足音・7
「なあ、明日土曜だし皆で海行かねぇ?」
久々にコウと淳と三人で集まった昼休み、中庭のベンチに座った俺と淳に向かってコウがそんなことを言った。 四角い空には夏雲がぎっしりと詰まって、そこらに適当に植えられているように見える木々からけたたましいほどの蝉の鳴き声が響く。
淳は一瞬考えてから、いいねえ、と、丁寧にアイロンがかけられたハンカチで額の汗を拭いながら言った。
「海かあ。じゃあさ、なに持ってく?」
「じゃんけんで決めようぜ! 弁当と、お菓子と、飲み物! 明日雨降らねえよな?」
コウが携帯を取り出して明日の天気を調べている間、ヒロにメールを送った。明日、皆で海に行こう。すぐに返事がきて、了解。楽しみだね!とあった。楽しそうにわらうヒロが頭に浮かんで思わず笑みが零れた。
「雨の確率ゼロ%! いえーい!」
「いえーい!」
両手を上げてみせたら、コウはそこに自分の両手を合わせて笑った。乾いた音が中庭に響く。
「お勉強はいいのかよ、淳くんは」
「たまには遊んでもいいくらい普段ちゃんとしてるからね。不安なのは隼人でしょ。ゲームばっかりして睡眠不足なんじゃないの? 熱中症で倒れないようにパラソルでも持ってきなよ」
「言うねえ」
「お陰様で」
にやりと笑う淳につられて苦笑いしてみせたら、コウが頭にはてなマークを浮かべて抗議してきた。
「なんか俺が暫くいない間に二人に愛が生まれたみたい! 妬けるー! 同じクラスになりたかったー!」
「今更だろ。どうせ焼くなら海で焼こうぜ。その坊主頭もきれーになるんじゃね?」
コウは三日前に突然髪を切ってきた。それも、坊主に。なんでも、となり町まで習いに行っているドラム教室がスタジオと一緒になっていて、そこに通ううちに出会うバンドマンたちに影響されたのだとか何だとか。
どう影響されたのかは知らないけれどワイルドなバンドマンたちを参考にした割にはコミカルで、何度見ても笑える。しかも剃り跡がまだ青くて何だか頼りない。
「俺ワイルドになるもんね。はい、じゃんけん! まずはお菓子担当!」
「じゃーんけーん」
「ぽん!」
「なるほどそれでじゃんけんに負けてお弁当担当になっちゃった、と」
「負けたとか言うな。わざとだよ、わざと。俺やっぱ好きなもん食いてぇもん」
「負け惜しみと開き直りが混ざるとめんどくさいって知ってる?」
その日の夕方、ヒロと俺は家の近くにある小さなスーパーに来ていた。カゴに適当な食材を手際よく選んで入れるヒロにくっついて回っているだけとも言えるけれど。
「ちょっと隼人! そんなの買ったって使わないからだめ。無駄になっちゃうでしょ」
「えええ。だって刺身……」
「海でしょ。腐る。使わない。いいからそこの棚からハム持ってきて。安いやつね」
「けち!」
「けちじゃない!」
ヒロは下から睨み上げながら、ハムのある棚を指差す。しぶしぶ歩いて行ってハムを選んで籠に入れると、ヒロは値段を見て一瞬考えこんでから、まあいいか、と頷いた。
こんなふうにスーパーで一緒に買物をするなんて、いつぶりだろう。
去年、ヒロの誕生日に二人でケーキの材料を買いに来た事を思い出した。食材を選ぶ手際の良さに驚いていたら、お母さんの買い物手伝ってたから、と、少し照れたように言った。
自分でケーキを作れる、と言うのでそのお手並みを拝見しようと黙って見ていたら、案の定粉を量り間違えて失敗した。
半べそをかいているヒロにもう一度一緒に作ろうと提案して、散々格闘した挙句完成したケーキを見てヒロはそれまで見たこともないくらいの笑顔をみせた。
「可愛かったなあ……」
思い出して呟くと、ヒロは怪訝な顔で振り返る。カゴの中はもう食材でいっぱいだ。
「何の話?」
「去年の誕生日だよ。お前ケーキ失敗したじゃん」
「うっわ、そんなこといちいち覚えてるなんて隼人性格わるー」
「いや、だからその後さ、お前可愛かったなあって」
「か、」
ヒロは口を半開きにしたまま俺を見上げる。頬がみるみるうちにピンク色に染まって、困ったように目を伏せた。
そんなに照れられてしまうと言ったこっちまで照れてしまう。微妙な空気をあいだに挟んだまま、俺たちはレジに並んだ。
「隼人、そういうこと平気で口にすんのやめようよ」
「なにがだよ」
母から借りた自転車の籠に荷物を詰め込んで、ふたり並んで歩く。夕暮れの街並みは金色に染まって、街路樹が生温い風にさわさわと揺れる。あちこちから夕餉の匂いがして、空腹を刺激されてお腹が鳴ってしまった。
「か、可愛いとか。男に言うもんじゃないし」
「んー、だってヒロ可愛いし。仕方ないだろ」
「何を言って……なんか隼人性格変わった?」
ヒロは顔をしかめて俺を見上げ、そのままの顔で首を傾げる。口が半開きのへの字口で、その顔がおかしくて笑った。
淳と智也と、それから花村と話してなにか吹っ切れてしまった。いつか話せたらいい。いつかちゃんと大人になって、ヒロを守れるくらいになったら。そうしたら胸を張ってちゃんと言えるかもしれない。
立場がどうとか関係がどうとかそりゃ問題は山積みではあるけれど、この気持をなかったことにはしたくないと思ったんだ。
ヒロににやりと笑ってみせると、ヒロは苦笑いしてまた首を傾げた。
蝉の鳴く声に混ざって、遠くの汽笛が聞こえる。金色の街は暮れて、明かりの灯った街灯が行く道を照らす。ふたりの足音が重なって、おなじリズムを刻んだ。
ーーいつか。
いつか大人になった時、こんな何でもないちいさなシーンをこのリズムと一緒に思い出すんだろう。その時に隣で笑っているのがヒロだったらと、願ってしまう。
「卵焼き」
「いや、ゆでたまご」
「卵焼きだってば」
キッチンで白いエプロンをつけて調理を始めたヒロにカウンターの反対側から口出しをしたら、くすくすと笑いながら抗議されてしまった。
「卵焼きとウインナー。たこさんで。あとカニさんも」
「あとあれ。からあげ作れる?」
「作れる。隼人、鶏切って」
「了解」
朝日の差し込むキッチンは勝手口を開けていても汗ばむほど暑かったけれど、ヒロと並んで料理が出来ることが何だか嬉しすぎて顔がにやけてしまう。ヒロはそんな俺を見て眉を顰めながら、笑った。
「隼人、そんなに海が楽しみ? かぁわいいね」
「可愛いとかお前、俺に失礼だろ」
「隼人だって言うじゃん。じゃあ何て言えばいいの」
「かっこいいって言え。黄色い声で」
「なにそれ、ばかじゃないの」
まあ確かにヒロに黄色い声を出された所で気持ち悪いだけかもしれない。外見が華奢で女顔というだけで、女子には見えない。ヒロは、言ったあと後悔して首を捻る俺を見上げて心底楽しそうに笑った。
「……楽しそうでいいわね。お母さん暇なんだけど」
いつの間にかダイニングで俺たちの様子を見ていた母が、頬杖をついてそう呟く。いつもならキッチンの片付けなんかをしている時間に仕事場を奪われたものだから、何もやることがなくなって退屈しているらしい。
「ね、からあげ私が作ってあげようか? それともサラダなんかどお?」
「ちょっとぉ、邪魔しないでくれるぅ? こっから入らないで!」
「なんでおネエなのよ! きっしょくわる! いいわよ、洗濯物干してくるから!」
キッチンに足を踏み入れた母に通せんぼしたら、頬をふくらませて出ていってしまった。ヒロは苦笑いして、サラダお願いします、なんて言ったけれど、邪魔しないわよー、なんて返事が返ってきてふたりで顔を見合わせて笑った。
ああ、何だか少し怖いくらいに、幸せだ。
完成した弁当には、端の方に黒い塊があった。言うまでもなく俺が作ったオリジナル料理だ。ヒロには、これのせいで全部のおかずの匂いが悪くなるから入れるなと言われたけれど、そんなことを言われて傷ついたふりをしたら、しぶしぶ入れてくれた。ただし、ラップで三重に包んで。
かくして俺たちは、淳と智也、それからコウの待つ海へと向かった。