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水の音  作者: さくら
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風の音・7

 




 翌朝、隼人は学校の教室までついてきた。僕がちゃんと授業を受けるか心配だったらしい。どうにかして学校をさぼってネックレスを探しに行こうと思っていた僕は、平気なふりをして内心肩を落とした。隼人のやつ、なんで僕が考えていることがわかったんだろう。


「げ、隼人だ。てめなにしに来たんだよ」

「うっせハゲ! 別におめえの顔見に来た訳じゃねえよ」

「ハゲってなんだよ! 俺はハゲてねえよ! ばああああか!」


 早速智也と喧嘩をはじめて、クラスメイトたちは呆れ顔でそんな二人を見ている。隼人はため息を吐いて智也から目を逸らすと、僕を見下ろして優しくわらって頭を撫でる。


「今日は俺んとこ早く終わるから、俺が来るまでここでちゃんと待ってるんだぞ? したら、一緒に探しに行こう」

「うん、わかってる。ちゃんと待ってる」


 僕が頷くと、隼人は満足そうにわらって頭をぽんぽんと優しくたたいた。智也は僕を見て、隼人を見て、首を傾げる。廊下に出た隼人は智也を呼んで、何やらぼそぼそと話してから僕に手を振った。

 どうせ、智也に僕が脱走しないように見ているように言ったんだろう。抜かりのないやつ。


「なにがあったの。ぜんっぜん意味わかんないんだけど」


 智也はそう言ってまた首を傾げた。そのときチャイムが鳴って、クラスメイトたちはがたがたと席に着きはじめる。廊下の窓から見える空は薄曇りで、僅かに開けた隙間からちいさな鳥のさえずりが聞こえた。


「ちょっとね」

「あれ、お前目腫れてねえ?」

「腫れてない。ほら、席つけよ、先生来るよ」


 片手でしっ、しっ、とやると、智也は唇を尖らせて「なんだよ」と不満そうに吐き捨ててから席に着いた。

 その後の授業なんかもちろん耳に入らなかった。気ばかりが焦って落ち着かない。長い昼休みもどうしたらいいのかわからずに、校庭に出てサッカーをする智也とクラスメイトたちをぼんやりと眺めていた。

 校庭には、小さな笛の音や、運動会に向けて応援の練習をする声、女の子たちの嬌声、遠くの鉄橋をわたる電車の音なんががごちゃまぜになって響く。


「ヒロ、まじで今日おかしいって。風邪でもひいた? 気分悪い? 保健室いく?」


 智也もたいがい僕に甘い。何だかおかしくなってきて、大丈夫、と笑ってみせると、安心したように口元を緩めた。


「なー、ヒロはさ」


 サッカーボールを友達に預けた智也はグラウンドに面した校舎の玄関先に座る僕の隣に座って、ぼんやりした空を見上げながらぽつりと呟く。


「んー?」

「隼人のこと、どう思ってんの」


 ふいに、周りの音が止んだ。空気の流れまでもが止まった気がした。手足の先が、ずきんと痛む。


「どう、って」


 一瞬で乾いてしまった喉の奥から絞り出した声は、掠れていた。強い風が吹いて校庭の砂を巻き上げる。あちこちから小さな叫び声や怒鳴り声が聞こえて、周囲の音が戻ってきた事に気付いてやっと息を吸い込んだ。


「げほっ! うえっ、すなっ! 砂吸い込んだっ!」

「うがいうがい! おま、息くらい止めてろよ!」


 玄関のすぐ側にある水道に走って行って蛇口をひねる。節水のせいかちょろちょろと流れ落ちる水を手のひらにためて、口の中をすすいだ。


「うえー、気持ち悪い。まだざらざらする」

「何やってんだよほんと。ヒロって時々まぬけだよな」

「うるさいなあ。智也に言われたくないんだけど」

「なんだよそれ!」


 忘れて欲しかった。さっきの、質問。智也がどういう意味で言ったのかはわからないけれど、隼人をどう思っているかなんて僕にだってわからない。わからないし、知りたくなかった。この気持を言葉にしてしまえば全部が崩れてしまうと思った。

 タイミング良く鳴ったチャイムに胸を撫で下ろす。智也の手を引っ張って、戻ろう、と言った。僕はうまく笑えていただろうか。







「ヒロ、喜べ」


 放課後、一緒に教室で待っていると言い張った智也を無理やり部活に行かせてひとりで待っていた。息を切らせて教室に入ってきた隼人は、僕の顔を見るなりそう言ってにやりと笑った。


「昨日、ヒロと母さんを見かけた人がいてさ。そんで、お前が紙袋落とすとこ見たんだってさ。店に電話したら、その人が店にその袋預けてくれてるって」

「え、ほんとに!?」

「ほんとほんと!」


 そんな偶然があるんだろうか。本当に? でも、見つかったのなら良かった。一気に体中の力が抜けて、へたり込んでしまった。隼人は苦笑いしながらしゃがんで僕を覗き込んだ。


「よかったあ……、もう、どうしようかと思ったあ」

「俺の日頃の行いだろ」


 隼人はまたにやりと笑って、僕の手を取って立たせてから髪を撫でた。


「僕の行いだよ」

「なに言ってんだよ。俺んだろ」

「僕が選んだ」

「ヒロが選んだけど俺のだし」

「いや僕が日頃ちゃんとしてるからこういうとき」

「お前ら早く行けよ。うっとおしい」


 ユニフォーム姿のまま教室に入ってきた智也がいかにも面倒くさそうにそう言って、体育館用のシューズを手にまた教室を出ていった。


「智也!」


 隼人が呼び止める。智也は廊下で立ち止まって、振り返る。隼人は智也に軽く手をあげてぎこちなく笑った。


「さんきゅ、助かった」

「なあにがだよ。俺なんもしてねえし。てか雨降ってきたぞ。傘持って行けよ」


 智也はそう言って、照れくさそうにちょっとだけ笑って走っていった。


「なに、智也と隼人って仲悪いんじゃなかったの」

「仲悪いよ」

「そうは見えなかったけど」

「気のせいだろ」


 隼人も智也と同じように照れくさそうにして、苦笑いしてみせた。少なくともはじめに会った時よりは睨み合いの時間が短くなってきている気がする。智也が歩み寄ったのか、隼人が丸くなったのか。どちらにせよ、これで放課後に智也の家に行くと言っても嫌な顔をされずに済みそうだ。



 


 小雨がぱらつくショッピングモールは昨日に比べて人がまばらだった。並ぶテナントの灯りがぼんやりと浮かび、昨日入ったはずのお店が新鮮に見えた。

 Blue moonの店員さんに名前を告げると、奥から小さな紙袋を出してきてくれた。隼人は僕にそれを見せて、店員さんにお礼を言ってから店を出た。


「すげー、かっけー」


 店の外の雨があたらない場所で隼人は早速プレゼントを開けた。やっぱりというか、隼人らしいというか、ピック型のそれに付いている石は僕の選んだ青じゃなく、緑だった。僕は石の色までは隼人には言わなかったんだ。


「ありがと、すげー嬉しい」

「うん。よく似合ってる。見つかってよかった」


 ありがと、と心のなかで付け足して、一生懸命に演技をしてくれている隼人の胸元に光るネックレスを見つめた。

 本当に、隼人ってどこまでも隼人だ。高かったけど無理して買ったんだろうな。僕が落ち込んだままでいないように一生懸命考えてくれたんだろうな。


「一生大事にしてよ」

「当たり前だろ。ありがとな、ヒロ」

「……ううん。こちらこそ」

「え?」

「お店に電話してくれて、ありがと」


 隼人は満足そうに笑って、じゃあ帰るか、と、僕の手を取った。大きくて、暖かい手だった。胸の奥の痛みを隠してどうにか笑って隼人を見上げたら「なに変な顔してんだよ」と笑われた。何だか泣きそうになって俯いたら、握った手にそっと力がこもった。

 僕は、この手を離したくない。僕のためにわらっていて欲しい。僕が、幸せにしたい。

 この気持をなんて言うのか、僕はもう、知っている。

 





 それから二日後の土曜日、コウが家までやってきた。手には、小さな紙袋を持って。

 なんでも、コウの母親があのショッピングモールのケーキ屋さんでパートをしていて、僕と涼子さんがショウケースの前でしかめっ面をしているその場に居たらしい。

 ケーキを作るとか作らないとか話した後、僕は無意識に涼子さんの持っていた荷物を手に取った。その時に、するりと僕の手から紙袋が落ちたそうだ。

 すぐに追い掛けたけど、夕方の客の多くなったショッピングモールのスーパーで見失ってしまったらしい。仕方なく落し物のコーナーに預けて帰ったら、その二日後にコウから僕らの話を聞いた。

 袋に入っていたメッセージカードに書かれた名前から、僕たちが買ったものに違いないと判断してこっそり持ち帰ったそうだ。


 それで、今僕と隼人はその袋を間に挟んで座り、何だかとても微妙な空気の中に居るわけで。


「……な?」

「な? って、なに」

「見つかっただろ? 言ったじゃん」

「ふふ。じゃあさ、隼人が今してるやつ、僕にちょうだい?」

「え、これ? でも」

 

 隼人は首に提げていたネックレスをちょっと上げてみせる。


「お揃い。そゆことでいいんじゃない?」

「そゆことで、いいのかな」

「いーの、いーの」


 隼人はばつが悪そうに笑って、僕の首にネックレスをつけてくれた。首の後ろ側、隼人の体温が優しく伝わる。


「似合う?」

「うーん、なんつーかまだアンバランスだけど、悪くはねえな」

「アンバランスって。いーの、これお守りにする」

「なんのお守りだよ」


 隼人は苦笑いして、改めて紙袋から箱を取り出してネックレスを眺めた。しゃらん、と優しい音が微かに耳に届く。


「石、青かったんだな。……言えよ」

「だって、隼人は僕のために嘘ついてくれたんでしょ。だから僕も」


 隼人がくれた優しい嘘に、僕の嘘をかさねて。隼人が笑ってくれるんだったらそれでいいと、思った。


「店のねーちゃんがさ、緑だったと思います、って言うもんだから」

「人のせいにしないの。僕、緑のほうが似合うでしょ? 隼人はやっぱり青のほうがいいよ」

「そうかな」

「そうだよ」


 僕の選んだネックレスを首から提げた隼人は、ぽつりと小さく「さんきゅ」と呟く。


「やっと言える」

「ん?」

「誕生日、おめでとう」


 すこし遅くなったけど。そう付け足すと隼人は、ふにゃっ、と、幸せそうに笑った。僕も、わらった。

 窓辺からゆるやかに射す夕方の光が、僕らのネックレスに反射してきらきらと揺れていた。






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