を置いて行くな~」
家に上げて良いのか、良くないのか。
この暑い中、家の前で立たせて置くのもいかがなものか。
アパートに来たって事は水原が教えたってことだ。
もしかしたらあの日からお母さんは毎日家で水原に会っていて、今日は何者か知らない私がいたから礼儀で聞いただけかもしれない。
私があげなかったせいで溝が深まったらどうしようか。
色々想像し、判断に迷って、結局水原のお母さんを部屋に上げた。
お茶を出してからも、対応に困る。
水原がいない家で、水原のお母さんにどう接すれば良いんだろう。
どうなってんの?和解したの?和解したのか?と軽いパニック。
詳しい事情を知らないから、とっても困る。
知っていても困るだろうけど。
「実はね、あの子の部屋に入るの初めてなのよ」
和解してないの決定!
家にあげて良かったのか!?
「あら、こびとのぬいぐるみ。あの子ね、小さな頃こびとが大好きだったのよ」
「………………はぁ」
今も大っ好きですよ。
そんなぬいぐるみなんて序の口です。
クローゼットの3段目とかもっとレアグッズ入ってますよ、オリジナルコビッティとか。
引き出しの2段目とかも開けるとやばいですよ。
「こびとはいるんだ、って信じていたの」
懐かしそうに目を細めて笑うお母さん。
今も信じてますよとは言えないで、力なく相槌だけ返す。
「こびとがいつ来ても良いように準備をしていたのよ。ふふっ今のあの子からじゃ想像できないかもしれないわね」
「…………………いえ…」
その準備、より大規模なものになってますよ、とも言えない。
1番言えないのは目の前に座る私が、こびと認定されていることだけど。
「あなた、英一とすごく仲が宜しいのね。もしかして恋人かしら?」
「いえ、違います」
否定したあと、恋人から“い”を外していただければ…と心の中で呟く。
「…実の息子に携帯番号も住所も教えてもらえないなんておかしいと思ったでしょうね」
「いえ、そんな…」
思いましたけど!
お母さんは抱えていたこびとのぬいぐるみに目を落とした。
「こびとね…昔、あの子『こびとのくつや』が大のお気に入りだったの。ずっとその本持ち歩いてね。その本の挿絵を真似して自分で描いたりして。親の欲目と思われるかもしれないけど、あの子中々絵が上手だったわ」
今も大変お上手です。
「ボロボロになっても持ち歩いて、どこに行くにも持っていって。本当にお気に入りだったわ。でも、あの子が小学校4年生の時に、夫がね、その本をあの子の目の前で燃やしてしまったのよ」
「え?何でですか?」
確かに小学校4年生で本を持ち歩くのは珍しいけど、燃やすほどの問題じゃない気がする。
「あの子、全く勉強しなかったの。宿題も一切手をつけず、学校の授業は上の空で。見かねた夫が、ドリルを買ってきたの。4年生用の計算ドリル。数時間後に夫があの子の部屋を覗くと、ドリルがポンと置いてあって、全てに答えだけが書いてあった」
「あ~…」
「夫はもう大激怒して、庭にいたあの子から本を取り上げて、燃やしてしまったの。そのドリルはどんなに頑張っても1ヶ月以上はかかるもので、式と筆算がなければ解けないものだった。夫はあの子が、答えを丸写ししたと思ったのね」
「………………………」
「感情をあまり表さないあの子が泣いて泣いて、あまり泣くので夫が途中で火を消したんだけど、本はもう半分以上燃えてしまったの」
その夜、水原は熱を出して、魘されていたらしい。半分焦げたこびとがずりずりと近づいてくると、魘されながら怯えていた。
焼けたこびとが這いずってくるって想像だけでも怖い。
「夫はね、遊んでばかりの英一が悪い!って態度を崩さなかった。でも兄の秀一が、あいつは俺が手こずる問題も簡単に解けると言ったの。あの子が異常に頭が良いってこと、それまで全く気付かなかった。私も夫も家業に専念してたせいね。秀一だけが気付いていた」
水原のお兄さんは、小学校4年生用のドリルが水原が数時間で終わらせることが出来ると知りながら、本を燃やすお父さんを止めなかった。
その理由は嫉妬だと思う。
遊んでばかりいる弟が、自分ですら解けない問題をさらっと解く。
水原のお兄さんは努力家だったようで、家に帰ると決められた時間勉強していた。
そのお兄さんが解けない問題を、いとも容易く弟が解いてしまう。
中学2年生のお兄さんが嫉妬する気持ちも分からなくない。
「夫も私も、秀一もたかが本を燃やしただけだと思っていた。あの子の知数を知っても夫は謝らず、それから色々…色々あって、どんどんすれ違っていったの」
色々のところで言葉に詰まるお母さん。
何があったのかは、敢えて聞かない。
大人の矜持のせいか、水原のお父さんは謝りはしなかったが、歩み寄りはしたらしい。
こびとのくつ屋の本を買って、水原に渡した。
しかし本来の本とは挿絵が違った。
燃えてしまったものは既に絶版で手に入らないものだった。
水原はお父さんが買ってきた本に、見向きもしなかったらしい。
そのままの関係で中学生になり、卒業と同時に祖父母の家に。
「…………………………」
「私はすぐに仲直りできるだろうと静観した。それもいけなかったのね」
何て言っていいか分からず、えーっとと言葉を探していると、かちゃっと玄関が開く音がした。さっと立ち上がって、玄関に小走り。
「ごめんっ!勝手に家にあげちゃったんだけどっ…」
小声で言えば、水原は顔を顰めながら牛乳を渡してきた。
「デビルは俺の家の避暑地だと思ってるな」
「デビーナじゃなくてっ!…デビーナもいるけど」
水原は靴を脱ごうと視線を落とし、品の良い草履に目を留めた。
家に上がったのはお母さんだと気付いたようだ。