ほんの出来心
野田狭霧、20歳。
カレーを作ればヘドロ公害、服を繕えば血染めの雑巾化、掃除をすれば破壊行為と壊滅的な女子力で彼氏いない歴20年を更新中。
そんな私だけど1つだけ特技がある。
お菓子作りだけはパティシエのママお墨付きの腕前なのだ。
それ以外の料理に関しては殺人兵器の仕上がりだが、お菓子だけはプロ級。ご飯を炊くのも野菜を炒めるのも爆発を伴う私だが、お菓子に関しては全く問題が生じない。
何故だ…と家族みんな首を捻ったが、私とて原因は分からない。
そんな私は昨日、クッキーを作っていた。
ふわっとした口解けで完成度の高い仕上がりだった。
チョコをコーティングするので、グラニュー糖の量を適度に減らしたのだが、絶妙な配分だった。
上手に作れれば誰かに食べてもらいたくなるもの、しかし生憎両親は仲良く旅行中だった。
そこで私は、所属する空手サークルの差し入れに、それを混ぜておくことにした。
合宿の時のシチューでサークルメンバーを殺しかけた過去がある私の作ったものは、それ以来誰も口にしない。
キッチンにすら入れて貰えず、大人しく待つのが任務と言われ続けた。
そんな私が作ったクッキーと言っても、脱兎の如く逃げられるか、動物に毒見させ抹消するかのどちらかだろう。
可愛くラッピングして、丸文字で食べてくださいとメッセージを書き、差し入れに紛れ込ませた。
その時は軽い悪戯を仕掛けたつもりで、あんな大事になるとは思わなかった。
我が空手サークルには2大有名人がいる。
1人目は、主将の有岡剣。
中肉中背の可愛い系の外見だが、空手の実力は全国上位。ギャップが良いと年上のお姉さまに人気。
2人目は、ミシェル=フランソワ。
日本かぶれのフランス人。日本のお家芸である空手に憧れて入部しただけで、実力は皆無。
金髪碧眼の王子様の外見で、学校のアイドル。
2人への差し入れは絶えず、私たちサークルメンバーもその相伴に預かっている。
その上にポンと置いたクッキーを、お腹減りました~と呟きながらミシェルが食べだした。
何食わぬ顔をしながらも、内心ワクワクと反応を窺う。
ミシェルはそれを一口食べると、そのままの体勢で固まった。
宙を見たまま、口元を押さえる。
「ど…どうした…ミシェル…。まずかったのか!?」
そして何故かタバーと滝のような涙を流すミシェル。
美味しいと言ってくれるのを期待していた私は、呆然とした。
「この…このクッキーは…ママンが作ってくれたクッキーと…同じ味です…」
泣きながらクッキーを食べ始めるミシェル。
脇から手を出し、クッキーを食べる他メンバー。お!上手いじゃんとの賞賛にほっと隠れて息をつく私。
「これは!これは僕のものです!食べないで下さい!」
クッキーを抱え込むミシェルに、メンバーからのブーイング。
「何だよ、けちけちするなよ。旨いよ、それ」
「全部僕のです!空の向こうのママンが作ってくれたクッキーなんです!」
「空の向こうのママンって…ミシェルのお母さん、亡くなっていたんだな…」
「不吉なこと言わないで下さい。ママンはフランスです」
「そういう意味の空の向こうかよっ!」
独り占めされると食べたくなるもの。狭い部室で取り合うものだから、ドタンバタンと色んな物が崩れ落ちた。
「ちょ…ちょっとやめ…」
制止しても、クッキーの取り合いは止まらない。がたいの良い男たちがもみ合って、クッキーを取り合う様は、暑苦しくも見苦しい。
「狭霧さん!このクッキーは一体誰がくれたものですか!?」
クッキーを死守しながらミシェルが私に聞く。
「え…知らない…気付いたらあった…」
必死に問いかけるミシェルから目を逸らしながら、嘘を吐く。
「このクッキーはママンが作ってくれたものと同じ味がしました。このクッキーを作ってくれた子と僕はお付き合いしたいです!」
「…………は?」
王子様のような外見のミシェルは、クッキーを抱き締めながら夢を見るようにうっとりしている。
「作ってくれた子はママンみたいに綺麗で、優しくて、ほわっとした砂糖菓子みたいなレディに違いないです!僕はその子にお付き合いを申し込みます!」
「………いやぁ~ほら…差出人…分からないし…」
「メッセージカードは?」
面白がったサークルメンバーが、作り手に手がかりがないかと探り始める。
メッセージカードに個人を特定できるキーワードは書いていない。
「この子はきっとふわふわの亜麻色の髪をしていて…」
残念ながら黒髪のショート。
「チャーミングなお姫様のような可愛らしい人で…」
いや、残念ながら、Tシャツ&ジーパンが定番ファンションのボーイッシュな女。
「蝶や花を愛して、心優しくて…」
虫取りなら得意。
「家庭的で、理想的な女の子なんです」
家事をやらせればテロリストと化す!
「僕はこのクッキーを作ってくれた女の子を捜します!そしてお付き合いを申し込みます!みなさん、協力お願いします!」
おぉー!と盛り上がるサークルメンバー。
まずは学内サイトに情報アップしようぜ~と行動が迅速なメンバーたち。
クッキーを写メしてアップデート。
部室の片隅で顔を引き攣らせる私に、テンション上げ上げ、盛り上がっているメンバーは誰も気付かない。
こんなつもりじゃ…なかったのにどうしよう…。
この日、クッキーの作り手捜索隊が結成された。
「すっげぇ、可愛い女の子だったらマネージャーに勧誘しようぜ!」
「だな!」
どうしよう。
まさかたかがクッキーでこんな騒動になるとは、思ってもいなかった。