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第二話『投げ出した後、逃げ出した先』

 逃げ出した少年。救い上げた少女。


 再びの対峙は、どのような行方を辿るのか。


 ほのぼのパート、解禁!

 悲しみでも良かった。苦しみでも良かった。そんなものでも、僕にとっての真実だったから。


 喜びは怖かった。感動はもっと恐ろしかった。そんなもの、僕の真実とは思えなかったから。


「真宮くん」


 優しい声だった。ついうっとりとして、呼ばれたことに気づくのが遅れてしまう程に。


 すぐにでも彼女の顔が見たくて、気だるい体を無理矢理に反転させる。


 同時に、芯から重くもたれる頭を右方へと転がし、霞んだ瞳を精一杯に凝らす。


 病床の僕には一苦労の行為だけど、ご褒美があるから苦しくはなかった。


「調子はどう?」


「調子は悪いかな。けど、気分はいいよ」


「そう」


 そっけなく答えた彼女だったが、それでも僕の様子に一安心してくれたようだった。


 気分がいい理由を訊かないのは、わかっているからだろうか。良い匂いがするんだ、すごく。


「お粥、作ってくれたんだね」


「ええ」


「ありがとう」


 彼女はまたも無機質な相槌を打つに終始したが、その表情は自然で柔らかいものへと変わっていた。


 僕の気持ちが彼女を安らがせたというのなら、それは果てしなく嬉しいことなのだと思う。


 少なくとも、僕は今彼女の気持ちに安らいでいるのだから。温かくて柔らかい、その気持ちに。


「それじゃあ、いただこうかな」


 のろのろと上体を起こした僕は、それだけで軽い目眩に襲われてしまう。貧弱もいいところだ。あいつが見たらなんと言うか。


「大丈夫?」


 というか、今僕を見てくれている彼女にこんな顔をさせてしまっているではないか。


 心配なんかさせたくないのに、不安になんかさせたくないのに。僕って奴は。


「うん、大丈夫。それよりさ、なんだかいいね、その格好」


「え?」


 改めて、彼女の姿を瞳に写してみる。綺麗なものを見るのは幸せなことで、つまりこれが眼福というやつなのだろう。


 艶やかな黒髪は紫がかっていて、穏やかな波のようなクセを持ったまま腰に届かない程度に伸びている。


 すらりとした体型に違わず、輪郭には無駄な肉付きが見られない。ほっそりとした顔立ちに、小さな鼻がちょこんと付いているイメージだ。


 垂れ目に分類されるであろう瞳はどこまでも穏やかで、無風の草原や波のない静かな海を思わせる。


 抑揚に欠けた心は凪。小さな唇から紡がれる淡白な言葉と、女の子らしい小さな体。その全てが、僕の心を安らぎに浸してくれるようで。


 だから多分、僕は彼女が好きなんだと思う。


「なんかいい、なんて、なんだか曖昧ね」


「曖昧なのはお互い様じゃない。それを慮りと定義して誤魔化してる分、僕のは失礼かもしれないけど」


 今この瞬間だって誤魔化していた。彼女が何を望んでいるのかは何となくわかるけど、それを実現してあげられなかった。


 恥ずかしいって、ただそれだけの理由。彼女の物欲しげな視線をもっと浴びていたいというのも、少しはあるのだけど。


「曖昧なのは、嫌い」


 わからないから、嫌い。彼女はそんな風に呟いた。だから、自分の言葉も本当は嫌いなのだと。


 僕は悲しそうに俯く彼女の姿を見たくなくて、その気持ちを恥ずかしさと天秤にかけた。


 天秤は大きく傾いて、羞恥をどこか彼方へと消してしまった。この選択ができること自体は、悪くないと思う。


「なんかほら、可愛いなって思ったんだ。そのエプロンとか、鍋つかみとか」


 家庭的な女性というのは男に好かれるものだが、それは他ならぬ本能による感情なのだと思う。


 母親の胸に収まることを幸福とするのと同じで、誰もが普遍的に求めていること。生涯不変を誓える感情なのだ。


「可愛い?」


「そう。なんていうか、お嫁さんって感じ」


 露骨に頬を緩めた僕は、病床に伏している現状を利用して甘えてやろうという算段らしい。


 自分のことを客観視してしまうくらい、それは浅はかな企みだったと思う。


「お……嫁……さん……?」


 復唱しないで欲しいな、恥ずかしいから。呆然として立ち尽くす彼女だが、そろそろ心配なのはお粥の方だったりして。


「それより、そろそろ食べたいな、そのお粥」


 とんだ甘ったれのくそ野郎である。誰にともなく断っておくが、普段の僕はこんなぼんくらではなかった筈だ。


 いや、だからこそか。今の僕は、日頃の欠乏を補う勢いでくそったれの甘ったれ野郎に昇華していた。


「ごめんなさい。それじゃあ」


 それじゃあと言われたから、僕は自然に右手を差し出した。まずはスプーンを受け取ろうじゃないか。


 しかし彼女は、どこかおかしかった。よく見れば、熱を出している僕より顔が紅潮している気がする。


 それでも表情が変わらないのは褒めるべき点なのだろうか。いやしかし、お陰で異変があるのかないのかもわからないのだが。


「どうかしたの?」


「―――いえ、なんでもないの」


 妙な間があるのはいつものことと言えばいつものことなのだけど、やっぱり何か不自然な感じ。


 まるで僕といることに緊張してるみたいな。熱を伝染うつされることを警戒してるわけではなさそうだけど。


「真宮くん」


 じゃあいったいなんだというのだろう。なにやら呼吸も乱れてるようだし、心臓の鼓動が時々聞こえてくるような気もする。


「真宮くん」


「―――えっ?」


「調子、悪いのね」


「ええ、ああ、うんまぁ、良くはないけど」


 深く考え過ぎたが故に、彼女の呼び掛けに呼応するのが遅れてしまった。妙な心配をかけたくはないのだけど。


「腕、力が入らないとか」


「いや、別にそんなことはないけど」


「……握力が著しく低下しているとか」


「別にそんなこともないけど」


「…………ティーカップより重いものを持ったことがないとか」


「どこの深窓の令嬢?」


「……ひどい」


 えっなに?今、何か悪いことしたかな僕。特に覚えがないどころの話じゃないよこれ。


 というか、なんらかの意図があるのだろうか。ちょっと意味わかんないけど、わかってあげないと僕が苦労しそうな気がする。


「ふー、ふー」


「……いや、ちょっ、何してんの?」


「冷ましているの。お粥、熱いから」


「そっ……か。ええと、うん、その、ありがとう。でもほら、僕もいい年だし、自分でやるからいいよ」


 びっくりしたね、うん。スプーンに一口分の粥を掬い上げたかと思うと、そのまま可愛らしい仕草でふーふーやってくれるんだもんね。


 心遣いは嬉しいし、健全な男子高校生としては素直に嬉しいし光景なのだけれど、ちょっと怖いかな。


 だってほら、このまま自然な流れに身を任せていたりしたら、ほとんど確実にあの行為へと発展していくじゃないか。


 あーん、だなんて。そんな恥ずかしいこと、僕にはできない。


「私も真宮くんも、まだ十七歳じゃない。恥ずかしいことなんか、何もないわ」


「あるよ!?たくさんあるよ!?」


 基準は人それぞれの感性に依るところが大きいから断定はできない。けど一般論として、これは間違いなく十七歳がやることではないのだと思う。


 それに、今そんなことをされたら、全部持っていかれてしまう気がして。気持ちとか、愛情とか、気遣いとか、思想とか思考とか行動とか。


 果ては、未来とか。それはとっても、怖いことなんだと思うから。


「真宮くん。口、開けて」


「はい……」


 あーん。もぐもぐ。むしゃむしゃ。ごくん。


「美味しいね。きっといいお嫁さんになれるよ」


「ありがとう。嬉しい」


 僕は。


 僕は駄目な奴なんだ。なにしろ意志が薄弱で、押しに弱くて、NOと言えない日本人の代表格みたいな奴なんだ。


「風邪、早く治るといい」


「そうだね。そしたら何処かに出掛けようか?」


「水族館、行ってみたい」


「いいね、考えとくよ」


 きっと今、幸せなんだろうな、僕は。


 当然だ。嫌なことは何一つ考えなくていいのだから。病床に伏している間だけ、何者にも何事にも縛られなくて済む。


 『仕事』も、今は店長から暇をいただいている。ありがたいことだ。


 こうやって穏やかに過ぎていく時間を、ただ流れるままに身を委ねて過ごしていくのだ。


 それは、なんて幸福。


 何事にも悩まず、苛まれず、たがら当然足掻くこともせずに生きていく。ずっと望んでいたことじゃないか。ずっと求めてきた日々じゃないか。


 なのに、この虚無感はなんだ。心にぽっかりと空いた空白は、誰が埋めてくれる?


 こうやって、大切な人と休日の約束でも取り付けて、緩やかに時を経ていくのか。


 笑って、はしゃぎ回って、青春して。誰もが憧れる当たり前みたいな日々を、当たり前みたいに謳歌していくのか。


 ―――違う。


 そんなのは、僕の物語じゃない。それは楽な道かもしれないけど、穏やかな日々かもしれないけど、どこまでも空虚な人生だ。


 僕はあの日膝を折った。勝てない相手がいることを知って、自分の限界を刻まれた。


 それでも今、足掻いてもがいて生きている自分がいる。そんな自分は嫌いだけど、この道を選んだことはは間違っていない筈だから。


「もう、いいのね」


「うん。もういいよ」


 彼女は全てを察したみたいに語りかけて、それから一瞬だけ微笑んでくれたような気がした。


「まだ眠っていても構わない……けど、いつもの真宮くんが戻って来てくれなくちゃ、困る」


「わかってるよ。風邪が治ったら、店にはちゃんと戻るから」


「約束?」


「うん、約束だ」


 やはり表情を変えないままで小首を傾げた彼女に、僕は精一杯の微笑みをお返しした。


 心配をかけたくなかった筈なのに、気づけば僕はいっぱいいっぱい心配されていたのだ。


 全部諦めて逃げ出そうとしたから、こんな風に風邪も長引いているのだろう。


 だけど、もう大丈夫だ。整理はついたし、覚悟も決まった。早く風邪を治して、もう一度帰ろう。あの店に。


「指切り、してくれる?」


 彼女が、上目遣いにそんなことを言った。その遠慮気味な申し出がなんとなく可愛くて、僕は即座に頷いてみせた。


「けど、突然どうしたの?指切りだなんて」


「舞ちゃんが、教えてくれたの。男の子との約束には『きせいじじつ』が必要だって」


「なんか違うっ!色々間違ってるよそれ!」


「本当は指なんかより絡めなくちゃいけないものがある、とも言っていたわ」


「いちいち卑猥なんだよあんちくしょう!」


 僕の心のオアシスである彼女の純真に傷がついてしまいそうで、それはどうしようもなく恐ろしいことだった。


 よし、そうだな。あんちくしょうには罰を何か与えよう。


 とりあえずは一日かけて穴を掘らせて、その穴を一日かけて埋めさせよう。


「舞ちゃんは、いろいろ教えてくれる」


「いろいろ過ぎるのが難点なんだけどね。まぁ指切り自体は悪いことじゃないからいいけど」


 僕は愚痴を溢しながら小指を差し出すのだが、そこで何故か再び首を傾げられてしまった。


「あれっ、なにこれ、僕なんか変かな?」


 恐る恐る聞いてみるのだけど、なんとなしに結末が読めてしまったが為に逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。


「別に変じゃない。それじゃあ、これ」


「ああうん、その、この拷問器具みたいのは何に使えばいいのかな?」


 銀色にギラギラと輝く鉄の塊を手渡された僕は、数瞬の間身動きが取れずにいた。


 冷たく無機質な銀色が、僕にゲームオーバーを告げているようにしか見えなかったのだ。


「何にって、落とすの、小指を」


「……Why?」


「指切り。約束だから」


 そんなびこーずはいらなかった。いろいろ間違ってるだとか、今更言うまでもなかった。


 僕はアレか。かたぎに戻ろうとしてる感じなのか。落とし前ってか、けじめなさい的なアレなのか。


 とりあえず、この器具は預かることにしよう。僕の大切な彼女を弄んだあんちくしょうには、けじめなさいしてもらわなくちゃならないからね。


「うん、これは指切りじゃない。拷問だ」


「…………?」


「OK、不思議な気持ちになるのもわかる。指切りといえば読んで字の如くと納得してしまうのもある程度仕方ない。この件は水に流すことにしよう。赤いのを流す必要はこれっぽっちもないんだからな、うん」


 深呼吸の後に捲し立てるように言葉を繋いだ僕に対して、彼女はひたすらに奇異の視線を投げ掛けていた。


 そんな目で見ないで欲しい。僕は至って正常で清浄なのだ。不浄なのはあんちくしょうだけである。


「それじゃ、今から正しい指切りを教えるからさ、小指を出して」


「ええ」


 可愛らしい小指だ。これを平気で切り落としたかもしれないと思うと、やはり間違いを指摘してあげられて良かった。


「こうやって指を絡めて」


「……ええ」


 温かいな、柔らかいな、気持ちいいな、なんて、思えるだけの幸せ。針千本の公約くらい、甘んじて背負ってやろうという気にもさせられてしまう。


 つーかさっき『指なんかより絡めなくちゃいけないものが』とか言ってたろ。そこで真実を察そうよ。


「温かいのね」


「変だな。僕も温かいと感じてるのに」


 世辞だろうか?いや、違う。これはきっと、彼女の背負った運命に起因する発言なのだ。


 冷たいものにばかり触れてきた彼女の、それはまごうことなき本音だったのだろう。


「それに、柔らかい」


「それじゃ、いくよ」


 指切りげんまん

 嘘吐いたら

 針千本飲ます


「指、切った」


「……あっ」


 絡めた指がほどけたその瞬間、彼女は切なそうな喘ぎを口にした。切ないのは、僕も同じで。


 当然だ。大抵の場合、指切りの終わりは別れを意味するから。


「これで、約束」


「うん。嘘吐いたら針千本だからね」


 沈んでいく気持ちを支えるように、僕は無意識に彼女の手を握っていた。ぎゅっと、離さないように。


「もう、行くわ」


「うん。ありがとう。それに、御馳走様」


 握られた手を、頬を赤らめた彼女がじっと見つめていた。行ってしまうのを惜しむ気持ち、少しでも伝わればいい。


「最後に、聞いていい?」


「もちろん」


「―――私の名前、ちゃんと覚えてる?」


「え?」


 ああ、そうか。また悪い癖が出てしまっていたらしい。自分で気づけないのだから、これは重症だ。


「真宮くん、一度も呼んでくれなかったから」


「……ごめん。でも大丈夫だよ、ちゃんと覚えてるから」


「そう、それならいいの」


 ほっとしたように息をついて、『彼女』はすっと立ち上がった。僕の額に一度だけ掌を当てて、表情を変えないまま。


「それじゃ、お大事に」


「あっうん、ありがとう。その、名前はいいの?」


「いいの。覚えてるって言ってくれたから、それを信じるわ」


 それは多分、僕の本質的な欠陥を知った上での気遣いだったんだと思う。振り返ることもせず、『彼女』は凛とした足取りで僕の前から去っていく。


「あのっ……ふっ、双葉!」


「なぁに?」


 僕の渾身の呼び掛けに、彼女はゆるりと振り返ることで応えてくれた。良かった。あとちょっと遅ければ、そのまま彼女を帰してしまうところだった。


「あのっ、えと」


「―――そういえば真宮くん。やっぱり私だけ、苗字で呼ぶのね?」


 何を言っていいかわからずにあたふたしていると、僕にとっての爆弾が彼女から投下されてしまった。


「それはほら……そっちも苗字で呼んでるし」


「……別に、私は構わないのだけど」


 そんな抑揚もなく構わないと言われてしまうと、むしろこっちが構わなくないわけで。


「……わかった。次は店で会おうね、ゆい


「ええ、また」


 手早く開かれた扉がぱたりと閉ざされて、すぐに僕は一人になった。そこに残ったのは、少しばかりの達成感だった。


「ちゃんと、呼べた」


 自分の唇を撫でて、その指を実感なさげに見つめていた。でも、もう大丈夫なんだと思う。


 その手をぎゅっと握って、僕は睡眠を開始した。早く治して、約束を果たさなくちゃならないから。




 嘘を吐いた。世界で一番大切な人に、心を偽り続けた僕がいた。それは、遠い昔の記憶。


 ―――まだ、僕はここにいる。あの日と何も変わらないままで、何も変われないままで、今も。




 その過去は嘘で

 この現在も偽りで

 あの未来さえも欺瞞

 全ての感情はフェイク


 きっと

 それすらも―――





真宮(まみや) (よう)

十七歳・高校二年生

恐らくきっと主人公


双葉(ふたば) (ゆい)

十七歳・高校二年生

暫定ヒロインA



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