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水の音  作者: さくら
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車輪の音・12

 


 ◆◆◆◆◆






 大型犬と聞いて真っ先に思い浮かんだのは隼人の顔だった。

 山下が僕に、公園で拾った犬を見せてくれると言う。どうしてそんな気になったのかはわからなかったけれど、山下が今にも笑い出しそうな顔をしてそんな事を言ったから、とりあえず行ってみようという気になった。


 ブラスバンドの演奏会の途中、暑さにやられたのか若宮幸子がふらふらと体育館を出て行った。演奏会の後のホームルームの時に先生から、気分が悪くなったから早退したと聞かされた。

 体育館はどうにも風通しが良くない。まだ昼前だというのに強い日差しを浴びた屋根が熱せられて、なかはどんどん蒸し暑くなる。

 若宮幸子の事は苦手だけれど、山下と話をするためとはいえ静かにしろと追い払った手前、少し気にはなった。


 教室を出て玄関に下りたら、山下が校舎に背中を向けてポケットに手を突っ込んで突っ立っていた。金髪が風にふわふわと揺れて触れたら気持ち良さそうで、思わず後ろからそっと近付いて、背伸びをしながら手を伸ばしてしまった。面食らった山下は振り返って僕の顔を見る。なんだよ、と大きな目を細めて人懐っこく笑った。なんだ、こんな顔も出来るんじゃないか。


「じゃあ行くか」

「うん」

 

 山下はさっさと前を歩き出して、昨日と同じように自転車の後ろに乗れと僕を促した。遠慮無く後ろに座って山下のシャツを掴んだ。ぐい、と後ろに引っ張られるような感覚がして、自転車は進みだす。


「若宮さんが」

「あ?」


 今日は風が強い。後ろから話しかけても聞こえないと思ったけれど、意外と耳が良いみたいだ。山下は返事をしてから、一度自転車を止めた。それからポケットのサングラスを取り出してかけた。色素が薄いから目が弱いのかもしれない。でもなんだか制服にサングラスは、わりとシュールだ。


「若宮さん、早退したって」

「あー。いい気味だよ。あいつ血の気が多いくせに貧血だって」

「貧血。そんなこといつ知ったの」

「え? えっと……まあいいだろ。てか、あいつ生意気」


 そう言ってから、山下はまた自転車のペダルを踏んだ。車道を走る車がどんどん僕らを追い越して行く。真昼の太陽が容赦なく降り注いで、アスファルトで熱された風は熱い。


「山下が、やくざと繋がってるって」

「ばかじゃねえの。こんな品行方正な中学生のどこにそんな影が」

「あはは。面白いよねえ」

「面白くはねえよ」


 面白くはないと言いながら、その声は笑っている。思ったより山下は、若宮幸子の事を嫌いではないようだ。考えてみたらあのクラスで山下に話しかけているのは僕と若宮幸子くらいだ。見たところ、色々言いながらも山下と他のクラスメイトとの垣根を取り払おうとしているようにも思える。山下はもしかしたら、それがわかっているのかもしれないと思った。

 やがて自転車は川を渡る。透明な風が髪を梳いて、思いきり息を吸い込んだ。


「いい風だねえ」


 思わず呟いたら、山下が、うん、と頷いた。

 橋を渡り終えた自転車は国道を横切り真っ直ぐに進んで、コンビニの前で止まった。山下はサングラスをポケットに仕舞って僕を顎で促した。どうやらそこで昼食を調達するつもりらしい。

 店に入って、山下は籠の中に二人分のお弁当と、カップラーメンを四種類突っ込んだ。


「……一人でそんなに食べるの?」

「え? ああ、いや、は……犬がね。犬が食う」

「……そう。でも犬って味のついたもの食べないほうがいいんじゃなかったかな。僕おにぎりでも買おうかな」


 コンビニを出て更に進んで、途中で細い脇道に入る。すぐに大きな公園が見えてきて、そこで拾ったのかと聞いたら、山下は一瞬言い淀んで、そう、とだけ言った。


 山下の家は公園のすぐ側の、二階建てアパートの二階にある角部屋だった。山下は自転車を停めて、ここでちょっと待ってて、と言い残してから階段を上がった。その様子を見上げながら、おにぎりのついでに買ったお茶を開けて飲んだ。

 ペットボトルの蓋を閉めかけたとき、鞄を持った山下が困り果てた様子で下りてきた。僕の前までくると、首を傾げながら籠の中に鞄を押し込んだ。


「どうしたの」

「なんか、朝ジュース買いに出てから戻ってないって。あいつ、足怪我してんのにどこ行ったんだろう」

「え? 足? 犬って、ジュース買えるの? ずいぶん賢い犬なんだね」

「なに言ってんの? だってあいつお前に会うためにわざわざ……」

「え?」


 わざわざ、と言った後口を抑えて、黙り込んだ。きょろきょろと視線を泳がせて、気まずそうに苦笑いをうかべてみせる。


「え? 僕に会うために? 犬が? 意味分かんない。どういう事?」


 犬に知り合いはいない筈だけど。そこまで考えて、いちパーセントの望みも抱いていなかった、あり得ない答えに行き着いた。息を呑む。山下は苦笑いの顔をかためたまま、自転車の籠に押し込んだ鞄に目をやった。もしかして、あの鞄は。


「……まさか、まさかとは思うんだけど」

「うん?」

「犬って……隼人?」

「……正解。会えるまで内緒にしとこうと思ったんだけど」


 山下はそう言って、気まずそうに笑う。

 どうして。何がどうなって今、隼人なんだ。隼人がこんなところに居るはずがないのに。


「なんで隼人が? 僕に会いに来たの? どうして?」

「どうしてって……だから。お前を追って、はるばるやって来たんだってさ」

「足怪我してるって」

「散々歩き回ったみたいでさ。そこの公園で腹減って動けなくなってたとこを、拾ったんだよ」

「拾った……」

「そう、拾った」


 頭が混乱する。隼人は、公園で拾われた。山下に。それで、僕を捜して歩きまわったから足を怪我して、動ける感じじゃなかったのに、どこかへ行ってしまった。


「ちょっと待って。ちょっと待って、だから、なんで隼人は」

「だから、なんでとか俺は知らねえよ。お前に会いに来たって、捜してるって言ってたぞ」

「だって、僕は、だって」


 ――僕はどこかで。

 僕はどこかでほっとしていたんだ。もう隼人に会うこともなくなれば、こんな気持ちもいつか消えてくれると思った。会いたいと思うけれど、会えばまた、離れたくなくなる。

 簡単には会えない距離に居れば、僕は隼人をただの兄弟として見ることができる日が来るかもしれないと、どこかでそう思っていたのに。


「……もしかして、会いたくなかった?」


 山下はそう言って、僕を覗き込む。困惑した表情を見せて、ぽりぽりと頭を掻いた。


「それだったら俺、適当に隼人見つけて適当に家に帰すから……」

「違うよ、会いたくないわけないだろ。違うって。そうじゃなくて」

「じゃ、取り敢えず後ろ乗って。捜そう」


 山下は自転車に跨って、顎で僕を促した。


 なに考えてるんだよ、隼人。どうしてこんな所まで来たの。どうして。

 考えれば考えるほど訳がわからなくなって、がたがたと揺れる自転車にあわせて揺れる空が、重く重くのしかかった気がした。






 



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