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水の音  作者: さくら
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車輪の音・6

  ◆◆◆◆◆







「篠崎ヒロです、よろしくお願いします」


 新しい学校の新しい教室に案内されて、担任に促され教壇の前に立ち挨拶をした。こんな時期の転校生は珍しいのか、にわかに教室がざわめく。心なしか女子の黄色い声が多い気がする。ざっと見回したところ女子も男子も同じ数ほど居るように見えるけれど。


 ぐるりと視線を巡らせると、一人の男子と目が合った。やけに目立つ金髪で、学校指定の白いシャツの下に派手な色のTシャツを着込みネクタイのかわりに長いネックレスを下げている。腕組みをして鋭い眼光で僕を見ていた。


「篠崎。山下には気をつけろよ」


 まだ二十代前半に見える担任が声を潜め、そう耳打ちする。思わず顔を上げたら、その時にはもう担任は僕の座る席を指差して、そこの席を使って、と言ってにっこりと笑った。何だか気持ちの悪い教師だ。

 指定された空いている机に荷物を置いて椅子に座ると、さっき僕を見ていた金髪の男子はもう机に突っ伏していた。


「ね、どこから来たの? 可愛いって言われない?」

「え……別にそんなこと」

「嘘! 絶対可愛いって! あ、ごめんね、男の子に可愛いって失礼か!」


 左隣の席に座った、髪を後ろでひとつに纏めて三つ編みにした、いかにも真面目そうなルックスの女子がそう言って手を合わせる。別に可愛いと言われて悪い気はしないけど、妙に高いそのテンションに若干引いた。


「私、若宮幸子。よろしくね。このクラスの委員長してるの」

「あ、それはどうも」


 若宮幸子と名乗ったその女子は僕の方に右手を伸ばす。仕方なく握手して愛想笑いをしてみせたら、若宮幸子の頬が一気に赤く染まった。


「可愛いわ、これは」


 若宮幸子はそう言って両手で顔を隠すと、ばたばたと数学の教科書とノートを机の上に置いてにやけながら前を向いた。なんていうか、テンションについていけない。

 

 教室の前にある日課表を見て、昨日制服と一緒に小西さんが届けてくれた教科書を取り出す。まだ名前を書いてなかった。筆箱からサインペンを取り出して名前を書きながら、隼人のことを思っていた。


 前の中学では、入って少しして名前を書き換えた。芹川という母の姓に縦の二本線を書いたときの気持ちはきっと一生忘れることが出来ないんだろう。篠崎、と書く手が震えた。僕が僕でなくなる気がした。

 父の、離婚することになるという言葉が本当なら、次にその気持ちを味わうのは隼人だ。篠崎という姓に二本線を書き、隼人はどんな気持ちになるんだろう。出来ることならあんな悔しさは味わって欲しくなかった。


 朝のホームルームが終わるチャイムが鳴ると同時に、僕の机の周りにはたくさんのクラスメイトが集まってきた。これは面倒だと辟易して、トイレに行ってきますと席を立って教室を出た。廊下に出たところで、例の金髪とぶつかってしまった。僕が前を見ていなかったせいじゃない。金髪が誰かと話しながら後ろ向きに歩いてきたんだ。


「あ、ごめん」


 僕が悪い訳じゃなかったけれど、思わず謝った。金髪はゆっくりと振り返って僕を上から下まで舐め回すように眺めてから、ふうん、と言った。近くでよく見ると目の色が薄い茶色だ。真ん中の瞳孔だけが目立つから目付きが悪く見えるのか。それに、背が高いから威圧感もあるような気がする。隼人とかわらないくらいか。

 金髪は僕の脇をすり抜け、そのまま廊下を歩いてどこかへ消えてしまった。


「あいつ、山下! あいつに目つけられたら大変だから、気をつけてね」


 そう言って僕の目の前に再び姿を現したのは、若宮幸子だった。そうか、あいつが山下か。でも、気をつけろって一体どういう意味だろう。


「気をつけろって、どう気をつけたらいいの」

「そりゃ! あいつはね、髪だってあんなだし、態度だって悪いし、陰で煙草吸ってるらしいし、やくざと繋がってるって噂なんだから! 関わるとろくなことないって!」


 思ったことを素直に口にしたら、若宮幸子はまくしたてるようにそう言って、得意気に腕組みをして山下の歩いて行った方向に勢いのあるため息を吐き出した。


「ええと……僕トイレに行きたかったんだ」

「あ、そうだったわね。お手洗いはそこ真っ直ぐに行った左手にあるからね。気をつけてね」


 満面の笑みでひらひらと手を振る若宮幸子に苦笑いを浮かべてみせて、言われた通りトイレに向かった。

 完全に苦手なタイプだ。トイレの手洗い場に入って蛇口を捻ってから、鏡の前で大きなため息が出た。僕はこの学校でうまくやっていけるんだろうか。





 一限目から六限目までをどうにか熟して、帰りの準備を済ませる。山下のほうを見たら、相変わらず机に突っ伏してだるそうに過ごしていた。

 このクラスの生徒は誰も山下には近付かない。休み時間には他のクラスから山下と似たような風貌の生徒が何人かやってきて、その光景をこのクラスの生徒は遠巻きに見てなにやらヒソヒソと噂をしていた。時折り山下は顔を上げ、クラスを見回す。僕と視線がぶつかると、一瞬だけ目を細くしてすぐに向こうを向いた。



 ホームルームを終えて教室を出ようとする僕に、また色んな生徒たちが話しかけてくる。部活に入らないかという声が多かった気がする。運動は苦手なんだと言い訳をしたら、こんどは文化部の勧誘がはじまった。絵も楽器も写真もあまり興味はないと告げて、なるべく感じが悪くならないようににっこりと笑いながらお断りすると、集まった生徒の何人かが頬を染めて、無理には誘わないよ、と快諾してくれた。


 やっとの思いで解放されて玄関を出たら、視界の端に自転車置き場がうつって、そこで何かやっている山下を見つけてしまった。

 僕が利用する学校の正門から出るには、自転車置き場を通って行くルートがいちばん近い。どうしようかと思いながら山下の後ろを通り過ぎようとしたら、山下が突然大きな声をあげて自転車を蹴り飛ばした。


「……!? なにやってんの」


 思わず声が出た。一台一台車輪止めがついている自転車置き場は山下が蹴り飛ばしたところで他の自転車が倒れる事はなかったけれど、山下はそれでも構わず自転車を蹴り続けていた。意味がわからない。一体どうしたっていうんだろう。


「……あの、もしかして自転車が引っかかってんの?」

「あぁ!? なんだお前!」


 山下が蹴っている自転車はどうやら山下のもので、車輪止めにスタンドが引っかかってしまっているらしかった。だからって蹴ったところでどうにもならないのに。


「これ、ここをちょっと戻してから引っ張ったらいいんじゃないかな」


 憤慨している山下をどけて、自転車のハンドルを握る。少しだけ前に戻して後ろに引っ張ったら、いとも簡単に自転車は出てきた。スタンドを立ててから山下に向き直ると、山下は後ろ頭をぽりぽりと掻いて、小さく頭を下げた。


「なるほど、よくわかった。助かった」

「いえいえ。気をつけて帰ってね」

「……おう」


 憮然としてハンドルを握る山下に軽く手を上げて正門に向かったら、後ろから呼び止められた。声の主は、若宮幸子だった。無意識に短いため息と苦笑いが出る。


「篠崎くん、こっちなの? 偶然! 私もこっちだから一緒に帰ろうか!」

「え……そうなんだ」


 苦笑いを消さずになるべく迷惑だということが伝わるように素っ気なくしてみたけれど、若宮幸子には効果がないようだった。女子って怖い。若宮幸子は僕の顔を見ずに、少し前を歩きながら自分の事をあれこれと話し始めた。


 学校から徒歩十五分の大きな公園の側に住んでいると言うこと、兄が二人いる事、両親は地元の大きな企業に勤めている事、将来の夢はお天気お姉さんだという事。まだ正門にたどり着いてもいないというのに、僕は若宮幸子のいろんな事を知ってしまった。それでも、若宮幸子の話は尽きない。

 短いため息を吐いて顔を上げたら、空いちめんにねずみ色の雲がかかっていた。雨のにおいがする。


「篠崎くんは、好きな子いる?」

「え」


 若宮幸子が振り返ってそう言ったとき、僕の前に自転車が止まった。言うまでもなく、山下だった。若宮幸子は目を見開いて眉を顰め、力任せに僕の腕を握る。女子とはいえ、痛い。


「なによ山下! 篠崎くんに何かする気じゃないでしょうね!」

「うるせぇブス! 篠崎、後ろ乗れ」

「え、いいの?」


 助かったと思った。この先橋を越えるまで若宮幸子の話に付き合わされると思ったら頭が痛くなっていた。山下は頷いて、親指で僕に、乗れ、と示す。鞄を前の籠に入れてから、遠慮なく後ろに座らせてもらった。


「ちょっと山下! 篠崎くんをどこに連れて行く気なの!」


 わあわあ騒いでいる若宮幸子を尻目に、山下は思いきりペダルを漕いだ。風が、気持ちいい。


「さんきゅ。助かった」

「そりゃ良かった」


 山下は無愛想な声でひとことそう言って、正門を出て橋を渡り終えるまで口を開かなかった。


「お前ん家、どこらへん」

「えっと……、ここ曲がってずっと真っ直ぐ行ったあたり」

「あー、じゃあここでいいか。またな」


 山下は僕に鞄を手渡すと、にこりともせず青になった信号を渡って真っ直ぐに行ってしまった。


「ありがとう!」


 大声で叫んでみたけれど、山下にこの声が届いたかどうかはわからない。

 川から吹き付ける夕暮れの風が頬に心地良かった。




 


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