頼みごと
「階段を踏み外して左足と右手を捻挫~?」
チャイムを鳴らしても、応答がない。
ドアを回すと鍵がかかってなかった。顔を半分覗かせて、水原を呼ぶと入ってきてくれと返事が返ってきた。
部屋に入ると、左足と右手に包帯を巻いた水原がいた。
「怪我自体は大したことはない。軽い捻挫だそうだ」
スポーツ観戦した帰り道、水原は歩道橋で足を踏み外してしまった。
幸い、大した段数ではなかったし、全治10日ほどの軽傷だった。
しかしやはり2,3日は腫れが酷く、歩く時は結構な痛みが生じる。
安静にせよという医者の言葉。
「何やってんだか…。コンビニで何か買ってくるよ」
利き腕を怪我して使えないので、左手でも食べれるカレーをチョイス。
イスラム教徒じゃなくて良かったねと言えば、不機嫌そうに睨まれた。
「でも水原がスポーツ観戦行くなんて知らなかった。野球?サッカー?」
持ちづらそうにスプーンを握りカレーを食べる水原の前で、紅茶を飲む。
さっきの歓迎会で色々食べたので、お腹は一杯だ。
「俺はスポーツに興味ない」
「は?じゃあ、何で行ったの?」
「行ってない。俺が行ったのはスイーツ観戦だ。半年振りに行われた和洋交流戦のプレミアシートが取れて、気持ちが高揚していた。だからと言って足元を疎かにするとは、俺としたことが情けない」
「………………………」
「どうしてそんな面白い顔をしている?」
「ううん。世の中、まだまだ知らないことが沢山あるんだなって実感しただけ」
スイーツ観戦って何だろう。
どういう試合なんだろう。
プレミアシートって何だろう。
「頼みたいことってそれか」
水原はデザート用に買ってきたプリンのフタを開けるのに四苦八苦している。
右手で押さえられないので、力が入れづらいんだろう。
開けてあげようと身を乗り出すと、水原はアルミのフタにぶしっと爪を突き刺して穴を開け、そこにスプーンを突っ込んでいる。
「うぉいっ!」
冷静に見えても、動きが制限され痛みがある水原はイラっとしているようだ。
手が上手く使えない幼児のようなことをする。
プリンを平たい皿に出し、冷蔵庫に入っていた生クリームとフルーツでデコレーション。
小さいカップだと倒れやすいので、水原がいつ零すか分からない。
「次の日曜日だが、君、空いているか?」
「何で?どうした?」
水原は郵便物を左手で開けようとして上手くいかず、鋏を使うものの右手用なので切れ味が悪く、結局ぱしっとテーブルに放り投げた。
利き腕がダメだと、色々不便なんだなと勉強になった。
「次の日曜日、地下甘党の役員会議があるんだが、会報の作成も兼ねるので欠席出来ない。荷物が多いのに、右手は使えず左足もダメだ。君、一緒に行って手伝ってくれないか?」
「役員会議って…」
「もちろん、報酬は出す。そうだな、3万でどうだ?」
1日3万ってどんな破格のバイトだ。
呆れた視線を水原に送ると、今度はパソコンのキーを打つのに苛々している。
左手だけだとキーを打つにも、マウスを動かすにも、手間をかけなければいけない。
キーの押し方が、ベートーベンの運命を引くようになっている。
「困ってんならそういえば良いのに」
お金なんてなくてもそのくらい手を貸してあげるのに。
「で?地下甘党って丸田さんのお店が本拠地云々って言ってたよね。その日も?」
「あぁ。役員会議は丸田さんのお店でする」
それなら問題はない。場所を迷ったりしないし、歩くのに不自由な水原も我慢できる距離だろう。
「んじゃ、1時間くらいで行けるね。重い荷物とうるさい荷物があるから、余裕を見て1時間半前に出るか。何時から始まるの?」
「11時半だ。君、うるさい荷物って俺のことか?」
当たり前の確認をする水原を無視して、持って行くと言う荷物を一まとめにする。
殆どお菓子。全国お取り寄せスイーツ。
「地下甘党は何らかの事情で、甘党であることを公言できない男の集まりだ」
「秘密保守派だっけ?」
前に聞いた事がある。
水原は自由主義派とか言ってたな。
「あぁ。だから会員は男のみで、女人禁制なんだ」
「ふーん。って私行って良いの?」
「良くない。だから男の振りをしてくれ。君なら簡単に出来る」
水原の言葉にチョップを食らわそうかと思ったけど、相手は怪我人なので我慢した。