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水の音  作者: さくら
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風の音・2

 

  




「ヒロくん。佳奈ちゃんが呼んでるよ」


 教室についてランドセルの荷物を机に入れていたら、同じクラスの彩音ちゃんにそう声をかけられた。

 彩音ちゃんは廊下にいるおかっぱの女の子を不躾に指さしながらにやにやと笑う。前髪を頭頂まで上げてしばったゴムについたキャラクターまでもがにやりと笑った気がした。


「佳奈ちゃん? 同じクラスだっけ?」


 クラスの子たちの顔と名前は最近になってやっと一致したけど、佳奈ちゃんに見覚えはない。すぐ近くにいた智也に目配せしてみたけれど、うーん、と首を傾げる。

 僕は時々こんなふうに突然呼び出しをくらう。そうして付いて行くと、人気のない理科室なんかに連れて行かれて、もごもごとなにか言いたそうにしている相手を根気よく待たなきゃいけないことになる。挙句、好きな人はいますか、だの、つきあってください、だのと言われて、断ると泣かれていつの間にか僕は悪者になってしまう。

 女子は勝手だ。いや、男子だって時々、勝手な奴もいるけど。


「佳奈ちゃん知らないの!? 三組だよ。ほら、あの子!」

「ふうん……三組の佳奈ちゃん、だね。行ってくる」


 こうやって素直に呼び出しに従うのは、あくまでもクラスの子たちとの和を乱さないためだ。ここで嫌だと言えば、小学生女子特有のじっとりとした嫌がらせを受けるハメになるんだ。

 苦笑いしている智也に軽く手を上げて、教室を出た。


「何か用?」 


 廊下に出て佳奈ちゃんに声をかけると「ごめんね、ちょっとこっち来て」と手を引っ張られた。細いくせに力がある。

 引っ張られるままについていくと、たどり着いた先はやっぱり人気のない、今回は家庭科室だった。


「篠崎くん、ごめんね、こんなとこまで連れてきちゃって」

「いいよ、別に」

「ありがと」


 佳奈ちゃんは笑う。すこしだけ笑いかえしてみせると、佳奈ちゃんは安心したように僕の手を離した。

 日焼けもしていない白い頬に、おかっぱの真っ黒な髪がさらさらと流れる。黒目がちな真ん丸の目がくるくると動いた。


「話って?」

「あのね、お願いがあるんだけど」

「お願い?」

「うん。篠崎くんさ、お兄さんいるでしょ。中学生の」


 なんだ、僕じゃなくて隼人か。そりゃ、こないだまで毎朝のように学校まで来ていたわけだから顔は知られていて当然といえば当然だ。


「いるけど……、なに?」

「これ、渡してほしいの」


 いわゆる、ラブレター。ご丁寧にピンク色のハートのシールで封をしてあるそれを、僕につきつける。「おにいさまへ」なんて書いてあって、小学生らしく一文字ずつカラフルな線で囲んである。何枚も便箋が入っているのか、やたらに重い。

 これを、隼人に渡せと。ということはつまりこの佳奈ちゃんは、隼人のことが。


「隼人に。なに、好きなの? 隼人のこと」

「えっ、そ、そんなこと聞くの!?」


 佳奈ちゃんは顔を真っ赤にして、両手でぱたぱたとじぶんを扇ぎだした。


「え、だって……聞いちゃまずかったの?」

「聞かなくてもわかるでしょ! とにかくこれをお兄さんに渡して、返事をもらってきて欲しいの。だめ?」

「ふーん。別にいいけど」

「よかったあ! 大事な手紙だから、ちゃんと渡してね! よろしくね、篠崎くん!」


 満面の笑みだ。果たして隼人はこの子を知っているんだろうか。本を開けば三秒で眠くなる隼人が、この分厚い手紙をぜんぶ読めるんだろうか。佳奈ちゃんは言いたいことだけ全部言うと、ばたばたと家庭科室を出ていってしまった。


「ふーん、隼人ってもしかしてモテるの?」


 やけに分厚いカラフルな封筒を、見つめた。あの子はきっとこの分厚さのぶんだけ、隼人の事を思っているんだろう。

 朝ほんの少し見かけるだけの話したこともない男子に、女子は恋心を抱けるものなのか。

 女子って、やっぱりわからない。






 学校からの帰り道、僕はいつものようにふらふらと横道にそれて小さな商店街に入る。

 涼子さんは今日仕事が休みだと言っていた。

 すこし前から仕事をするようになった涼子さんは週に三日だけ、郊外にあるスーパーに、バスに乗って出かけて行く。

 曜日がはっきりと決まっているわけじゃないから毎朝、今日は仕事だとかそうじゃないとかを、さりげなく僕に教えてから僕たちを送り出す。ふたりだけで家にいて気まずいのは、僕だけじゃないって事か。


 時間は午後四時前。隼人が帰りにここを通るのは、四時半近くになってからだ。もっとも、隼人がここに寄るのは僕がここにいるとわかっている時だけなんだけど。

 小さなアーケードの入り口にかけてある錆びた時計を見上げて、ちいさくため息をついた。

 時計の下にある自販機でジュースを買ってから、商店街を出たところにある小さな公園に向かう。狭いけどまだ新しくて、あちこちに休憩用のベンチが置いてあって、中央の円形になった花壇の真ん中に噴水が設置してある。


 公園に入るといつものように、あちらこちらのベンチに親子連れがいて、おやつを食べていたり、僕のように学校を終えた小学生が集まってゲームをしていたりする。

 もう少し遅い時間になると、中学生や高校生の男女がいちゃいちゃしながら座って、飽きるまでくっついてお喋りをする。

 適当なベンチに座ってジュースの蓋を取ると、炭酸が抜ける小気味のいい音が、低いビルに囲まれた公園の、まるい空に溶けていった。


 噴水は今日も、少しずつ黄色の濃くなってゆく日差しを反射してきらきらと光る。飛沫は煉瓦色のタイルに落ちて、無数にあいた小さな穴に吸い込まれてゆく。噴水を囲む花たちが、細かい飛沫を浴びていきいきと風に揺れる。

 その向こう側で、まだよちよち歩きの男の子と女の子がおなじベンチに座って、肩を寄せ合って何か話していた。

 そのうちにふたりは顔を近づけ、お互いの口をくっつけあって遊びだした。なにがおかしいのか、くっつける度に歓声をあげ、手を叩いて喜んでいる。側にいたふたりの母親たちも、将来はよろしくね。こちらこそー。なんて言いあってまた大声で笑う。

 平和そのものの光景に、思わずうとうとしてしまう。ほんの少しの間だけ目を閉じてまた目を開けると、きらきらと光る水滴が眩しかった。


 眠気覚ましにペットポトルのジュースを一気に半分ほど飲んで、ランドセルの手紙を取り出して封筒を眺めてみる。ハートのシールが半分剥げてしまっている。教科書に押されたんだろう。指先でそっと押さえると、もうのりがなくなっていて、くっつかない。

 諦めて膝に置いて、大きく伸びをした。


「お前、篠崎ヒロだろ」


 突然うしろから声をかけられて、びっくりして手紙が地面に落ちてしまった。

 体を屈めて拾おうとしたら、あと一センチで手が届く、という所で誰かにそれを取り上げられ、困惑する。顔を上げると目の前には、どこかで見たような顔の男子が三人、突っ立っていた。体が大きい。でも名札をつけているから小学生には違いない。六年生か。

 三人組のまんなかがにやにやと笑いながら手を伸ばし、手紙を高く持ち上げた。


「お前これ、ラブレターだよなぁ。だーれからもらったのー?」

「お前に関係ない。返せ」

「やーだね」


 こいつら、いつも校舎の裏に低学年の子たちを呼び出して良からぬことをやらせていると噂の三人組だ。あまり目立つ事をするとこいつらに目をつけられて大変な目に遭うって、誰かが言ってた。

 そうだ、智也が言ってたんだっけ。あいつ意外と小心者だから、そういう情報に詳しい。


「返してもらわないと困るんだけど。それ、俺んじゃないし」

「困るの? じゃあ返せない!」


 三人はにやにやと不敵な笑みを浮かべて、僕を取り囲む。

 周りの大人達は何ごとかと様子を伺いながら、僕たちからさり気なく距離を取る。噴水の向こうに居た二組の親子も、僕たちの様子を見て公園からそそくさと出ていった。こいつら小学生のくせにガタイがいいから、下手したら敵わないと思ったんだろう。

 この公園は噴水のあるエリアと広場のあるエリアにわかれていて、広場の向こう側で何人かのおじいさんとおばあさんがぼんやりとこちらを見ていた。


「返せってば!」


 体育の時間に先生に言われた。お前はジャンプ力があるからバスケ部に入ったらどうだ、と。背は高くないけど、バスケのゴールにちゃんと手が届くのは、クラスの中では僕だけだ。思いきり飛び上がると、手紙には簡単に手が届いた。


「くそ!」

「なにこいつ、生意気!」

「はあ!? なんで届くんだよ!」


 口々に文句を言いながらまた手紙に手を伸ばしてくる。体の大きさが違いすぎて、本気を出されたらこんな奴らに敵うわけがない。一瞬の隙をついて、地面を蹴って駈け出した。ランドセルを持ち出す余裕はない。


「あっ! 逃げんなこら!」


 逃げるなと言われても追いかけて来るんだから、逃げるより他に道はない。公園を一回りして、そのあいだに手紙をポケットにねじ込ませる。すこしシワになっちゃうけど仕方ない。

 公園を出て商店街に入り、のんびり歩いているおばあちゃんやおじいちゃん、買い物帰りの主婦、ちびっ子、自転車のおばちゃんなんかにぶつかりそうになりながら、走る。


「ごめんなさい! すいません! 通して!」

「待てコラー!! ふざっけんなてめえ!」

「篠崎てめえっ!」


 僕は一体あいつらに何をしたって言うんだろう。てめえ、なんて言われる筋合いはないし、手を出してきたのはあっちなのに。理不尽ってこういう事を言うのかと考えながら、ひたすらに走る。

 人を避けるのが面倒で、人気の少ないアーケードに入った。でこぼこした石畳の出ているところを利用してはずみをつけ、三人組との距離をひき離した。つもりだった。

 奴らとの距離を確認しようと振り返ったら、一人足りない。どこいったんだ、と思う間もなく、目の前に現れたもう一人に足を掬われて思いきり転けて石畳で頬と腕を擦りむいてしまった。ああ、隼人に心配かけちゃうな。


「さ、先回りしてやったぜ、ざまあ、みろ!」


 うつぶせのまま顔を上げたら、三人組の真ん中が息を切らせて仁王立ちで僕を睨む。そんな状態でそういうこと言ってもかっこよくはない。立ち上がろうとしたら残りの二人に、背中にのしかかられてしまった。

 重い。めちゃくちゃ重くて、息が苦しい。


「どけよ! 息、できないって!」

「息できないのー? かーわいそうにねー。お前らちゃんと抑えとけよ!」


 めちゃくちゃむかつく。三人の中で体もいちばん大きくていちばんむかつくこいつ。先回りしたそいつの名札を見上げたら、「斉藤竜二」と書いてある。そうだ、斉藤だ。「斉藤って奴がボスみたいなんだけどさ、そいつに目つけられたら終わりなんだって」そう言って大げさに怯えてみせていた智也を思い出す。

 終わりってなんだ、終わりになんてできるもんか。


「なんで、こんなことすんだよ!」

「なんで? へええ、思い当たるふしはないって? むかつく奴だなあ」

「さっきの手紙どこだよ」

「ポケットじゃね?」


 上にのしかかられた二人に、ポケットに手を差し込まれそうになって体をねじまげて暴れた。二人は転がり落ちて、痛い、だの、ふざけんな、だの騒いでいる。立ち上がって走ろうとしたら、斉藤に両腕を掴まれてしまった。

 残りの二人も今度は隙がないようにがっちりと後ろを固めた。これじゃ逃げられない。

 斉藤の胸のあたりに僕の頭がある。頭ひとつぶんくらいは高い。隼人よりは低いけど。

 斉藤は僕を覗きこんで、眉間に皺を寄せて凄む。なんで悪いやつってのは、同じ凄みかたをするんだろう。これはどうも世界共通らしい。僕の住んでいた町にいた不良どもも、いつもこんな感じで弱い奴に凄んでみせていた。

 もっとも、僕はそいつらに関わったことはないけれど。


「お前、六年の花村に告白されただろ?」

「はなむら?」


 六年生に告白されたことはあるけど、いちいち名前を覚えているわけじゃない。それに、ちゃんと名前すら名乗らない子だって珍しくない。おぼろげな記憶をたぐり寄せても、花村なんて名前は全く思い当たらない。


「知らない、花村なんて」

「嘘つくな! お前にふられて不登校になったんだぞ! 責任とれよ!」


 はなむら、はなむら。六年生。誰だ。ちっともわからない。


「ちょ、ホントに知らないんだって。誰のこと?」

「あいつはなあ、せっかくお前に勇気を振り絞って告白したのに、意味がわからない、って言われたって」

「え、なにそれ。そんな事言ったの僕」


 いくらなんでも、いくら僕でも、そんな事は滅多に言わない。と思う。言ったとすれば思い当たるのは、転校したばかりの頃に一度だけ。でもあれは。


「ちょっと待て、それってあの……」

「思い出したか!?」


 斉藤は、ぐぐっ、と僕に迫って、顔を近づける。睨みをきかせているつもりなんだろうけど、怒った時の隼人のほうがもっと迫力がある。滅多に怒ったりしないけど。

 

「だってあれは……」

「あぁ!?」


 斉藤が僕に更に顔を近づけて凄んだそのとき、後ろで、どさっ、と音がした。振り返ると、学生服にランドセルを背負い、指を鳴らしながら目を据わらせて怒りで髪を逆立てている、何ともシュールな姿の隼人がいた。








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