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夏風邪

「お前…バカだな…」


「ごほっ…君如きの偏差値が俺をバカといえるとは。身の程知らずが、ごほっ、俺は、ほぼトップで大学に入学し、それ以後もそれを維持している天才だ。げほっ偏差値70は下らない類稀な、ごほっごほっ」


「夏に冷房ガンガンにして、風邪引くのがバカでしょ」


 いつも水原の家の玄関を開けると、ひんやりとした冷気が流れ込む。

 今日はそれが無かったので、変だなと思ったら真っ赤な顔をした水原が出てきた。

 18度設定のまま寝てしまい、当然の結果風邪を引いて、現在38度の熱がある。


「うー俺のことは気にせず、君は作っていてくれ。ごほっ、今日はレモンケーキだったな」


 ごほごほ言いながら、キッチンを指差す水原。

 ふらふらとして、気にせずといわれても気になる。


「薬は飲んだ?」


「いや、薬の類は飲まない。脳に良くないからな」


「あーいるいる。意味の分からない理由で薬を拒否の人間」


 水原を蒲団に戻し、もう一度外に出る。


 コンビニでお粥とスポーツドリンク、栄養ドリンク、風邪薬と冷えピタを買う。レモンケーキを作ろうと思ったけど、予定変更。


「君、どこに行ってたんだ?」


「コンビニ、薬買ってきた」


「俺は飲まないぞ」


「無理やり飲ます」


 お菓子しか食べていないだろう水原に温めたお粥を渡す。


 製菓を除き壊滅的な料理しか出来ない私は、お粥を作ることすら困難だ。

 しかし温めれば良いだけのお粥はコンビニで簡単に手に入る。


 便利な世の中だ。


「窓開けなよ。空気が悪いから咳が出るんだよ」


 遮光カーテンと窓を開け、空気の入れ替えをする。


「止めろ。ごほっ、窓を開けると熱気と猫が入ってくる」


「熱気は分かるけど、猫って…」


 呆れて振り返る私の足元から、うにゃーという鳴き声が聞こえた。

 

 猫だ。

 真っ黒な猫が、足を内側に折りたたみ、お腹をフローリングにつけてリラックスしていた。


「隣の家の猫だ。いつも俺の部屋の窓に張り付いて涼を取っている」


「あれ?ここってペット可だっけ?」


「いや、不可だ。隣の家の子が良く餌をやるので居ついたらしいぞ」


 適温の水原の部屋で、避暑する気満々の猫。

 大人しく隅で丸まっているし、水原も溜め息をついてそのまま無視しているので、私も気にしないことにした。


「薬飲みなよ」


「その薬の成分が、脳細胞に悪い影響を及ぼす可能性も否定できないだろう」


 良く分からない持論を展開しだして、中々薬を飲まない水原。

 副作用がどうの、薬を服用する時は専門家の判断が必要不可避がどうたら。


 面倒臭いので、無理やり飲まそうとすると


「止めろっ!苦い!」


 と本音を零した。

 馬鹿らしくなり、強制的に口に押し込む。

 

 風邪で弱っている水原など、空手段持ちの私の敵ではない。

 

 冷えピタを貼りながら、額をどんと押して蒲団に寝かす。

 ぶつぶつ文句を言いつつも、風邪薬に睡眠薬が入っていたのか水原は眠ってしまった。

 

 ドアをしめて、ちーちゃんに電話をする。


「ごめん。今日の合コン行けなくなった」


「え?何で?さーちゃんと良い感じだったW大のあの男の子も来るのに?さーちゃんも気に入ってたでしょ」


「うーん、そうなんだけど。友達が風邪引いてさ。その子1人暮らしだから一応夜までついていることにする」


「勿体無いけど仕方ないわね。じゃあ、またW大の子とセッティングするわ」


「うん。ドタキャンごめんね」


 謝って電話を切る。

 話し声で起こしたかと覗くと、水原はさっきと同じ体勢で寝息を立てている。


 そっとドアをしめて、いつもよりゆっくりと静かにお菓子を作る。

 レモンケーキはハンドミキサーを使うので、その音で水原を起こしてしまう。


 水原が風邪だし、食べやすいババロアとゼリーを作ることにした。

 

 ゼリーはこの間使ったフルーツが残っている。

 それをたっぷりゼリー型に入れて荒熱を取ってから冷蔵庫に入れる。

 

 ババロアはこの間ママと作ったイチゴのジャムを混ぜ込んで、柔らかめに仕上げる。

 それほど面倒な作業がいらないので、すぐに作り終わってしまう。


 しかし固まるのに、数時間かかるのだ。

 課題をやりつつ時間を過ごす。


 しばらくすると


「いるのか?」


 水原の声が聞こえた。

 

 時計を見ると7時過ぎている。

 いるよ、と返事しながら部屋に入ると、水原が半身を起こしてこっちを見ていた。


「何をしているんだ?」


「お菓子の仕上がりを待ってた」


「課題をやりながらか?」


「うん。その間することないし」


「こっちの部屋でやればいい。いくらキッチンが好きだと言っても課題をしづらいだろう」


「いや、水原寝てるじゃん。隣に私がいたら気にならない」


「別に」


「そう?じゃあそっちでやる」


 テーブルを片付けてノートを広げる。夏休みの課題は結構な量で、毎年ひーひーしながら終わらせるのだが、今年は余裕のスピードだ。


 バカと天才は紙一重だが、やはり勉強の面で水原は頭がよく、分かりやすく教えてくれる。

 君に分かるように説明するのは難しいとか君の理解度の低さが理解不能とか嫌味は多いけど。


「汗かいているから、水分取りなよ」


 言いながらスポーツドリンクを渡す。


 いつも涼しげな表情で、汗をかかない環境にいる水原が真っ赤な顔で汗を掻いているのは、珍しい。

 もっと言えば、メガネを外した水原を見るのは初めてかもしれない。

 

 その珍しい顔面をまじっと見た後、水で絞ったタオルを渡す。


「君、今日はどこかに行く予定じゃなかったのか?」


「いや、何もないけど?何で?」


「シャツじゃないから」


 ちーちゃんがコーディネートしてくれた服だ。

 ちょっと良いなと思う人が今日の合コンのメンバーにいて、それを知っているちーちゃんがこれを着て来いと言い張った。

 

 首で肩ひもがクロスされているキャミソールに、薄手のストール、水色のキュロットは左についている小さめのリボンがキュートだ。


 シャツとズボンばかり着回ししていたので、最初は抵抗があったが慣れてしまえば、どうってことなかった。


「シャツじゃない服も最近買うの。で、もう夜だけど食べたいものはある?」


「…今日は君、何の菓子を作ったんだ?レモンケーキじゃないな?」


「そういうところ鼻が利くね。ババロアとゼリー。咳していたから、ちょっと喉が痛いかと思って喉越しが良いものにした」


「レモンケーキはいつだ?」


 ごほごほ言いながらも、お菓子に対する執着を捨てない水原はある意味天晴れだ。

 水原はスポーツドリンクを飲まずにベッドサイドに置いた。


「水分飲まなきゃダメじゃん」


「苦手なんだ。この類」


「うわぁ、好き嫌い多い男だな。面倒臭い奴。仕方ないな、ちょっと待って」


 キッチンに行き、レモンケーキに使うはずだったレモンを絞る。

 レモンと通常より多めのはちみつと少しの生姜を混ぜて、レモネードを作る。

 沸騰した熱いそれに氷を入れて少し冷やす。

 輪切りにしたレモンを下に沈めて、ストローを挿した。


 家ではレモンのはちみつ漬けを使って作るのだが、水原の家にはない。


「ほら、これは?」


 レモネードを渡すと、水原は黙って飲みだした。

 

 不要になったスポーツドリンクを飲んでいるとうにゃーと鳴き声が聞こえた。

 猫の存在を忘れてた。

 スポーツドリンクを見てにゃぁっと鳴いているので、皿に入れてみると飲みだした。


「猫は?」


「窓を開ければ勝手に帰る」


 へぇっと頷きながら時間を確認する。

 水原にご飯を食べさせて、薬を無理やり飲ませたら帰るとしよう。


「あんまり食欲がない」


「ババロアとゼリーは?」


「ババロア」


 はいはいと返事をして、冷蔵庫からババロアを取り出す。

 5個あるので、1個は私のものだ。

 

 水原は億劫そうにババロアを食べている。

 熱は下がったように見えるが、微熱が残っているのかもしれない。


 自分の分のババロアを食べながら、レモネードの追加を作る。これなら水原も飲めるようだし、しょうがを多めに入れれば喉にも良い。


「ほら、薬」


「ゼリーは?」


「ゼリーも食べるのっ」


 食欲がないようなことを言っておきながら、お菓子は別らしい。ゼリーを差し出すと、それもゆっくりと食べた。


 そのまま寝転がろうとするのを阻止して、無理やり薬を飲ました。冷えピタを貼り直し、額を押して蒲団に突き倒す。


「んじゃあ、私は帰るけど。明日もちゃんと薬を飲みなよ。夜中、熱が上がって死にそうってなったら電話して。仕方ないから救急車呼んであげる」


「君に電話できるくらいなら最初から救急車を呼ぶ」


「そりゃそうだ」


 と笑いながら、水原の家を出る。


 翌日、水原からメールがあった。水原から菓子に関すること以外でメールが来るのは初めてかもしれない。

 いつも件名にのみ記入だ。


 今回初めて本文記入。

 件名には、レモンケーキ。

 本文には、風邪治った。


 これを打つのに水原はどんな顰め面をしていたんだろうと想像して、笑えた。


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