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あの時。
嬉々と、ヒカルのかっこ良さを語るさとみの話を聞いている時。アカネは、本当のヒカルはそんなんじゃない、と。ヒカルの本当の心中がわたしならわかる、と思っていた。
あの時。
さとみに「応援してください」と言われた時。アカネは、目を輝かせ自分の恋心にまっすぐであろうとしていた後輩を素直に応援する気持ちになれなかった。
あの時。
「大丈夫だよ」と、後輩の気持ちを後押しする言葉を口にしてしまった時。きっとヒカルはこの娘の想いには応えないのではないかと思っていながら、適当な励ましをしてしまった。
「私って嫌な女だな」
荷物をロッカーに置き、身軽になった体で、アカネは暗がりの廊下を歩く。日曜日の校舎は、先生や校務員の人が、適当なタイミングで電気を点けてくれることなど無いから、日がくれてしまえばこんなモノだろう。
明るくなくてよかったな、と思った。後ろめたさでもなんでもだが、心がささくれ立って居るような時は、周りが暗いほうが落ち着く。
自分の言動を振り返っては、暗澹たる気持ちが広がるのを止められない。そして、なにより、なぜ、自分があんな風になったのか、それがアカネにはわからなかった。
ふと、廊下に指す明かりが目に留まる。教室から漏れ出る光は、黒の廊下を平行四辺形に白く切り取っていた。
ヒカルに、会いたくないな。アカネはそう思った。
ただでさえ、さとみちゃんの件もあって、タクミの言う、ヒカルの大事な話が何かは分からないが、もともと気は進んでなかったのだ。思い出し落ち込み真っ最中な今ならなおさらだ。
教室の手前で足を止めたアカネを迎えたのは、ヒカルだった。
廊下を照らす教室からの明かりが歪んだと思ったのもつかの間、ヒカルが廊下に出てきた。
「ったく、タクミの奴、佐々木屋いくのに、どんだけ時間かかってんだよ」
そう言いながら廊下を見渡すヒカルと、アカネの視線が交錯した。
「お、アカネ」
「よ、よっす」
自分から飛び出した、上ずった声にアカネは驚くが、ヒカルは気に留めなかったようだ。
「どうしたんだよ、こんな時間に、……って部活だよな。聞くまでもない」
そう言いながらヒカルは廊下に飛び出した半身を翻す。
「むしろ、こっちがなんで休みのこんな日にって話だよな。ホラこれだよ」
ヒカルは手招きしながら、教室へと戻って行く。アカネは、意を決してヒカルのあとに続いた。
「うっわっ、これ全部二人で?」
ヒカルのあとに続き、教室に足を踏み入れたアカネの目に飛び込んできたのは、教室の後ろのスペースを埋め尽くす様にずらりと立てかけられた笹の数々だ。
「え? なに? なんで知ってんの? もしかしてタクミに会った?」
「んー。部活終わって、昇降口行こうとしてたら、ねぇ。うっわ、すごい、これ全部手作業で?」
アカネは並んだ笹を見て歩く。脇には何名分だろうか、短冊が積み上げられていた。
ふと、束になった短冊の脇に、数枚散らばった短冊が目に留まる。脇にはペンと、丸められた紙くず。
「まったく、はた迷惑な話だ。聞いてるか? タクミから」
「ううん。細かくは。キムにとっ捕まったって位」
「あいつが、だけどな。俺は単なるとばっちりだ」
ヒカルが、その机のペンを手に取り、机に腰を下ろしてペンまわしを始める。
「天文学部の部室に忍び込んで、望遠鏡をかっさらおうとしたんだとさ。あいつ本物のアホだな。とんだとばっちりだよ、まったく」
「タクミらしいね」
そして、それに付き合うヒカルもヒカルらしいなと思う。スカートを抑えながら、ヒカルの向いの机の椅子に腰をおろす。
ヒカルは、基本的にぶっきらぼうだが、私やタクミにはやさしい。幼なじみだからだ。ヒカルは人を別ける。明確な線引きがあるのかは聞いたことがないが、とにかく別ける。内と外とでだ。
さとみちゃんはヒカルに告白するという。それは、ヒカルの内側に入るということだ。私やタクミに向けられている優しさが、さとみちゃんにも向いてしまうという事だ。
私は、なんとなく、自分の気持ちに気づいていた。さとみちゃんの目を真っ直ぐに見れなかった理由。
それは、嫉妬だ。
「なぁ、折角だし、短冊書いてみないか?」
ヒカルが、ペンをこちらに向けながら聞いてきた。脇には積まれた短冊。その一枚を取り、ペンと共に渡してきた。側にあった丸められた紙くずが見当たらない。さっきまで、あった気がしたけど、いつの間にかヒカルが捨てたのだろうか。
「短冊? 願い事、か」
アカネは少しうつむき、少し考えると、ペンと紙をとった。