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水の音  作者: さくら
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車輪の音・11

 


 ◆◆◆◆◆







 目が覚めたらアキラは既に居なかった。そのかわり、アキラの母親だというおばさんがキッチンに居て、あなたも大変ねえ、なんて言いながらおにぎりを握ってくれた。


「すごいわねえ。弟くんを捜して、あてもなくこんなとこまで来たんでしょ? 勇気あるわねえ」


 おばさんはあまりアキラには似ていなかった。父親似なんだろうか。


「勇気っつーか、無謀なんすよ。自分でも、ばかみてぇだってわかってんだけど」

「いい、いい。若いうちしか出来ないことってあるからねえ」


 おばさんはそう言って、白髪混じりの髪を束ねたゴムを結び直しながら、頷いた。


「あの……、アキラのあの髪って」

「ああ、あれは生まれつきなのよ。純粋な日本人なんだけどね。面白いわねえ」


 そういえばヒロの髪も少し茶色がかっている。光に透けたら何となく色素が薄い程度だけど。でもアキラの髪はどこからどう見ても見事な金髪だ。


「まあ本人は気にしてないみたいだから、いいんじゃない? 死なない死なない」

「あはは。そりゃそうだ」


 大らかに笑ってみせたおばさんにつられて笑った。

 おばさんの作ってくれたおにぎりを頬張って、残り物で悪いけど、と出してくれた煮物も全部たいらげてしまった。


「よく食べるわねえ。そんなに美味しかった?」

「うまかったっす! ごちそうさまでした!」


 手を合わせてそう言ったら、おばさんは嬉しそうに笑って、じゃあそこで待ってなさい、と立ち上がってダイニングを出た。

 五分ほどして戻ってきたおばさんは、もうすぐ沸くからお風呂入っちゃいなさいと俺に着替えを差し出した。見たところ、アキラの服らしかった。アキラは俺と背格好がよく似ているからきっとサイズは問題ないはずだと言った。


 絆創膏を剥がした足の痛みに悶絶しながら風呂に入って、アキラの服を着てダイニングに行ったら、椅子に座りなさいと促された。そうして、昨日アキラがやったのと同じように消毒をして手当てをしてくれた。

 脳裏に、額の傷を手当てしてくれた母の姿が浮かぶ。いまごろ、どうしているんだろう。父と母はやっぱり、離婚するんだろうか。もう、元には戻れないのかな。


「……隼人君は、中学三年生だっけ」

「え? はい」


 おばさんは救急箱から細めの包帯を取り出して俺の足に巻きながら、目を伏せたままそう言った。ダイニングの窓は網戸になっていて、そこから草の香りを含んだ風が吹き込んでくる。アパートの前の車道から、車が行き来する音が聞こえた。


「大人でもないし、子どもでもないし。いちばんやっかいな時期よね」

「……そうなのかな」

「大人からは子どものくせにって言われて、子どもからはもう大人なのにって言われて。どっちなんだろうって、どういう考え方を持てばいいのか、さっぱりわからなくなってしまうのよね」


 綿の包帯が、器用に巻かれて行く。紙テープできれいに止められて、邪魔にならず歩きやすくしてあった。


「だけど、腐らないできちんと歩いて行くのよ。あなたが腐ったってなにもいい事はない。子どもはまだ答えを知らないけど、大人だって本当のことを知らないんだから。そんなことは、一生を終えるぎりぎりにならないとわからないものよ」


 まっすぐに歩いたもん勝ちでしょ。おばさんはそう言って、アキラと同じように手当ての終わった足を手のひらで叩いた。








 公園の前にある自販機でジュースを買ってきて欲しいというおばさんに見送られ、財布と携帯だけをポケットにねじ込んで、アキラのサンダルを借りて昨日智也と別れた公園に向かう。足は、思ったよりも痛くはなかった。


 空は憎たらしいくらいに快晴で、昨日に引き続き蝉の声が耳に痛いくらいに響いた。昨日降った雨のせいで蒸し暑い。すこし歩いただけで額にじわりと汗が浮かんだ。

 自販機の前にたどり着くと、アキラと同じ制服を着た柄の悪そうな三人組が地面に座り込んでいた。近付いた俺を見上げて、にやにやと笑う。嫌な予感が足元から這い上がってくる。


「……ジュース買うんで、そこどいてくれませんか」


 俺にしちゃあ、丁寧に言ったつもりだった。ここまできて変なトラブルに巻き込まれたくはなかった。けれどそいつらは俺の態度が気に食わなかったらしく、まず、真ん中の背の高い、目が糸ほど細い奴が立ち上がって俺を上から見下ろした。思ったよりガタイがいい。あとの二人はニヤニヤと笑いながら俺を見上げている。こういう奴らって、ほんとに何処にでも居る。


「聞こえなかった。なんだって?」

「あー……、じゃあもういっかい。ジュース買うんで、どいてくれませんか」

「聞こえねえなあ!」

「どけつってんだよ! 邪魔なんだよボケ!」







 気付いたら公園に引きずり込まれて、二人に抑え付けられて腹を殴られていた。苦しい。蹴ってしまおうかと思ったけれど、この足じゃあ大したダメージは与えられない。


「てめぇ、まさか俺らの事知らねえってんじゃねえだろうなあ! あぁ!? この街じゃ誰も俺らに逆らう奴ぁいねえんだよ!」


 そんな事を言う奴に限って誰からも相手にされていなかったりするもんだ、なんて思いながら、相手の攻撃を甘んじて受けた。ここで殴り返したりすれば、たちまち加害者に転じてしまう。ここは大人しく殴られておくのが得策というものだ。痛いけど。


「生意気な口聞いたこと、後悔させてやるよ!」


 もう後悔してる。そう口にしようとしたら、頬を殴られた。父に殴られたのと同じ箇所を攻撃してきて、むかついたけど、抑えて、抑えて。


「……頭にきた!」


 俺の頭の中で何かが切れて、俺を抑えていた二人を振り払って目の前の糸目を目掛けて拳を振りかざした。糸目は俺の渾身の一撃を受けて吹っ飛んだ。ベンチに腰を打ち付けて痛みに悶えている。ざまあみろ。


「てっめえ! 卑怯だぞ!」

「どっちが! ふざけてんじゃねえぞ! てめぇらの事なんか俺が知るか、ばぁか!」


 足は使えないから、拳と肘と膝、それから頭で三人を次々に攻撃してかっこよく伸していった、と言いたい所だけれども、やっぱり多勢に無勢というか、体格差がものを言ったらしい。いつの間にか俺は糸目に転がされて、腹の上に跨った糸目の子分にこれでもかと殴られてしまった。こんなはずじゃ。


「今日はこのくらいで勘弁してやるよ! 次は命がねえと思え!」


 悪役よろしく決め台詞を吐いた糸目は子分を引き連れ、公園を出て行った。

 遠くからゆっくりと、パトカーのサイレンが近付く。仰向けになったまま空を扇いだら、飛行機が細長い雲を残して飛び去るのが見えた。背中越しの地面が熱い。


「あー……もう……。何なんだよ」


 呟いたら、泣けてきた。どうしてこんな事になるんだ。俺は、ジュースを買おうとしただけなのに。どうして今こんなふうにぼろぼろになって、空なんか見ているんだろう。運命なんて言うものがあるとすれば、それはやっぱり残酷なものなのかもしれない。すぐ近くまで来ている幸せに、俺は触れることすら出来ないのかもしれない。

 パトカーは公園の前で停まった。中から制服を着た女の子と、警官が出てくる。


「こっちです! ほら、あの人!」

「喧嘩をしていたのは君だね? ……少し話を聞かせてもらえるかな」


 警官は優しげな声でそう言って俺を覗き込んだ。ちかちかと赤い光が、公園の木々にうつっては消えた。





 


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