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水の音  作者: さくら
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風の音・5

 



 車窓の四角い景色が滑るように流れてゆく。午後の早い時間は乗客もまばらだ。僕と涼子さんはぎこちない空気を仕方なくしまって、親子然として座席に並んで座る。次の停車駅を告げるアナウンスが流れて、涼子さんは「あとふたつ、ね」と囁いた。


 今朝、朝食の席で涼子さんは「今日はお仕事なのよ。新しく来たバイトの子が休むって連絡があってね。いやだわあ」と、なんだかわざとらしく言って大袈裟にため息をついてみせた。不思議に思ったけれど、特に追求するつもりもなかった。隼人は一瞬首を傾げ、直後にサラダのレタスが喉に引っかかってむせた。

 涼子さんが仕事の日は真っ直ぐに家に帰る僕は、今日もそういう訳で真っ直ぐに家に帰った。部屋にランドセルを置いて水を飲みにキッチンに入ったところで、いないはずの涼子さんが現れて心臓が跳ね上がった。


「そんなに驚かすつもりはなかったんだけど、ごめんね」


 カウンターに寄り掛かって跳ねた心臓を抑える僕に、涼子さんは心配そうに眉根を寄せて謝った。


「いえ、大丈夫です。びっくりはしたけど」

「ね、ヒロ君。隼人の誕生日プレゼント、一緒に選んで?」

「誕生日? 隼人の、ですか?」

「そ。だからね、お買い物に付き合ってもらおうと思って」


 涼子さんはカウンターに置いてあった財布を胸元に抱くようにして持って、にっこり笑ってそう言った。



「ヒロ君、もうこの町には慣れた?」


 隣に座った涼子さんが、いちど咳払いをしてから呟くように言った。ここに来てからというもの、毎日一対一になることを避けるように暮らしてきたから気まずさは拭えない。だけど今日は特別だから。そう自分に言い聞かせて精一杯の笑顔をつくって頷いた。


「はい。隼人もすごくよくしてくれるし、友達もできました」

「そう、良かった。まあ隼人に関してはちょっとヒロ君に構い過ぎな感じもするけど……、うっとおしくない?」

「うっとおしいなんて、そんなこと全然ないです」

「だったらいいけど。何かあったら遠慮なく言ってね。学校の事とかも。これでも一応……」


 一応、あなたのお母さんなんだから。涼子さんはそう言おうとしたんだろうか。だけどそれ以降涼子さんは口を閉ざして、ただじっと、車窓の景色を眺めていた。



 着いた先はわりと新しい、大きなショッピングモールだった。小さなテナントが軒を連ね、あちこちの小さなスペースにクレープのお店やちょっとしたドリンクなんかも売っている。こういう感じのお店なら僕の以前住んでいた町にもいくつかあった。もっとも、規模はもっと大きかったけれど。

 あちこちで小さな子どもを連れた家族連れや主婦のグループが散歩がてらの買い物を楽しんでいる。


「おなかすいてない? なんか食べようか」

「え、着いたばっかですけど」

「いーのいーの。ね、クレープ好き?」


 涼子さんはそう言って強引に僕の服の裾を引っ張った。

 今日の涼子さんは家にいる時や仕事に出かける時よりもきちんとした服装をしていて、いつもより若く見える。

 僕たちは、他人から見たらちゃんと親子に見えるんだろうか。うまれた時からずっと一緒の、普通の親子に見えるんだろうか。

 僕たちはクレープ屋さんの前にあるオープンテラスでクレープを食べた。口の周りにクリームをつけて笑う涼子さんは、いつもよりだいぶ饒舌だった。隼人の子どもの頃の話を延々と聞かせては、笑ったり涙ぐんだりした。


「隼人はねえ、こーんなちっちゃい頃は体が弱くてね。今じゃ考えられないくらい丈夫になっちゃったけど」


 涼子さんは「こーんな」と言いながら指を広げて、五センチくらいの隙間を作ってみせた。いくらなんでもそれは小さすぎる。カスタードクリームを吹き出しそうになって何とか抑えた。


「へえ。そんなふうには全く見えないですね」

「でしょ? ほんと、馬鹿は風邪ひかないっていうけど、ここ五年ほど風邪ひとつひいてないのよ」

「まあ……、馬鹿じゃないとは言えないかもしれないけど風邪ひかないのはすごいですね」

「あはは! ヒロ君言うねー!」


 僕はこの不自然な明るさについていくべきなんだろうか。何だか気になって辺りを見回してみると、僕たちのような親子連れが何組か、同じようにテラス席でなにか飲んだり食べたりしていた。僕たちと同じようにお喋りをして、僕たちと同じように手を叩いて笑っている。よかった、不自然じゃない。


「おかーさぁん、あれ買ってくれるって言ったじゃん」

「だーめ、またこんど!」

「嘘つきー!」


 僕たちのすぐ横を通り過ぎた親子が、ちいさな口喧嘩をしながら遠ざかる。唇を尖らせた僕くらいの女の子と、ちょうど涼子さんくらいの母親。ちらりと涼子さんを見ると、涼子さんはにっこりしながら首を傾げてみせた。


「隼人のプレゼント何がいいかしらねえ」

「うーん……、服とか、靴とか? 隼人最近お洒落だし」

「そうねえ。でもあの子の趣味いまいちよくわかんないのよね。ほら、なんていうの? ラッパー? あれみたいじゃない? 腰パンなんかしちゃってまあ趣味の悪い」


 腰パンは確かに僕にも理解不能だけど隼人はそういう服もよく似合っていると思う。柄の悪い奴らが着たら下品になりそうな服も、隼人は上手に着こなしているように見える。


「あ、隼人音楽やってるのよねえ。ギターだったかしら」

「そう、ギターです。でもギターはもう持ってるし、買ったばかりですよね」

「そうねえ。もうよくわかんないからとりあえずお店回ってみよっか!」


 涼子さんの提案で、とりあえず目についたテナントに片っ端から入ってみる事にした。安易だけど、アイデアが浮かばない時には有効な手段だ。



「あら! これ素敵! ねえねえ、似合う!?」

「涼子さん、すごく似合いますけど、今日は隼人のプレゼントですよね?」

「そうだった、じゃ次いきましょ」

「ちょっとちょっとヒロ君、コレ絶対ヒロ君に似合う!」

「ありがとうございます。嬉しいですけど、でも今日は隼人の」

「そうだったわね、度々失礼。次のお店ね」


 何度かこんなやり取りを繰り返して、涼子さんの慣れないピンヒールの足が限界に近づいた頃、ショッピングモールの片隅にある小さなアクセサリーショップで、これしかない、と思えるものを見つけた。


「あ、これ。これ絶対隼人に似合う。これがいいです」

「あら。なんていうか……隼人が好きそうねえ。でもちょっと高くない?」

「ね、ちょっと高いけど……僕のお小遣いも出します。だから、これ!」

「あらヒロ君、いいのに。でも連名っていうのもアリかもしれないわね」


 僕のお財布には、篠崎家に来てからほとんど手をつけていないお小遣いがそのまま残っていた。週に何度かジュースを買うくらいで必要な物は買ってくれていたから、使う必要がなかった。

 プレゼント用の箱にラッピングしてもらって小さな紙袋にちょこんと収められたそれを、落とさないように大事に両手で抱えた。


「大袈裟ねえ。私が持とうか?」

「いえ、僕、持ってます」

「そう? ね、ケーキ作れる?」


 小さなケーキ屋のショウケースを眺めていた涼子さんは顔をしかめて、それから僕のほうに振り返って、高い、と耳打ちした。 ケーキはお母さんと一緒に何度か作ったことがある。材料さえあれば何とか作れなくはないけれど。


「できると思いますけど、帰ってから作ると結構時間かかりますよ? 隼人帰るのそんな遅くないはずだから、サプライズになんないですよ」

「ああ……そっかあ……」


 涼子さんは肩を落として、一瞬の間があって、音がしそうな勢いで顔を上げて僕を見た。


「なんでサプライズってわかったの」

「え? いや、だって買い物に出るのも隼人に内緒だったんならサプライズかなって」

「ああ……なるほどね、そうか、そうよね」

「隼人は自分の誕生日覚えてないんですか?」

「あの子がカレンダーなんか見るわけないでしょ。今が何月かもわかってないわよ、きっと」


 それは言い過ぎだと思う反面、そうかもしれないと思ってしまう。隼人は自分の関心のある事以外は全くの無頓着だからあり得なくはない。


「じゃあ、スポンジ買って帰ってデコレーションするのはどう?」

「いいと思います。生クリームとフルーツと、チョコペン買って帰りましょう」

「賛成! スーパー寄って帰ろうね」


 涼子さんはそう言って、赤くなった足を庇いながら歩く。ショッピングモールの敷地には大きなタイルがでこぼこに敷き詰められていて、こんな靴じゃ歩きづらかったに違いない。僕はあの親子のように口喧嘩をする事はできないけれど、こういうのは構わないはずだ。


「ちょっと待っててもらえますか。そこ、ベンチあるんで」

「え? ちょっとヒロ君! なあに」

「すぐ戻ります!」


 確かモールの入り口に靴屋さんがあったはずだ。僕の残りのお小遣いじゃあんまりいいものは買えないけれど、あの靴で家までは辛いだろう。余計なお世話かもしれないけれど、見ていられない。

 記憶を辿ってモールの入り口まで来ると、確かにそこに靴屋があった。サイズは確かMだと書いてあった、ような気がする。Mサイズの、ヒールの高くない柔らかそうなサンダルを選んでカウンターに乗せた。


「プレゼント用ですか?」


 店員に聞かれて一瞬、はい、と返事をしそうになって思いとどまった。大袈裟にしてもらっても困る。すぐに使う事を伝えると、値札を取って簡単な袋に入れてくれた。

 会計を済ませてベンチに戻ると、涼子さんは案の定ピンヒールを脱いで足を抑えて唸っていた。


「これ、履いてください」


 袋から出した靴を揃えて置くと、涼子さんは目を丸くして僕を見上げた。そんなに驚かれると、高いものじゃないだけに何だか気後れする。


「ヒロ君……。うわあ……。うわあ、何だか泣けるわね」

「な、泣くような事じゃないです」

「ありがとう。ホントに、ありがとう」


 涼子さんは今にも泣きそうな顔をして、何度も何度も、ありがとう、と言った。

 

 

 帰りの電車はちょうど退社や下校と重なって満員だった。座る席はもちろんなくて、僕はポールに、涼子さんはつり革に掴まって最寄り駅まで帰った。駅から少し歩いた所にあるバス停に着いたとき、手に持っていたはずの隼人のプレゼントがない事に気づいた。


「ない」

「え、なにがないの。え、もしかしてプレゼント?」

「はい。プレゼントです。どこで、どこで落としたんだろう」


 どうしよう、なんで。どこで。

 辿ってきた道を回想してみるけれど、ちっともわからない。靴を買った時には手に持っていた。スーパーに行った時は、たぶん。電車に乗った時は……、わからない。


「ごめんなさい涼子さん、僕が持ってるって言ったから!」

「あああ、いや、それはしょうがないじゃない。そんな事今言ったって、ね。とにかく落ち着きましょ」

「どうしよう。もうだって、お店も閉まるし、なんで、なんで僕……」

「ヒロ君落ち着いて」


 落ち着いてと言われても気が動転してどうにも出来ない。記憶を辿っても、手の感触を思い出そうとしてもなにも考えられない。


「とにかく一旦家に戻ろう? 誰かが拾ってくれてるかもしれないし、電車の中だったらもしかしたら明日駅員さんに聞いたらわかるかもよ? ね?」

「家に?」

「そう、家にかえろ。隼人には、プレゼントは予約してきたとかなんとか言えばいいのよ。ね? 別に今日渡さなきゃどうにかなるってもんでもないんだし、ほら、腐るもんじゃないでしょ、あれは」


 こんな時に、隼人と涼子さんがだぶって見えた。目元がよく似ているという事もあるけれど、やっぱり隼人はこの涼子さんという人に大事に育てられたんだな、なんて考えた。


「とりあえず今できることは、家に帰ってケーキを美味しそうに飾り付けてあげることよ。でなきゃパーティまでできなくなっちゃうでしょ?」

「そっか、そうだよね」

「そうなのよ。大丈夫、大丈夫。何とかなる! ね?」


 家に帰って、ケーキを飾りつけて隼人におめでとうって言うんだ。そう、わらって言えばいい。それで、明日になったら今日通った場所をまんべんなく探して、駅員さんにも聞いて、お店の人にも聞いて、そしたらきっと、見つかる。きっと。







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