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捜査閑話

 ここじゃ込み入った話も出来ないからと、水原が指でついてくるように合図した。

 少し躊躇いはあったが、何も言わずに水原のあとを追う。

 

 何故ばれたのかはさっぱり検討も付かないが、ここで反発して広められたら大変だ。

 

 水原は校舎を出て、図書館へ入っていった。活字に興味ないので、図書館に入るのは入学の案内以来だ。

 本棚と真面目に勉強する学生で溢れる二階を抜け、水原は三階に上がった。三階まであるのか、と思いながら無言のまま階段を登る。


「図書館の三階は研究室になってる。ここは俺の研究室」


 水原は鍵を開けて、どうぞ、と私を中に招いた。


 大学内に研究室を貰えるのは、本の一握りの優秀な学生だけだ。賢そうなのは外見だけじゃなかったんだな、と少し緊張しながら中に入る。


 水原が明かりをつける。

 研究室は六畳程度の広さで、物に溢れているため狭苦しく思えた。

 部屋の突き当りに机があり、その上にはパソコン、両サイドには本で溢れるラックがあった。大き目のゴミ箱と、ダンボールが三つ。

 

 それをまじまじと検分して…絶句した。

 

 学生の研究室に入るのは初めてだ。

 イメージとしては、訳の分からない語句やら数式やらが書かれたレポート用紙が散乱し、本棚には専門書がずらり。

 パソコンの画面には外国語の論文。冷めた缶コーヒーとコンビニ弁当がある。


 そんな貧相なイメージとは比べ物にならないほど水原の研究室は、個性的過ぎた。


 机の上にはケーキの箱、クッキーの食べかす、チョコの汚れ。

 ラックにはお菓子の本や、スイーツのお店のガイドブック、全国の銘菓特集が載った雑誌がぎっちぎちに押し込められている。

 ゴミ箱は見るからに甘そうなお菓子のから袋がてんこ盛り。

 隅に積んであるダンボールからは、海外のお菓子のパッケージが見えた。


「………………………」


「君も一目で分かったろうな。俺がインテリスイーツだという事を」


「…そんなジャンル、初めて聞きますが…」


 水原は小さめのポットから、マグカップに紅茶を注いだ。

 ポットも完備されているようだ。水原は引き出しをごそごそ漁ると、紙コップを取り出し、それにも紅茶を入れた。


「改めて自己紹介しよう。俺は、水原英一。君と同じ学部で、月曜朝一の経済学総論の授業で君の後ろの席にいる。君は俺を誰だか分からなかったようだが」


「…………そう言われても…」


 経済学総論は必修授業で、100人以上が講堂に集まる。席も決まっていないので、真面目に学びたい人は早めに前の方の席を確保しなければならない。

 

 この授業は出席さえしていれば単位が貰えるので、早めに来ても後ろの方の席に座っていた。

 その日ごと座る場所が違うので、後ろにいたと言われてもいつ?としか答えようがない。


「俺は1年以上、君が来るのを待って、君の後ろの席を狙った」


「…………………」

 

 紅茶の紙コップを渡される。

 熱いと分かっていたので、シャツの袖を伸ばし緩衝材にする。


「いや、勘違いしないでくれ。君が好きだとか、そういう低俗な気持ちではない。俺は君の鞄から見える美味しそうなお菓子を狙ってたんだ」


「……………………」


 マシュマロとチョコとマカロンを紙皿に出し、食べだした。

  

 普通、私にも勧めないか?

 紙皿は私から手が届かないところにあり、水原はそのお菓子を私に分ける気はないようだ。


「その袋はいつも、俺を虜にする匂いを放っていた。一個ちょうだい~と言ってみるか。いや、そんな強請るような浅ましい真似、この俺が出来るものか。いっそ盗んでみるか…いや、それは下品かと悩み続け、苦悩した俺を神は見ていたのだろう」

 

 盗むのは下品って…。

 品の問題ではなく、犯罪なんだけど。


「新聞に載ったスイーツ王子のショコラさん探し。俺はスイーツ王子が持つお菓子の袋を見てすぐに気付いた。俺がずっと見続けていた菓子の袋だ。君はいつもその袋に、芳しい匂いがするお菓子を入れていた。調べてみるとその袋は、大量生産のものではなく、キッチン雑貨専門店にしか売っていない特別なものであると分かった。北欧デザインの、湿気らないように二重にジップロックが付いている袋。あの写真に載っていた袋は同じものだった。あー我慢の限界が近い!盗んでしまいそうだと思っていた君の鞄に入っていたものと」


「……………………」


 まさか、人の鞄の中のお菓子をチェックしているやつがいるなんて思わなかった。

 大学生になり、勉強もサークルもあるので、日曜日にお菓子を作っている。作ったお菓子はその日のうちに食べきれないので、月曜日に学校に持っていって小腹が減った時に摘んでいた。

 

 そんな頻繁ではないし、そんなところからばれるとは思わなかった。


「君がショコラだと隠しているのも分かった。美化されて名乗り出たら大ブーイングを受けるだろう未来は誰でも予測できる。ショコラの件は俺にとって最高についているものだった。盗むというデメリットを背負わずに、脅すという行為で、俺は菓子を手に入れることが出来る」


「いや、脅すのもどうかと思うよ」


「俺からの要求は1つだ。ばらされたくなければ、俺に菓子を持って来い。君が作ってるんだろう?」


「そうだけど…。他の人が作ったものを持っているだけとは思わなかったの?」


 私が持っているだけで、私が作ったとは限らない。


「1年以上見ていれば簡単に分かることだ。それに君、授業も聞かずにノートにレシピを書いていただろう。授業を何だと思ってる?学費を払ってるご両親に申し訳ないと思わないのか?」


「その私を見ているあんたも同じじゃん」

 

 授業の合間にレシピを書いたり、デコレーションの絵を描いたりしていた。鞄の中のお菓子の袋だけではなく、そこまで見ていたとは。


「ふん。俺と君は頭の出来が違う。俺は学費全額免除だし、あの程度受けなくても理解している範囲だ。出席が単位の条件だから、出ているまでのこと」


 いちいち嫌味なやつだ。

 私は人よりも優れている運動神経を使い、紙皿の上のマカロンを掠め取ってやった。

 あーっ!とショックを隠さない水原を尻目に、ぱくっと一口で食べる。


「君っ!それは全国スイーツランキング上位に入ったマカロンだ。君如きが食べて良いものではないっ!」


「…………………」


 更にむかついたので、マシュマロも取ってやった。水原は予約して一ヶ月待ったマシュマロなのに…と悔しそうに顔を歪めた。

 ふぅーっと溜め息を吐くと、紙皿を引き出しの中にしまい鍵をかけた。その鍵をダイヤル式の金庫に入れた。


 そこまでしなくても…と水原のお菓子に対する執着に驚きよりも呆れを感じる。


「でも匂いが美味しそうでも、実際美味しいとは限らないじゃん。もし食べて不味かったらばらすとか言うわけ?」


 作るのは簡単な要求だ。

 ただ得意と言ってもそれは素人の中でだ。勿論、プロの職人とは比べ物にならない。そもそも材料の質から違う。

 小麦粉だって砂糖だってバターだってスーパーの特売品だ。

 

 全国から厳選されたスイーツと比べられても困る。


「いや、不味かったらもう君とは関わらない。勿論、ばらすなど面倒な事はしない。俺は君のお菓子に興味があるだけで、君に対して何らかの感情があるわけではない。不味かった場合は、価値がない君に時間を費やした己の不幸を嘆くだけだ」


「捻くれたやつだって友達に言われない?」


 菓子のレベルは問わない、つまり作れば良いだけという条件にほっとした。ほっとした気持ちもあるのだが、水原の言い方に腹が立つ。

 お菓子が食べたいだけだからばらしたり意地悪はしないって言えば敵を作らないのに、厄介な性格をしている。


「ないな。そもそも友達がいない」


「あーだから性格が屈折してるんだな」


 いないから屈折しているのか、屈折しているからいないのかニワトリと卵の話になりそうだ。


「そんな低俗な関係は好かん。菓子を持ってくるのは、来週の月曜、経済学総論の時間で良いな」


「それは良いけど、菓子なら何でも良いの?嫌いなものがあるなら言っておいて。美味しい不味いの問題じゃなくて、元から食べられなかったら意味ないから。好きなお菓子とかあるの?」


 私の言葉に物凄く反応した水原は、ラックの中からスケッチブックを取り出した。

 スケッチブックには様々なスイーツの絵や写真やパッケージがスクラップされている。スケッチブックはナンバー3にまであった。


「お前…どんだけだ…」


 鬼気迫る勢いでそれを捲り、吟味する水原。

 紅茶を飲みつつ待つ。

 20分が経過。


「そろそろ決めて貰えませんか?」

 

 うぅーむと決めかねて唸る水原からスケッチブックを奪い、作りやすそうなものを勝手に選んだ。


「まぁ、過度な期待はしないで待っててやる。君自身同様、君のお菓子も大したことない可能性が高いからな。あ、これ材料費」


「上から目線で、嫌味なのに、妙に律儀だなっ!」

 

 三千円也と書かれた茶封筒。


「良いよ。一応内密にしてもらう取引だし」


 封筒を受け取らずに、手を振ると水原はおや?と言う顔をした。


「君が洗いざらしのシャツと、数本のズボンを着まわしているのは、材料費で金が逼迫してるからではないのか?」

 

 最悪だ!水原。菓子だけではなく私の服までチェックしているっ。


「服を買いに行くのが面倒なだけだってっーの!材料費で困窮って、お前の思考回路どこまでお菓子中心!?」

 

 ともかくこれは要らないとお金を返す。

 自分のお菓子に三千円の価値があるのかと問われたら全力で否定する。

 


 捻くれて分かり辛いが、水原は私のお菓子にかなりの期待をしているんじゃないか?

 1年間も食べたいと思い続けた菓子だ。思う以上に気持ちが高まっているのかもしれない。


 想像って膨らむものだから。

 夢って大きくなるものだから。

 

 お菓子で溢れた研究を見渡し、圧し掛かってきたプレッシャーに溜め息を吐いた。

 美味しくても、不味くても私のデメリットメリットは変わらない。でもしれっとした顔をしたまま来週の月曜に花丸を付ける水原を見ると気が重くなる。

 

 かーなーり期待している!

 はぁ…お菓子作りにプレッシャーを感じるなんて初めてだ。


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