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水の音  作者: さくら
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風の音・3

 


 夕暮れの公園、噴水はオレンジの夕陽を受けて目に刺さるように光る。

 隼人は神妙な顔つきで、絆創膏を僕の頬に貼った。耳元に置いた大きな手の指のあいだから、くぐもった風の音が聞こえる。ふいに手が離れて、夕方の喧騒が大きくなったように感じた。


「これをあいつらに取られて、追っかけっこ?」

「うん、そう」


 手紙を渡すと、隼人は封筒の裏や表をじっくりと眺めてから、盛大なため息とともに呆れたような視線を僕に投げてよこした。遠くで、午後五時を告げるメロディーが流れる。

 公園のベンチの顔ぶれはすっかり入れ替わって、放課後の学生たちや犬を連れた老夫婦が、日没までの短い時間を思い思いに過ごしていた。


「ほっときゃいいのに、こんなもん」

「そういう訳にはいかないよ。大事な手紙だから、って言われたし」

「どーでもいい手紙だとは言わねえだろ、誰も」

「どうでもいい手紙なんかないだろ。とにかく、ちゃあんと渡したからね。読んでよ。すごく、たぶん、気持ちが込められてると思うから。一生懸命書いたんだよ、きっと」


 家庭科室で、ぱたぱたと自分を扇いで照れを隠していた佳奈ちゃんを思い出す。あの子はあの子なりにちゃんと気持ちを込めて書いたんだ。ないがしろにしていい訳はない。

 僕にはまだよくわからないけれど、好きだって気持ちはたぶん、とても大切なものなんだ。ないがしろにされてしまったら学校に行けなくなっちゃうくらい。


「読むよ……。読むけどさ、無茶すんなよ」

「うん、隼人が居てくれて助かった。ありがとね」


 心配を通り越して不機嫌になってしまった隼人に笑ってほしくて、僕の中でいっとうスペシャルな笑顔を作った。

 だけど隼人は眉間に皺を寄せて僕を見下ろして、長いため息を吐いただけだった。それから、吐いたため息をまた吸い込むようにゆっくりと息をして、いつものように眉を下げて、僕の頬の絆創膏を指でなぞった。


「いたた……」

「お前さー、早く中学生んなれよ。目ぇ届かなくて心配なんだよな」

「えー、そんなこと言われたって無理だし」

「意外とヒロって、長いものに巻かれたくないタイプだろ」

「そりゃ、長いには理由があるんだろうけどね。巻かれたくないこっちにも理由あるし」


 長いからって何でもかんでも巻けると思うなよ、みたいな反抗心がある。これは多分母譲りなんだろう。

 隼人に言わせれば、こういう性格は色んな意味で損をするらしい。だけど僕は今のところ、じぶんで取り返せる損しかしていない、と思う。

 いや、隼人には迷惑をかけてしまっているけれど。


「だから心配なんだよ……。もう、おにーちゃん胃が痛い」

「あはは。おにーちゃん心配性ですねえ」

「あれ、お前腕も血ぃ出てる。貸してみな」


 隼人は僕の両腕を捲り、さっき濡らしたハンカチを裏返して軽く押しあてた。

 長めの前髪が、噴水から吹き返す風に揺れながらオレンジの光に透けて、伏せると案外長い睫毛にひっかかる。きれいに通った鼻筋に、すっきりとした頬。これってもしかして、イケメンってやつかも。そうか、そりゃモテるだろ。


「隼人ってかっこいいんだね。知らなかった」

「は!? 何言ってんのお前!」

「何って、素直に思ったこと言ったんだけど」


 眉間に皺を寄せて下から僕を見上げる。こんどは意外と黒目が綺麗なことに気づいた。

 僕あんまり隼人の顔見てなかったのかな、いままで。


「隼人、モテるでしょ。今日だって、こんなだし」


 隼人の膝に置かれた手紙の、はんぶん剥げてしまったハートのシールを指差す。隼人は絆創膏の剥離紙を取りながらちらりと手紙を見て、うーん、と低く唸る。


「あれだよ、淳のがモテるんだぞ。あいつ背も高いし、頭やたらいいし、金持ちだし。完璧だろ」

「のが、ってことは隼人もやっぱそれなりにモテるんだ」

「ばーか。音楽できりゃそこそこモテんだよ。相場が決まってんの! ほら出来たっ!」


 絆創膏を貼り終えた隼人はそう言って、僕の腕をばしっ、と叩いた。


「いてっ!」

「余計なことばっか言ってねえで、帰るぞ。あー、腹減った!」

「だって、佳奈ちゃんは隼人が音楽やってるって知らないよ。朝ちょこっと見かけてただけだもん」

「かなちゃん? 誰?」


 隼人は、ベンチから立ち上がって僕のランドセルを自分の左肩にかける。受け取ろうと手を出したら、いいよ、と体ごと引っ込めてしまった。

 ふたり並んで、人の増えはじめた商店街を歩く。威勢のいい八百屋が大きな声でタイムサービスが始まったことをしきりに叫んでいる。

 隼人は通行人を避けつつ、僕の歩くスペースを作りながら器用に歩く。隼人の隣はいつも、居心地がいい。


「その手紙の送り主だよ。結構可愛い子だよ。色が白くて」

「知らねえなあ。可愛いつったって、小学生だろ」

「小学生でも立派に女の子だよ」

「残念ながら俺はまだそんな境地に達してねえんだよ」

「どんな境地なの、それ」






 翌日隼人は昼休みにわざわざ僕の学校までやってきた。朝、家を出るときについていた寝癖がそのままだ。洗面所で何度も寝ぐせ直しのスプレーをかけていたけれど、治らなかった。


「佳奈ちゃんって、どこいんの」


 グラウンドでドッヂボールをしていた僕にそう声をかけ、知らないと言うと、目が合ったそこじゅうの子に声をかけまくっていた。

 みんなが首を横に振って、仕方なくとぼとぼと校舎に入る。寝ぐせが気になるのかしきりに左手で頭を抑え、手を離すと、ぴょこん、と重力に逆らった髪の束が飛び出した。


「隼人なに、どうしたの。もしかして昨日の返事?」


 クラスメイトにボールを渡して、追いかけた。視界に、斉藤を含む三人組がグラウンドの隅で慌てているのが見えた。


「そーだよ」

「なにもわざわざここまで来なくても僕、伝言したのに」

「だっておめぇ、気持ちが込められてるって言ってたし。だから俺もこうやって誠意をだな」


 一生懸命に気持ちを込めて書いた手紙なんだから、ちゃんと返事してやんなきゃ。隼人はそう言って、がしがしと階段を上っていった。


「隼人! 佳奈ちゃん三組だって言ってた。教室わかる?」

「おー」


 何だかこれ以上追いかけるのも悪い気がして、上っていく背中を見送った。逆光で隼人の姿がだんだん見えなくなる。不意に、胸の奥がちくりと痛んだ。


 僕はいつかこんなふうにして、誰かの元へ行ってしまう隼人の背中を見送る事になるんだろうか。

 今は僕に惜しみなく注がれている優しさも暖かさも、誰かのものになる時がきてしまうんだろうか。その時に僕は笑って、心から祝福してあげることが出来るんだろうか。

 痛んだ胸の奥。その痛みの意味がわからなくて首をかしげたら、こきん、とちいさな音が鳴った。






 



 


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