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バレンタイン(中編)

 

 ママと相談して、今年はトリュフに決めた。

 トリュフの中味はラズベリーのピューレと、マーマレードの2種類。

 

 バレンタイン当日までママと毎日試作品を作り、日夜レシピの改良点を考える。

 のめり込み過ぎてパパの帰宅に気付けず、パパはちょっと寂しそうだった。

 

 バレンタインに完成したトリュフは今までの最高傑作と言ってよかった。

 材料を張り込んだというのもあるけど、その時の手の加え方と適量がヒットしたようなので、再度作ってもこれ以上のものは作れないかもしれない。

 

 残り少なくなった自分用のトリュフを抱えながら構内の廊下を歩いていると、不穏な空気を感じた。

 気に敏感な私が身構えて振り返ると、その空気は剣呑な顔をした水原から漂っていた。


 とっさにトリュフを後ろ手に隠す。


「あー…あれ?今日は神奈川に行くんじゃなかったっけ?」


 水原は2週間前から、チョコを求める小トリップを繰り返している。ネットで注文出来ないものは、日帰りで買いに行く執念。

 

 今日はバレンタインチョコの祭典を見学後、グランプリのチョコを買うんだと言っていた。


「そのつもりだったんだが、昨日の夜、教授が学会で使う統計資料を最新のものにして送れと言ってきた。そのために、今まで研究室に篭ることになった」


 学会で使う資料を任される学生も早々いない。

 水原はそれを得意に思うどころか、忌々しいと言う口調だった。


「だからそんなに殺気放ってるのか。何事かと思ったじゃん」


 チョコが買えなかったことで、殺し屋並の殺気を出す水原。


「君に向けたわけじゃない。山形の学会にいる教授に送った」


「山形まで届く?」


 お菓子に対する執着が尋常でない水原は、グランプリチョコを食べれなかったことが相当頭にきているようだ。

 目が危ない。


「あーじゃあ、これあげる。メレンゲショコラなんだけど、友チョコのお返しに用意していた…」


「君がさっき後ろに隠したものが欲しい」


「…………」


 見なくて良いものをしっかり見ている。

 

 しかしこれは譲れない。

 私に残された大事な5粒だ。

 

 何のことかな~と言いながら、チョコの袋をしっかり握り締める。


「これは……貰ったものだから」


 目を逸らしながら嘘を吐く。


「君の愛用、北欧デザイン二重ジップロックに入っている」


 本当に目ざとい。

 

「…昨日ちょちょいと作ったものだから、食べない方が良いと思うなぁ」

 

 大したもんじゃないと言いながら距離を取る私を、じーっと見つめる水原。

 じーっと見た後、はぁっと長い溜め息。


「俺は今回の後期試験、単位を落としたかもしれない」


 いきなりの話題転換。

 

「はぁ?必要な知識は全て入っている。俺は試験如きで勉強することなどないって宣ってたのに」


 水原は苦悩するかのように頭に手をやって、項垂れた。

 

 思いっきりポーズなのが分かる。

 

「試験前はやはり勉学に励むべきだった。いや、励もうとしたんだ。それなのに、試験前の大事な時間をとあるこびとに奪われた」


「………………………」


 水原の話の意図が読めた。

 危険信号がチカチカ光る。


「勉強せねばと鉛筆を取ったところで、教授が何を言ってるか訳わかめで、全ての基礎も理論も訳わかめっと喚くわかめこびとに乱入された」

 

 棒読みスキルがすごい。

 はぁと溜め息混じりにいってるけど、全然感情が伝わってこない。


「こんなの分からなくてもさー将来困らない気がするんだ、今は困ってるけどっでも将来はさーと愚痴るやさぐれこびとにも絡まれた」


 物憂げな表情を作ろうとしたのか、半目になってる。

 大根役者も真っ青な、青くび大根役者だ。

 

「研究室のドアをキツツキのようにノックされ、勉学に勤しんでいた俺が仕方なしに開ければ、煮詰まったこびとがもうダメだーと言いながら飛び込んできた」


 こんな似非臭いことが出来る水原は、逆にすごい。

 白々しい演技もここまでやれれば、いっそ天晴れだ。


 いつ行っても水原はチョコのリサーチをしていた。

 グルメ情報誌とマップ、ネットをフルに使い、全ての力をチョコに注いでいた。


 試験勉強で多大に迷惑をかけたのは認めるが、そのせいで単位を落とすかもしれないというのは絶対に嘘だ。


「はぁ、順風満帆な人生もこれまでか。とあるこびとのせいで…いや、良いんだ。手を貸そうと決めたのは俺だ。例え単位を落とそうともそれもまた自己責任だろう」


「チョコのリサーチの邪魔しただけじゃん!」


 自分は恩人アピールが清々しいほど、あからさまだ。


「後ろに隠しているチョコをくれ」


「結局はそこかっ!」


 確かに水原の協力をなくしては、試験は乗り越えられなかった。

 教科書読んでも、ノート読んでも分からなかった私は、切羽詰って水原を襲撃。

 

 人間危機に直面すると第六感が働くようで、水原の居場所を何となしに探り当てた。


「……やっぱりさぁ~素人の最高傑作と言っても、プロには及ばないものだし」


 実際恩を感じている私は、そこを責められるとちょっと弱い。迷惑そうな顔をしつつ、しかし結局私が納得するまで、勉強に付き合ってくれた。

 君は物覚えが悪いと、分かりやすくまとめた解説もくれた。


 大いなる借りは、お菓子で相殺させようと思っていた。

 でもこのトリュフは惜しい。

 何とか気をそらそうと、メレンゲショコラをぐいっと押し付ける。


「これはママの勤務先のケーキ屋の人気商品でねっ。バレンタインは数量限定でしか手に入らないチョコ、まさに絶品の一品」


 もてる全ての語彙を使い、差し出した商品を褒めちぎる。

 

「メレンゲ生地がサクサクしてて、チョコは濃厚でふんわり。さっと軽やかだけど、チョコの余韻がいつまでも残る私のお薦めスイーツ」


「ならばそれも欲しい」


「……………………」

 

 

 

 …結局、両方持っていかれた。

 

 全ての発端である山形にいる教授に、殺気を送りたくなった。届くかどうかは分からないけど、とりあえずやってみる水原の気持ちが分かった。

 

 水原は私が渋々差し出したチョコをもぎ取ると


「単位は問題ない。来期も特待生なのは確実だ」


 とだけ言って、すたこらと去っていった。

 

 水原に渡したチョコは5個、何で全部渡しちゃったんだろうと物凄く後悔。

 

 携帯を取り出して、水原にメール。


【本当はちょちょいと作ったものじゃないからっ!さっき言ったのは嘘だからっ!】


 ううう…としょぼくれながらメールを送信。

 ちょちょいと作ったと思われて、ぽいっと食べられたらやり切れない。


 私のチョコ、最高傑作がぁと思いながら、鞄の中の袋を取り出す。

 有岡先輩もパパと同じものが欲しいと言っていたので、用意したチョコ。

 

 これから先輩に渡しに行く途中で、水原に遭遇してしまった。

 先輩に渡すチョコはまだ手元にある。


「………………………」


 先輩にあげるチョコを5粒から3粒に変更。

 2個取り出して、リボンを結びなおす。


 気を取り直して、先輩との待ち合わせ場所に向かう。


 今日は私と先輩、ミシェルは部室出入り禁止を食らっている。

 バレンタインはメンバーの浮き沈みが激しいので、正直それは望むところだ。


  

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