夏休み、バイト三昧
夏休みは思っていた以上に多忙だった。
時間を費やしたのはバイト。倉庫内作業の完全なる肉体労働だ。
お金を貯めたい目的が出来た。
ママの勤め先のケーキ屋が、11月に改装工事することが決まった。そんな長くかかる工事ではないけど、2週間くらい休みになる。
それに合わせてパパも会社休んで、旅行に行く計画を立てている。
2人は私も連れて行く気だったけど、そんな長く大学を休めない。
だから2人で行ってきてってお断りした。
行き先はパパとママがずっと行きたがってたフランスとドイツ。
新婚旅行に行くはずだったらしいけど、色々あって結局行けなかった。
2週間って長期間休みを取れるのは初めてだから、これを機にって決めたみたい。
パリにはママがずっと憧れていたスイーツがある。
とあるホテルの宿泊客限定に振る舞われるそのスイーツは、パリジェンヌのみならず世界を魅了している。
1泊3万からするその5つ星ホテル。
勿論ママはあっさり諦めたし、パパはママがそこに行きたがっているのを知らない。
でも折角の機会だし、私はママにそのスイーツを食べて欲しかった。
夏休みを使って、その宿泊費を私が稼げば良いんだ!と思った。
遠慮するだろうけど、ホテルを予約してお金を払ってしまえばこっちのもの。
そんなわけでバイトに励んでいたけど、そのホテルを調べてびっくり。
パパとママがパリに滞在する日、日曜に当たるみたいで割増料金。
しかも部屋が埋まっていて、5万からのしか空いてなかった。
6万稼ごうと思っていたのが、一気に10万に跳ね上がる。
1泊5万。2人で10万、驚きの価格。
でもパパとママには新婚旅行みたいなもの。
こうなれば絶対稼ぐってやけになってバイトに励む私。
そんな私に
「ガトーショコラ」
と件名だけの水原からのメールが来たり。
「今日はW大の男の子と合コンよ!」
とちーちゃんからテンションが高いメールが来たり。
「洗ってない空手衣を部室に隠しておいたら、木下さんからこの部屋で何か腐ってませんか?と言われ、メンバーが地を這うように凹んでいる。鬱陶しいので野田、フォローを頼む」
と有岡先輩から馬鹿馬鹿しいメールが来たり。
無視するわけにもいかないのでそれぞれ合間を見て、付き合っている。
「ちょっと形が崩れたんじゃないのか?」
ご所望のガドーショコラを作ってやると、文句を言いつつ食べる水原。
「あのね、ガトーショコラは荒熱を取ってから抜くの。それを水原が熱々が一番だとか言って無理に抜くから崩れたんでしょうが!」
1度焼きたてのクッキーを作ってから、水原は妙に焼きたてに拘る。
すぐに食べた方が美味しいものと、そうでないものがあるって言ってるのにケーキは熱いうちが美味いって思い込んでいる。
「何だ。それならそうと早く言え」
「生クリーム泡立てている隙に、水原が勝手なことしたんじゃんっ!」
「目を離すほうが悪い。ところでさっき生クリームに何を入れたんだ?」
「え?洋酒。生クリームに洋酒を加えて、ガトーショコラに飾ろうと思ったんだよ。もう半分ないけどねっ!」
ガトーショコラを抱え込んで放さない。
私はまだ一口も食べていない。
私の分というと、薄っぺらく切り分けたのを寄越してきた。薄すぎて立たない。
向こう側が見えそうなんだけど。
ある意味すごいスキルだ。
「………………お前なぁ~…」
「次はそうだな。タルトが良いな。こないだのエッグタルト、また食べたい」
「あーあれ?良いけど次、いつ来れるかまだ分かんないよ。バイトあるし」
「……君、夏休み無駄に働いてないか?…そういえばシャツじゃない。それキャミソールと言うのか?それにキュロット。買ったのか。……あぁ、それで金が」
「違うし。まぁ服にかかったのも間違いじゃないんだけどさ」
沢山の服をちーちゃんに連れまわされて買った。買い物とか面倒と思っていたけど、結構楽しかった。
セールで安く買えたし。
着古したシャツは、ちーちゃんに何を吹き込まれたのかママが雑巾にした。
言われるまでキッチンで使ってる雑巾が私のシャツだって分からなかったから、シャツは相当な代物だったとその時に実感した。
「宿泊費、稼ぎたいんだよね」
「宿泊費?どっか行くのか?」
行くなら是非その地で有名な菓子を買ってきてくれと、茶封筒を用意しだした水原を止める。
「私じゃないって。パパとママ。2人の念願だったフランス・ドイツの旅行に11月に行けることになったんだけど、ママが憧れていたホテルのスイーツ、宿泊客しか食べれない限定でさ。5つ星で1泊5万するの。ママは簡単に諦めて話題にもしないけど、私は諦めて欲しくなくて。その宿泊費」
「10万か。俺が貸してやろうか?利息は菓子で」
「いらないし。夏休み働けば何とかなる」
水原は株で稼いでるらしく、ぽんっと軽くお金を渡してきたりする。
価値観が違いすぎて、殴りたくなる時がある。
実際殴る時もある。
「しかし君、見かけによらず親思いだな」
「見かけによらずって何だよ。そりゃ、両親のこと好きだよ。それにママはもう何年もそのスイーツに憧れてたから。折角の機会じゃん」
「…………………ふーん……」
コーヒーを入れて、その上に生クリームを乗せる。ウィンナーコーヒーをケーキとセットでは飲まないが今回は別だ。
水原はガトーショコラを完全に腕でガードしている。
最近、水原の防御力が増した気がする。
お菓子を掠め取るのも3回に1回は失敗するし。
「君、これからどっか行くのか?」
「良く分かったね。ちーちゃんと、私の従妹と合コン行ってくる」
「ほう。無駄な時間の使い方としか思えないが、君には必要かもな」
「どういう意味だ?」
「そのために服を買ったんだろう。良い機会じゃないか。君が着ていたシャツから、もう無理です、勘弁して下さいと懇願する声が聞こえてきて、いつも同情していた」
「擬人化止めい」
「合コンか、良し。君にアドバイスをしてやろう。携帯を出せ」
「ん?何?」
と言いながら素直に携帯を出すと、水原も携帯を取り出した。
「最近は彼女がいても、結婚していても合コンに参加する不届きものがいるらしい。そいつらを見分ける方法を伝授しよう。携帯の予測変換機能を使うんだ」
予測変換とはユーザーが次に使う文字を予測して表示する機能。
利用頻度が高いものや、過去に入力、変換したものに基づいて表示するらしい。
「気に入った男がいたら、メールの画面で『あい』って入れてみてと強請ってみろ。その時、予測変換に愛してる、会いたい、アイラブユーが上位に出たらその男は恋人がいる可能性あり。その中にアイドルが混じっていたらオタクの可能性あり。愛人、愛妻と出てきたら結婚している可能性あり。その場合はすっぱり諦めろ」
「いきなり『あい』って入れてみてって不自然でしょ。はぁ?ってなって終わりだと思うんだけど」
「機会があればやってみろ」
「機会があればね。………水原はあいって入れると、予測変換何が出るの?」
何となくの興味で聞いてみると、水原は携帯のボタンを打ち出した。
「俺はILO(国際労働機関)と、次にIMF(国際通貨基金)だな。君は?」
「うわ!その辺りはインテリを感じた。私はね、えっと…」
携帯のメール画面を出し、あいと入力。
「アイアンクローと相打ち」
「あぁ。やはり予測変換で相手を見るのは止めたほうが良いな。聞き返された場合、君の首を絞めることになる」
「うるさい」
水原が座る椅子を蹴飛ばしながら、食器洗浄機に皿を入れる。
食器洗浄機、うちにはないけどとっても便利。
「んじゃ、またね」
「あぁ」
水原の家を出て、ちーちゃんに連絡と思い携帯を開くと、メールが8件。
全部空手サークルメンバーから。
「俺らのバイブルどこにやった?」
バイブルとはエロ本のことだろう。
学生課と端的に返すと、物凄い量のメールが来た。
うっとうしい奴らだ。